リバーシブル・オペレッタ2-1
【裏・回顧】
門の前に人が立っている。
手に持ったソーダアイスをじゃくりと齧る。ぺたぺたサンダルを鳴らして近づくと、そいつははっとオレを振り向いた。
食べてるアイスみたいにきらきらした目が見開かれている。
見ない顔だ――不健康そう。顔色が真っ青で、額に汗で金髪が貼りついていた。歳は近そうだ。白いシャツの、心臓のあたりをくしゃりと握り締めている。
そいつはたぶん、何か言おうとした。しかしすぐ唇を結んで、じっと動かなくなる。少しして、痺れを切らしたのはオレの方だった。
「うちになんか用? もしかして入門希望?」
カチコミに来た訳じゃないだろう、そういう気概は感じない。弱そうだし。アイスをかじりながら観察していると、そいつはじっくりと、光に目を慣らすように瞬きをする。
大きい目が、オレを具に見ていた。着ている甚兵衛の皺の数まで覚えようとしてるんじゃないかってくらい、必死な眼差しに顔を顰める。
命が掛かってるみたいな懸命さでオレを見つめてくるそいつが、得体の知れない何かに見えた。
ぽた、と溶けたアイスがアスファルトに垂れる。
「今……幸せですか」
押し殺したような声だった。からりとした夏の晴天にいかにも不釣り合いな。
「…………、ハア?」
オレは肩透かしを食らった気分で、眉間をひくつかせた。何を言うかと思ったら、なんだそのくだらねえ問い掛けはよ。
勝手に騙されたような気分になって凄めば、そいつは目を細めた。つい距離を詰めようとしていた足を止める。
呆気なく背を向けて、去っていってしまう。あいつの制服、見たことある、誰と一緒だっけ。そんなことを考えて。
追おうとしたのかどうかも曖昧だ。ただ身動ぎした途端に、溶けたアイスがべしゃりと棒から落ちて、それに気を取られてそいつの背を見失った。
ぐしゃぐしゃになったソーダ色の塊を見つめる。
なんで、凄まれてそんな安心した顔したの。
「ねえ聞いてる?」
「きーてるきーてる」
エマにぐいと腕を引かれ、どら焼きを飲み込みながら頷く。エマは溜め息をついて、今度は逆隣のイザナの服を同じように引っ張った。
昨晩サツが家に訪ねて来てから、真一郎もエマもやけに心配してくる。曰くオレや元東卍の人間が危ないと通報があったらしい。おかげで、創立記念日で学校が休みだったエマに引っ張られ、ケンチンとこに行くはめになった。外出しないとかじゃないのかよ。
オレはと言えばどうせいたずらだろうから、さして気にもしていなかった。
でも今朝そう遠くない場所で高校生の刺殺事件があって、犯人が未だ捕まっていないからエマを一人にするのも嫌だった。そうしたら帰り道で買い物にまで付き合わされたので、全くオレの妹は強かだ。途中で合流したイザナも巻き添え。
オレも休みだったからいいけど、このまま捕まらないとエマの登下校なんかが不安だな。毎日送り迎えしてやれるとは限らないし。どうしたもんかな、とどら焼きの最後のひとかけを押し込む。
なんとなくカーブミラーを見上げた。
「……イザナー」
「先行ってんぞ」
きょとんとするエマをイザナが促し、T字路を右へ曲がっていく。あいつネギの入った袋似合わねえなあ。
オレはミラーの前で立ち止まった。
途端、左手、電柱の陰から飛び出してくる男。オレに真っ直ぐ突進してきたそいつの手にある刃物が、ぎらりと陽光を反射した。
突き出されたそれをいなし、手首を掴んでがら空きの横腹に蹴りを一発。腕を捻り上げて背中に足を置くと、そいつは声も出せず悶絶した。
死にかけの虫みたいにもがくそいつの腕を更にきつく捻じり、足に体重を掛けるとひしゃげた呻き声を上げる。
首を捻ってオレを見上げるそいつは、血走った目をしていた。
「……ざまあみろ」
乾いた唇が歪に笑う。
顔を顰める。てっきり罵声や恨み言が飛んでくると思ったのに、男はにたにた嫌な笑みを浮かべていた。踏みつけにされながらも、限界まで背を反らしてオレと顔を合せようとする。
心底嬉しそうに目が三日月形に歪んだ。
「花垣はオレが殺してやった!! ざまあみろ!!」
