こっち向いてマイキトゥン
(猫獣人ショタまいくんと暮らすみっちが、同じく獣人の少年いざな拾ってくるイザ武、マイ武)
(※まいくんといざながしょたで猫の獣人(猫耳と尻尾生えただけ))
(※過去にイザモブ、モブイザがあったような描写がふわっとあります)
玄関の扉を開けた瞬間、耳と尾の毛を逆立てて瞳孔を細くしたマイキーに迎えられ、武道はあちゃあと首を竦めた。
匂いか、足音か。元々獣人の中でも勘の鋭い子だ。
「……タケミっち……そいつ、何」
「あー、うーん、……拾い物……?」
へへ、と笑って腕の中のその子を抱き直せば、マイキーの瞳孔がますます縦長になる。
「オレに寄越せ」
「な、何する気……?」
「倒れてたんだよ、路地裏に。だからひとまずうちに……」
目が覚めた瞬間、ゴム鞠みたいに跳ねて部屋の隅に行ってしまったその子どもは、尻尾を膨らませて武道を威嚇した。マイキーが武道の前に出るようにして威嚇し返すから、背中を撫でて必死に宥める。
「あー、取り敢えず、水飲んで。お粥食べれそう? レトルトだけど」
冷たいのはまずかろうと温くなった白湯を差し出すが、じっとこちらを睨みつけるだけで微動だにしない。武道は差し出したマグを自分で三分の一ほど呷った。
「ほら、変な物は入ってない」
子どもはしばらく目の前に置かれたマグを見つめていたが、ようやく口を開いた。
「オマエが口つけたやつとか飲めるかよ」
「こいつコロス」
「こらこらこらこら」
マイキーの襟首を掴んで引き戻す。はあ、と武道の口から大きな溜め息が零れた。
「おんなじ猫獣人同士だし、ケンカしないでよ」
「タケミっちいっつもハセガワにまた嫌味言われたーって愚痴ってんじゃん、人間同士だって仲良く出来てないだろ」
「ごもっともで……」
たしーん、とマイキーのふさふさとした金色の尾が畳を苛立たしげに叩く。マイキーがふわふわの金の毛並みなのに対し、二人を警戒する子どもは、短毛だがさらさらとした銀の尾を振っている。美しいラインがゆらゆらと室内の照明を反射した。
マイキーも美しい獣人だが、この子もなかなかの美人だな。そんな風に考えたのを見抜いてか、マイキーが武道の腕に噛みついてくる。甘噛みというには強い。こういう力加減ばかり得意なんだからな……と必死に引き剥がそうとするが、全く外れなかった。十歳にして武道を上回る膂力と咬合力だ。
「オレ、武道。この子はマイキー君。君は、なんて呼べばいい?」
子どもは押し黙ったまま、やはり武道たちを警戒して背を見せまいとしている。マイキーがふんと鼻を鳴らした。
「白髪でいいだろ」
ぐっ、と不快そうに子どもの眉根が寄る。
「イザナ」
「イザナね、了解」
十四、五と言ったところだろうか。手足が長いのでまだまだ背が伸びそうだなあと年寄じみたことを考えつつ、武道はマグを手にキッチンへ向かった。
「ほら、おいで。準備するとこ見てろよ、それなら変なもん入ってないか分かるだろ?」
睨んでくる眼光の強さは変わらない。こりゃ骨が折れるな、とマグをシンクに置いた。
猫の獣人にも、犬猿の仲って使えるのかな。
そんなことを思いつつ、武道ははあと溜め息をついた。すかさず「溜め息ついてないで仕事してくださ〜い」と長谷川が通り過ぎ様釘を刺してくる。お世辞にも有能とは言えない上司の肩身は狭い。
イザナを拾って一週間。彼とマイキーの相性は、初対面から依然変わらず最悪である。この前仕事から帰ったら、ただでさえ散らかっている部屋が強盗襲撃レベルで悲惨なことになっていて声にならない叫びを上げた。どっちから先に仕掛けたと聞いても、無言で互いに互いを指さすばかり。ケンカをするのは構わないが、なるべく物は壊さず、何より怪我をしないでほしい。
