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 魔界などという場所、一生縁が無いと考えていたレッドからすれば、毒々しい極彩色の世界はそれだけで吐き気を催してきた。
 人間界から悪魔たちの作り出した「ゲート」を通ってレッドはやってきた。本来、人間界と魔界は隣同士の関係だと言われた。ただ次元が異なる為、行き来をするには歪みを生み出す必要がある。それをこの悪魔たちはあっさりやってのけてしまった。グリーンの部下だと公言したが、彼らの能力自体も計り知れ無い。ただの低級な悪魔ではないのだろう。

「随分、荒らされたようですね」

 魔界を進むにつれ、大きく抉れた土地や悪魔たちの屍体が多く転がっている。酷い臭いが立ち込めていた。おおよその悪魔は、焼け焦げて真っ黒になっていた。火炎魔法だろうか。片手で口と鼻を押さえながら歩いて行くと、徐々に悪魔たちの殺され方が変わっていく。焼くよりもエゲツない。真っ二つに引き裂かれている屍体が多くなってきた。縦にでも横にでも、様々な死に方だ。内臓を飛び散らせながら死んでいる。

「いやーやはり手際が良い」

 悪魔たちは惚れ惚れする言い方をして、グリーンの殺し方を賞賛していた。
 レッドからすればただの地獄絵図でしかない。いや、まさしくここは地獄なのだろうけれど。一刻も早くグリーンに会いたかった。こんな場所をずっとうろついていては気がおかしくなりそうで。
 そんなことを知ってか知らずか、悪魔たちは口々に楽しそうだ。

「さすがグリーン様だわぁ」
「ほら、こいつの体の切れ目、まるで精巧なナイフで切られたみたいだ」
「内臓まで綺麗に真っ二つかぁ。真似出来ないね。合わせたら細胞が結合しそう」
「是非ともご教授願いたいところだ」
「早くお会いしたいわねー」

 ここだけ、空間が切り取られているようだ。
 嫌な汗をかきながらレッドはその会話を聞いていた。何も反応することが出来ない。むしろ、どんな言葉を返せば良いのか。とりあえず黙っていることにした。
 グリーンの元まで連れて行ってくれることは有難いが、価値観の差は埋められるものじゃない。やはり、人間と悪魔は全くもって別モノであることを思い知る。

「ねぇ、貴方はグリーン様の元で修行していたんでしょ? どんなことを教わったの?」

 突然。話を振られたレッドは。
 すぐに反応が出来なかった。
 気づけば顔だけ後ろを振り返っている悪魔たちが、興味津々な顔をしているのが分かった。気まずい。喉を嫌な汗が流れている気分。

「え、いや、俺は……魔法を主に」
「羨ましいわねー。私たちには絶対、そんなことしてくださらなかったのに」
「でも貴方達は、グリーンの部下だったんでしょ?」
「まぁ、部下って言っても。俺たちが勝手にそう言ってるだけだからなぁ」

 あっけらかんとした言い草だ。
 レッドは意味が分からなかった。勝手に言っているだけでも部下になれるのだろうか。
 だが、グリーンが人間界にいた時は、部下がいるような素振りは一切感じられなかった。話も上がっていない。

「グリーン様は孤独でありたかった。誰かを側に置くような趣味はない。大抵、上級悪魔には部下がつくのが当然の中、一人も彼につく悪魔はいなかった。俺たちは、そんなグリーン様に惚れて下についてたんだ。勝手に」
「勝手に、って」
「興味が無いのよ。あのお方は。誰かが側にいてもいなくても、自分ことを邪魔されない限りは、好きにさせてくれたわ。それで私たちも満足していた」

 なるほど。
 確かに、孤独でありたいというグリーンへの表現はレッドからしても納得出来る部分があった。あの背中から、感じられる。
 何かの組織や集団で過ごすなんて発想は、当然無かっただろう。
 そして彼らもまた、そんなグリーンを理解していたからこそ、それ以上を求めていなかった。グリーンの迷惑になってしまえば、側にいることを許されなくなるからだ。
 一人の女性の悪魔は、遠い目をして続けた。

「だけど、 ある日。ぱったり魔界からいなくなってしまわれて。もう二百年ほど前になるわね。私たちも追いかけようが無くなってしまったのよ。魔界中で、一瞬話題になったけれど、魔王様も特に何も反応なさらなかった。だからすぐに皆が忘れていってしまったわ。魔王様の子息たちは他にも大勢いるから、一人が消えたぐらいじゃぁ何ともないのよ」

 彼女の言葉は、妙にレッドの胸に刺さった。
 いや、彼女だけじゃない。この悪魔たち全員から感じられるものがある。それが何なのか。レッドは分かりかねた。ただ、――――一種の寂しさのような。

