エイフラムの背中、大きくて温かい。一歩、また一歩と進むのと同時に訪れる心地の良い揺れに身体を委ねて、アレスはそんなことを思っていた。遠い昔に、こうして誰かの広い背中におぶわれてウエスタベリの街を散歩したことがあるような気がした。一度脳が死んでいるせいかよく思い出せないが、あの頃の自分はまだ人間だったに違いない。
エイフラムが身に付けている南ウエスタベリ軍指定の軍服からは、彼の柔らかい匂いがした。そして、そこにほんのりと混じっている血の匂い。いつもは不快で仕方のない鉄臭さも、今は不思議と嫌じゃない。
アレスはゆっくりと瞼を閉じた。この身体になってからというもの眠気に襲われるということが皆無だったため一度として眠ったことはないが、今ならこのまま眠れる気がした。意識がフッと落ちそうになる。「アレス」そんな微睡みは、喉の辺りでごろごろする少しノイズがかった低い声に掻き消された。

「ん……、何?」
「いや、あんまり静かだから死んでるかと思って」
「エイフラムはバカだなぁ。私、死ねないし」
「あー、それもそうか」

皮肉を込めて自嘲気味に言ったつもりだったのだが、エイフラムは特に気にした様子もなくさらりと話題を流した。エイフラムは下手に気を遣ってこないから、一緒に居ても変に息苦しくならない。単に空気が読めてないだけなのかもしれないけど。

それ以降は別段これといった会話はなく、少し経って宿舎に辿り着いた。他の兵士達が寝泊まりしている施設からは隔離された、不死人部隊専用の古びた宿舎である。ここでは兵士一人一人に六畳ほどの小さな個室が与えられていて、アレスは二階の隅の部屋を使っている。南向きでなかなか日当たりが良いのでアレス自身も気に入っていた。
エイフラムはアレスを部屋のベッドまで送り届けると、用は済んだというように踵を返して出て行こうとした。「待って」去っていこうとする長身痩躯の後ろ姿に、慌てて声をかける。錆びたような赤銅色をした頭がどこか怠そうな動きでゆっくり振り返り、同じく赤銅色の瞳と視線が交錯する。

「エイフラム、ありがと。……助かった」

何だか非常に照れくさかったため、アレスは薄っぺらな毛布で顔面の下半分を隠してどこかたどたどしい口調で言い忘れていたお礼の言葉を伝えた。だいぶこもった声になってしまったけれど。
エイフラムは聞き取れたのか聞き取れなかったのか微妙な様子だったが(というか表現を一ミリも変えなかった)、包帯を巻いた傷だらけの右手を上げて「おう」と言うような仕草を見せ、アレスの部屋を出ていった。

アレス以外は誰もいなくなった室内に、斜陽が差し込む。エイフラムの髪と同じ色味。本人はあまり気に入っていないと言っていたが、アレスは彼の控え目な赤銅色が好きだった。だって、夕空みたいで綺麗だから。
エイフラムやヨアヒム、ベアトリクスとはいつ頃からの縁なんだろう。見慣れた天井の見慣れた染みをぼんやり見つめながら、アレスは思う。ベアトリクスとはツーマンセルを組んで行動を共にしているから仲良くなるのも不思議ではないとして、ユドの小隊のメンバーであるエイフラムとヨアヒムとはどうやって知り合ったのだろうか。思えばいつの間にか、本当に知らず知らずのうちに交流を持っていたような気がする。そんなに前のことではないはずなのに、記憶が曖昧だ。もしかしたら、一度死ぬ以前に既に交流があったのかもしれない。多分その頃から、ヨアヒムのことはいけ好かない奴だと思っていたに違いない。エイフラムについては……うん、嫌いではない。むしろ気が合うのではないか。

考えても考えても追いつかないような気がしたので、アレスはそこで思考を切った。何も考えずにぼーっとしていると、右膝と鳩尾のあたりで何かが這っているような感触がいっそう強く感じられる。細胞が急速に再生しているのだ。鳩尾の銃創の方は、表面的にはもう塞がっている。相変わらず物凄い早さだ。

「化け物……か」

恐怖に歪んだ兵士の顔と最期の言葉が、記憶の底にこびりついて剥がれない。戦場で殺した人間の顔なんて一々覚えているはずがないのだが、不思議なこともあるものだ。
次の戦いまでに、右足は使えるようになるだろうか。頭半分でそんなことを考えながら、アレスの意識は深淵へと落ちていった。


「#エロ」のBL小説を読む
BL小説 BLove
- ナノ -