私味 |
久しぶりに兄弟全員が揃って、食事会をすることになったのは。 とある土曜日のことであった。 場所は歩いて行ける距離にある居酒屋だ。 最近は家族連れで行ったとしても問題がない創作居酒屋が増えている。 彼ら兄弟以外にも、小さな子供を連れたグループが多く見受けられた。 その中でも奥にある座敷の掘り炬燵で、同じ立場の兄弟同士で並んで座った。この中で飲酒が出来るのは長男同士と次男同士の四人だけである。その他の四人のコースターは飲酒が出来ない仕様のものが並べられていた。 「うわーうまそ!」 単刀直入に感想を述べたサトシの目の前にはメニューが広げられていた。もはや食べることしか頭に無い彼を横目にシゲルは呆れていた。 他の客の喧噪に紛れて、飲み物を全員が注文し、お通しやらの食事も到着すれば、後は乾杯で始まるだけだ。 「というわけで、ボーナス祝いだ! 飲めー!」 カンパーイ!と緑のコールがあれば、全員がグラスを合わせた。 そう。今日は長男同士である彼らのボーナス日で。以前からこの日には久しぶりに全員が揃って、杯を交わすことを約束していたのだ。つまりは誰であろうと回避出来ない予定であった。どんな事情があれど。 「あーほんとこういう酒が一番うめーわ」 「ほんっと、おっさんみたいなこと言うよね。緑」 「うっせーよ、お前も対して変わんねーだろ」 「なぁシゲル、これってワサビ入ってる?」 「そんなの食べて確認してよ」 「えーそれで入ってたらどうしてくれるんだよー」 「僕に罪はないね」 隣り合わせになれば、勿論そのペア同士での会話が弾むに決まっている。 赤と緑は生ビールを片手に煽って、軟骨の唐揚げをつまんでいた。 サトシとシゲルは未成年組であるので、オレンジジューズとカルピスをそれぞれ片手に、サトシはたこわさと睨めっこをしていた。ちなみに名称通り、わさび入りだ。 そうやって和気あいあいとした空気の中には、例外だっているようで。 「なぁ、グリーン。いつまでお前、機嫌損ねてんだ」 「……」 「あーほんと面倒くさいってお前みたいな奴のこと、言うと思うんだけど俺は」 大学生同士で、お酒だって飲めるのに。 レッドとグリーンは非常に険悪なままだ。いや、険悪なのはグリーンだけなのかもしれない。レッドはもはや諦めたような態度である。ひたすら無言のままな彼に話し掛けることは非常に無意味な行動のように思われてならないが、どうにもレッドは止めることが出来なかった。 しかし、彼らのさらに隣にいる二人は、もっと悲惨である。 「……」 「……」 どちらも話さないのなら、どうして隣同士にいるのか。 という突っ込みなんて誰もしてくれない。それもそうだ。兄弟同士で、好きなようにコミュニケーションを取るのがこの会の目的で。別に誰がどうしろと言う訳ではない。 ファイアはひたすらに目の前に並ぶ料理を箸で突っついているだけであり、リーフは飲み物すらあまり口に出来ないまま完全に俯いている。 決して全員が楽しんでいるわけではないが、なぜか、どことなく暖かい空気が根底に流れているのは。きっとこの兄弟がずっと培って来たモノがあるからだ。それは誰にも覆せない関係性の賜物である。 それぞれの兄弟の様子など、他の兄弟同士で嫌という程分かるもので。現在状況なんて皆が把握している。 途中で席の入れ替わりが起こることも予想済みであった。 タマには違う兄弟同士で触れ合うことは、彼らにも良い刺激を与えることになる。 色々な意味で。 「借りるよー」 リーフの首ねっこを掴み、立たせた赤はそのまま容赦なく外へと連れ出して行った。有無を言わさない連行にファイアは少しも反応出来なかった。ただ、取り残される。 「あ、ファイア兄ぃ。取られたね」 「俺も移動しよー!」 シゲルとサトシが立ち上がれば、兄弟同士もうバラバラになっていく。グリーン兄ぃ!と言いながらサトシがグリーンに抱き付きに行くと、レッドはシメたと緑の所へ移動していった。そのあっさりとした姿に微かにグリーンが眉間に皺を寄せたが、すぐ掻き消えてサトシに笑顔を向ける。シゲルは置き去りにされたファイアの隣へ収まった。 普段ならば。最も多い交流者である互いの兄弟の位置が、時には煩わしく思うこともある。