注がれた甘い罠 |
もう。拗らせ過ぎた片想いの落とし所を、どうしたら良いのか。 僕は、ここまで来ると、進むべき標が分からなくなっていた。いや、そもそも、落としたくない。これは、僕が一生抱え込んで、外に一切漏れることなく、死ぬ時まで共にあるべき想いだ。 それが。僕の「ミス」で少しだけ発露させてしまった。目敏く気付いたのはレッドだ。こういう時だけ勘が良いのが、本当に僕の弟なんだなと感じさせる。嫌なところばっかりが似ているのだ。全く、どうしようもない。 子供のような醜悪な怒りをレッドへぶつけてしまったあの日。着替えるために部屋へ戻った後。深く深くため息をついた。もう少し、落ち着く術を持つべきだ。あと、感情が表に出ないようにする術を。これでは緑が相手を見つけるどうのこうの、の前に。この家が崩壊する。僕のせいで。 もっと大人になれ。そう言い聞かせる。しかし。心にのしかかる重みは、一向に消えない。それどころか、ますます重量が増すばかりだ。もしかすれば、このまま胸を突き破って出て来るかもしれない。僕の心臓が。そうなれば、むしろ、楽になれるのだろうに。 とにかく僕は、平静を保つことに勤しむべきであった。他に余計なことは考えずに。心が揺らぐのをどうにか押さえ込んで。最近、緑と関わることを極力減らしているおかげで、それは上手く実行出来ていた。 確かに。緑の姿を目に入れるから、良くないのだ。僕の存在を足元から崩させる。一生、合わない状態になればいっその事、諦めもつく。と、思う。多分。そんな状況になって見なければ分からないが。 もしくは。極端な話、緑が死んでしまったならどうだろう。もう二度と。体のある、動きのある、呼吸をする、緑と会わなくなれば。決して、手の届かないところへ行ってしまったら。僕は、僕は、僕は。 そんな。虚しいことを。考える。 その時点で、もう、ダメであることに。 僕は気が付いていた。 ある日。仕事から帰って来ると。携帯にメールが入っていることに気付いた。 見ると、緑からだ。 驚いて、目を丸くする。一瞬、メールを開くのを躊躇った指が、中途半端な場所で止まっている。 タイトルには何も書かれていない。本文に用件だけが書いてあるパターンだ。 「ーーーーーー」 眉間に皺を寄せに寄せて。 僕は、画面をタップする。 ーーなぁ、飲みに行こうぜーー シンプルだ。 どんな顔をして、このメールを送ったのだろうか。 最近。緑と出会っていないから。あまり想像が出来なかった。 僕はしばらく考えた。果たして、これは、どうしようか。 つまりは、二人で飲みに行こうということだ。 そんなこと、いつ以来だろう。 前の飲み会は、兄弟全員で行ったから。 一年ぶりぐらいな気がする。 仕事が忙しくて、中々時間が取れていなかった。 それ以前に、そのような誘いをし合うことがあまり、なかった。 ーーいつ、どこで?ーー とりあえず。行くとも行かないとも言わず、返した。 すると、想像よりも早く、返信がくる。 ーー次の金曜日の夜。駅前の〇〇でーー 行ったことのない居酒屋の名前だった。 僕は少し、考える。そして、覚悟を決めた。 ーー分かったーー 一度。会ってみよう。このタイミングで。そうしたら、何かしら、僕にとっても。良い気付きがあるかもしれない。この気持ちを、どうすれば良いのか。 というのは建前で。本当は、緑に会いたい気持ちが、喉を飛び出そうになったからだ。あぁ、本当に。弱い奴だ。 二人で飲みに行ったらどうなってしまうだろう。僕は。それを想像すると怖さがあるが。それよりも緑と二人きりで会えることの方が、嬉しかった。単純に。様々な思惑を押しのけて、前に出てきた。理性よりも欲望が優ってしまったら。取り返しがつかない。 自嘲的な笑みを、誰も見ることはない。 直後。僕は少し、声を殺して。自分の部屋のベッドの上で、ひっそり。泣いた。 * * * 兄弟達の様子が。