下駄箱にて雪崩注意報




 嫌な予感はしていたのだ。今日はバレンタインであるから。

 別に嫌味なんかじゃないぞ。ただ、それが事実であって、しかもその事実は出来れば僕の目の前で起こって欲しく無いことで。だけどそれを妬む輩も大勢いる。理不尽だ。この世は理不尽なことばかり。
 どうして必要としている人の所へその運が行かないで、僕の方へばかり転がってくるのか。その逆もまた、然り。

 校門にまで辿り着けば両足が鉛のように重い。ズシンズシンと音がしたっておかしくなかった。進みたくない、と全身の意思表示だ。それでも容赦なく立ちはだかる下駄箱という名の戦場。その先にある教室。必ず行かなくてはならない僕の世界だ。ため息を深く深く吐き尽くして己の出席番号が書かれた棚へ向かう。だが、その前に足が止まった。なぜかって? 見えたからだ。

 溢れている赤い赤いリボンの、端が。

「………――――あぁ」

 目を覆いたくなったので、素直にその感情に従った。
 僕の上履きが封印されているその箱の中。いや、中だけでは留まらず、その入口を山頂とした装飾された箱やら袋の山。言わずもがな、全てがいわゆるチョコレートやクッキーといった、バレンタインを飾ってくれる脇役達だ。主役は、渡す子と渡される子。ちなみに、悪役として挙げられるのは、誰だろう。それは、この様々な想いが詰められたお菓子達をどう扱うかによって左右される。可能性として、僕がそれに適役となってしまう畏れがほぼ百パーセントを占めているのではないだろうか。なんてこった。僕はそんなこと欠片も望んでいないのに。
 だからやっぱり、この世は理不尽だ。

「シゲルー!」

 びっくぅ、っと両肩が跳ね上がったついでに冷や汗がじわりっと滲み始めた。振り返りたくはなかったが、そういうわけにも行かない。僕は、彼のことを無下になんて出来ないから。呼ばれれば反応する。反応しなかったら、彼が悲しむだろうから。僕はそれが、何より嫌だと思う。

「うわっ。相変わらず足の踏み場ねー。予想していたけど。毎年こうだもんなー。でも何回見ても漫画みてぇ」

 歯を見せながら笑う彼。その笑顔一つと、このお菓子の山との間に挟まれた僕のため息が、すぐ霧散していった。













 僕と彼はちょっと特殊な関係かと思う。いや、僕達だけじゃない。僕達と同じような関係を持った人間が他にも六人いることから、話はややこしいことになる。僕は四人兄弟の末っ子で。彼もまた、四人兄弟の末っ子だった。運命的であったのは、その兄弟同士が幼馴染同士に育ったこと。長男同士、次男同士、三男同士、そして僕達だ。僕らからすればこの関係が自然で当然であるのだけれど、周囲の人たちからすればとんでもない偶然の元に成り立っていると思われる。そもそも家が隣同士で、それぞれが四人兄弟だなんてどういうことなのか。
 それこそ漫画みたいな展開だと言われそうだけれど、僕達からすればこれが昔から当たり前の関係であるから、違和感も何もない。それに昔から遊び相手には困らなかった。今となっては社会人、大学生、高校生、そして中学生と育った僕達だけれど、それでも淋しいなんて思ったことがほとんど無い。

 何かイベントがあれば必ず皆が集まった。誕生日が皆ほとんどバラバラであるものだから、誕生パーティーを一人ずつすればそれだけでも楽しくて。夏休みだってクリスマスだって大晦日だってお正月だって。いつでも兄弟が、家族が、一緒。
 そして僕はいつでも、彼の隣にいた。疑問も湧かない。それが当たり前だ。僕は屁理屈なところが多くて、彼は一直線だ。僕はよく考えてから行動するけど、彼は思い付けば何も考えずすぐ行動する。そんな僕達だから、互いに互いを補っている。正反対であるから、パズルのピースがハマった。
 つまり、多分、そう簡単には離れないんじゃないかなぁ。

「紙袋とか、どっかからもらってこよーか?」
「別にいいよ。どうにかする」
「持って帰れなくね?」
「まぁ、毎年の事だからねー」
「俺も手伝ってやるよ!」
「ついでにありつこうなんてまた考えてるんだろ」
「え、ダメなのか」
「子犬が泣きそうなみたいな顔しても無駄だからな。サトシ」

 去年。油断して、貰ったお菓子の一つをサトシに食べられかけたことがある。その時にサトシへ浴びせられた女子達の殺気のような鋭い空気を彼は知らないのだ。気がついた僕が慌てて彼の手からお菓子を攫った。とりあえず家へと全て持ち帰り、兄さん達に手伝ってもらいながらどうにか食べ終えた記憶はまだ新しい。でも実は他の兄さん達も貰って帰ってくるのだ。僕だけじゃない。だから、この時期はほぼ兄弟達の体脂肪率が上昇する。すぐに下がるのだけれど。
 それにしても甘いものばかり食べるのは辛い。緑茶の存在が手元に欠かせなかった。

「いいよなーシゲルもシゲルの兄ちゃん達も。俺の兄ちゃんもこれぐらい貰って来てくれりゃぁなぁ」
「あれ。お前の兄さん達は貰ってないの?」
「うん。全然。俺のトコは毎年収穫無しだぜ?」
「へぇ。なんか、貰ってそうなイメージあったけどね」
「俺は渡されたことないけど、兄さん達は基本的に断るしなー。貰うの。下駄箱とか机に置いてあっても捨てるらしいし」
「えぇ? それってどういうこと?」
「欲しくないもの貰っても仕方ないっていうのと、本人に面と向かって渡さなかったものなんて尚更、興味が無いって言ってた。確か」

 それは正論ではあるかもしれないが。

 女の子が時間をある程度費やして作ったものを、そうもあっさりとムゲにするのもどうなんだろう。僕から見たサトシの兄さん達は誰も優しい人に見えていたが、そういう一面もあるのか。と再認識。
 ということは、サトシもそうなのだろうか。今まで貰っていなかっただけで、もしそうやって貰う機会があったとすれば。欲しく無いものとして、切り捨てるのか。
 無意識に、爪を噛んでしまった。

「シゲル、爪噛むなよー」

 ペシッと手を叩かれた。ヒュッと息を呑む。あれ、僕は何をしていたっけ。
 サトシの方を見れば眉間に皺を寄せられていた。

「なんかまた変な事考えてただろ。シゲルが爪噛む時ってだいたいそうだもんな」

 そんな所を知っているのも彼ぐらいだ。
 少しだけ自分の歯型のついた爪の先を、ぼぅと眺めた。
 眺めた、だけ。

「サトシ。今日、僕の家に来る?」
「ん?」
「まぁ。家だったら何したって、誰にもバレないしね」

 真意を受け取って、サトシは晴れやかな笑顔になる。単純でしようのない奴、と思いながら彼を家へ招く口実が出来たことを喜んでいる自分もいた。それすらも、もしかすれば彼に利用されているのかも。なんて、考えたって仕方ない。
 そもそも世の中なんて、理不尽なことだらけなんだから。
 その前に。このお菓子をどうやって持ち帰るか。その術を考えることが先決だ。

 こうして僕が悪役よりもタチの悪い役回りになることが決定した。
 それでも、僕自身が楽しければ良いと思うことにする。
 だって、たとえ千人の女の子から軽蔑されたって、笑った彼がこうやって隣にいてくれる方が、何千倍もの価値があるのだから。仕方がないだろ?



*****
たとえ雪崩に埋もれたって、それだけは見失わない。
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