当然だ。それは、彼らが、互いに、真剣に、互いと向き合いたい気持ちが根っこにあるからだろう。 そして、中にはもっと別の感情がある者だっている。上手く行かない。歯痒い。自分のことだって良く分かっていないのに。相手のことなど余計に分かるはずだって無い。知ることが怖い。知ってしまえば崩壊してしまうことだってある。一歩が踏み出せない。勇気がない。 「リーフ、何か言いたいことある?」 赤の言葉に、どう返して良いか。リーフには分からない。ひっと喉が引き攣った。何かを悟られていると思った。ここは居酒屋の出入り口の傍で、ひっきりなしに客が出入りを繰り返している。横目に見て、口が上手く動いてくれないリーフに、赤はそれでも言葉を待った。 何かを言わなければ進まない空気に、リーフはじわじわ逃げ場をなくしていく。 「なにも、ない、です」 「……あ、そ」 選ぶべき答えは、これしかない。頭からひねり出した結果だ。それでも隠しきれない怯えた声色。見逃すはずが無い。それでも、へー、と赤は呑気な口調で零す。 しかし、決してリーフを帰してくれる気は無いらしい。 「なんか、最近。ファイアの機嫌が良いからさ」 もはやピンポイントに出て来た名前に、身が竦む。あからさまに跳ね上がった肩に、赤は「ああやっぱり」と思いながらため息をついた。 「リーフと上手く行ってるんだって思ったんだ。でもそれって、多分、リーフにはもの凄く負担になってることだろうと思ったから」 こうして、連れ出してみた。と。 リーフは目を丸くする。その文章の意味が分からなかった。 「まぁ、不器用だよね。分かってたんだけど。それがこうもずっと続いてくるとさぁ、リーフも大変だよねー」 ファイアとの付き合いは確かに大変だ。大変だけれど、どうにも赤の言い方からすればリーフの感じている大変さとはまた違うニュアンスが含まれている気がしてならなかった。 「素直じゃなくて面倒くさい。自己表現がひん曲がってて、想いをぶつけることには臆病で。これって、ほんと僕の兄弟達に共通してるから、多分遺伝なんだ。あ、サトシはちょっと例外かな? 特にファイアはそれが顕著でね。ずっと前からちょっとずつ改善しないかなって期待してたんだけど、歳を増すごとに悪化するばっかり。そのとばっちりを受けてるリーフは本当に偉いよ。よく今まで関係性を切らなかったよね」 「え、ぁ、はぁ」 「普通ならきっと、とっくに絶好だ。僕ならそうする。あんな奴、構ってるだけ無駄だから」 浮かべられた赤の笑みにリーフはゾッとした。とてもじゃないが、普段の赤から想像が吐かない程、悪い顔をしている。 「本当に優し過ぎる。リーフ、君は特に」 その優しさが、今までファイアに甘えを与えていたのだと。赤は分かっていた。 しかし。世の中、そんなに上手く行かないことを知るべきなのだ。 どうすれば思い知らせることが出来るのか、今日という日をどのように使ってやろうか、と赤がずっと前から練っていた作戦がある。いわゆる強行突破だ。 ファイアは基本的に耐える事が嫌いだ。きっと、「赤がリーフを拘束している時間が長引く程」我慢のゲージが減って行く。イライラして、きっと追い掛けてくる。何をしているのだ、と。どの口が言うのか、と赤からすれば嘲笑ものだ。リーフの絶対優位を獲得しているのは決して、ファイアだけではないことを知るべきなのだ。 思い知れば良い。だなんて、年下の兄弟に対して思う程、赤はこの状況をある意味で楽しんでいた。それは、彼が、もはや諦めて、抱く事すら抑えこんで、どうにかしようとしている感情を、ファイアが剥き出しにしていることに対する当てつけであったのかもしれない。当てつけを、楽しんでいた。 いいよなぁ、まだ学生なお前達は。と、本音が心臓の内側から突き刺さった。 人通りもある中で、赤はリーフの腰を片手で引き寄せた。急に接近したことにリーフは「ん?」と間抜けな声を出しただけで、何も反応が出来ない。であれば、抵抗もしようと思えなかった。考える余裕すら与えないまま、赤がリーフの首筋に唇を寄せていった。そこで、リーフに襲いかかったデジャヴがある。それはほんの数週間前のことで。あの時、顎に当たったファイアの髪の毛の感触が蘇って、ようやく状況のおかしさに気が付いた。 