大人の事情は聞き飽きた



 赤兄さんが、緑兄さんのことを、そういう目で見ていると気付いたのは。
 あの居酒屋での飲み会の時だ。
 きっと。他の兄弟たちは気付いていないだろうけど。

(いやー。こりゃキッツイなぁ)

 緑兄さんの「お見合いをする」発言により。
 赤兄に宿る狂気を垣間見た。万が一でもその全貌を見てしまったなら、どうなるか分かったものじゃない。

 俺たちの長年の絆がグラつき始めた。いつ決壊してもおかしくはない。
 いや、そもそもだ。俺たちの絆なんて、どれほど強固であっただろうか。
 隣同士に住んでいる四人の兄弟が、それぞれに幼馴染で、そんな世界をずっと保ちつづけようとどこかで思っていただなんて。無理にもほどがあることに、気づいていなかった。客観視などしていなかった。なぜなら、この関係に、心地よさを皆が覚えてしまっているからだ。もう随分と前から。それこそ、生まれた時から。
 そりゃよく考えれば分かることで。将来を見越せば結婚することだってあるだろう。実際、俺だって女の子と良くお付き合いをするようになってしまった。グリーンにはそれで良く、反感を買っているが。
 いつかは皆が、この家から旅立っていくだろう。
 もしくは、この家で、新たな家庭が作られていく。
 それを想像して、ーーーーーー想像して。


 吐き気がした。



「レッド。お前、バイトはどうした」

 ゴロゴロと。休日にソファの上で寝転がっていたら、グリーンがちょうど家にやってきた。サトシに勉強を教えてくれるらしい。優秀な家庭教師が近くにいると便利だなぁ、なんて言いながら、俺の家では大体グリーンにお世話してもらっている。

「今日は休みだ」
「珍しいな。人は足りているのか」
「最近、新しい人入ったから。ちょっと楽なんだよ」
「それは良かったな」

 まるで社交辞令かのような、淡々とした声だ。
 昔からの幼馴染に対する言葉には思えない。
 思わず、笑えてきてしまった。

「いやーグリーンって面白いよなー」
「……どういう意味だ」
「なんて言ったらいいのかな。うーん、分かりやすい?」
「殴るぞ」
「あれ、怒らせようと思って言ったわけじゃないんだけどなぁ」

 軽口を叩きながら、俺はテレビをつけた。
 休日にやっている番組といえば、何も考えなくても見られるようなニュース番組や、ちょっとしたクイズ番組だ。
 その様子に呆れるようなため息をこぼして、グリーンは二階へと上っていった。

(赤兄の状態が、もし俺だったとすれば)

 そんなことを想像する。
 もしも。俺がグリーンのことを好きであったなら。どうだろう。
 俺は今の瞬間、どんな会話をグリーンとしていただろうか。
 今の会話とさして変わらない内容だっただろうか。
 それとも、もう少しでも彼の気を引こうとしているだろうか。
 いや。彼にはそんな小手先の会話など通用しない。
 そうだな。俺だったら。綿密に計画を立てて、少しずつ彼を俺の方へ向かせて行くような作戦を取るだろう。
 こちらからはアピールはしない。むしろ、向こうが俺のことを気にするように仕掛ける。
 相手を陥落させればこっちのものだ。
 しかも対象がグリーンであれば。果たして、それにはどれほどの月日がかかるだろう。
 そもそも恋愛事には極端に疎い、もしくは嫌悪感のあるグリーンだ。
 その牙城を崩す作戦は、相当、考え込まなければならない。
 ワクワクする。
 きっと。グリーンの僅かな変化すら楽しんで、俺は行動するに違いない。

(なーんてな)

 そう思うと、赤兄は、今までずっと緑兄さんへの感情を押し殺してきたというわけだ。
 俺でも、気付くことが出来ていなかった。
 それはそれで、凄まじい労力だっただろう。
 さらに、今もそれは進行な訳だから。
 赤兄は、ずっと、こんなエネルギーを費やして、緑兄さんにその気持ちが伝わらないようにしている。
 そして、他の兄弟にも分からない様にしている。
 これだけ近くに住んでいる人間がいると、さぞ気を遣ってきただろう。

「レッド。グリーンは来た?」

 噂をすれば。赤兄が寝室から降りて来た。
 大体日曜日の起床時間は十時頃で。赤兄が一番遅い。
 
「うん。来てもう二階上がってった」
「いつも悪いなぁ。勉強、教えに来てもらっちゃって」
「まぁ、結構好きでやってると思うぜ? グリーン、教えるのは好きだし」
「おかげで塾代が浮いてありがたいよ。感謝しないとね」

 パジャマのまま欠伸をして、牛乳を飲む。
 あの時。あんな顔で緑兄に対して「頑張ってね」などと伝えた人物と同じとは思えない。
 よく考えると恐ろしい兄を持ったものだ。
 そんな俺も。この人と同じ血を継いでいる。
 ほんの悪戯心で、何の脈絡もなく、尋ねてみた。

「ねぇ。赤兄はお見合いしないの?」

 もしかすれば。俺の意図は彼に分かってしまうかもしれない。
 しかしこの際。そんなことどうでも良かった。
 俺はちょっとワクワクしていたのだ。兄さんの反応が。
 しかし直後、俺はとてつもない早さで後悔することになった。

 壮絶な圧迫感だ。赤兄の目が、俺を殺そうとしていた。


「ーーーーーーレッドは、僕に出ていってほしいの?」

 ゾッとした。あらゆる感情が綯い交ぜになっていた。一身に受けてしまった俺は、逃げられない。

「本当にお前は、余計なことしかしないんだな。いつまで経っても」

 微かに聞こえてきた舌打ちと共に、俺の心臓も爆ぜるような思いだった。
 バンッ、と扉の音で威嚇される。赤兄は着替えのためか自室へ戻っていった。
 それにしても、これはもう。限界ではないだろうか。
 赤兄の憎悪がダダ漏れしている。それを隠す気もない。何て、タチの悪い。

(……八つ当たりだよなぁ。こんなの)

 どうやら、俺ばかりが貧乏くじを引いているような気がしてならない。
 こういう役回りだとでも言うのだろうか。
 確かに。余計ないことしかしていないとは思うけれど、かと言ってここまでの仕打ちを受けるのはどこか納得いかなかった。

 まぁ。本当にいっそのこと、緑兄が新しい恋人でも見つけて結婚してしまえば良い。
 だなんて、一瞬、思ってしまったけれど。
 それでも新しい人間が両家に入り込んでくることは、どこかで納得がいかない俺がいた。
 矛盾だ。

 そしてきっとこれも、タチが悪い。



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