ボクは王子様じゃないけど
初恋をこじらせている。およそ十二年。もう執念の域に達している気がして、自分でも空恐ろしい。
「楽しみだなー」
「そうですね」
コーラとチュロスを手にニコニコ笑うタケミチに、ナオトは頬を緩めてありきたりに返した。映画館内はまだ照明も落ちておらず、他の席もざわざわと談笑を楽しんでいる。
隣に座るタケミチはポップコーンにコーラ、手にはチュロスという万全の態勢で、待ち切れないのか小さな子どもみたいに少し身体を揺らしている。二十六にもなって、落ち着きがない。しかし正直に言えば、もうそんなところすら可愛く見える。我ながら頭が沸いている。
十二年だ。十二年。
十二年片想いし続けて、今日、初めてデートと呼べるこの状況。
関係を変える、千載一遇のチャンス――のはずだった。
「タケミっちの塩味? ちょっとちょーだい」
「ポテト食うか?」
なんでオマエらここにいる。
タケミチの後ろに座る佐野万次郎と、自分の背後の龍宮寺堅に、ナオトは痛むこめかみを押さえた。
元々は、タケミチとヒナタ二人のお出かけだった。しかし当日開催される夏祭りのスタッフをしていたヒナタの友人が事故で骨折し、ヒナタが代わりを引き受けたことで予定変更になったのだ。予定変更。中止ではない。姉の代わりに、タケミチにはナオトが同行することになった。
「チャンスでしょ!」
それは弟の恋を後押しする姉としての優しさだったのだろうが、自分の大好きな親友を身内にできるかもしれないという下心が多分に含まれていたこともナオトは知っている。しかし関係ない。ありがとう姉さん。
三人で出掛けることはあれど、二人きりはめずらしい。舞い込んできた好きな人とのデートという幸運。現地集合になったのだが、驚いた。てっきりジャージとはいかないまでもスカジャンとデニムとかだろうなと予想していた彼女は、思わぬ「大人びた女性の格好」で現れた。
「ヒナがさ〜昨日家に来て貸してくれたんだ」
いい仕事をし過ぎだ、姉。弟としては後が怖いが、それはそれとしてありがとう姉。
しゃれたプリントTシャツとロングスカート、少しごつめのシンプルなサンダル。いつものタケミチの活発な雰囲気を損なわない、カジュアルだが女性らしい格好だった。彼女のことをよく見ている姉ならではのチョイスだと思う。つまりすごく、似合っている。可愛い。
「……それが見たいんですか」
「えっ」
格好が変われば中身も、という訳もなく、館内に入ってから、タケミチは一枚のポスターに釘づけになっていた。海外のアクション物。今日見る予定だったのは別の、家族でも友人でも恋人でも楽しめるというありきたりな売り文句のエンタメ映画だ。
「いいですよ、ボクは。どっちでも」
「いいの!?」
ぱっと、散歩という単語を聞いた犬みたいにその顔が輝く。
「ありがとナオト!」
タケミチ君のくせにかわいい。
はしゃぐ彼女の隣で、ひっそりと喜びを噛み締めた。
今日一日、このタケミチを独り占めできる。
――そう思っていた。甘かった。タケミチが浮かれて注文したシナモンチュロスより甘かった。
「よータケミっち、偶然だね」
「おう、奇遇だな」
背後から掛けられた声に振り返り、ナオトの気分は一気に急降下した。
「あれっ、マイキー君、ドラケン君も! 二人も映画に?」
「うん、タケミっちたちも? あ、観るやつ一緒じゃん」
「あっ、ほんとだ! え、席もしかして前後じゃないすか?」
「偶然だなー」
「な」
そんな訳があるか。
券を覗き込んでわいわいと盛り上がる三人に、ナオトはすっと真顔になる。
「……タケミチ君」
「ン?」
「今日のこと……誰かに話しました?」
「え……あ、あー、この前、千冬には話したかも。ヒナが来れなくなっちゃったーって」
それか……。
口止めしておかなかった自分が迂闊だったのか? いやそんな馬鹿な。
