-9- グリーンには信じがたい光景だった。 極彩色の空か降ってきたのは。 「あんだけ余裕かましてたクセに」 現世に残ることを決めたはずの、レッドだ。 ボロボロの体を見て、レッドが忌々しく呟いた。歯を噛み締めて、悔しそうにグリーンを見下げている。彼には理解が出来なかった。どうして自分の父親が消え失せて、代わりにレッドの声が目の前から聞こえているのか。 失血量が多すぎていつもの思考が出来ていないが、直後に状況を明白に理解出来た。 「グリーン様。お時間がありませんよ」 聞いたことのある声だ。 魔界で暮らしていた頃に、グリーンの配下に勝手についていた五人の部下。いや、部下と呼んでいいのかすら定かではない。グリーンは認めたことがなかったからだ。 皆がグリーンを護るように、ワタル達に立ちはだかっている。 「お前ら……」 「私たちの力では、魔王様を亜空間に閉じ込めておくにはもって三分」 「後継の儀を執り行うのであれば、今しかありません」 目眩がしそうな話であった。 グリーンは、それをしない為に、わざわざ単独魔界へ乗り込んでいったというのに。命に時間が無いことも分かっている。それでも、レッドが現世で生きていることが、グリーンにとっての救いであったのに。 そんな様子を見ていたワタルは、突如として現れた悪魔達とレッドを嘲笑っていた。 「ほぉ。この期に及んで助けが来るとは思わなかったなぁ」 「……ワタル様」 「空間転移が行える術者は珍しい。お前たち、俺の部下にならないか?」 「ありがたい申し出ではありますが」 それは、完璧な忠誠であった。 彼らがはためかせた翼は、まるで守護神のようにレッドとグリーンを取り囲んでいる。 「俺たちはグリーン様の下でしか働くつもりはありませんので」 宙に浮いて見下ろすワタルたちに対して挑む視線を投げた。そこには楽しさしか浮かんでいない。彼らは、この状況を楽しんでいる。レッドはそれを感じた。だが、不思議に思わない。彼らはグリーンを助けるという状況を、最高のメインディッシュとでも思っているのだ。 急に密度を増した魔力の気配に、むしろ心地よさを覚える。 「はは。もうそいつは死に損ないだ。とっとと見限らないのか」 「バカなことを。私たちはグリーン様の部下です。永遠に」 「随分と信頼されたものだ。グリーン、良かったな」 それはグリーンからの見返りを一切求めない、強靭な想いであった。 グリーンの為であれば、その命すら躊躇いもなく差し出すであろう彼らは、五人揃って空へ飛び立った。迎え撃つは魔王直属に支えている三人。実力を換算すれば互角かそれより少し低いかだ。彼らは、勝とうとも負けようとも考えてはいない。これは、全てただの時間稼ぎでしかなかった。 レッドが、グリーンの後継となる為の。 「グリーン。後継のことは聞いた」 「……クソが」 「俺は、嫌だ」 「あぁ。知ってる」 「だから、グリーン。生きて帰ろう」 「そりゃ、無理だ、な」 「なら、俺も死ぬ」 「バカが。それじゃ、意味ねー、だろ」 「そうだね。俺も、グリーンがいないと、意味がない」 飾らない想いが吐露されていく。ねじれた会話は、彼らにとって重要だ。 内臓をハミ出させ、大量の血液を流しているグリーンの頬に、レッドは慈しみの片手を寄せた。潰された片目は瞑ったまま。唯一生き残っているグリーンの片目はブレて、焦点が合っていないのを確認する。おそらく、レッドの顔は見えていない。暗闇の中に放り込まれている。レッドの声だけをどうにか辿って、グリーンは反応していた。ほぼ、反射に近い。その様子に、レッドが眉を顰めた、 「でもグリーン。このまま君が死んでいくだけ、なんてこと。一番許さない」 だから。もうそれしか手が残されていないというのであれば。 グリーンがレッドの中で息づくことを、願う。 グリーンは泣きたくなった。自分の力が及ばないばかりに、こんな事態になった。レッドを生かしたかったというのに、この世界へやってきた時点でそれが難しくなる。だが、グリーンの力がレッドに宿れば話が変わってくるだろう。 僅かにでも。グリーンの血脈がレッドに流れているのであれば。 果たして。どうなるか。 「……レッド。顔貸せ」 「うん」 どれだけ近づいた所で、目は合わないのだけれど。 鼻先がつくほどにレッドはグリーンに接近すると、その体温が伝わったらしい。グリーンが少し、笑った。 「後悔、するぞ」 「今更だ。