上から言い渡された任務の内容は、廃工場に棲まう下級冥使三体の討伐。だから任務に向かう祓い手もなまえとフレディの二人だけで十分だった。
村の中でも特に有能とされる祓い手の二人なら、たった三体の下級冥使を相手にすることなどは容易なはずだ。

それなのに。


――そこは、冥使の巣窟だった。


三体の冥使はこの近隣に住む人間達を老若男女無差別に食い荒らし、やがてその数を増殖させていった。
ほんの一週間前の偵察部隊からの報告書には、そのような事は記載されていない。
いくら村の上層部を以てしても、さすがにこの事態だけは予想できなかった。



***


ぬるり、とした不快な感触が咽頭の辺りを撫ぜるのをなまえは感じていた。身体は全力で異物の侵入を拒むが、少女の力では抗うことは敵わない。傍らに転がっている拳銃を掴もうとして伸ばした手は、あとほんの少しのところで空を切った。

「なまえ!!……くそっ!!」

フレディは自らを取り囲む三体の冥使の身体越しにその光景を目にして、もどかしげに眉を歪める。一瞬でも気を抜けば、フレディ自身もやられてしまうのだ。
迫り来る攻撃を素早い身のこなしでかわしながら、銃口を冥使に向けて引き金を引く。一発は女の姿をした冥使の頭部に命中して、もう一発は若者の姿をした冥使の腹部を貫通した。
老人の姿をした冥使が背後からフレディに飛び掛かる。振り向きざまに上段蹴りをくらわせて、体制を立て直すと同時に発砲した。堅い床に倒れ伏す冥使。そのうちの二体がヨロヨロと立ち上がり、再びフレディに襲い掛かってくる。

冥使の生命力は人間よりも遥かに強い。完全に絶命させなければ、何度でも立ち上がってくる。

「うぇっ!くっ……あ゛ぁっ!」

一方、冥使の舌によって濃厚な血液が強制的に体内に送り込まれたなまえは、何度も激しく嘔いていた。咳き込むと同時に口の端から赤い雫が幾筋も滴る。しかし少女に馬乗りになっている冥使は、そんなことは構い無しに“入蝕行為”を続けている。動けないなまえの元に新たにもう一体の冥使が集り始め、長く赤黒い舌を少女の身体に突き刺した。

「うあぁあああ!!!」

肉を引き裂かれる感触と痛みに、なまえは大きく目を見開いて悲鳴を上げた。

「なまえ――ッッ!!!」

フレディは必死に少女の名を呼んだ。
何度も、何度も。
全てが絶望と悲愴に包まれる。

「どけ!邪魔だッ!」

自らの周りの冥使を始末し終わると、フレディはなまえの元へと駆け寄った。
華奢な身体に集る冥使に銃弾を打ち込み、木製の杭を突き立てる。入蝕と吸血に夢中で無防備になっていた冥使は、濁った断末魔を工場内に響かせながら絶命した。

これで全てが終わった。天窓から射し込む月明かりの下には、十体近くの冥使の亡骸が晒されている。
あとに残ったのは、横たわって浅い呼吸を繰り返す少女と、少女の傍らで呆然と立ち尽くす少年のみ。

「なまえ……」

少年は少女の名を呟いて、力無く座り込んだ。


「ごめんね、フレディ。やられちゃった……」


祓い手は普通の人間と比べて冥使の血の干渉を受けづらいが、これだけの量の血液を送り込まれてはいくらなまえといえども手遅れだろう。
変えようのない事実の前で、僅か十二歳の少年はただただ絶望に打ちひしがれるしかなかった。

「なんでなまえが謝るの!オレのせいで、こんな……!」
「馬鹿……。そういう所が、まだまだ子供なんだって……」

なまえがフレディに手を伸ばす。
両手で包み込むようにして取ったその手は、まるで体温というものが存在していないかのように冷たかった。
冥使化が始まっている証だ。

――じきに、彼女も血に狂うだろう。
「なまえ……なまえ……!!」


その現実を受け止めたくなくて、フレディは少女の冷たい身体をきつく抱き締めた。
こんなふうにして温めてみても、無意味なのだということは知っている。それでも、フレディにはこうすることしかできなかった。

「オレがもっと強ければ、オレに力があれば……」
「十分強いよ、フレディは。だって、ここにいた冥使、ほとんどフレディが倒したようなもんだし……」
「なまえを守れなければ意味がないんだよ!」