彼女がかつて、タイムリープした先で女だてらに所属していたチーム、東京卍會。そのメンバーたちはみな、タケミチに対して彼女の身内より過保護だった。なんならメンバーでなくても、タイムリープで関わりを持った人間はだいたいタケミチに干渉したがる。この前も偶然タケミチが柴大寿と話している場面に遭遇したところ、土砂降りの日に思いっきり転んで泥まみれになったタケミチが大寿に拾われた、というエピソードを聞いた。そのまま一泊したと知りショックを受けたものの、大寿のタケミチを見る目が完全に頭が弱めの犬を見るときのそれだったので、胸を撫で下ろしたという余談。
ともかく、舐めていた。デート先にまでやって来るとか思わないだろう、ふつう。
「マイキー、タケミっちのばっか食うな、分けてやれ」
「んー。キャラメル味食う?」
何が悲しくて、デートで好きな子が他の男とポップコーン交換してるところを見なければならない。デートと思っているのがこっちだけだとしても。
映画が始まるまで苦痛の時間は続いた。始まったら始まったで、映画に夢中になるタケミチの横顔を見つめていると背後から刃物のような二対の視線を感じたので、映画の内容は一切頭に入らなかった。
デートだと思っていた。そう信じて最近仕事中も浮かれていた(部下から怖がられた)。蓋を開けてみればあら不思議、実態は逃亡劇だった。
映画館を出てその後。せっかくだから今日着てるみたいな服買ってみたらどうですか、とブティックに連れて行けば、三ツ谷隆と柴八戒に遭遇し、武道が二人に試着室に押し込まれ。
試着を終えて購入段階になったところで九井一と乾青宗が現れ、ブラックカード片手に「店丸ごと」と言い出し。
撒いたところで通り雨に遭いとっさにコンビニに入れば、傘を買っている最中にタケミチが河田兄弟に拉致されかけ。
特に最悪だったのは彼だ。松野千冬。
自他ともに認めるタケミチの相棒とは、いつかの世界線では協力関係にあったりもしていた。しかしながらことタケミチに関しては、彼女の隣にいるのは自分であるという自負がナオトとだだ被り、相性最悪、天敵と言って差し支えなかった。
適当なカフェで遅めの昼食でも、となったところで“偶然”現れた松野千冬、場地圭介、羽宮一虎の三人。ごくごく当たり前にテーブルを付けてきた彼らと食事を共にすることになり、目の前で松野の手ずからパスタを貰っているタケミチを見た時、手の中のスプーンを曲げなかった自分を褒めてやりたい。
ポップコーン交換の方がまだマシだ。成人した男女のすることじゃないと問い質したいが、タケミチは過去から戻って来てさほど時間が経っていないせいか、感覚が中学生のそれのままだった。中学生でもその距離感は違うだろうという指摘は一旦置いておいて。問題は松野だ、完全に確信犯だった。
それでもタケミチが楽しそうなので何も指摘できない。幸せそうに口の端にケチャップをつけてナポリタンを頬張っている彼女に、ナオトがそれを指摘するより先に場地が親指でその唇を無造作に拭った。タイムリープしてもナオトにはできない所業だった。なぜか松野がドヤ顔をしている。羽宮は大口を開けてサンドイッチを食べながら、興味深そうに自分たちを観察しているだけだった。
その後も松野の会話の端々に散りばめられている「タケミチのことは自分が一番分かってる」マウントがいちいち癪に障り、ナオトは苛々しっぱなしだった。
彼女を支え続けた相棒。タケミチが、唯一自分の意思でタイムリープを打ち明けたひと。佐野たちに今日の件を知らせたのも彼だろう。死ぬほどむかつく。
そもそも彼女が傷だらけのとき、ずっとその背中を守り続けてきた“相棒”という立ち位置が、非情に面白くない。たぶんあっちも同じなのだろう。お互い厄介な人間に惚れ込んでしまったものだ、酒を酌み交わしたい――なんてことは一切思わない、早く帰れ。
その後も、まあ、お察しの通り。
タケミチがゲーセンに寄りたいというので付き合えば、なぜか黒川イザナに絡まれ。慌てた様子の鶴蝶が追いかけて来て窘めてくれたものの、途中でこれは本当に偶然通りかかった灰谷兄弟が乱入し。