グリーン」 精一杯、レッドが不敵に笑った。 その様子が分かったのか、グリーンは安堵した。 ふっ、とグリーンの体から力が抜ける。 そして唯一、機能している左腕をレッドの後ろへ回した。 グリーンの口から、微かな光が放たれている。 まるで、魂のようであった。 魅入られるようにレッドの顔が落ちる。 そのまま、口付けをした。 「ーーーーーーー!」 正真正銘、生命の息吹だった。 溢れ出た光の粒子が、レッドの食道を通って巡る。身体中に溢れ出す暖かさに瞬きを忘れる。レッドの身体が白く発光し、一瞬、その場にいる全員の目を覆った。時が止まったようだ。ついで、グググッと音を立てながら肩甲骨が盛り上がる。悪魔の、命の象徴。 (じゃぁな) そんな声が、レッドの心に聞こえた。 バァンッ、と微かに血をはためかせながら、大きな黒翼がレッドの背中に出現するのと、光が消え失せるのと、ーーーーーグリーンが息を引き取るのは、同時であった。 グリーンの体が焼かれた訳でもないのに、灰と化した。微かな風が吹いて、全てを攫っていってしまう。もぬけの殻となったのだ。レッドへ、グリーンの全てが注がれた証拠であった。 一瞬のことだ。ほんの、一瞬。 先ほどまでそこにあった命が、消え失せた。 レッドは、何も言えない。 (ーーーーーー) 自分の両手を握り、悪魔となったことを認識しようとしたが、実感が湧かない。そしてまた、グリーンの灰を見た。そのまま風に攫われて消えていってしまう。背中に感じる重みが、グリーンの命であることを知る。流れを止められない。呼吸を一つ、深くした。 そして空中で戦闘をしていた悪魔達を見上げた。ワタルや、グリーンの部下達は息を飲んでレッドを見下ろしている。 レッドは気付けていないが、潜在能力が異様なまでに引き上げられている。それを感じて、彼らは迂闊に動けなくなってしまっていた。 悪魔の血を継いだ人間に対して、後継の儀を執り行った前例はない。皆が緊張の糸に絡め取られて呼吸を忘れそうになっていた。 瞬間、魔王がその場に舞い戻った。 「ほぉ、お主か。グリーンの後継とは」 声を聞いた瞬間、両目が激昂に燃え上がった。 凄まじい精確さであった。ちょうど三分。悪魔達が言っていた通り。 魔王が降り立ったのは、グリーンの灰の上だ。その靴で、踏み潰す。レッドは、瞬きを忘れた。 次いで、黒い目であったはずが、レッドの両目は赤く染まる。まるで血液をそのまま映し出したような。 その様に魔王は喜んでいた。笑顔だ。偽りの無い。気持ち悪い程の。 「くだらん死に方をしよったが、置き土産は中々上質じゃな」 刹那、レッドの指が魔王の首を捕らえた。 その速さに誰もついていけなかった。魔王ですら、急に訪れる圧迫を避けられなかった。レッドは躊躇いなく力を込めた。猶予など、与えはし無い。 しかし、魔王の体が解ける様に花を散らして消えてしまい、レッドの腕は中に浮いたまま。 足元に散らばる大量の花びら。蘭の花だ。その淡く明るい紫色が、足元にばらまかれた。もう一度、レッドは神経を研ぎ澄ませる。魔王はどこへ消えた。 弔合戦などという、言葉で収めるつもりは無い。 宿ったばかりのグリーンの力が、相乗してレッドを後押ししていた。 (殺す) 己の魔力で空間を埋めて、異物の探知を始めた。 目的はシンプル。だが、達成するか否かは、複雑だ。 ギラついた瞳は、魔王に照準を合わせる。 「出てこい」 そしてレッドは雷雲を呼んだ。 極彩の空がモノクロに染まっていく。電撃の嵐は他の悪魔達へも降り注ぐ。鼓膜を切り裂く音が心臓にも届く。急いで城を離れて地上へと降り立ち、被害を免れる。 ワタルは、遠く城の塔に立つレッドの様子を見た。 「はっ。これは只者じゃないな」 魔王がどのように出るかは分からないが、ただでさえグリーンが起こした被害は大概のもので、それに上乗せされるレッドの災害じみた力があれば、魔界を破壊することは可能であるかもしれない。と、過ぎった予感にワタルは冷や汗が出る。 (ご武運を) 己の関与を避け、ワタルはそのまま魔界から逃亡することを決める。 しかし、その行動が許されるはずがない。 「往生際、悪いですよ」 背後に立ちはだかる五人の気配に、ワタルは立ち止まった。 「是非ともワタル様には、魔王様の最期を見届けていただかなくては」 嫌な笑顔だ。 二人の部下はとっくに逃げ果せた。狙われたワタルの前にだけ彼らは集結した。 - - - - - - - - - - |