男はゲタゲタと、汚い声で全身を震わせて笑った。足裏から哄笑が伝わる。路地に壊れたラジオみたいな笑い声だけが響く。
拘束はそのままに口を開いた。
「ハナガキ? 誰?」
男はぽかんと、口を開けて。
さっきまで生き生きと大笑いしていたのが嘘のように、ただオレを見つめた。さっきまでの悪意や憎悪が、魂と一緒にすとんと抜け落ちてしまったようだった。
「……ぇ……」
「なんの話?」
急に男の身体が弛緩する。ぶつぶつと、虚ろな目で「なんで、ちがう、おれは、だったら」とよく分からないことを呟き続けた。
ヤクでもやってんのか、と嫌悪感に眉を寄せると、ばたばたオマワリが走って来るのが見えた。エマもイザナの腕をぐいぐい引いて戻って来る。
オマワリに手錠を掛けられても、そいつは抜け殻みたいな顔つきで何かを呟き続けるだけだった。
ハナガキ……ハナガキ。
なんか、胸に引っ掛かる。
もやもやとした疑問はすぐに解決された。テレビで言っていたのだ、今朝殺された高校生の名前を。オレを襲ってきたのと同一犯だったらしい。
そいつは東卍に恨みがあったらしいけど、オレは顔もよく覚えていなかった。オレたちに復讐しようとしたくせに、全く関係ないやつを殺すなんて、ずさんにもほどがある。
そいつには申し訳なかったな。
会ったこともない被害者を、胸中でひっそりと悼んだ。
無関係なのに、巻き込んじまってごめんな。
【表】
「あ……あざっす……」
昔懐かしい感じの、どこにでもあるいちごミルクの飴。まる一袋。
お婆さんはにこにこと手を振り、横断歩道を渡っていく。オレも気恥ずかしさを感じつつ、指が伸び切らない手をふらふらと振り返した。
手には貰った飴の袋。
知らない人から物を貰っちゃいけません、というのは全国共通で子どもが大人に言い含められることだけど、さすがにあのお婆さんが何か変な物を渡してきたとは考え難い。これに何か仕込まれてたら、オレの不運人生もここまで来て極まったと言える。
息子さんに会いに上京したというお婆さんを案内したら、飴を貰った。しかも一袋。安いからたくさん買っちゃったんだそうだ。
こんなの貰っちゃうと逆に申し訳ない。明日友達に分けてやって罪悪感軽減させるか、とぶらぶら袋を振って、来た道を戻った。
一週間ほど前のことだ。
初対面のイケメンに泣かれた。オレが何かしたわけじゃない、……たぶん。そりゃもう大人のこんなガチ泣きテレビでしか見たことねえってくらい泣いてた。泣いててもイケメンだからずるいなともちょっと思った。
そのイケメン、ちふゆさんのことを、オレは今思い出していた。
なぜって、今現在、見知らぬ爽やかなイケメンに手を掴まれて泣かれているからだ。
え? こわ……こっわ……。なんで……?
「うっ……っぐ、すみ、ません……、あ、ボク、……ボクは……っ」
手首を掴まれながらも必死に距離を取り、オレはきょどきょどと男を窺ったり周囲を見回したりした。人影ナシ。やばい。
そもそも身に覚えがなさすぎる。誰。
あんま相性よくないタイプだな……とは思った。なんせ見るからに優秀そうな人なのだ。皺のないスーツがよく似合っている。こういうタイプには、オレみたいな中の下のやつは劣等感を刺激される。我ながら卑屈。ヤンキーとはまた違って、苦手な人種だと一目で印象が決まった。
「あっと、……お、落ち着いてください、迷子ですか?」
そんな訳あるかよ。
つい今し方のお婆さんの件を引き摺り過ぎた。大の大人が迷子になって男子高校生に縋って泣くかよ。
オレが警戒しまくっていると、その男ははっと俯けていた顔を上げた。素直にオレがびくつけば、しばし呆然と潤んだ目で見つめてくる。その間にこっそり手を外そうとしたが、そこはがっちり掴まれたままだった。
男は、両手でぎゅうとオレの手首を握り締めた。
「まさか姉さんのことも覚えてないんですか」
恐怖。
ガチの人に捕まっちまった、と全身総毛だった。
関わってはいけない人に半分拘束され、本能的な恐怖に鳥肌が立つ。再び周囲を見渡すが、人は――あ、電柱の陰あたりになんか話してる人いるっぽい、いける、いけるぞ!
