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 グリーンには信じがたい光景だった。
 極彩色の空か降ってきたのは。

「あんだけ余裕かましてたクセに」

 現世に残ることを決めたはずの、レッドだ。
 ボロボロの体を見て、レッドが忌々しく呟いた。歯を噛み締めて、悔しそうにグリーンを見下げている。彼には理解が出来なかった。どうして自分の父親が消え失せて、代わりにレッドの声が目の前から聞こえているのか。
 失血量が多すぎていつもの思考が出来ていないが、直後に状況を明白に理解出来た。

「グリーン様。お時間がありませんよ」

 聞いたことのある声だ。
 魔界で暮らしていた頃に、グリーンの配下に勝手についていた五人の部下。いや、部下と呼んでいいのかすら定かではない。グリーンは認めたことがなかったからだ。
 皆がグリーンを護るように、ワタル達に立ちはだかっている。

「お前ら……」
「私たちの力では、魔王様を亜空間に閉じ込めておくにはもって三分」
「後継の儀を執り行うのであれば、今しかありません」

 目眩がしそうな話であった。
 グリーンは、それをしない為に、わざわざ単独魔界へ乗り込んでいったというのに。命に時間が無いことも分かっている。それでも、レッドが現世で生きていることが、グリーンにとっての救いであったのに。
 そんな様子を見ていたワタルは、突如として現れた悪魔達とレッドを嘲笑っていた。

「ほぉ。この期に及んで助けが来るとは思わなかったなぁ」
「……ワタル様」
「空間転移が行える術者は珍しい。お前たち、俺の部下にならないか?」
「ありがたい申し出ではありますが」

 それは、完璧な忠誠であった。
 彼らがはためかせた翼は、まるで守護神のようにレッドとグリーンを取り囲んでいる。

「俺たちはグリーン様の下でしか働くつもりはありませんので」

 宙に浮いて見下ろすワタルたちに対して挑む視線を投げた。そこには楽しさしか浮かんでいない。彼らは、この状況を楽しんでいる。レッドはそれを感じた。だが、不思議に思わない。彼らはグリーンを助けるという状況を、最高のメインディッシュとでも思っているのだ。
 急に密度を増した魔力の気配に、むしろ心地よさを覚える。

「はは。もうそいつは死に損ないだ。とっとと見限らないのか」
「バカなことを。私たちはグリーン様の部下です。永遠に」
「随分と信頼されたものだ。グリーン、良かったな」

 それはグリーンからの見返りを一切求めない、強靭な想いであった。
 グリーンの為であれば、その命すら躊躇いもなく差し出すであろう彼らは、五人揃って空へ飛び立った。迎え撃つは魔王直属に支えている三人。実力を換算すれば互角かそれより少し低いかだ。彼らは、勝とうとも負けようとも考えてはいない。これは、全てただの時間稼ぎでしかなかった。

 レッドが、グリーンの後継となる為の。

「グリーン。後継のことは聞いた」
「……クソが」
「俺は、嫌だ」
「あぁ。知ってる」
「だから、グリーン。生きて帰ろう」
「そりゃ、無理だ、な」
「なら、俺も死ぬ」
「バカが。それじゃ、意味ねー、だろ」
「そうだね。俺も、グリーンがいないと、意味がない」

 飾らない想いが吐露されていく。ねじれた会話は、彼らにとって重要だ。
 内臓をハミ出させ、大量の血液を流しているグリーンの頬に、レッドは慈しみの片手を寄せた。潰された片目は瞑ったまま。唯一生き残っているグリーンの片目はブレて、焦点が合っていないのを確認する。おそらく、レッドの顔は見えていない。暗闇の中に放り込まれている。レッドの声だけをどうにか辿って、グリーンは反応していた。ほぼ、反射に近い。その様子に、レッドが眉を顰めた、

「でもグリーン。このまま君が死んでいくだけ、なんてこと。一番許さない」

 だから。もうそれしか手が残されていないというのであれば。
 グリーンがレッドの中で息づくことを、願う。
 グリーンは泣きたくなった。自分の力が及ばないばかりに、こんな事態になった。レッドを生かしたかったというのに、この世界へやってきた時点でそれが難しくなる。だが、グリーンの力がレッドに宿れば話が変わってくるだろう。
 僅かにでも。グリーンの血脈がレッドに流れているのであれば。
 果たして。どうなるか。

「……レッド。顔貸せ」
「うん」

 どれだけ近づいた所で、目は合わないのだけれど。
 鼻先がつくほどにレッドはグリーンに接近すると、その体温が伝わったらしい。グリーンが少し、笑った。

「後悔、するぞ」
「今更だ。グリーン」

 精一杯、レッドが不敵に笑った。
 その様子が分かったのか、グリーンは安堵した。
 ふっ、とグリーンの体から力が抜ける。
 そして唯一、機能している左腕をレッドの後ろへ回した。
 グリーンの口から、微かな光が放たれている。
 まるで、魂のようであった。
 魅入られるようにレッドの顔が落ちる。
 そのまま、口付けをした。