「まさか。人間界で女性と子供を作って、暮らしているなんて思いにもよらなかったわ。あの、グリーン様が。……ねぇ。だから私たちは貴方が羨ましくて仕方ないのよ。グリーン様の血を継いでいるのみならず、修行まで受けて、――――愛情を、注いでもらえているなんて」

 考えたことも無かった。
 「愛情」などという言葉、感じることさえしていなかったけれど。
 グリーンは、確かにレッドへ愛を注いでいてくれた。
 どうして今まで気付けなかったのだろう。
 この悪魔たちはこんなにもグリーンのことを慕っているというのに。グリーンは彼らにはその愛情を向けたことが無いという。
 彼らはレッドに「嫉妬」している風にも見受けられた。それに対し、レッドは少しの後ろめたさを感じてしまった。彼らはグリーンと離れたくはなかったのだ。レッドは、グリーンと離れることを選んだ。その差だ。人間界では分からなかったが、グリーンが側にいてくれてたという自身は、非常に恵まれているということを察した。
 こんなにも、思われているグリーンが。血の繋がった家族であることを誇りに思う。

「あ、見えて来ましたね」

 人間界では有り得ない、巨大な城が見えてきた。どす黒い湖のど真ん中に建築されていた。明らかな権力の象徴に、それだけで萎縮する。レッドは改めて、とんでもない世界を訪れてしまったことを痛感する。
 だが、ここにグリーンがいるのだ。
 足を止める訳には行かない。

「城へ向かう前に、一つ確認しておきたいことがあります」

 悪魔たちは揃って足を止めて、体ごとレッドに振り返った。
 皆が真剣な顔をしている。
 次に何を言われるのか、レッドもまた今まで以上に真剣な眼差しを返した。

「貴方は、グリーン様の後継になられるんですね?」
「……そのことなんだけど、後継って一体何なの? グリーンも詳しく教えてはくれなかったけど」
「やはり、聞いていらっしゃらないんですね」

 「ネタバレ」になるから、と言われて。グリーンから結局教えてもらったことがない。
 ただ、悪魔たちの中では常識であった。グリーンがレッドを後継に選んだことを、この悪魔たちはワタルが流した情報により知っていた。

「悪魔は、己の命が無くなる時に、培ってきた全ての能力や知識を他の命に譲渡することが可能です」

 つまりは。遺産なのだ。

「グリーン様は、その全てを、貴方にお譲りしようとしているんですよ。それが、貴方を護る力になると知っているから」

 そしてまた、グリーンが己の死期を悟っていることも意味していた。
 レッドは愕然とした。漠然とした「後継」という言葉が、質量を持って心臓に伸し掛かってきた。
 要は遺産相続人としてレッドは認定されている。それを拒否することは出来ない。拒否したところで、誰かがグリーンの相続人になりえないからだ。グリーンが、決めることであるのだから。

「つくづく、羨ましい限りです」

 いよいよグリーンとの別れが近い。
 選択肢などそもそも存在していない中で。
 決めるべき覚悟が多すぎる。
 一瞬の目眩を、レッドは振り払うしかなかった。


     *     *     *


 「えらく鈍ったなぁ、グリーン」

 鼻で笑うワタルの声に、心底殺してやろうかと思う。
 ただ、思うだけだ。反対に体は酷く動きづらいものとなっている。

 グリーンの右肩の骨は粉砕されてしまっていて、もう使い物にならない右腕がダランッと垂れ下がっている。左翼は根っこから引き千切られ盗られてしまった。片目も機能していない。潰されている。左足は膝から下が無くなっていて体のバランスが取りづらくなってきた。腹部から溢れる血も止められない。じわじわと、自分の体の自由を奪われていくことがグリーンは何より許せなかった。だが、この状況では仕方がない。このメンバーを相手にしている以上、何かを犠牲にしなければ勝ちを得ることはない。
 最初には七匹程いた悪魔も、今は三匹まで数を減らすことが出来ていた。グリーンが致命傷を与えたのだ。しかし、その度に負う傷が体力を一気に奪ってしまう。この身体状況で、どこまで足掻くことが出来るだろう。
 魔界を潰す、と意気込んで来たものの。父親の足元にすら辿り着けるかが危うい。どのような手を講じれば状況を打開出来るだろう。起死回生の一手は、まだ眠っているはずだ。グリーンは状況を冷静に把握していた。これだけ体が傷付いたとしても、客観的に見る「目」を失ってはいなかった。
 ただ、あまりに流血が過ぎればその思考回路も閉ざされていく。脆い話だ。悪魔は人間よりも遥かに長寿であるけれど、身体機能が尽きれば死ぬ。結局は、不老不死など有り得なければ、致命傷を負った者が負けることは当然。

 片翼を失ったため、グリーンは魔王の居城の一番上にある塔に降り立っていた。それほど面積があるわけではない。残された悪魔たちはグリーンを見下ろしている。腹の立つことで。
 ごぼっ、と音を立てて溢れてきた血液を吐き出した。べちゃべちゃと石の床に吸い込まれる。

