再会ネタ
※裏社会レッドとホストグリーンの話。※







 黒い男が消えてしまって。
 また日常へと俺は舞い戻ってしまった。
 崖の淵へ足が半分出ている感覚が、常に続いている。
 さっさと落ちてしまえば良いのに。


 今日も今日とて、ふらふらとした足取りで朝帰りだ。何一つとして進歩のない日常。それでも、俺は抜け出そうとしていない。嫌だと思うのなら、意地でも変えて行けば良いのに。そんな嘲笑、聞き飽きる。分かっているのに、出来ないことだってあるのだ。
 他力本願でも構わない。だから、俺はあの男を助けたのだ。何かしら、俺の人生に契機を与えてくれるものがあるのならば、藁にでも縋りたい。そうやって、結局は家から消えてしまった男の面影をどこかで追ってしまっている。
 あれは、何だったのだろう。想像しては、すぐに頭を振った。推測したところで何一つ、意味がない。気になっている気持ちを置き去りにしようとして、目の前にあった空き缶を蹴り上げた。ほぼ誰も通っていない車道にコロコロ転がっていく。朝陽が目に痛い。ガンガンとアルコールが脳内で唸っている。行きつけのコンビニまであと少し。インスタント味噌汁と、ミネラルウォーターと、おかゆ。俺が生き返るための三点セットがそこで待っている。

「ありがとうございましたー」

 心のこもっていない店員の挨拶を聞き流して、ようやく家に辿り着いた頃。朝の八時。泥のように眠って、起きて、ご飯を食べて、また店へ向かう。繰り返し。ループだ。延々と続く牢獄のような日々。それを選択している自分自身に嫌気がさす。アパートの階段を登り、自分の家の扉を開けた。

 また。一人の空間へーーー

「あ、お邪魔してまーす」

 ーーーー飛び込めなかった。
 第一声が、それだった。
 一人暮らしの俺には有り得ないこと。
 誰かが、挨拶をくれた。

 意味が分からなかった。俺には。
 目の前の、リビングでゆうゆうとくつろいでいる男がいる。扉を開けたまま、動けなくなってしまった。絶句する。持っていたコンビニの袋が音を立てて落ちた。

「窓側の鍵開けてるのは、無用心だと思うなー」

 そう言って、指をさながらアドバイスを俺にぶつけてくる。いや、そうじゃない。俺が聞きたいことは。
 あの男だ。いつのまにか、消えてしまっていた。俺が、喉から手が出るほど欲していた。それが、こんなにもあっさり目の前に。どうしてだ。人間、パニックになるとはこういうことを言うのだろう。あらゆる憶測が頭を飛び交ってショートしてしまっている。声を出せない。いっそのこと、一度扉を閉めて、もう一度開けるべきか。俺の幻覚である可能性も大きい。むしろそれが現実ではないだろうか。大量のアルコール摂取により、いよいよ脳が障害を起こしたという結果。
 だが。扉を閉めてもう一度開いたところで。男は消えていなかった。

「あはは。何してんの」

 こっちのセリフだ!
 思わず叫びそうになって、思いとどまる。
 後ろ手に扉を閉めて、警戒しながら部屋に上がった。

「ごめんね。君の反応が面白くてさ」
「……どうして」
「置き手紙だけしていなくなったから。もう一回、ちゃんとお礼言いたくて」

 ふと、机の上に分厚い茶色の封筒が乗っていることに気づいた。
 嫌な予感がする。

「先日はありがとうございました。これ、心付けながら」

 手渡しで受け取って、中を見ればえらい数の札のお金だ。
 卒倒しそうになった。いくら俺でも、これだけを稼ぐには骨が折れる。どこが心付けだ。賄賂だ。こんなもの。しかも、普通の金ではないはずだ。この男が稼いでいる金は。

「受け取れないに決まってるだろ」
「そう言うと思った」

 笑って、男はあっさりと封筒を自分の手に戻した。呆気にとられていると、変わりにコンビニの袋を差し出された。

「前に買ってくれた品物、そのまんまお返し」

 ミネラルウォーターと、ホットスナックのチキンだ。あの日の光景が蘇る。この男は、覚えていたのだ。しっかり。あれだけ意識が朦朧としかけていたにも関わらず。
 少し、鼓動が鳴った。

「君のおかげで、本当に助かった。じゃないと俺は、あのまま死んでたかもしれない」
「あんたは、誰なんだ」
「およそ。君が想像していることは外れてない」

 目に色が灯る。ピリッ、と肌に走る刺激。殺気に近い。
 俺が想像していること。この男は、あまり表の世界の人間ではないのだろう、ということや。銃を向けられるような危険な環境に身を置いているのだろう、ということや。暴力団や、密売組織や、テロ組織か、諸々。憶測だけが飛んでいる。
 何も言えず、冷や汗を流す俺に、それでも彼は飄々としている。焦りなど一つもない。

「本来。俺はこんな民家にいちゃいけないような人間だし、君が俺と関わることは非常によろしくないことだ。君の、命の面において」

 遠回しに。
 俺の命が危険に晒される、と言われてしまった。
 そこも、多少、考えていた。しかし、こうやって面と向かって言われると、肝が冷える。

「だから、これ以降はもう会わないよ。極力、君との接触の痕跡は消させてもらう。だから、君も俺のことは忘れて欲しいし、そもそもいない人間として欲しい」
「そりゃ、無茶なお願いだな」
「うん。そうだろうね。だから、どう選択するかは君次第だ。自分自身の命を守りたいのであれば、俺のことは忘れた方が良いし。もし、危険に晒されても良いのであれば、俺のことは覚えておいてくれたら良い」

 突き放された。
 しかし。それも、そうか。と。
 俺は、納得した。
 この男、正直だ。

「ただ。俺は、君の命は守れない」

 全て、事故責任だ。

「ーーーー俺は、あんたのことを忘れたくない」

 ならば。俺も、正直になろう。

「それに。俺はあんたと会いたいと思う」

 初めて見せた、男の動揺。
 瞠目した双眸が揺れている。

「あんたは、嫌かもしれないけど」
「ーーーーそんな風に言われるとは思ってなかった」
「まぁ。でも。あんたが俺と会うかどうかは、あんたの選択だ」

 言いながら、口の端から笑みが溢れた。
 男から主導権を握る感覚が、心地よい。
 いや、むしろ快感に近い。

「なぁ、どうする?」

 まるで悪魔にでもなったような気分だ。
 そうして、相手の答えはーーーーー




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