引っ掻き傷と打撲ばかりを増やす二人の手当てをしていて分かったが、イザナがいたのはかなり劣悪な環境だったようだ。抵抗されながらなんとか傷の消毒をしていれば、身体にある痣や古傷がいやでも目についた。引き取った獣人の子どもを虐待すると言うのは、聞かない話ではない。人間そのものに敵意を剥き出しにする、そういう思考になって然るべき扱いを受けて来たということだ。
ケンカする二人の仲裁やイザナの暴れっぷりにより、武道自身も最近生傷が絶えない。接客業なので顔面は死守し続けていたが、つい昨日頬に大きな引っ掻き傷も貰ってしまった。長谷川の小言も三割増しだ。
昨夜の尻尾によるビンタを思い出し、イザナは元々自分みたいなひ弱なタイプが嫌いなのかもなと肩を落とす。一度拾った手前手放そうとは思っていないが、もしイザナが別の環境を望むようなら、引き取り手を探した方がいいのかもしれない。武道の家はお世辞にも綺麗とは言えないし、広いとはもっと言えない。マイキーとの二人暮らしの時点で既に手狭だった。
獣人の子どもが通う全寮制の学校もあると聞く。学費が武道の給料で捻出出来るかはさておいて、一考の余地はあるかもしれない。役所にパンフレットは置いてあるだろうか。
そんなことを考えていると長谷川の視線が突き刺さって、慌ててDVDの陳列に向かった。
「イザナ、いい加減食べてみない?」
武道にしては上手く作れた鍋をよそった小皿を押し出すが、イザナはまったくの無反応だ。部屋の隅で片膝を抱え、ぱしんと尻尾で壁を叩く。
ここへ来てから、ほとんど固形物を口にしていない。水分はなんとか摂らせているが、いい加減身体が心配だった。
市販の総菜や弁当、猫の獣人に人気のデリを買ってみたりもしたが、今のところ全敗している。今回は逆に手料理にしてみたが、一瞥も貰えなかった。
「タケミっち、食べよーよ」
べたりと背中にマイキーが貼りついてくる。最近武道がイザナに構いきりなせいで、こちらまでご機嫌ななめなのだ。
「先食べてて。イザナ、なあ、嫌かもしれないけど、……なんか食べたい物とかない? なるべく用意するからさ……」
拾ってきた猫の健康状態が不安で、近頃武道まで憔悴している。項垂れていると、マイキーがぐいぐいと背に頭を押し付けてきた。後ろを見ればむっすりと唇を尖らせていたので、わしわしと頭を撫でるが、機嫌は直らない。マイキーもマイキーで素直な性格ではない。我が儘のふりをして、疲労困憊の武道を心配しているのだろう。
「……うん、分かった」
ぱっとマイキーの顔が輝く。あまりこの子を放っておくのもよくないよな、とひとまず二人で先に食卓に着こうとした。
「……この匂い、好きじゃない」
ぽつ、と呟かれたそれに、武道はぱっと振り向いた。イザナはやはり武道には目を向けないまま、畳をじっと睨んでいる。
「あ……、あ、ポン酢? ダメ? ごまだれもある!」
慌てて冷蔵庫に飛びつく。イザナをテーブルまで連れて来て、武道がその後もせっせと鍋の中身をよそってやっていると、マイキーのヤキモチの頭突きが炸裂した。途中からマイキーにあーんをして食べさせ始めた武道を、ダメ飼い主と友人は言うだろう。
なんか寝苦しい。
調子に乗って鍋食べすぎたかな、と瞑目したまま武道は唸る。
そもそも布団が狭いのだ。元々マイキーと一緒に寝ていたが、イザナが来たことで掛布団を彼に、武道とマイキーは小さなブランケットを掛けて寝るようになっていた。当初マイキーとイザナに布団を使ってもらおうとしたが、二人から拒否されたのでこの形に収まっている。
またマイキーが上に乗り上げてきたのだろうか。くっつきたがるくせに、寝相が悪くていけない……、
ガッ、ドサ、ガタン!
