こうなることはどこかで分かっていたはずだわ、今更何を悲観するって言うの。

 いくら一生懸命自分に言い聞かせてもやっぱり心に残るシコリが無くならない。どうして私はいつも引き留めるってことが出来ないのかしら。父親の時も夫の時も息子の時も。全部ダメ。皆が私のことを置いていく。ポケモントレーナーなんて存在しなければ良かったのに、なんて思ってもこの世に人間とポケモンがいる限り仕方ないわよね。彼らに八つ当たりすることは間違ってる。でもどうしても考えてしまうのよ。ポケモンがいなければあの人達は旅に出るなんてこと、しなかったんじゃないかって。

 息子にはポケモンやポケモントレーナーと接することがないようにしてきた。そうすればきっと大丈夫だと思ったから。けれどマサラタウンに戻ってきて何もかもが崩壊した。お隣に住んでいる方がポケモンの研究の権威者で、どう足掻いたって息子はポケモンに触れるしかなくなった。それでも息子がポケモンに興味を持たなければ問題無かったのに、同い年の男の子のグリーン君が誕生日を迎えたと同時にポケモントレーナーになると言ったらしく、それで結局息子もポケモントレーナーになることを決めてしまった。
 その事を告げられた時、私は絶望なんて熟語じゃ表せない程途方に暮れた。この子だけは絶対にその道に行かせたくなかったのに。「必ず帰って来る」なんて言葉、信頼出来た試しがない。
 今日は息子が旅立つ日。ポケモンを貰って。それを見送るしかない私はとうとう独りになる。もう諦めるしかないのかもしれない。大切な人達は私を置いていく。いくら頑張ってもその循環は止められない。私は何のために生きているんだろう。ただ一緒に過ごしたい人と暮らしていきたいだけなのに。そんな願いすら叶えてくれない世界なんて、いっそのこと消えてしまえ。

 息子の髪を久しぶりに切った。長かった前髪も無くなって変わりに帽子をプレゼントする。もう単純に外で遊んだり部屋でゲームをするだけじゃないから。まるで私自身が抱える醜く苦しい想いを隠すかのように、まるで旅に出る息子のためを想ったような母親としての行動を見せる。分かってるわよ、自分を誤魔化していることくらい。それでも誰にも息子の進む道を止められないんだから。
 独り取り残されたこの家で、私は静かに涙を零すしかなかった。それだけしか、出来ることなんてないでしょう?






 イーブイが元気に俺の腕の中で鳴いた。じぃちゃんから貰ったポケモン。俺の初めてのパートナー。てっきりフシギダネ、ヒトカゲ、ゼニガメのどれか三匹の中から選べるかと思っていた俺からすると、あまりに意外な展開だった。でもイーブイはずっと好きで欲しかったポケモンだったから、嬉しくて嬉しくて仕方がない。
 レッドはと言えばピカチュウを貰っていて、ヌイグルミを見てから初めて本物を見たらしいあいつはかなり喜んでいた。あんまり顔には出なかったけれど。しかしちょっと肩が震えていたのが分かった。ピカチュウを大事そうに抱きしめている姿がまだ目に残っている。

 こうして俺達はポケモントレーナーになった。これから広い広い世界が待っている。レッドは鬱陶しい前髪を切って帽子を被るスタイルで旅に出るらしい。レッドの母さんが全てやったんだろう。赤い上着が無表情なあいつに意外に似合っていた。イーブイとピカチュウで初めておじいちゃんの研究所でバトルしたけど、色んな資料や機材を無茶苦茶にしようとしたから研究員の人に止められてしまった。せっかくイーブイが優勢だったのに。でもおじいちゃんが笑いながら「まだまだレッド君とバトルするチャンスはある」と言ってくれたし、まぁいっかとマサラタウンを後にした。姉ちゃんからちゃんとタウンマップも貰ったし旅の準備は万全だ。

