リバーシブル・オペレッタ1-2
【裏・回顧】
「千冬。オレ、未来に帰ろうと思うんだ」
男はオレにそう言った。
「ヒナも、ドラケン君もバジ君も、エマちゃんたちも無事だし。一虎君もパーちん君もいるし。……マイキー君も、もう大丈夫だから」
だからオレ、未来に帰るよ。
放課後、他に人のいない教室で、そいつは泣きそうな、でも心底嬉しそうな顔でそう言った。
「だから、千冬、」
「……誰? オマエ」
ぱちり。そいつが瞬きした。何を言われたのか分からないって面。でけえ目だな、と場違いに思った。
「……え、」
「オマエも元東卍? 話したことあった?」
そいつの口から出た名前を鑑みれば、この前解散した東卍のメンバーだったのだろうか。しかし壱番隊にこんなやつはいなかった。
金髪にでけえ目の男。
「いや……何、ふざけてんのかよ」
「あ?」
そいつはみるみる顔色を悪くして、一歩、よろめくようにオレに近づいて来る。
「つまんねえ冗談やめろよ、なあ、千冬!」
焦ったように名を呼ばれて、元より気の長くないオレはイラつきもあらわに眉を寄せた。
「知らねえよ、気安く呼ぶんじゃねえ」
よく知りもしねえやつに馴れ馴れしくされるのが不快で、低く怒鳴りつけるとそいつはぶん殴られたみたいに硬直した。見開かれた目がオレを見つめる。
ふらつくように後退ってから、その金髪はさっと身を翻して教室を出て行った。なんなんだ。未来とか、変なこと口走ってなかったか?
妙なのに絡まれて、ついてねえなと舌打ちする。読んでいた漫画を鞄に放り込んだ。
「そういやこの前、変なやつが店に来た」
閉店後のD&Dで、誰かが持ち寄ったラムネを飲んだドラケン君がそう言った。
ざわざわと好き勝手飲み食いしていたオレたちは、ぴたりと会話をやめて続きを待った。何か面白い話かと思ったのだ。
「なんか、金髪のやつが、オレのこと分かりますかーって店に来てさ。オレの名前もイヌピーのことも知ってたけど、オレらは見覚えなくて。隊員にもあんなやついた記憶ねえし。知らねえっつったらすぐ帰ってったけど」
見覚えのある話に、オレは口の中のポテチを飲み込んだ。
「それっていつっすか?」
「あ? あー……前の、火曜か」
あいつだ、と思った。あいつに絡まれたのも、火曜の放課後だった。
「それ、もしかしたらオレも会ったかも」
「マジ?」
小さく挙手すると、一虎君が顔を顰める。場地さんもちょっと目を見開いていた。
「そいつって、もしかして千冬くらいの背丈の、目でけえやつ?」
そう言ったのはマイキー君だった。三ツ谷君と八戒が驚いて目を見交わす。
「オマエも会ったのか?」
「この前、家の前で」
マイキー君の自宅まで知ってるってことか? 黙って聞いていたスマイリー君とアングリー君もぎょっとしていた。
「道場の入門希望とかかなーと思ったら、なんか、『幸せですか』って聞いてきてさあ」
「……宗教か?」
三ツ谷君の目元に険が増す。元東卍メンバーの家まで把握しているのだったら、家族の身にも危険が及ぶかもしれない。みんなの間に走る緊張に、しかしマイキー君はいつもの緩い雰囲気のまま首を捻ってみせた。
「訳分かんねーからハア? って凄んだらどっか行った」
「なんだそれ、オレらの周り嗅ぎ回ってんのか?」
パーちん君が元より悪い目つきをもっと鋭くする。ペーやん君も顔も名前も知らないだろうそいつに歯を剥き出しにして威嚇していた。
「でもめっちゃ弱そーだった」
「オマエが勝てるやつでもエマとか危険だろ」
「最近はオレかイザナがついてるよ」
元チームメンバーの楽しい集まりのはずが、妙に空気が重くなる。オレはどうしてか、そいつに学校で会ったことを言いそびれた。制服だって一緒だったんだ、うちの生徒のはずだ。
調べた方がいいんかな。下手したらヤキ入れるべきか? ジュースを飲みつつ、場の空気を変えるように不動産業の難しさを話し始めたパーちん君たちの話に耳を傾けた。
そいつの名前は、わりとすぐに分かった。なんと、同じクラスだった。なんで把握してなかったのか。
ちらと、一列挟んで斜め前の席に座るそいつを盗み見る。そいつは授業に集中しているような感じでもないのに、こちらの視線にはまるで気付かなかった。
探そうと意気込んだ途端普通に教室で見つけてちょっとビビったが、そいつはもうオレに話しかけては来なかった。オレが意識しちまってちらちら視線をやっても、一度たりとも目は合わなかった。
「……、な、あいつってさ」
昼休みのがやがやとうるさい教室の中、声を潜めてダチをちょいちょいと手招きする。中学から付き合いのあるそいつは、不思議そうに椅子を傾けて耳を寄せて来た。
「あいつ?」
「あいつ、金髪の、今教室出てった」
「あ、あー、っと、花垣?」
「そう、ハナガキタケミチ」
紙パックにストローを刺す。
「あいつって、普段誰とつるんでるか分かるか? 仲いいやつとか」
「は? いや、どっかのグループにいる気するけど、誰とって言われると出て来ねーわ……オレも関わりねーし」
「そか……」
収穫ナシか。ずず、とジュースを啜ると、そいつは怪訝そうにしつつ立ち上がった。
「オレもう購買行くけど」
「おう、サンキュな――アッくん」
教室まで呼びにきたタクヤたちと一緒に、ひらっと手を振って出て行くダチを見送る。
そういや仲いいやつって言ったら、アッくんたちとはなんで仲良くなったんだっけ? ……いや、東卍だったからじゃん。――あれ、あいつらっていつ壱番隊入った?