四人をタケミチに近づけまいとしている間に、タケミチは取りたかったぬいぐるみを三途春千夜に取られて武藤泰宏に代わりに謝罪されていた。
どこに行こうと何をしていようと誰かが来る。何回か国家権力でもって逮捕してやろうかと思った。タケミチの持ち物にGPSがつけられていないか途中で確認したりもした。八個発見した。
「ちょ、っと待って」
稀咲鉄太と半間修二を撒いたところで、タケミチの靴音が止まる。振り返ると、タケミチは自分でも恐る恐るというようにスカートの裾を少しだけ持ち上げた。
履き慣れないサンダルで動き回った足には、爪先や踵が擦れて血が滲んでいた。
「……すみません、タケミチ君」
「なんでナオトが謝んだよ」
ベンチに座らせたタケミチの足を、濡らしたタオルで包んで拭く。本人は自分でやると言ったがナオトが譲らなかった。目の前に跪いて足を膝に乗せると、姉よりは日焼けした肌が少し震えた。
あたりはすっかり日が落ちて、かろうじて街灯の明かりが届く。海が臨める公園は、たまに波の音だけが夜の空気を揺らしていた。
「なんか、シンデレラみたい。この体勢」
ナオトの手に足を預けながら、彼女がそう言う。靴のサイズが合ってないって意味ですか、なんて皮肉も今は出てこなかった。
「スニーカーで来ればよかったなー」
わざと明るい声音で話されても、ナオトの気分は晴れない。足は薄い皮膚が剥けて痛々しい。コンビニで買ってきた絆創膏を貼って、もう片足に触れる。
左足の甲には、銃弾が貫通した痕がある。
「……今日、ボク余計なことしたんじゃないですか」
「は?」
タケミチの大きな目がより丸くなる。ナオトは土汚れや血を拭うふりで俯いた。
「キミは元東卍メンバーが大好きですから」
面倒なことを言っている。自己嫌悪でより気分が塞いだ。彼女は「そんなことないよ」と言ってくれるに決まっている。うじうじしている自分が情けなくなって、首を横に振ってなんでもないと言おうとした。
「えっナオトも好きだけど」
ぎゅ、と手の中の足を
む手に力が入る。
その“好き”には親愛や友愛しかないし、第一ナオト“も”と言っているし。まったく他意はない、そんなことは分かっている。
なのにそれだけでこんなに顔が赤くなる、恋は本当にこじらせたくないものだ。
「あ」
暗いから顔の赤さなんて分かるまい。そう思ったのに、背後で突然光が炸裂した。どこか懐かしい音が遅れて聞こえる。
「花火だ、うわ、なつかしー」
振り向けば、夜空には大輪の花が次々と咲いていた。
あ、そうか、夏祭り。姉が運営の手伝いをしているだろう祭りは、無事に佳境を迎えたらしかった。昼には雨が降ったが、その湿気った大気を吹き飛ばすように鮮やかに夜空に花が咲く。
「な、一緒に観たよな。覚えてる?」
光の花びらを浴びながら、タケミチが嬉しそうに笑う。
急に自分が、あの日、初めてタケミチに出逢った子どもの頃に戻った気がした。不良に絡まれて、抵抗するどころか声一つ上げられなかった情けない少年。
彼女が助けてくれたあの日、自分は。
「よーく覚えてますよ。間違ってキミが手を握って来た」
「はは、悪かったよ!」
とんと肩を拳で小突かれる。その手を掴んだ。小さな手だ。あの日自分の手を掴んできた時は、そんなに変わらなかったのに。
キミは姉さんと間違えたんでしょう。分かってますよそんなこと。なのにあの日、好きな人と手が繋げてめちゃくちゃ喜んだ男の子がいるなんて、キミは想像だにしていない。
「タケミチ君、ボクは」
花火を見上げていた大きな目が、自分を見下ろした。
中学生の頃からずっと、クラスメイトたちがやれどのクラスの誰それが可愛いと話していても、グラビアアイドルが表紙を飾る雑誌を持っていても、誰と誰が付き合っていると噂をしていても。いまいち話に乗れなかった。