オレは伝家の宝刀を抜いた。
「ケーサツ呼びますよ!!」
「ボクが警察です」
「アッ詰んだ」
宝刀ぼっきり折れた。
出された警察手帳は本物っぽかった。今まで事件に巻き込まれた時とか見てきたから分かる。分かりたくないけど。
「おっ、オレなんもしてないです!」
「知ってます」
男の人は手帳を仕舞いながら、今度こそオレの手を放した。
「……知ってますよ」
長い指が目元を覆ってしまう。
え、また泣く? と焦る。怖い電波系の不審者と言えど、あんな風に辛そうに泣かれると放置するのも気が引けた。しかもなんか、邪険にした自分が悪いような気までしてくる。わたわたしていると、手の中でかさっと飴の袋が揺れた。
「あっ……あ、飴、いりますか?」
ばりっと破ってがさっと手を突っ込みわしっと掴んでずいっと突き出す。我ながら頭が悪そうな行動だった。
男の人はちょっとびっくりして、赤くなった目でオレと突き出した拳を見比べた。きょとんとしていると、なんだか年下の子どもようだ。
しかし彼はすぐにきっと目元を険しくして、オレの拳を通り過ぎ、もう片手に持っていた飴の袋の方を手に取った。
「……あのね、知らない人から無闇に物をもらったりしてはいけないんですよ。今回はたまたま善良そうな人だったからよかったものの……」
見てたのかさっきの。急に小さい子に言い聞かせるみたいなザ・大人の口調になってしまった。さっきのしおらしさはいずこへ。てゆうか見てたなら率先して助けろよ警察。
騙したな、と勝手に騙されて根に持ったオレはくどくど続くお説教に唇を噛み締めた。
根っから日本人のオレは大人の長話が嫌いだ。校長の朝礼好きな学生なんて存在しねーもんな。勿論説教に喜ぶドエムでもない。
なんでオレは電波系自称警察官に謎の絡まれ方をされた挙句道端でお説教コースと言う、酷い仕打ちを受けているのか。お婆さんを助けただけなのに。
一応善行を積んだはずが予想外の災難に横っ面を叩かれ、オレは正直ちょっと拗ねた。
いくらオレが不運でも、回避していい不幸はある。覚悟を決め、びっと背筋を伸ばすと素早く身を翻した。
「スイマセンでしたもう受け取りませんッ!!」
「あ、ちょっと!」
ダッシュでその場を離れる。走りながら警察相手に逃げて大丈夫だったかとちょっと不安になったけど、そもそも絡んできたのはあっちだ。オレ悪くない。
しばらく走ってから、五、六個の飴を握りっ放しだったことに気付いてポケットに突っ込んだ。今日もオレはいつも通り、ついてない。
さっきいつも通りついてないと言ったな。あれは嘘だ。
しんとした廊下を半泣きで歩きながら、オレは自分の体質を呪った。昨日買ったばっかのソフトクリームを落とした時に呪ったのは、所詮お遊びだったのだ。
三十分ほど前のことである。
オレは銀行に来ていた。銀行。もうこの時点で、察しがいい人は察してくれるはずだ。
「手を上げろぉ!!」
お察しの通り銀行強盗である。
高校生になったことだし、バイトしたいなあと思っていた。そのために口座を作りに来た時に限って、これだ。滅多に来ることのない銀行に行ったその日その時に強盗が突撃してくるって、そんなまさか、もしかしてオレを狙ったドッキリとかかな? と一瞬期待したくらいだ。ほぼ宝くじの確率だもの。背後で手をガッチリ拘束された時点で、そんな期待も露と散ったけど。
結束バンドで手首を背後でひとまとめにされ、そのまま壁際に集められて床に座り込む。すぐ背後にめちゃくちゃ体格がいい人がいてビビった。その人も強盗の仲間かと思ったし、強盗の方も銃持ってるっていうのにビビってた。そんな人に背後取られるの落ち着かないけど、動けねーし。
強盗は五人。まず三人がオレたち人質に銃を突き付けて、二人が支店長らしき男性を連れて奥へ消えていった。ふつう「これに金をあるだけ詰めろ!」ってでかい鞄を出すのが銀行強盗の定石だと思うのだが(強盗の定石ってなんだよ)、従業員から目を離すのが怖いらしい。
三十分くらい時間が経ったけどなかなか二人が戻らないので、もう一人追加で奥へ向かって行った。
心臓が鳴り過ぎてもう痛いけど、隣でお母さんと一緒にいる小学生くらいの男の子がずっとぐすぐす泣いているので、オレが泣くわけにもいかない。さっき強盗の一人が、泣く男の子に「うるせぇぞ!」と銃を突き付けたのだ。唇を噛んで泣くのを耐えている男の子と目が合う。少しでも安心させようと、へら、と笑いかけるが、男の子はお母さんの腕に目元を押し付けて嗚咽を漏らした。そうだよな、こんな貧弱な高校生に笑顔向けられてもなんにも安心しないよな。
正直、オレたちからしたら金庫の中身が持ち出されても、自分の身が無事ならそれでいいと思ってしまう。早く終わってくれ、と念じた瞬間のことだった。
――ギャアアアアア……。
しん……とその場が静かになる。
恐る恐る、今し方悲鳴が聞こえて来た銀行の奥の方へ目を向けた。耳を澄ますが、もう何も聞こえてこない。
今のって、後から行った強盗の声では?