いつの間にか仲良くなってたよなあ。一息にストローを吸うと、べこっとパックの表面が凹んだ。
ハナガキはそれからも、もうオレに話しかけてくることはなくて。
オレはその内気にしてたことも忘れて、三年になってクラスも変わってからはさっぱりそいつのことを脳内から追い出していた。
その名前をまた聞いたのは、三年生の冬のことだった。
突然朝から全校集会が行われるってことで、体育館に集められた生徒たちはずっとざわついていた。オレは眠気に耐えながらぼうっと突っ立っていた。
寝不足だったのだ。昨晩、警察が訪ねて来たから。
遅い時間にチャイムが鳴って、オフクロの代わりに警戒しつつ対応したら近くの交番のオマワリだった。なんでも、匿名の通報があったらしい。
「松野千冬さんですよね? 東京卍會というグループに所属していた」
確認を取られて背筋がぴりついた。恨みなら身に覚えがあるものからないものまで、いくらでも買っている。しかし通報とはどういうことだ。今は喧嘩もなんもしてねえぞ。
しかし目の前のオマワリは、オレを捕まえに来た訳ではなかった。むしろ逆。
「あなた方が危険だと言う通報が」
「は?」
訊ねれば、その通報者はオレだけでなくマイキー君、ドラケン君の名前も出したそうだった。
「東卍の方々を保護してほしいという旨で――大方いたずらだとは思いますが、名前が出た方々のご自宅周辺、巡回を増やしますので。ご自身でも十分警戒を……」
義務的な声色に、三ツ谷君たちとか、他のメンバーはどうなるのか問い詰めたが人材不足がどうのとのらくらかわされた。これだからポリとは相性が悪い。
昨夜のやり取りを思い出して溜め息をつく。今日も母親に心配されながら家を出たし、オレ自身も気をつけていたが全く異変はなかった。拍子抜けなくらいだ。
イライラしながら単語帳をめくる。受験勉強もいよいよ大詰めの、ナイーブな時期にストレス増やしやがって。どこのどいつだイタズラ電話の犯人は。
オレのこの時の目標は、大学に行って経営の勉強をすることだった。場地さんと一虎君には任せらんねえから。
朝っぱらからだりぃ、と欠伸を噛み殺した時だった。隣のクラスの列で、斜め前の生徒同士がひそひそと会話している内容が聞こえた。
「殺されたんだって」
「――なんて?」
つい口をついて出ていた。単語帳から顔を上げると、今し方まで早口で話していた女子二人が驚いた様子でオレを振り返る。
「なんの話? なんか知ってんの?」
ちょっと距離を詰めると、一応声は低めつつも、誰かに話したくてしかたなかったのだろう、その女子はこくこくと頷いた。「噂だけどさ」とお約束みたいな前置きをして。
「うちのクラスのハナガキ君がね、――遺体で見つかったんだって」
ハナガキ。
その名前を聞いても、すぐには思い出せなかった。しばらく黙りこくって引っ掛かりのあるそれを記憶から探して、そしてふと頭の片隅にその名前を見つける。
いつか見つめた金髪の後頭部。
――殺された? あいつが?