「ーーーーーーー!」

 正真正銘、生命の息吹だった。
 溢れ出た光の粒子が、レッドの食道を通って巡る。身体中に溢れ出す暖かさに瞬きを忘れる。レッドの身体が白く発光し、一瞬、その場にいる全員の目を覆った。時が止まったようだ。ついで、グググッと音を立てながら肩甲骨が盛り上がる。悪魔の、命の象徴。

(じゃぁな)

 そんな声が、レッドの心に聞こえた。
 バァンッ、と微かに血をはためかせながら、大きな黒翼がレッドの背中に出現するのと、光が消え失せるのと、ーーーーーグリーンが息を引き取るのは、同時であった。
 グリーンの体が焼かれた訳でもないのに、灰と化した。微かな風が吹いて、全てを攫っていってしまう。もぬけの殻となったのだ。レッドへ、グリーンの全てが注がれた証拠であった。
 一瞬のことだ。ほんの、一瞬。
 先ほどまでそこにあった命が、消え失せた。

 レッドは、何も言えない。

(ーーーーーー)

 自分の両手を握り、悪魔となったことを認識しようとしたが、実感が湧かない。そしてまた、グリーンの灰を見た。そのまま風に攫われて消えていってしまう。背中に感じる重みが、グリーンの命であることを知る。流れを止められない。呼吸を一つ、深くした。
 そして空中で戦闘をしていた悪魔達を見上げた。ワタルや、グリーンの部下達は息を飲んでレッドを見下ろしている。
 レッドは気付けていないが、潜在能力が異様なまでに引き上げられている。それを感じて、彼らは迂闊に動けなくなってしまっていた。
 悪魔の血を継いだ人間に対して、後継の儀を執り行った前例はない。皆が緊張の糸に絡め取られて呼吸を忘れそうになっていた。



 瞬間、魔王がその場に舞い戻った。



「ほぉ、お主か。グリーンの後継とは」

 声を聞いた瞬間、両目が激昂に燃え上がった。
 凄まじい精確さであった。ちょうど三分。悪魔達が言っていた通り。
 魔王が降り立ったのは、グリーンの灰の上だ。その靴で、踏み潰す。レッドは、瞬きを忘れた。
 次いで、黒い目であったはずが、レッドの両目は赤く染まる。まるで血液をそのまま映し出したような。
 その様に魔王は喜んでいた。笑顔だ。偽りの無い。気持ち悪い程の。

「くだらん死に方をしよったが、置き土産は中々上質じゃな」

 刹那、レッドの指が魔王の首を捕らえた。
 その速さに誰もついていけなかった。魔王ですら、急に訪れる圧迫を避けられなかった。レッドは躊躇いなく力を込めた。猶予など、与えはし無い。
 しかし、魔王の体が解ける様に花を散らして消えてしまい、レッドの腕は中に浮いたまま。
 足元に散らばる大量の花びら。蘭の花だ。その淡く明るい紫色が、足元にばらまかれた。もう一度、レッドは神経を研ぎ澄ませる。魔王はどこへ消えた。

 弔合戦などという、言葉で収めるつもりは無い。
 宿ったばかりのグリーンの力が、相乗してレッドを後押ししていた。

(殺す)

 己の魔力で空間を埋めて、異物の探知を始めた。
 目的はシンプル。だが、達成するか否かは、複雑だ。
 ギラついた瞳は、魔王に照準を合わせる。

「出てこい」

 そしてレッドは雷雲を呼んだ。
 極彩の空がモノクロに染まっていく。電撃の嵐は他の悪魔達へも降り注ぐ。鼓膜を切り裂く音が心臓にも届く。急いで城を離れて地上へと降り立ち、被害を免れる。
 ワタルは、遠く城の塔に立つレッドの様子を見た。

「はっ。これは只者じゃないな」

 魔王がどのように出るかは分からないが、ただでさえグリーンが起こした被害は大概のもので、それに上乗せされるレッドの災害じみた力があれば、魔界を破壊することは可能であるかもしれない。と、過ぎった予感にワタルは冷や汗が出る。

(ご武運を)

 己の関与を避け、ワタルはそのまま魔界から逃亡することを決める。
 しかし、その行動が許されるはずがない。

「往生際、悪いですよ」

 背後に立ちはだかる五人の気配に、ワタルは立ち止まった。

「是非ともワタル様には、魔王様の最期を見届けていただかなくては」

 嫌な笑顔だ。
 二人の部下はとっくに逃げ果せた。狙われたワタルの前にだけ彼らは集結した。


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