ちらっとこっちに残っている二人をうかがうと、目出し帽を被っているのに分かりやすいくらいに動揺していた。ぼそぼそと早口で会話している。オレたちに銃を向け続けているものの、その手はガタガタ震えていた。
やがて二人の声は徐々に大きくなり、怒鳴り合いに発展した。オレたちはいつ怒りの矛先がこちらへ向くかと身を竦める。どうやらどちらが様子を見に行くかで揉めているようだった。「オマエが行け!」「嫌だオマエが行け一個上だろ!」「ふざけんなこの前オレ端数払っただろ!」醜い争いが繰り広げられている。
強盗二人ははあはあと肩で息をして、やがて二言三言交わすと、こちらにその血走った目を向けた。
「……おい」
銃口の照準が定められたのは、オレ――ではなく、隣の男の子だった。母親が短い悲鳴を上げ、身を捩って息子を隠そうとする。
「オマエ……様子見て来い」
その場がざわつく。「うるせぇ!!」ともう一人が怒鳴って天井へ向けて一発、発砲した。蛍光灯が弾け飛び、ますます悲鳴が上がる。
「早く行け、ガキ!!」
子どもはガタガタ震えながら泣いて、お母さんも「やめてください、やめてください」と息子を庇って涙ながらに訴える。
万一抵抗されても、すぐに制圧できる相手を選んでいるのだ。――最低だ。
銀行強盗相手に、最低も何もねえけどさ。
「お――オレが行きます」
膝立ちになった瞬間、ばっと銃口が向けられて背筋がぞわぞわした。怖い。撃たれたことなんてないのに、それがどんな風に身体に衝撃を与え、痛みをもたらすか、なんでか知っている気がした。
苦手なのだ、昔から、そういう凶器の類が――いや、得意な人もいないだろうけど。かつて小学生に上がったばかりの頃、誘拐されかけてこめかみに銃を突きつけられた時も。この前、夜道で黒ずくめの男たちに追い掛けられナイフを向けられた時だって。撃たれた時や刺された時の痛みが、本当に経験したみたいに想像できて、怖くて怖くて堪らなかった。
しかし不運なオレは、同時に死線を掻い潜り続けたオレでもある訳で。
「こ、子どもなんか、行かせてもなんも意味ないでしょ……オレだったら、か、金も運んで来れるし」
説得したいがために悪事に加担するような物言いになってしまった。もしマジで運ぶことになったら、脅されたとして警察に見逃してもらえるかな。背後の皆さん証言頼みます。
相変わらず荒い息をしつつ、オレの提案に揺らいだのか、強盗はまた二人で話し出す。
割とすぐに、オレは胸ぐらを掴まれ立たされた。「ぐえ」と呻くと、いきなり手を放される。腕が背中に回っているせいで、危うく顔面から転ぶところだった。
「……に、二十分以内に戻らなかったら、人質一人ずつ殺していくからな」
背後から悲痛な声が上がる。もしオレに何かあって戻りたいのに戻れないとか言う状況になったらどうすんだよ、くそ。
頷いて歩き出す。膝が震えそうで、足の親指に力を入れた。
そんな経緯で現在、人気のない廊下を震える足を叱咤して歩いている。
強盗はみんな、一人一丁銃を持っていた。そんなやつらが帰って来ないって、この先には何が待ってるんだ。オバケとか――と考えて慌てて首を振る。ホラー系は大の不得意、考えるだけで腰が抜けそうだ。
よたよたとたぶんこっちだな、と金庫があるだろう方へ進み、廊下を曲がった瞬間だった。
「――えっ!?」
右手側が金庫室なのだろう、廊下の先の方に、開け放たれている重厚な扉だけ見えた。そして廊下に、スーツの人が――さっき連れて行かれた支店長らしき人が横たわっている。
慌てて駆け寄り、顔を覗き込む――青褪めて、失神していた。息が合ってほっとする。
ほっとすると同時に、ガッゴッバキッメキッグシャッという嫌な音が耳を突いた。
金庫室から聞こえる。
この音最近聞いた、そう、ヤンキーの先輩が人を殴ってた時とか、謎のティッシュ配りが人を殴ってた時とか……。
恐る恐る、ゆっくり、金庫室を振り返り――
「ぎゃあああああ!!」
今度こそ腰を抜かした。
金庫室には倒れた強盗に馬乗りになり、その顔面をめちゃくちゃに殴りつけている男の背中があった。
オレの絶叫に、ぴたっと振るわれていた拳が止まる。
脳内に浮かんだのは、前にダチに無理やり見せられたゾンビ映画の冒頭シーン。雷雨の日に物置の様子を見に行ったモブが扉を開けると、野犬の肉を食っている人影と遭遇する。人影がゆっくり振り向いて、その時ピシャーンと雷が落ち、腐って爛れた顔が露わになる――
ギギ、と振り向いた、その顔。
綺麗な白い顔に返り血らしきものが散っていて、うっすらとクマのあるその目は、闇の煮凝りと言うレベルで黒かった。
あ、死ぬやつ。
死亡フラグの成立に気付いた、瞬間。
「ひえっ……!?」
突然、男ががたがた震えだしてオレは再び悲鳴を上げた。
はーっはーっと呼吸が荒くなる。人を殴りつけていた時は殺人兵器かと思うくらい機械的だったのに、今は全身を震わせて息を乱し、しかしオレから一切視線を外さなかった。額にはさっきまでなかったはずの汗の玉がびっしりと浮き出て、かっ開いた目はオレを凝視し続けている。
サイコホラー極み。
ゾンビ映画の比じゃねえ。恐怖に泡を吹きそうになって、ひぐっと呼吸を詰まらせた。
「ゅ……ゆるして、くださ、っひ!」
男の瞳孔が開き、そして。
「――ぇ、」
ぽろ、と。
その真っ黒な瞳から、涙が一粒零れた。
「……っふ……う、うううう……ひっぅ……」
「っえ、え!?」
唇が曲がり、伏せられた睫毛の奥から次々と涙が零れ落ちていく。
腕を拘束され無様に腰を抜かしているオレは、逃げることも近づくことも出来ず、前触れなく泣き始めた謎の男にビビり続けるしかなかった。
「な……なに、」
「うあ゛あ゛あ゛あ゛あ゛あ゛」
男は癇癪を起したようにドンッと拳を振り下ろして本格的に号泣し始めた。自然拳は下敷きにしていた男の腹にめり込み、その足がびくんと跳ねた。
オレか? オレのせいか? オレが泣かせた的な?