「それマジ?」
「いや、詳しくは分かんないけどね、今朝、工場? かどっかで、死んでるのが見つかったんだって。刺されてたって、聞いた」
どこまでも確証のない、しかし不穏な内容に、少し戸惑った。これが真実なのか分からないが、周囲を見回してもあの金髪は見当たらない。昨晩の通報の件が脳裏をよぎる。
妙な絡まれ方をしたせいで、心証は正直よくないままだ。だから別に悲しくはなかった。同級生が死んだというニュースのショックしか、心には残らなかった。
校長の話は確かにうちの生徒が殺害されたって内容で、犯人がまだ捕まってないこととか、先生たちが見回りするとか、事件そのものよりそういう対応に関しての方が長ったらしく語られた。「殺された生徒」の名前は出なかったけど、分かるやつには、特にクラスメイトには殺されたのがハナガキタケミチだってことは周知の事実だった。
集会からの帰り際、隣のクラスに一瞬視線をやると、窓際、並ぶ机の一つに、白百合が活けられた花瓶が置いてあった。
あいつを刺した犯人は、その日の昼に捕まった。後からニュースで知ったけれど、東卍が抗争で壊滅させたグループにいた、ネンショー上がりの男だった。
それを知ってオレは、初めてハナガキの死を痛ましく思った。もし東卍メンバーと間違えられて刺されたんだとしたら、可哀想だなと思ったんだ。
あいつは東卍にはいなかったのにって。
それからオレは必死に生きていくうちに、自分の人生に一瞬だけ関わった男の名前なんてすぐに忘れて。
いろいろきついこともあったけど、それでもそれなりに楽しく、みんなでバカやって、何度か恋なんかもしたりして、最後にはいい人生だったって思えるくらいには、幸せに生きて――息を引き取って。
――そんな前世を思い出したのと、“タケミっち”というヒーローのことを思い出したのは、同時だった。
つまり全部、手遅れだったってことだ。
東卍の本社ビル、その会議室。
前世、そしてタケミっちの記憶がある東卍その他の面子で、生まれ変わったタケミっちを探すために立ち上げられた会社だ。幹部たちは各々半分趣味の別の仕事もしているが、基本タケミっちについて話す時はここに集まる。
今日はまだ学生のアッくんたち含む、元壱番隊のみんなが集まっていた。
うちの隊は前世でほんとに仲が良かったと、そう思う。
ただしそれは、タケミっちがいた場合に限ると今世で学んだ。
「不審者は早く自首したらどうだ? 今ごろ指名手配出回ってんじゃねえの、瓶底とコンビニ袋の」
「ハア? そっちこそシャーペンお恵みおじさん出没注意の看板立てられてんじゃねえか?」
「アア?」
「アア゛ン゛!?」
会議室の扉を開けたら、一虎君とココ君がメンチ切り合っていた。
「またか……」
「まただよ」
場地さんがあからさまに溜め息をついたが、この前イヌピー君と全治一週間になる殴り合いをしたのをもう忘れたんだろうか。
「つーか結局シャーペン交番に届けられてたじゃねえか」
「うっせバーーーカ!!」
「ココ君の語彙が」
「よっぽどショックだったんだな……」
アッくんが哀れんでる。山岸がキャスター付きの椅子に跨って、テーブルに突っ伏すココ君へシャーッと近づく。
「もう現物買うんじゃなくてタケミチ貯金とかにしたほうがいんじゃないっすか?」
「は? もうとっくに花垣専用の口座開設してんだよ」
「アッ、ナマ言ってすんません」
隣に座っているイヌピー君が雑にココ君の頭をばしばし叩いた。慰めのつもりらしい。
「昨日からずっとこんな感じなんだ。せっかく花垣と話せたのに」
受けた傷はでかいらしく(タケミっちの方が被害者だけど)、今も頭を抱えて「ゼッテェ嫌われたし……は……? もう無理……株売却しよ……」とスマホをタップしている。元気じゃね?