「んッ!? んえ、なに!?」
寝苦しさがなくなったと思ったら、突然の騒音。がばっと飛び起きた武道の目に飛び込んで来たのは、取っ組み合う二人の猫の姿だった。
「は!? なんで!?」
イザナに馬乗りになって殴りかかろうとしているマイキーに飛びつき、慌てて引き剥がす。マイキーの尻尾の毛はぶわりと逆立っていた。
「放せタケミっち」
「いや、何、どうしたんだよ」
「こいつタケミっち襲おうとしたんだよ?」
「おそ……」
眠気なんてとうに吹き飛んでいる。寝首掻かれるとこだったんか、と覚醒した頭で理解すると、ぞっと背筋が凍った。起き上がったイザナはふんと鼻を鳴らす。そしてべえ、と長い舌を見せつけるように出した。
「口でしてやろうとしただけじゃん」
「え……?」
何を? ぽかんとしつつも、腕の中で身を捩るマイキーをなんとか押さえ込む。
イザナの目は冷ややかだった。飴玉みたいな菫色の瞳が、暗い部屋の中で爛々としている。初めて会った日の眼差しと同じだ。
「猫の獣人に口でされるの、人間からしたらたまんねえんだってな? ざらざらなのがイイって」
その思わせぶりな言い回しに、武道は徐々に意味を理解して真っ赤になった。それからすぐに真っ青になる。
まだ子どもの彼が、何を。呆然としていると、夜目が効く猫の獣人には武道の顔色の変化もしっかり見えていたのだろう、イザナは聞こえよがしに舌打ちした。
「何カマトトぶってんだよ、このために拾ったんだろ?」
頭を鈍器で殴られたような衝撃が走る。
この子はここにいる間、ずっとそんなことを思って日々を過ごしていたのだろうか。愕然とする武道の腕から抜け出したマイキーが、イザナにその尖った牙を見せた。
「いい加減にしろよ」
「怖気づいたか何か知らねえけど、コイツがして来ねえからオレがやってやろうとしたんじゃねえか。これで借りはナシな」
「オマエ、ころす」
「それともなんだよ、マイキーにしか勃たねえの?」
「は……?」
言われたことの意味が理解出来ず、武道はぎらぎら光る菫色を見返す。整った形の唇が酷薄そうに歪んだ。
「そのために飼ってるネコだろ?」
苛々した声音でマイキーが「おい」と恫喝する。しかしマイキーが仕掛けるより、武道がイザナの両腕をがっしりと掴む方が早かった。
「イザナ」
ずっと武道に隙一つ見せなかった猫が、初めて虚を突かれたような顔をした。
「取り消せ。怒るぞ」
決して声を荒げた訳ではないそれに、イザナは一瞬、傷ついたように眉を歪めた。
はっと武道は手を放した。これでは、彼に暴力を振るっていたと思われるやつらと同類だ。すぐにまたおろおろし出した武道から、イザナがさっと身体を背ける。
「タケミっち!」
こんな場面だと言うのに、マイキーは喜色満面で武道に飛びついて来た。首に両腕を回し、ゴロゴロと喉を鳴らして首筋にすり寄ってくる。今そういう場面じゃない、毛が擽ったい……と背を反らして逃れつつ、無言で俯いたまま動かないイザナに、武道は情けなく眉を下げた。
どう、何を伝えるべきか言いあぐねていると、一瞬イザナの視線が動いた。その先を追い掛ける。
適当に置いて倒れたリュックの口から、獣人用全寮制学校のパンフレットがのぞいていた。
「……イザナ、」
ドンドンドンドンッ、ガンッ。
三人の視線が一斉に壁に向いた。
現在、深夜二時。隣人による、怒りの壁ドン五連撃だった。
「すっ、すいませんッ」
慌てた武道が叫ぶと同時にマイキーとイザナが壁を殴り返したので、とんだサイコパスとして認識されてしまったかもしれない。二人の襟首を掴んで壁から離す。
ぜえぜえと肩で息をしながら、武道の手を引き剥がそうとしているイザナを見下ろす。頭の中は言いたいことがぐるぐると渦巻いているが、上手く言葉に出来そうになかった。