「す、すいませ」
「ぐううううう」
「命だけは」
「うえ゛え゛え゛え゛え゛」
「あの」
「う゛う゛う゛う゛う゛」
二度あることは、三度ある。
そして三度目は、一番手がつけられなかった。
目の前で身も世もなく強盗を殴りつけながら泣く大人(たぶん)を前にして、逆に冷静になったものの別の問題が浮上した。どうしたら泣き止むんだ。
もうここから逃げた方がいいんじゃ、と踵で後ずさった時、短パンのポケットがかさりと鳴る。
あ。
「あ……あの」
「うううっ、ふっ、ひっく、ううー……!」
「あ、飴……食べますか……?」
ぴた。
掌で目を擦りながら泣いていた男が、顔を上げた。
その目や鼻の頭が真っ赤になっているのを見て、オレはあ、やっぱりちゃんと人間だ、とちょっとほっとした。
「……食べます……?」
「…………、ウン……」
カラコロ、男の頬が丸く膨らんでは戻る。
金庫室の冷たい壁に背を預け、オレと謎の男は並んで膝を抱えていた。
目の前には、三人の男の血塗れの屍(息はある、まだ)が転がっている。最悪のインテリア。
一刻も早くこの空間から抜け出したい。鮮魚コーナーみたいな血生臭い匂いするし。しかし隣にいるのは、今は大人しいとはいえ恐らく銃を持った男三人をタコ殴りにしたバーサーカーで、しかもさっきオレを拘束していた結束バンドを素手で引き千切った化け物だ。あんなに硬い結束バンドが、ちょっと弾力あるグミかと思った。
男は飴を口の中で転がしながら、すんすんと鼻を鳴らしてまだぐしぐし目元を擦っている。つい「擦るとよくないすよ」と口をついて出てしまい、やらかしたと瞬時に肝が冷えた。けれど男は素直にこくんと頷く。
「……う、美味いすか?」
「ん……」
またこくんと頷く。
ひとまず、落ち着いてくれてよかった。
拘束を解かれてから、取り敢えず一個飴を渡すとまたぽろぽろ涙を零して「勿体なくて食べれない」なんて言うので、飴を全部手に握らせて食べるように言った。オレが飴を握らせると、男はなぜかぽうと頬を赤らめた。
そういう反応が小さい子どもみたいで、なんか今ではもうちょっとかわいく見えてきた。感覚が麻痺してきたのかな……返り血すげえついてるのにな……。
「……あのぅ……」
「ん……なぁに」
男が喋ると、ふわっと甘ったるい苺の香りがする。
充血した目と対照的に、濡れた睫毛が貼りついている下瞼にはうっすらクマが見えた。でもそんなに不健康そうな感じはしない。つやつやの黒髪は綺麗に切り揃えられていて、どこぞの雑誌から抜け出たみたいに空気が洗練された人だった。
「な……なんでここにいたんですか……?」
ていうか、誰?