「!?っえ、ちょ」 ガッと両手で赤の頭部を鷲掴んだけれど、この距離では上手く力が入らない。引き離すことが出来ない。ならば、このままだ。だが、それはまずい。非常にまずい。人通りもある中で、男二人が「ナニ」をしているのか。 ファイアに続いて赤にまでこんなことをされては、リーフにはもはやトラウマがどんどん積み上がって行く。パニックで息も止まりそうだった。 その横で、居酒屋の扉が開いて行くのをリーフは見た。視界に入って来た。えらくスローモーションに時間が進んでいるような感覚。次の瞬間、まさしくリーフの呼吸は完全に停止をする。どうしてそこでお前が出てくるんだ、と。 「――――――――?」 扉から出て来た相手は、リーフの存在を認識し、直後、顔に疑問符を浮かべた。 状況をすぐ、理解出来なかったのだろう。 何か声を上げようとしたリーフだったけれど。 その前に、赤が動き出してしまった。 腰を掴んでいた手をリーフの両目を覆うように被せて。 見せつけるように相手に向かって笑えば。 リーフの唇へ自分の唇を添えて行く。 視界を塞がれたリーフは、さっぱり何をされているかも分からない。 しかしそこまできて、一気に周囲の熱が上昇した。気がした。それは、怒りによる激情。 ヒュッと空気を切る音が聞こえたかと思えば、赤の腰に蹴りが激突する。 「なにしてんだよこのクソ兄貴がッ!!」 「いったぁ! ファイア、ちょっと、痛い、痛すぎる」 「ふざけんなっ、おい、ほんとナニしてんだ、なぁ、説明しろよ、なぁ!」 蹲って、先ほど蹴られた腰を押さえながら悶絶している赤の様子と、怒り狂ったファイアの姿に、やっとのこと解放されたリーフはしばらく体の緊張が取れなかったが、ゆっくり両肩の力が抜けて行くのを感じた。息が出来る。その幸せを噛み締める。嫌な汗が全身を流れっぱなしだ。 その間にも、ファイアは赤の胸ぐらを掴んで立ち上がらせた。とても兄弟同士だとは思えない構図に、リーフは慌てる。どうにも出来ないのだけれど。完全に赤はファイアしか見ていないし、ファイアは赤のことしか見えていない。いきなり置いてけぼりを食らったようだった。 「いくら兄弟同士で幼馴染みだからって、何しても良いってわけじゃねーよな……!」 「はは。ほんと、ファイアって自分のこと棚に上げるよね」 「俺のことなんてどうでも良いだろ今は赤兄がこいつに何しようとしたが問題―――」 「くそガキが」 それは、初めての発言だった。 リーフは瞠目した。赤は、決して自分の兄弟のことを貶すことは無かったはずだ。今まで。こんな名称でファイアのことを呼ぶだなんて。驚いていると、ファイアも動揺に目を見開いていた。 「だから。油断してるとこうなるって。いつでも。手に入れられたって思ったのに、実は空っぽなんだ。特に大切なモノなんて、こんなもんなんだよ。ファイア。ましてや横取りだなんて、世間じゃ常識だ」 そうしてファイアの胸ぐらを掴んでいる手をグッと押さえ込み、赤は引き離した。そのまま居酒屋の中へと消えて行く。赤の言葉にファイアがギリっと歯を噛み締める。リーフはどうすれば良いかも分からない。出来れば早く安心したいから、他の兄弟達の元へ帰りたかったのだけれど。 その前に、ファイアがリーフの方を振り返る。 「おい、何された? 大丈夫だったか?」 リーフの体をじろじろ見回しながらそう尋ね、ファイアは慌てていた。今日は初めてなことばかりな気がする。リーフはこんなにも焦燥しきったファイアの顔を見た事が無い。くしゃっと歪んで、今にも泣き出してしまいそうな彼の姿なんて、人生初だ。 けれど。リーフにはなぜファイアがこんなにも不安定になっているかの意味は分からない。 「いや、別に、多分、何もされてない」 「多分じゃ困る! あ、結局、キスもされてない?」 「キス!? さ、さ、されてない、そんなの」 「本当に? あぁもうクソ、油断したっ」 悪態をついて、今度はファイアがリーフの足下に蹲ってしまった。 その微妙な距離感のまま、完全に身動きが取れなくなる二人。 とにかく、どうやってファイアに声をかけて中へ戻るべきか。 立ち尽くしたまま、リーフは考えるしかなかった。 |