ナオトが目で追いかけてしまう女の子は、全然清楚でも色っぽくもない。さらさらの黒髪でもないし、雪みたいな白い肌でもない。可愛らしい格好だってしないし、花のような香りもしない。
掴んだ手の甲には刃物が貫通した痕がある。
「ボクは、」
「ん?」
急にタケミチが眉根を寄せた。
「タケミチ君?」
「バイクの音しねえ?」
「…………」
顔を上げる。言われてみれば花火の音に紛れて、微かにバイクの排気音――見上げた先の道路に、遠くぽつぽつと灯っている明かり。
「…………。道交法違反で逮捕してきます」
「冤罪ダメゼッタイ」
立ち上がったナオトと繋いだままの手を頼りに、サンダルを履きなおしたタケミチが立ち上がる。ベンチに立て掛けていたビニール傘を掴んで、トロフィーみたいに掲げて見せた。
「おっし、行くか! どっかで夕飯も食べて帰ろーぜ」
何回か慣らすように足踏みするタケミチに、逡巡したのはナオトの方だ。
「でも、足痛むでしょう。あの人たちに乗せてもらって帰った方がいいんじゃないですか」
「オレを誰だと思ってんだよ。今日はもうナオトとゆっくりするって決めた」
にっと笑う顔が花火に照らされる。もう初対面の時みたいな金髪でもないのに、視界の中できらきら光る。
小さな身体にはたくさんの傷痕がある。代われるものなら代わってやりたい。けれどそんなものをものともしない彼女が笑う。
初恋をこじらせている。ナオトが目で追いかけてしまう女の子は、よく髪がぼさぼさになっているし、肌は日に焼けていて大小いろんな傷があるし、化粧気はないし、毛玉のついたスウェットで出歩くし、近づくと、ほんのり甘い匂いがする。
すぐ調子に乗るし、がさつだし、頭の出来はよくないし、部屋は汚いし、泣き虫だし、すぐ無茶するし。
「行こ、ナオト!」
靴だって履かせてやる前に一人で履いて、こうやってナオトの手を引いて歩く。
彼女となんの理由もなく手を繋ぐことがこんなに嬉しい人間は、きっと世界に自分だけだ。
傘を杖代わりにするタケミチが、繋いだ手を揺らす。
「肉食いたい、肉」
「さっきシンデレラとか言ってたの誰ですか」
「柄じゃなかった」
「ですね」
ぎっと手の甲に爪を立てられた。笑う。
「そういうタケミチ君が好きってことですよ」
タケミチの目がぱっとナオトを振り仰いだ。花火の光が入る瞳が見開かれていて、さっきの意趣返しが出来た気がして小気味いい。
「あ、もう来るぞあの人ら――うぉあ!」
ナオトはタケミチを抱き上げて走った。背後のバイクの走行音と怒鳴り声を、花火と駆ける音がかき消していく。
最初は降りようとしていたタケミチが、次第に腕の中で身体を震わせ、傘を握り締めながら大声で笑いだした。「最高のデートだな!」傘を互いの身体で挟むようにぎゅっと首に回された腕に、いやデートだと思ってたんですか、と咎める言葉も押し潰されてしまった。
・たけみっち♀
みんなが幸せでとっても嬉しい。すごく頑張った。ひなちゃんやえまちゃんとのお出かけも「デート」と言う。私服が六割スウェット。
・なおと
初恋が強すぎる。出世街道驀進しているのでわりともてるが、たけみっちと姉以外の女性は一律根菜に見える。
・ひなちゃん
親友が義妹になってくれたらとても嬉しい。
・まいき、どら、ばじ、みつや、はっかい、スマとアン
半端なやつには絶対に渡さないという強い意志。
・ちふゆ
世界一大切な女の子がデートするということでめちゃくちゃ牽制しに来た。
・いぬぴ、ここ
オレたちのボスだが??????
・かずとら、はいたにきょーだい、はんま
絶対面白いことが起こってるので交ざった。
・いざな
デートの報を耳にしてなんだかめちゃくちゃ面白くないと思ったので来た。
・かくちゃん、むーちょ
たけみっちをものすごく心配している。
・はるちょ
常に初手から泣かせようとしている。
・きさき
執着。
・たいじゅ
おつむがかわいい感じの小型犬を見ると特定の女を思い出す身体になってしまった。
・出てこなかった溝中四人
ひなちゃんの弟なら安心だなと思ってる。