どこか。少し。おかしいのは。 俺が、お見合いをすると。宣言したあの日からだ。 (………なんでなんだ) それが、分からない。 俺からすれば。ようやく、出会いの場を求めることに前向きになれた、ということで。もっと冷やかしの声や、それでも嬉しい声が、兄弟達から聞こえると想像していた。なのに、現実はただ、凍りついた空気だけが、そこに残っていた。 いや。赤だけは。頑張ってね、と言ってはくれたが。他の兄弟達の言葉は、後ろには続かなかった。 今は便利な世の中で。お見合いのシステムも臨機応変に対応してくれているものが、種類豊富に存在している。どれを利用すれば良いのか、から迷うほどだ。会社の知り合いに進められたサイトに登録した俺は、少しずつ、女性と会う経験も積んで行こうとしていた。 しかし。どうにも、兄弟達の顔が引っかかる俺は。何度か足を運んでみたイベントでも、あまり集中出来なかった。初めて会う女性と話すことに抵抗はなかったが。何かしら、引っ掛かりがある。 こんな状態で参加していても、他の人に迷惑だと思った。なにせ、参加している人は、真剣に出会いを求めに来ているというのに。いつも、頭の中にあるのは。兄弟達のことばかり。 俺って、立派なブラコンだったのか。と、改めて認識し、項垂れた。確かに。ずっと兄弟四人で暮らしてきた。そして、相手の兄弟ともずっと。幼馴染でやってきた。他の人間が介入することがなかった俺は、頭の中で随分と偏った考え方が形成されてしまっていたらしい。 俺の世界は。この兄弟達の世界の、部分集合で。この歳になって。ようやく、違和感が芽生えた。つまりは、客観視をしたのだ。外から見た俺たち兄弟の関係性は。もしかすると、どこか。ーーーーーーどこか。 なので。俺は、それを吹っ切ろうと思い。赤にメールを送った。この際、赤に話を聞いてもらおう。今まで散々、コンプレックスを抱いてきた相手だが。他の兄弟と比べ、ずっと、俺と幼馴染をしてくれている存在だ。 俺の話を聞いてくれることは、してくれると考えた。 「おー。赤、久々だな」 当日。待ち合わせした駅前で、落ち合う。 俺も相手も仕事帰りだ。近年取り入れられた、早く仕事を上がりましょうの金曜日。その流れに乗って、繁華街は大勢の人で溢れている。その中で予約していた店に入って、カウンター席に座った。横に座る方が、話しやすいと思ったからだ。 「元気そうで良かったよ」 メニュー表を見ながら、そう呟いた赤に。俺も酒を選びながら「あぁ」と答えた。 そういえば。こうやって二人で飲むのは久しぶりだった。基本的に、俺も赤も積極的に誘うことはなかったからだ。普段、会える距離にいると、改めてこのような機会を設ける発想も薄かった。 赤との会話は、近況から始まり、仕事の内容や、兄弟達の話をしながら。酒を飲んでいることもあって、心地良さがあった。ビールから始まり、ハイボールで酔いが深まり、今は熱燗を飲みあっている。互いに、酒をこんな風に飲むような年になったのか、とぼやけてきた視界と共に思った。 赤はどうだろう、と目を向けてみると。顔が少し赤くなっている。俺も同じぐらいだろう、と思っていたが。予期せぬ赤の言葉が飛んできた。 「緑。大丈夫? だいぶ、顔赤いよ」 そうだろうか。そんなに、熱いわけでもないんだが。 と、思ったが、赤がお冷やを頼んでくれて、冷たいお絞りも渡してくれた。頬に当てて見たら、その冷たさが心地良かった。思ったよりも、酔いが回っているらしい。 「動けない緑を連れて帰るの、俺、嫌だからね」 呆れるように言われ、俺はムッとする。そこまで馬鹿じゃない。と、言い返し、お冷やを一気に飲んだ。熱燗で温まっていた胃に叩き込まれた冷水に、少し、頭が冷静になった。 「赤。こっから、本題だ」 ふぅーーっと、息を吐いて。 改めて、赤を見ると。 何やら、妙な顔をしていた。 ん?