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「マサラタウンの子供達よ。よくぞ集まってくれた。初めましての子もおるじゃろ。私はオーキド。皆からはポケモン博士と呼ばれ、慕われておるよ」

 俺の住むマサラタウンの町の中央広場で、演説をする博士の言葉を聞き流し、俺は足早にその場を去った。これから十歳となる子供達へ、ポケモンのことを伝える集会だ。どうやらオーキド博士はその世界でかなりの権威を誇っているらしい。
 だが、俺には関係ない。一生関わることもない。俺は平凡に暮らしていく。ポケモンと共に旅をすることもない。そもそも馬鹿げたこの世の風習だ。ーーーーーーこんな俺に、旅なんて似合わない。

 そもそものきっかけを思い出そうとすると、憎しみにかられて頭が煮えたぎり、どうにかなってしまいそうだ。
 ただ、一つ覚えていることは、些細ないじめだった。俺は少し発達の遅い子で、言葉を話すのが他の子よりも遅かった。それをからかわれ、心が傷付き、言葉を話せるようになってからも口に出すことが出来なくなってしまった。俺が話すと、皆が嗤うと思っていた。俺は、おかしい存在なんだと、思い込んでしまった。周りの評価を気にして、怯えて暮らしていた。極力、何も言われないように過ごすのに必死だった。それでも周りは、まるで俺を生贄にでもしたいかのように、何かしら難癖をつけては構ってきて、暴力を振るわれた。言葉の暴力だ。
 そうして家に閉じこもりゲームをすることが多くなっていった。外で遊べば、誰かに会うかもしれない。家という俺にとっては鉄壁の城で籠城し、安寧に浸りたかった。幾度となく、言われてきた言葉の嵐が脳内に吹き荒れて、俺自身を苛むことはあったが、新しく傷付けられることはなかった。ただ、夜、眠る時が死にそうだった。暗い中、俺は俺を追い詰めて、幻聴のように聞こえる評価に、食い潰されそうになった。
 そうしてある日。俺は十歳の誕生日を迎える間際。町にある大きな研究所に呼ばれた。どうして俺にお呼びがかかるのか意味が分からなかった。母さんから「オーキド博士が、あなたを必要としてるのよ」と笑顔で伝えてきた時。俺は心臓が止まるかと思った。母さんの目がどこか笑っていないことを察した。そこには強制力が作用していた。俺は、断ることが出来なかった。
 その研究所は、俺が最も関わりたくない場所だった。だからあの演説だって、聞いていられなかったというのに。

 俺の精神を滅多刺しに傷つけてきた、オーキド・グリーンが、そこにいる。

 誕生日に、研究所に行った時に、彼に会わないよう願うばかりで。だが、それは叶わないことはどこかで分かっていた。なぜなら彼が毎日のように、そこに出入りしていることは知っていたからだ。
 陰鬱で吐き気のしそうな靄を胸に抱えたまま、俺は前日の晩、冷や汗を流しながらベッドに入っていた。俺に何の用があるのか、想像すると気持ちが悪くなる。何一つとして良いイメージが湧かない。

 当日。俺は研究所に足を踏み入れた。コソコソと、出来れば誰にも見られたくなかったが、オーキド博士に会うために奥の部屋まで辿り着けば、そこにいたのは想像通りだ。

「おい、どうしてお前がここに来るんだ」

 何か、また襲って来る。言葉が。ナイフのように。グサグサと腹の奥底まで突き刺さる。過去の刃は未だに俺を苛んでいる。
 何も言えないまま立ち尽くす俺のことを、どう思っているか知らないが、グリーンは少し不審がりながら告げた。

「じいさんならいないぜ。ポケモンをくれるっていうから俺も急いで来たんだけど……」

 なるべく。彼の言葉を聞かないようにした。とにかくオーキド博士がいないことだけ理解して、俺は研究所を飛び出した。グリーンは特に追いかけて来ることもしなかった。呆然と、立ち尽くしていたように思う。
 とにかく何なんだ。呼び出したくせに、本人がいないとはどういう了見だ。怒りが芽生えた。グリーンと出会ってしまったことも、感情を掻き乱される原因となった。イヤだイヤだイヤだ。誰にも会いたくない。
 そう思って気付けば、マサラタウンの北にある草むらに入り込んでしまった。ここからは野生のポケモンが生息しているため、子供一人が丸腰で進入して良いものではない。ただ、俺は混乱していたから気付かなかった。
 その時、大声で呼び止められた。