「…………」
だって絶対に銀行の警備でも職員でもないし、セキュリティーの人っぽくもなければ警察とも思えない。勿論、強盗側の人間でもないだろう。人質の中にもこんな人いなかったと思う。
「警備会社の人……とかじゃないっすよね、めっちゃ殴ってたし」
男の人は急に真顔になった。
ガリ、と飴を噛み砕く音だけ虚しく響く。
「…………あ……っとね……」
視線が斜め下に逸らされた。じゃりじゃり飴を噛み砕き、ごくん、と喉を鳴らす。
「……こ、ここに来たやつを守りに、来た」
「え……何その銀行の守護霊みたいな……」
「ソンナカンジ」
「銀行の守護霊!?」
「ウン……」
自称・職業守護霊。
最初からヤバいのバーゲンセールだったが、ヤバさの属性が増えた。攻撃性と電波という、最悪の掛け合わせによって生まれた解体不可能の爆弾が今目の前に。
その時なぜかロビーの方が少し騒がしくなった気がして、そちらに目が向く。あっちは大丈夫だろうか。
「……そ、それは銀行強盗は許せないっすね……」
刺激するのが怖かったので、適当に話を合わせた。オレが頬の筋肉を引き攣らせると、男は立てた膝をそわそわと動かした。
「お、オレも強盗と間違われなくてよかった……」
「んなわけねーじゃん」
強めに否定されたので目をぱちくりさせると、はっとしたように割としっかりしている肩が緊張する。
「いや……み、見りゃ分かるから、そういうの……こいつはちゃんと銀行の利用者だなーって」
「オレまだ口座作ってないけど……」
「利用予定者もコミだから」
「懐広いな守護霊……」
あの振り返った時の目のキマり具合とか見たら、強盗だろうが人質だろうが、突入してきたSATだかSITだかだろうが問答無用バキバキのタコ殴りにしそうだったのに。案外冷静だったのかもしれない……いやでもめっちゃ泣いてたしな。
そこではたと気付いた。
「でもじゃあ、なんで泣いたんですか?」
スルーしていた疑問に、守護霊さん(仮)の唇がぐゅ、とへの字に曲がった。あーとかうーとかまた何か謎のシンキングタイムが挟まる。
「…………、人が……急に金庫にいっぱい来たから、びっくりして……」
視線を一切合せないまま、ぼそぼそとそう喋った。
「……へ、へえー、びっくりしちゃったんだ……」
「しちゃった……」
守護霊は普段どんな生活してる設定なんだろう……ここで暮らしてる的な世界観なのかな。
でも廊下で倒れてる支店長は放置なんすね、と指摘したら「あいつは守護霊への敬いが足りないから」とさらっと言い放った。守護霊、結構シビアな面がある。
「あと、あのずっと気になってたんすけど」
これは彼が落ち着くまで隣で待っていた間、個人的にめちゃくちゃ意識が持ってかれていた疑問だった。オレが少し前のめりになると、守護霊さんはまたそわそわし出す。
「……何?」
「と、歳いくつっすか……?」
「――――、」
今訊くことか、と思われるかもしれないが。この人、とにかく年齢不詳なのだ。
第一印象は二十代くらいだけど、三十代四十代です、と言われたらそうなのかな? と納得できる程度には雰囲気が落ち着いているというか、老成している。さっきギャン泣きだったけど。
でも、泣きながら飴を舐めていた姿は年下にも見えた。顔立ちも目鼻がはっきりしていて整っている分、余計に中性的。なんというかいろんな人間の判断基準がぼやけているひとだった。
まさか守護霊だから、ということはあるまい。
あ、守護霊に年齢はないとかそういう設定だったらどうしよう……。そう思ったのも束の間、守護霊さんは口を開こうとして、はっとフリーズした。
ヴヴヴ、と眼球が高速反復横飛びしている。こんな目泳ぐ?
数十秒の後、形の良い唇が震えながら動いた。
「……………………じ、じゅうごろく」
十代で自分の年齢曖昧とはいかに。つーか嘘じゃね?
「じゃ、じゃあもしかしてタメ? あ、一個上?」
本当だとしたら、未成年がこんなとこで何してんだって話になる。
ちょっと戸惑っていると、なんかロビーの方から「大人しくしろよ!」って怒鳴り声が聞こえた気がした。なんかあったのかな、戻った方が……。
「……だから気軽に喋ってよ」
「え? あ、ども……」
そうわざわざ言われると、逆にタメ語で話しづらい。再三言うけど、年上にも見えるし。
守護霊さんは小さく咳払いした。
「そんで、オマエはなんでここ来たの? 人質だろ?」
明らかに話題が逸らされた。もしかして年齢に関してはあんまり設定練ってないのかもしれない。悪いことしちゃったな……。
「あっ……と、……守護霊さんが強盗全員ボコった……んですよね?」
すっかり泣き止んだ守護霊さんは、今存在に気付いたというように血塗れで伸びている強盗たちに視線をやった。
「最初に二人とあの支店長来たから、金庫開いてそっちに気取られてるとこでシメた。そしたら支店長気絶した。殴ってたらもう一人追加で来たからそいつもシメた。そしたら、」
「オレが来た、と」
で、人がいっぱい来るなあってびっくりして泣いちゃっ……情緒ジェットコースターかよ。