と、俺が声を零すと。 「……緑。僕も、あるんだよ」 何がだ。と問う前に。 「君に、伝えたいこと」 予想していなかった。 そもそも。今日は俺が聞いて欲しいことがあるから開いた会であったというのに。まさか、赤の方からも要件があるとは。 「そうか。なら、赤から言うか」 「いや。君から言って欲しい」 「なんでだよ」 「どうしても」 じっ。と見てくる視線の圧力。 少し、俺はたじろいだ。何なんだ。その顔は。 引っ掛かりはあったが、とにかく俺は本題へ入った。 「俺が、見合いすることと。兄弟の様子について、お前はどう思う?」 俺と、幼馴染であるこいつの目には。どのように写っているのか。 すぐに言葉は返ってこなかった。赤は、まだ残っているお猪口の酒を、飲む。 その間、俺はずっと目を逸らさず。赤の挙動を追った。 そして。微かに動いた唇から、ようやく。 「君が、お見合いするのは。自由だ。で、兄弟達は、君のお見合いに。賛成と反対と、いる」 事実が。告げられた。 そこに、赤の主観は。無かった。 「…………反対な奴は、いるのか」 「もちろん、その逆もいる」 「なんでなんだ」 「緑。ただ。一番大事なのは。君が、どうしたいかだ。周りの言葉なんて、考えなくて良い」 俺は、ハッとした。赤のその目に。 「君の命と、人生は。君のものだ。誰かのものじゃない」 確かに。 俺は、何を考えていたのだろうと。今更、思い知った。 赤は、淡々としているが。真意を付いている。 そうだ。誰から何を言われても。最終的には、俺が決めなければならない事柄だ。俺が、やりたいのであれば。やれば良い。兄弟に気を使って、行動を変える必要はないはずだ。 「そう、だよな」 「だから。一番大切なのは。緑が、後悔しないことだと、僕は思う。誰かがこう言ったから、誰かがこう言う意見だから、で動いたら。きっと死ぬ時に後悔する。どうせなら、自分で決めて選んで、生きて、死にたいと、思わない?」 しかし。どうしても、俺は。考えてしまうのだ。この兄弟達が、悲しむ顔を見たくないから。俺のせいで傷つけたくない。と、思ったが。それはつまり、俺自身が傷付くことが、嫌なのだろう。 いつの間にか。すり替わってしまっていた。俺は、俺のために、結局、動こうとしていたのだ。あの兄弟達に好かれていたい、と思っているのだ。自分がやりたいと思うことを置き去りにしてでも。 それは。間違っている、のではないだろうか。 赤の言葉は。胸にじんわりと染み込んでいった。そうか。何を悩んでいたのだろう。俺がやりたいことを、やりたいように、やるべきだ。 スッキリした顔の俺に、赤はほんの少し、微笑んでいた。 ありがとな、と伝えると。 「でね。ちなみに僕の命と、人生は。僕のものなんだ。だから、僕は、後悔しないように、生きようって決めた」 今日。緑と飲んでて、思ったよ。 と、赤は笑った。けれど、それは、泣いているようにも見えた。目を丸くする。なぜだ。こんなにも、最高の励ましをもらえた俺は、嬉しいのに。どうして、赤はこんなに、苦しそうにする。 「緑。今更だ。この何十年。君の幼馴染でいたけど。もう、限界が来ている」 どう言う意味だ。 俺は、何を言われているのか、よく分からなかった。すぐに理解が出来ない。それって、つまり、俺と幼馴染で、いるのが嫌と言うことだろうか。何かしら、ずっと、我慢して、俺と幼馴染をして来た、と言うことだろうか。 ぐるぐる。巡る刃物で内臓が切り裂かれているような気分だった。次の赤の言葉に、怯えている。喉が絞られているように、声が出せない。俺がむしろ泣きそうになっていた。 「僕、ずっと前から」 しかし。結果としては。 「緑が、好きだよ」 全くもって。真逆の方向であった。 その言葉を理解しようとする前に。 赤の唇が、ほんの少しだけ。 俺の唇を、掠めていった。 *************** 崩壊前夜。 |