「まぁ、でも。俺たちも血も涙も無い畜生じゃない。グリーン、せっかく帰省したんだ。父君に会わせてあげよう」

 そんなもの、こちらから願い下げだ。
 心で毒を吐きながら、グリーンは一層ワタルを睨み上げた。片方しか無い目で。

「親父は、俺に興味が無い」
「そんなことない、グリーン。父君は、君の母親を最も気に入っていた。そんな女性から生まれた君に興味が無い訳がない」
「何言ってんだ。簡単にブチ殺したクセに」
「それは違うぞ」

 懐かしい声だ。
 もう一生、聞きたくは無いと願っていた。
 全てをゼロにしたくてやって来たグリーンの、ラスボス。
 ただ、ラスボスであるならば、その前に回復するシステムが大抵、置いてあるはずなのに。
 ほぼ体力も無いに等しいグリーンが、相手をしなければならない。
 都合の良いゲームのようにはいかない。 
 まさか本当に、出てくるとは思ってもみなかった。
 下手をすれば、このまま何の手も下さず、高みの見物を決めるのではないか、と思っていたグリーンの父親。
 背後から迫る圧力は、確かにグリーンを殺そうとしている。

「お前の母親は、ワシが見てきた中でも類いまれぬ策士な女じゃった。そこが気に入って手元に置いておいたが、ワシのことを謀ろうと用意周到な準備もしていた。直前で事態が発覚していなければ、ワシは今こうして生きてはおらんじゃろう。ならばグリーン。お前に対して。ワシは一切の容赦が出来んなぁ」

 笑顔だ。至上の。
 ゆっくりグリーンが後ろを振り返れば、そこに忌まわしい顔がある。
 この男の血を継いでいるかと思えば、腸がいつでも煮え繰り返りそうになった。母を殺し、反抗するグリーンのことすらクズ程にも思ってい無いのであろう、魔王。

 逃げるなど、発想には無い。なぜなら、どこへ逃げるというのだ。この魔界は魔王の手の平の上だ。
 随分、白髪が増えたなぁ。だとか。皺が増えたなぁ、とか。そういった印象を覚えつつ、グリーンは鼻で嗤ってやろうとした。しかし、それは叶わない。

 ードォンッーーーーー

 すぐには、理解出来ない音であった。
 グリーンは瞠目する。先ほどまで後ろにいたはずの魔王が、いつのまにか正面に立っていた。その腰から伸びた足の先が、自分の腹に食い込んでいる。
 刹那、グリーンの体は後ろへ傾いた。正面から魔王の蹴りが直撃した。腹部の傷が抉られる所か、腸臓がメチャクチャになる。息が出来ない。蹲ったグリーンの肺は、酷い痙攣を始めた。心臓がぎこちない脈を打つ。意識が吹っ飛びかけて、尋常で無い精神力で耐えた。堪えて、そんな所で意味があるのかは分からない。
 とてつもない力の差があることは理解していた。馬鹿正直に正面突破することがどれだけ愚かであることも理解していた。

(あーくそ)

 起死回生の手は途絶えた。
 ここで死ぬならそれまでの人生だ。
 魔王の力を侮っていたのはグリーンで。
 グリーンの力を一切侮っていなかったのは魔王だ。
 その差。
 ワタルの高笑いが遠くに聞こえる。

「お前はいつまで経っても、独りじゃ」

 喉仏を潰されるように、首を踏まれた。
 このまま肉も骨も磨り潰されるように力を加えられれば、終わりだ。何て呆気ない。
 人間界に置いてきたレッドの姿が、一瞬浮かんだけれど。
 すぐに掻き消えた。

(まぁ、これも仕方ない)

 メキッ、と骨が軋む音がする。
 もうほんの一瞬の時間で、グリーンはこの世界から解放される。
 それはそれで、悪く無い話ではあった。
 この世界に生き永らえて来て、思うのだ。
 魔界を破壊したかったのも自己満足の行動でしかない。
 愛しかった彼女はもういない。血の繋がった子孫達はレッド以外には死に絶えた。結局、愛する者がいるところで、全員が消えていくような世界だ。ここで命が終わってしまった方が、余程、幸せなのではなかろうか。最後にこの世界に対して悪あがきが出来ただけでも、良かった。
 まるで、あの時。火刑に処されようとしていたレッドが望んだことと同じだ。
 彼は、母親の元へ逝くことを望み、幻想まで見ていた。
 ならば、グリーンは?


「おいグリーン、そんなとこでくたばってんじゃねーよ」


 直後、魔王の姿がグリーンの上から掻き消えた。
 ワタルを筆頭とした悪魔は、事態が飲み込めなかった。
 代わりに毒々しい空からグリーンの上へ降ってきたのは、ーーーーーー人間だ。


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