若干引きつつ、こくこくと頷く。
「誰一人として帰って来ないから、オレが代わりに来させられたんです」
「わざわざオマエを? へえ、殺そ」
「銀行利用者過激派?」
支店長には冷たいのに……横領でもしてんのかな。
「いや、最初は小学生の男の子に様子見に来させようとしたんすよ、クズでしょ……だから代わりに、オレが……」
だんだん台詞の勢いが弱まっていく。だって口に出すと、脳裏にまざまざ蘇るのだ。悲鳴を上げたオレ、腰抜かしたオレ、逃げようとしたオレ。恥ずかしい。羞恥心で顔がかーっと熱くなった。カッコつけといて、ださっ。
守護霊さんも何も言わないから死ぬほど気まずい。癖っ毛を混ぜっ返しつつ、「カッコ悪いすよね」と笑って誤魔化しを試みた。でもじっと覗き込むような瞳に、思わず自嘲したばかりの口を噤む。
「ヒーローだ」
彼が囁く。独り言なのか、オレを励ましてくれたのか、それとももっと別の意味があるのか。察しの悪いオレは分からなくて、さっきまでの羞恥心とは別の気恥ずかしさに目を逸らす。
「いやあ、それで腰抜かしてりゃ世話ない……」
「飴」
彼の指が、飴の包み紙の端を摘まんでいる。指の関節は結構男らしくて、そこには血だってついているのに、綺麗な手だった。安っぽい小さな飴が、目の前でゆらゆら揺れた。
「嬉しかった」
絵に描いたみたいな、整った形の唇が薄く笑った。笑顔を見るのは初めてだ。
うっすらと水の膜が張る瞳は、オレがこれまでに見て来た何よりも深い黒で、色というより黒そのものがそこにある気がする。どこまで行っても変化のない黒という存在そのものが、両の眼窩に嵌まっていた。
変なひと。すごく凶暴だったり、泣き出したり、しおらしくなったり。こんな静かな、目もする。
ふいに、彼の指が開かれた。落ちた飴が二人の間でこん、と音を立てる。
そのまま、指が、
――パン。
はっと肩が強張る。
銃声、だ。
ほとんど同時に続いた遠くの悲鳴に、弾かれたように立ち上がった。
走り出そうとした瞬間、ぱしりと手を掴まれる。
膝を抱えたままオレを見上げる、何の感情も読めない目。
「行くな」
その声が唐突に寒々しく感じて、背筋がぞわっと粟立つ。反射的に掴まれた手を引いた。
「みんなが」
「オマエが行ってなんになる」
正論だ。息を詰める。
時計はないけど、まだ二十分も経ってないはずだ。何かがあったんだ。焦燥と、恐怖が足から背へ駆け上る。どんなに手を振り解こうとしても、男の指はしっかりと手首を捉えて離さなかった。
オレが役に立たないなんてそんなの分かってる。でもオレは知ってる、銃ってもんがどんなに怖いか、痛いか、どうしてか昔から、よく知ってるんだ。
全身から汗が吹き出した。
「放せよ!!」
男の目がくっと開かれる。
殺されるかもしれない。ぎりり、と指が皮膚に食い込む。呼吸が荒れて一瞬視界がちかちかした。
色の薄い唇が開かれる。
――ワアッ……。
男が話す前にロビーから微かに聞こえたのは、……歓声だった。
「…………え?」
「あっちも終わったみたいだな」
ひょい、と男が立ち上がり、手首をあっさり解放される。さっきまでの切迫した空気はどこへやら、落ちた飴玉を拾っている。
「え? え? ……あ、もしかして警察が、」
「いやサツはまだだと思うけど」
ふらりと金庫室を出て行く男に慌てて続く。廊下に出たのと、向こうから長身の誰かがこちらへ向かってくるのは同時だった。
「……あ、」
このでかい人。オレの後ろにいた人だ。
「終わったー?」
「ノした。おい、これ取ってくれ」
「ええー、自分でやんなよ」
「さすがに手首千切れるわ」
守護霊さんと長身男性の、すごく気心知れたように会話する様子をぽかんと見つめる。知り合い? まさか、
「守護霊二号……!?」
「ア?」
長身男性(たぶん十中八九守護霊ではない)はよくよく見なくても頭の左側になんかカッコイイ刺青が入っていた。コワッカタギじゃねえ絶対。
知り合いなのかとか訊きたかったけど、それより。
「み、みんなは……」
オレが震えながらざわざわ人声が聞こえる待合室の方を見ると、二人の目がオレを向く。守護霊さんによって拘束を解かれた刺青男の腕が、おもむろにオレに伸びてビビる。
ぽん、と頭を撫でられた。
「全員無事だぜ、ヒーロー」
に、とその人が笑う。目を細めながら。
「……あ、どっか、怪我とか」
「あ? どこもなんともねえよ」
「え、でも」
今何か、痛みに耐えるような目を。
「守護霊キック!」
「ガッ」
突然守護霊さんが刺青さんの向こう脛を思いっきり蹴った。思わずオレまで「ぎえっ」と悲鳴を上げる。痛い、あれは痛い。
「な、なぜ」
「邪な気配を感じた。守護霊は分かっから、そういうの」
仲間(推定)を攻撃した守護霊さんは澄まし顔でつんとそっぽを向く。
「っテメエ、何が守護霊だぶっ殺すぞ!」
悶絶していた刺青さんが守護霊さんの胸ぐらを掴んで吠えた。あ、とうとうその設定に突っ込んでしまった、キグルミの頭が取れたレベルのいたたまれなさ……。