七代目のオーゼンナートの名を継ぐ者として、周囲からの期待の眼差しの中でフレディは育ってきた。幼い頃から学術や戦闘術の呑み込みも飛び抜けて早く、誰よりも努力を重ねて、今では次期大老師候補とまで謳われている。
それなのに、彼女のことを守れなかった。
いくら戦闘術を磨いても、それは冥使を殺すためのものでしかない。
自分は一体、何なんだ。自分がやってきたことは一体、何だったんだ。きつく噛みしめた唇に血が滲む。口内に広がる、鉄の味。

「ねぇ……、フレディ。あなたの手で、私を……」
「……やだ」
「聞き分けて。お願い」
「いやだ!」
「わがまま言わないでよ」
「オレにはそんなことできない!!」
「フレデリック!!」

愛称ではなく正式名で呼ばれて、フレディはハッとして黙りこんだ。
今にも泣き出しそうな顔をして言葉を詰まらせたフレディに、なまえは優しく微笑みかける。

「あなたの手で、私を殺して。私が私でなくなってしまう前に」

自らの運命を受け入れた、穏やかな眼差しが真っ直ぐにフレディを見つめていた。
なまえの言葉に、フレディの瞳に涙が浮かぶ。それはやがて堰を切ったかのように溢れだし、少年の頬を濡らした。

「何年振りだろう。フレディの泣き顔見るの……」

泣きじゃくる少年の銀色の髪を撫でて、みょうじは目を細めた。
フレディは強い。祓い手としても、一人の人間としても。そうあるように育てられてきたのだから。任務の際には余計な情を捨てて、躊躇いなく引き金を引く。そうして今までに、多くの冥使を狩ってきた。
小さな頃からずっと一緒に過ごしてきたなまえとしては、幼馴染みである彼がどこか手の届かない遠い所に行ってしまうようで、寂しくもあった。だから、コートの袖で乱暴に涙を拭うフレディの仕草に不思議と安心を覚えた。
なまえはフレディの背中に腕を回して、小さな身体を強く抱き締めた。
昔はよくこうして宥めてやったものだ。三歳の年の差のせいもあってか、フレディはなまえにとって弟のような存在でもあった。
その彼が今では、こんなにも頼もしい少年に成長している。相変わらず背丈は小さいけれど。

フレディに対して抱く感情が自分の中で変化し始めたのはいつからだろうか。
心地良い温もりを肌に感じながら、気が付けばそんなことを考えていた。
切なさが胸に溢れる。
今更想いを募らせても仕方がないというのに。

「フレディ」

脳内に広がる感情を断ち切るように、なまえは少年の名を囁いた。

「うん、わかってる」

ひとしきり泣いた後だからだろうか。
そう呟いた声は、ひどく掠れていた。
たとえ仲間だとしても、冥使になってしまえば始末の対象だ。入蝕された仲間を葬るのも、祓い手の役目。それは更なる冥使の増殖を抑えるだけではなく、その祓い手の誇りを守ることにもなる。

「ありがとう」

なまえはフレディの頬に両手を伸ばして、そっと触れた。

「ずっとずっと、大好きだから」
「オレも、なまえと出会えて良かった。なまえのこと……好きになれて良かった」


言葉にしたのはこれが初めてだったが、フレディもなまえも互いの気持ちはわかっていた。言葉という形にしなくても、それは十分伝わっていた。
傍にいられるだけで幸せだった。それ以上は何も望まなかった。
当たり前だった日々が遠く感じられる。

「人間ってさ、生きている限りは前へ進み続けなきゃいけないんだと思う。私はもう一緒には行けないけれど、それでもフレディはちゃんと前へ進んでね……」

血の気の引いた青白い顔に笑みを湛えて、なまえはフレディの前に自らの両手を差し出す。フレディはすぐにその意味を悟って、そこに己の手を重ねた。
瞳を閉じ、幸運を願いながらゆっくりと言葉を紡いでゆく。



――彼の行く手に、茜と三査子の棘があらんことを――……


レッグホルスターからおもむろに銃を抜く。銀色の銃身が月明かりを反射して鈍く光った。スライドを引いて弾薬をチェンバーに送り込む。その感触がいつもより少し重たいような気がした。
脳裏に閃く、かつての記憶。
思い出の中の少女は、いつだって笑顔だった。
――その笑顔を、守りたかった。


夜の静寂を、重たい銃声が切り裂いた。
やがて残響が鳴り止めば、更なる静寂が夜を支配する。そうして闇は全てを飲み込んでいくのだ。薔薇のように香る血液も、水晶のように輝く涙も。
眠る少女の額にかかる前髪をかき上げて、少年はそっと口付けを落とした。

『命ある限り、前へ』

ローズレッドの銃痕に、そう誓いを立てて。




20110322
癒架


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