イヌピー君は「オレはようやく近くで顔が見れたって赤音に報告した」とほわほわとした空気を漂わせている。温度差がすごい。
「次会う時は結婚ねって言われた」
「お姉さんめちゃくちゃ飛ばすじゃん」
マコトが引くとか赤音さん相当だぞ。顔くらいしか知らない同僚の身内を思い出し高校生組と共に戦慄していると、場地さんが未だガチガチ歯を鳴らす一虎君を無理やり座らせた。
「今日タケミチは大丈夫だったか、千冬」
「あ、めっちゃ警戒心カスのまんまでした。風邪もたぶんすぐ治るでしょ」
タクヤがほっとしたように息をつく。さっきカメラを確認したら、タケミっちは冷えピタ貼ってゲームしてた。寝ろバカ。
「そうか……まあトラウマになってねえなら何よりだな」
「瓶底コンビニ袋でコンビ組んだ甲斐あったな」
イヌピー君の発言に場地さんが無言で立ち上がったのでオレが間に入る。押さえてください本人には嫌味のつもりないんです。
「あ、でも、報告があります」
オレの発言に、ピリッ、と場が引き締まった。アッくんたちの目に不安がよぎるのを見て、オレは肺の中の空気を全て吐き出した。
意を決して口を開く。
「オレたち、ストーカーだったらしいです」
――かつてこの会議室が、こんなに静まり返ったことがあっただろうか。
分かる。たぶん今みんなの脳内には、ビッグバンから地球の誕生までが早送りで再生されているはずだ。タケミっちに指摘された時のオレって、こんな顔してたんだな。揃いも揃ってスペースキャット壱番隊。
「いや、まさか……ストーカーつか、むしろストーカーとかから守ってやってる立ち位置だし、見守ってるだけだし」
「それが世のストーカーの思考らしいです」
やがて、いち早く自我を取り戻したアッくんが震える声で否定した。穏やかに首を振る。
沈鬱な空気の中、一虎君がオレたちを見回した。
「いや……どっからどう見ても骨の髄からストーカーじゃん。自覚なかったのかよ」
この場でたった一人だけ引くわーとマジでドン引きの顔で二の腕をこする一虎君に、オレたちは凍りついた。
「……いや自覚ありの方がヤベーやつじゃねえかよ!!」
「何自分はまともですみたいな顔してんだテメエ」
「同じ穴のムジナがよぉ!!」
ぎゃいぎゃいと一気にやかましくなる一室の中、オレはあ、今ならうやむやに出来るかも、と姑息なことを考えてさっと挙手した。
「あとすんません、オレ……タケミっちに会っちまいました」
会って、話して、名前も名乗りました。
オレは正直に話した。
ボコられた。
タケミっち。
タケミっち、オマエ、オレたちから忘れられて、どんな気持ちだった。
忘れられて、そのせいで未来にも帰れなかったんだよな。そんで、オレたちの記憶戻そうともせずにさ、一人ぼっちで死んだんだ。
あんなに戦い続けてたオマエは誰に看取られることなく殺されちまって、オレたちの誰も、あいつを弔いもしなかった。
泣き虫のヒーローのことなんて全部忘れて、幸せに生きてた。
だからさ、オマエが思い出さなくたって、今度はオレたちが守るよ。
オマエがそうしてくれたみたいに。なあ、相棒。
【裏の裏】
視界が霞んでは戻る。天窓から月明かりが丁度入り込んでいた。
息をするたび、腹の三か所の刺し傷からどぷりと温かな血が溢れた。冷たい風がどんどん体温を削り落としていく。身体からも、流れ出す血液からも。
いつから人が立ち入っていないのかも分からない廃工場の空気は埃っぽくて、咳が込み上げる。空気と一緒に鉄錆臭いものが口から溢れた。
……東卍のみんなには忘れられたのに、東卍を恨んでるやつには覚えられてるってすげえ皮肉だな。
必死に自分の服を探って、携帯電話を見つける。二つ折りのそれをぶるぶる震えて言うことをきかない指で懸命に開いて――圏外、くそ、ふざけんな。
必死に手を伸ばす。天窓に携帯を近づける。
――立った、電波。
指を押し付けるようにボタンを押す。一一〇番。
宙に伸ばした腕ががくがくと震えた。
はやく。早く出てくれ――早く。
コール音が途切れ、冷静な声がオレの状況を問う。オレはくぐもった咳をして、しゃがれた声で叫んだ。
「まいきー、くん」
咄嗟に出たのは彼の名前だった。
「マイキー、くん、ど、っドラケン、く……ちふ、ちふゆ……あぶない、まもって、たのみ、たのみます、まもって、おねが、します……東卍の、みんな……おねがい、しま、」
ちゃんと伝えたいのに、舌が回らない。
息が苦しくなって、力が入らなくなった。保てなくなった腕がばたんと投げ出される。携帯が硬いコンクリをくるくる滑っていく。
――お願いだから守ってくれ。
やっと掴めた“未来”なんだ。
ようやくここまで来たんだ。
視線の先の携帯には、みんなの連絡先が残ってる。もうこの一年以上、誰にも掛けてないし、掛かってきたこともない。
でも消せなかった。
視界がぼやけて、瞼を開いている力すら身体から抜けていった。目を閉じると、冷えたこめかみに温かいものが滑る。
かろうじて、投げ出した空っぽの右手を握った。掴んで、ゼッテェ離さねえように。
もし、また会えたら。
そんときは全部初めから、初めましてから、やり直すことになってもいいからさ。
みんなと、またバカやりたいな。
――ツー、ツー、ツー……。鳴り続けていた電話の音は、やがて止まった。