 とりあえずトキワシティに向かおうとした俺だったが、遭遇するコラッタやポッポに苦戦を強いられることになる。何度も家まで戻ってイーブイを回復させなければならなくなった。旅に出ると意気込んだ割に姉ちゃんと何度も会うなんて、変な話だ。それでもちょっとずつイーブイが強くなっていく。
 やっとのことトキワシティのポケモンセンターへ辿り着くことが出来るようになった頃、モンスターボールを初めて使ってみた。相手はポッポ。上手くイーブイの体当たりを駆使して弱らせて、その赤と白で装飾されたボールを振りかぶる。見事なコントロールで命中したかと思えば、赤い光となってポッポが吸い込まれ、しばらく逃げたそうにボールの中でポッポが暴れた後、静かになった。やった、捕まえたのだ。自分で、ポケモンを。それがしばらく信じられなくて、ポッポを捕まえたボールを握りしめて棒立ちになってまう。
 だから、俺の背後からオニスズメが近づいて来ていることに、気付かなかった。

「ピカチュウ、でんきショック」

 バチバチッ!とすぐ耳の傍で聞こえた電撃音。自分の髪の毛が静電気で逆立つのを感じて、すぐに後ろを振り返った。そこには羽を焦がして草むらに倒れているオニスズメの姿。さらにその向こうに赤い帽子のレッドがいた。彼の肩に乗るピカチュウの頬袋から電気が今にも迸りそうになっている。状況が理解出来なかったが、レッドに助けられたということが何となくわかってしまって、けれどそれをすぐに認めたくなくて、無言のまま立っているレッドに近づこうにも近づけなかった。
 おそらく向こうから話し掛けてくることは無いとは思った。結局、俺とレッドは微妙な関係のままなのだから。喧嘩したようなしていないような。レッドをポケモントレーナーと認めたような、認めていないような。複雑な心境。
 本当は、こんな所で会う予定ではなかった。いや、あいつと会う予定なんてそもそもあってはならなかったのに。

「大丈夫?」

 ぐるぐると思考が回っていた俺に、そんな風に声を掛けて来たレッドだったが、やはりちゃんと言葉を返すことが出来ない。それどころか不機嫌な顔を浮かべてレッドを睨みつけてしまう。色々と悔しさも合間って、素直になんてなれない。あれ、俺の素直ってなんだったっけ。そんなことすら良く分からなくなってきた。
 手を伸ばして来てくれたのに、それをパシッと払ってレッドの側から逃げ出した。
 






 ポケモンセンターでイーブイと捕まえたポッポを回復させて、ポッポをボールから出してみた。自分の手で捕まえた初めてのポケモン。しばらくキョロキョロと辺りを見回したポッポはすぐに俺の元へ近づいてきた。思ったより人懐っこいのかな、と逆に俺の方がちょっと恐々とポッポへ手を伸ばす。触れた体温は温かくて、ポッポがちゃんと生きていることを実感した。いつもぬいぐるみでしか触れたことがなかった存在が、こうしてちゃんと俺の前で呼吸している。
 しばらくセンターの椅子に座り、ポッポに触れていると、無意識に笑顔が零れる。本当に、俺はポケモントレーナーなんだ。まだ駆け出しだけれど、こうやってポケモンとこれから旅をする。ジムを回って、バッジを集めて。そして、チャンピオンリーグへ向かう。ポケモントレーナーの頂点に立つ。世界一、強くなると決めたから。

 ふとセンターの自動ドアが開くと、見知った赤が見えた。げ、と小さく声を漏らす。しかし良く考えれば奴がこの施設に来る確率は高い。ポケモントレーナーなのだから。
 偶然、受付からちょっと見えにくい椅子に座っていたものだから、そそくさと気づかれない内に退散しようと入り口へ向かう。ポッポはボールへ戻した。よく考えれば、こんな小さな空間に閉じ込められて彼らは苦しくないのだろうか。と思ったが、確かこのボールの構造はとても複雑で便利で、どんなサイズのポケモンであろうと入ることが出来るのだから、窮屈だとかそういう問題ではないのだろう。

 さて、次に向かうのはトキワの森だ。虫ポケモンが多く出るのと、気まぐれにピカチュウも出てくると聞いた。イーブイとポッポだけではちょっと心細いかもしれない。コラッタ辺りも捕まえるべきだろうか。
 胸が痛いくらいに高鳴っている。ワクワクが止まらなかった。足が軽く進む。そんな俺がセンターから出て行く時、実は彼がずっとその背を追っていたことに、俺は全く気が付くことが出来なかった。そもそも、気づく必要すらも感じていなかったから。



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レッドがグリーンを追いかけ始める前兆。
 

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