あわや戦争勃発か、というタイミングで、にわかに外が騒がしくなった。刺青さんは舌打ちして守護霊さんを解放する。
「サツが来た。早く行くぞ」
守護霊さんは「うん」と頷いて、二人はなぜかロビーへ戻るのではなく、奥の方へ歩いて行ってしまう。
「あの、」
呼び止める前に守護霊さんが振り向いた。
何かが眩しかったのか、目を細めてオレを見つめる。
「ね、オレ、幸せだからね」
「……え?」
彼の浮かべる微笑みが凪いだ湖面のように静かで、オレは唐突なそれに驚くと同時に、わずかばかり怯んだ。さっきまでの彼と、同一人物に思えなくて。
彼はにこりと愛想よく笑って、ひらりと手を振った。
「もう銃持ってるようなやつに立ち向かうなよ、バカ」
関係者以外立入禁止の、更に奥へと二人の背中が消えていく。オレはそれを突っ立って見送った。本当に守護霊だったのかもしれない、なんて思いながら。
機動隊? とやらが突入してきたのと、オレが戻ったのはほぼ同時だった。ロビーには強盗二人が失神して倒れ込んでいた。これ、刺青さんがやったのか。
呆然としていると、胸に突然何かが飛び込んで来て転びかける。
なんとか抱き留めれば、それはあの小学生の男の子だった。顔中ぐずぐずにして、声も出せず泣いている。続いて母親も涙を零しながら近づいて来た。
泣きながら「よかった、ありがとうございます、ありがとう」と繰り返され、何もしていないのにと恥ずかしくなる。胸の中で啜り泣く少年の頭をぽんぽんと安心させるように叩いた。周囲の、他のお客さんにも「よくやった」「格好よかった」と口々に褒められ赤面してしまう。すみません、オレじゃなくて守護霊です。
しかしとにかく、怪我とかしている人がいなさそうで本当によかった。「怖かったよぉおお」と号泣して慰められている男性従業員はいるけど。親近感。でもそんなにか。
「君はどうしてこんなことに巻き込まれてるんですか」
「ヒィッ」
警察に保護されつつ店外に出た時、近づいて来たのはあの、電波系警察官だった。
ほんとに警察だった……と後ずさる。手帳を偽造した不審者だったのかもと考えていたのに。
気まずい。さりげなく逃げようと思ったが、しかしはっとして、逆にオレの方から近づいた。
「あの、黒髪の小柄な男の人と、あと頭に刺青入れた背の高い人知りませんか? さっきから、見当たらなくて」
警察官は眉を跳ね上げると、顎に手を当てて何か思案する素振りを見せた。オレはその間も周囲を見渡すけれど、やっぱりそれらしい人影はない。
「その黒髪の男というは、もしかして後ろを刈り上げている」
「そうそうそれです! 守護霊さん!」
「は?」
「え?」
しばらく見つめ合い、その内可哀想なものを見る目で「カウンセリングも受けられますからね」と肩を叩かれた。違う、どっちかと言うとカウンセリング必要なのはあの情緒不安定守護霊の方。
「まあ、それはこちらで探しておきます。それより」
差し出されたのは、銀行に来る前、彼の手に渡ったままだった飴の袋だった。
「知らない人から物を貰ったりしてはいけません」
なんでこれ、と思ったら改めて言い聞かせられ、ううと呻く。なんてしつこいんだ。
しかし警察官はオレに袋を手渡した。がさ、とさっきと同じ軽い感触。
「でも、君が人のために何かを成し遂げた時、ちゃんと報われてほしい」
男が微笑む。どうしてか、守護霊さんと笑い方が少し似ている気がして驚いた。しかし次には鬼のような説教が始まった。お説教からの銀行強盗巻き込まれからのお説教コースって、そんなのアリかよ。
「銀行強盗の人質になった結果銀行の守護霊に出会った件について」
「クソラノベ乙。六点」
「だから作り話じゃねーんだって!」
この前のシャーペンを恵んでくれる大食い大富豪の話は四点だったから、ちょっと上がったよやったぜ、ではなく。付き合いのそこそこ長いそいつはスマホをいじっていてこちらを見向きもしない。
そんな冷めたツラをしているコイツだが、人質になったオレがテレビに映ったことでめちゃくちゃ鬼電してきのだ。男のツンデレとか可愛くねえぞ。嬉しかったけど。
「すっげえ強いんだよ、バーサーカーっていうか、強盗ボッコボコよ、ボッコボコ」
「はいはいよかったでちゅねー」
「クソ、守護霊キックで脛割れろ」
机に突っ伏すオレにも、肩を竦めて見せるだけ。ちぇっと不貞腐れつつ、そう言えばと鞄を漁る。
「飴食う?」
「何? 急に」
「親切なお婆さんから貰って一度電波系警察官の手に渡って最終的にまたオレのとこに戻って来た飴」
「コワッ」
ようやくスマホから顔を上げたと思ったら、「なんで電波経由した。捨てろよ」と無情なことを吐き捨てられた。
「守護霊にもお供えした飴なんだぜ? それは電波経由してなかったけど」
「御供え物受けつけんの? 守護霊って」
友人は呆れたように溜め息をついて、「移動だるー」と立ち上がった。そういや今日は一限から別教室だ。慌ててペンケースやら何やらを取り出す。薄情なそいつは「置いてくぞー」とすたすたもう廊下へ出てしまっていた。慌てて追いかける。
「待てって、竜胆!」