「おーい! 待て、待つんじゃー!」

 オーキド博士だった。随分、息を切らしている。そして俺に一言「すまなかった」とも零した。

「危ないとこだった。草むらでは野生のポケモンが飛び出して来る」

 と言っている側からポケモンが飛び出して来た。黄色い、縞模様があるポケモン。俺は初めてみた。ひっ、と声が漏れる。しっかり相対したことがない。得体のしれない、俺からすればバケモノだ。
 しかし怖がる俺をよそに、オーキド博士はあっさりとモンスターボールを投げて捕まえてしまった。赤い閃光に吸い込まれていくポケモンに、俺あポカンっと口を開けてしまった。

「約束していたのさ私の方じゃったのに、悪かったのぉ。レッド」

 ふっ、と息をついた博士に手を握られて、もう一度、研究所へ連れ戻された。ポケモンと出会った衝撃は、グリーンがいることを思い出したことで薄れてしまって、俺は途中で泣きそうになった。もう二度と、グリーンには会いたくない。嗚咽が溢れそうで、必死に声を殺した。諦めて博士にされるまま、また同じ場所へ帰ってきた。
 グリーンは、俺と博士が一緒に戻って来たことに大きく目を見開いて驚いている様子だった。ついで、キツイ口調で言い放つ。

「じぃさん、もしかしてレッドにもポケモン渡すつもりなのか?」
「そうじゃよ」
「はっ! こんな奴に渡した所で宝の持ち腐れってヤツだぜ。そんなことするなら俺に全部くれよ!」
「ははは! グリーン、えらく大口を叩くようになったな」

 博士の声色と、その言葉。グリーンの表情が微かに変化したのを、俺は見ていた。ただ、意味は分からなかった。俺は俺のことで必死で、一体何の会話がなされているか分からなかった。
 しかし、グリーンの目に少しの怒りを見たのは、強烈に覚えている。まるで、俺に向けられているかのような眼光に、萎縮した。

「じゃぁ、こいつは俺がもらったぜ!」

 大きな声で、まるで宣言するかのように、グリーンは机に置かれていたモンスターボールを手に取った。本音を言えば、もらいたければもらってくれ、と叫びたかった。俺は、何も欲しくはない。と、想ったことを口に出したかった。なのに、俺から出る言葉は「息」だけだ。情けなかった。言いたいことが、言えない。胸が詰まる。そんな俺の様子を見ていた博士は、ーーーー笑っていた。

「レッド。ちょっとこっちに来てくれんか。こいつはさっきのポケモンじゃ。捕まえたばかりであまり人には慣れておらんが、こいつを代わりにやろう」

 それは、黄色いポケモンで、耳がとんがってほっぺたはピンク色、パチパチと電気を発している。ピカチュウ、というポケモンだそうだ。
 俺は驚いて博士を見上げた。まさか本当にポケモンを託されるとは思っていなかったのだ。演説もロクに聞いていなかったことは、博士も知っているだろうに。
 世の中に数多存在する、ポケットモンスター。トレーナーとして腕を磨くもの、人助けとして活用するもの、そして悪用するもの。様々な情報に溢れた存在。
 ピカチュウは俺のことを、キョトンッとした表情で見ていた。

「おいレッド。初めてもらったポケモンだ。勝負しようぜ」

 その様子を見ていたグリーンが、声を荒げて俺に告げる。勝負、とはどういうことだ。俺は意味がわかっていない。困惑して目を泳がせる俺に、グリーンは舌打ちをした。

「さっさと構えろよ、このノロマ。そんなんだからいつまでたっても鈍臭ぇんだよ」

 ボールを投げて、グリーンが先ほどもらったポケモンが飛び出していた。クリーム色のふわふわの尻尾で、茶色の顔をした生き物。愛らしい顔をしている。

「グリーン。レッドはまだ何も知らん」
「そんなの言い訳だ。これから旅に出るなら、分かんねーことだらけだろ? この俺様が良い経験させてやるっつってんだ」

 はぁ、と諦めるようにため息をついた博士に、俺は助けを求めるように目を合わせた。すると博士は俺の横について、モンスタボールの投げ方から指導をしてくれた。

「まぁ、最初のバトルじゃからのぉ。レッド、楽しんでするんじゃよ?」

 そうは言われても。
 ポケモン勝負の楽しみ方すらも分からないまま。
 俺は、グリーンに敗北することになる。
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