立てない いつものように、レッドのいる洞窟に入っていった途端。 突然、鳩尾を殴られた。レッドの右手が俺に埋もってくる。 雪山用のコートを着ていたために、衝撃が若干吸収されたが、それでも肋骨が嫌な音を立てて、肺が圧縮される。ヒュッ、と息が漏れた時、俺に僅かな空白が生まれた。それを見過ごさず、レッドは俺の背中を硬い岩肌の地面に叩きつけてきた。それこそ取り返しがつかない。背骨がミシッと圧迫された。咄嗟に力を入れたために、首は浮いていたのが救いだ。この速さで頭が地面に当たってしまえば意識が飛ぶ。しかし、仰向けになった俺の首に、レッドの足が乗ってきたことで状況はイマイチ変わらないことになってしまった。喉が動かせない。呼吸をさせるつもりがないようだ。衝撃で体が硬直してしまって、何も抵抗が出来ない。こんなポジションになってしまったら、抗いようがないではないか。狡い。こんなにも不意打ちな攻撃があって良いのだろうか。 そうして。酸素が頭に届かなくなってくると同時に、俺の両手はレッドの足首を掴んでいた。どうにかしてどけようと努力するが、あまりの力の差にどうしようも出来ない。ボロボロこぼれる涙は生理的なものだ。悲しみはない。どこか、俺は客観視していた。「あーレッドに殺されるかも」なんて、気の抜けたセリフが耳を通過していった。ますますレッドは足に体重を乗せてくる。間違いない。レッドは俺を殺す気だ。もしくは、レッドは俺に、息をして欲しくないのか。どちらも結果は同じじゃないかと言われるかもしれないが、目的の違いというのは大きな意味を持つ。俺と同じ空気を吸いたくない、のかもしれない。 レッドの暴力は、今に始まったことではない。のは確かだった。それを受けるようになったのは一年前から。ただ、ここまでのものではなかった。その衝動は、コントロール出来ないらしいから、いつもレッドが収まるまで俺が耐えるしかなかったのだけれど。今回は本気で俺の命が終わるかもしれない。視界が酷い砂嵐に見舞われ始めた。まずい。とうとう息が。酸素が。両足をバタバタもがかせても意味がない。レッドには何の抵抗にもならない。どうしようか。いや、このまま殺されてしまっても良いかもしれない。そこまで考えるようになってしまった俺は、大抵、終わっていると思った。このレッドの暴力に付き合うことを決めた時から、どこかでこんな瞬間が訪れるのではないかと考えていたからだ。 そこから、逃げようとしたことがない。そう考えると、俺はもともと死んでしまっていたのかもしれない。生きている、という言葉の定義は何だろうか。 こんな雪山にこもり、俺の持ってくる支援物資でようよう生き永られている男が、俺を殺す目的を考えれば。レッドも死にたいんだろうな、ということだった。その定義とは、自分を知っている存在が消えることだと思う。俺がもし死ねば、レッドのことをしっかり認識している人間はいなくなる。そうなれば死んだことと同じだ。 もしこの推測が事実であれば、ーーーきっと周りからすれば意味がわからないと思うけれど、俺が抵抗する意味はない。このままレッドに殺されよう。俺が死んだら俺を知っている人はどうなるのか、どう思うのか、そんなことを考えている余裕がなくなっていた。俺からすれば、目の前にいるこの幼馴染が一番大切だと考えていた。 「グリーン、聞こえてる?」 踏みつけながらそんなことを聞いてくるレッドは、相当イカれていると思われた。俺が死んだことを確認したいのだろう。そうして、その後に自分自身が死ぬ為に。何一つとして美しいことはない。まるで泥に埋もれていくぐちゃぐちゃな落ち葉みたいに、俺は沈んでいく。もう意識を手放すしかない。もう無理だ。耐えられない。声があげられない。変に体が痙攣したが、それっきり動けなくなる。血が巡っていない。ーーーーーーーーああ、終わった。 動かなくなった俺をしばらく見下ろして。 レッドは洞窟に一人佇んだ。 >>あとがき 後味悪い。 |