「……もう寝よう。オレ明日早いし」
「おいっ」
「ちょっと」
二人を引き摺るように敷布団に転がした。もがいて離れようとする二人を、掛布団で覆ってその上から間に入るように寝転がる。
二人が落ちないように腕を広げ、布団の上から抱き締める。イザナは抜け出そうともがいていたが、武道が腹をぽんぽんと叩くと、やがてじわじわとその身体から力が抜けていった。一定のリズムで繰り返してやれば、マイキーはあれほど興奮していたのが嘘のようにもう目をとろんとさせている。これをするといつもおやすみ三秒なのだ。
武道もどっと疲れとほぼ同じ眠気に苛まれ、うとうとと瞼を落とす。眠りに落ちるぎりぎりまで、執念で手を動かし続けた。
「イザナ〜、これ!」
武道が帰宅早々大きな袋から取り出した薄手の布団に、イザナは目をしばたたかせた。
あの深夜の騒動の翌朝、武道はパンフレットをゴミ箱に捨てた。イザナは武道の家で暮らし続けている。
「ようやく布団買えたんだよ、安売りのやつだけど」
あれ以降、なぜか三人ぎゅうぎゅう詰めで寝るようになっていたが、一人用布団に三人はさすがに無理がある。毎回武道を間に入れたがる二人を、布団から落とさないように気を配って寝るのも大変だ。今回ようやく給料が入ったことで、アウトレットの布団を購入することが出来たのだ。
武道は自慢げに胸を張り、布団をイザナに差し出す。いつも「せめぇ」と言いながら寝ている彼は、喜んでくれると思ったのだが。
「……柄が気に食わねえ」
イザナは冷たい目でビニールに入ったそれを見下ろし、つんとそっぽを向いた。肩透かしを食らって武道は固まる。
「……じ、じゃあ、オレがこれで寝るから、イダッ」
バチンと尻尾で手を叩かれた。ノールックなのに命中率と威力は百点満点である。
「大丈夫? タケミっち」
寄って来たマイキーが身をくっつけてくる。叩かれた手の甲をさりさりと舐められ、擽ったくて武道はショックを受けていたことも忘れてつい笑った。
「今日早かったんだ、仕事」
「うん、午後休取って布団買いに行ったからさ……あんま意味なかったかもだけど……。今からスーパー行くけど、一緒に行く?」
「行く!」
ゴロゴロ喉を鳴らすマイキーの頭を撫で、イザナに「じゃあ行ってくるな」と声を掛ける。これまで何度か誘ってもシカトをきめられて終わりだったので、さすがの武道も学習した。背を向けてリュックを掴む、と。
「ぅお」
立ち上がろうとしてかくんと立ちそこねる。自らの腕を見やれば、長くしなやかな銀色の尾が、しゅるんとそこに巻きついていた。
思わずイザナの顔を見るが、彼はやはり顔を逸らしたままだ。
じんわりと武道が頬を緩ませ、口を開こうとした瞬間、マイキーがぺっ、と巻きつく尻尾を引き剥がした。イザナがぴくっと耳を震わせ振り返る。
マイキーは武道の腕に抱きつき、イザナは尾で武道の腰を引き寄せた。
バチバチと火花が散る。
「触んな。タケミっちはオレの番になるんだからな」
「アア? オレの方が成猫になんの早い」
「何……なんの話……」
ぐいぐいと猫二人に引っ張られつつ、三人で家を出ることになる。二人に爪を立てられたり尻尾で掴まれ綱引きされたりして、武道は呻きながらスーパーまでほぼ引き摺られることになった。近隣住民の視線が痛かった。
「おい、今そこのメス見てたろ」
「メスって言わない……」
「タケミっち、オレ目が合うのも浮気とみなすタイプだから」
「そういう言い回しどこで覚えたの?」
猫との暮らしは気苦労が多い。しかしながら不肖の飼い主は、そんな苦労すら愛しく思ってしまうのである。何せ、愛猫が可愛くて仕方がないもんで。