-3- それは、唐突な来訪であった。 季節は冬へと向かう。その前に、レッドが森へ薪となる木々を拾い集めに行っていた時のことだ。 今のうちに木々を集めて湿らさないように保管しておかなければ、冬が越せない。また魔力で乾燥させるのも骨が折れる。手間を最小限に抑える為に、毎年行っていることであった。グリーンは決して、手伝う事は無い。悪魔は凍死を知らないからだ。 自分の命に関わるので、両手にいっぱい抱えた木々を、倉庫へ運び込もうとすると。妙な気を覚えてその場で立ちすくんだ。 (……なんだ) 初めて感じる、異質な気であった。 目を細めて、空を見上げる。そうしていると昼寝をしていたはずのグリーンが外へ出て来た。レッドが気付いたということは、彼が感じられないはずがない。 「グリーン、なんだろ」 「悪魔だ」 問うたレッドに、たった一言、簡潔に返したグリーンが己の翼を広げた。迸った殺気が空間を埋めて、レッドを立てなくする。瞠目した。これほど、グリーンが威嚇するのを見た事は無い。その双眸に獰猛さが宿り、今の彼なら何百人と人間達を殺してしまいそうな勢いであった。 あまりの魔力のレベルに、身体の内側に気持ち悪さが競り上がり、思わずレッドは吐いた。朝に食べたスープも台無しだ。 「ちっ。めんどくせぇ」 グリーンが言葉を発すれば、それだけで皮膚にビリっとした痛みが走る。彼は怒っていた。普段は感情をブラさない彼が、唯一怒る時。それは、己の領域を侵犯されたときだ。レッドは何も出来ないで蹲るしかない。 しばらくすれば家の上空に暗雲が立ちこめた。派手な演出だ。そのまま稲光が落ちたかと思えば、現れたのはグリーンと同種の存在。風が吹き抜けて、レッドの顔を撫でる。 「やぁ、グリーン」 「久しぶりだな、ワタル。俺はてめぇの面なんざ拝みたく無かったが」 「そう言うなよ」 少し濃い目の赤い髪が印象的な悪魔だった。 グリーンの知り合いのようではあったが、どうやら親密な関係では無いらしい。むしろ、本当にグリーンが相手を殺しかねない勢いでオーラを放つものだから、レッドは何も言葉を発せられなかった。早くこの状況から解放されたい一心。 「君がここずっと、人間に執着してるって聞いたから見に来てみたんだけど」 「へぇ。それ、誰に聞いたんだ」 「魔界の界隈じゃぁ結構話題になってる。君の父上も気にされていたが」 「なんだ。もうとっくにくたばったかと思ってた」 「ははは。残念ながら、お元気でいらっしゃるよ」 不気味な会話であった。 悪魔事情などさっぱり分からないレッドが、しかしグリーンの父親という言葉が妙に頭に引っ掛かった。いや、そもそも父親という存在が良く分からないレッドにとって、興味深かったのかもしれない。 「その子が、そうか」 ワタル、とグリーンが呼んだ悪魔は、不意にレッドへ指を指した。いきなり話題の中へ飛び込んだ彼は、過剰に身体を揺らした。しかし、全身が竦んで動けない。あれほど魔法も鍛錬したというのに、この悪魔の前では何もかもが通用しないイメージしか湧かなかった。力量の差が明らかであったから。 だからグリーンが居てくれることが、唯一の救いになっていた。それを、レッドは決して認めたくはないが。 重たく冷たい、嫌な空気が流れる。永遠に続くかと思われる苦痛にレッドが大量の汗を流し、耐えていた時。 グリーンから放たれた言葉が、状況を変えた。 「レッドは俺の『後継』なんだ」 不意に、グリーンがそう言えば。 ワタルの表情が一瞬で変貌した。一瞬、言葉を失ったように見える。レッドから視線を離し、グリーンを凝視する。信じられない、と目が物語っていた。 「後継、だと」 「そうだ」 「こんな人間の餓鬼をか」 「そうだ」 「グリーン、とうとう気が触れたんじゃないか?」 漸く口を開いた直後、ワタルの気が怒りに変わる。 先ほどまで、グリーンが纏っていたというのに。 今ではグリーンからはむしろ、怒りが消えていた。ただ、楽しむだけの表情が浮かんでいる。 レッドは、己が話題に上がっている事に違和感しか覚えなかった。とにもかくにも、早くこの悪魔が目の前から去ってくれることを祈るばかりであったのだが、初めて聞いた「後継」という意味が頭にこびりついた。 グリーンがどうしてレッドをあの日、あの場所から救出したのか。その目的はずっと気になっていた。気になっていたけれど、決してその答えは見つからなかったというのに。 その尻尾を掴めそうな予感に、レッドは懸命に耳を傾けた。 「そう、思うだろ? 悪魔は普通、悪魔を後継に選ぶ、ってな。だが、例外がある」 にやっと、意地の悪い笑みを浮かべ。 グリーンはレッドを振り返った。 成長したとはいえ、グリーンからすればまだ赤子に等しい存在だ。 それでも、彼はレッドを選んだのだ。 「レッドは俺の『直系』だからな」 そもそもの、魔女の起原とは。 悪魔と、人間が交わって生まれた存在である、と。 レッドは母親から聞かされていた。 遥か昔の話で、ほとんど伝説的な形で語られていたものだから。 現実と別離していた記憶であったというのに。 今度はレッドが言葉を失う番であった。直系、ということは。そういうことなのだろう。己が今、魔力が使える全ての原因。彼の身体に流れる血の中に、グリーンの血が? 心臓が、押し潰される。 「父上は、きっとお許しにはならないだろう」 「ハナから、許可なんて求めてねーよ」 「グリーン、本当にお前、殺されるぞ」 「それなら、その程度の人生だったってことだ。俺は、殺される気なんてねーけど」 ひらひらワタルに向けて手を振って、帰れ、と示したグリーンに。 彼は歯を噛み締めて、しかし何も反抗せずに背を向けた。 直後、黒い霧となって消え失せる。 「ほんと、アポなしってのは許せねーな」 興味本位で訪れてきた来客を追い返せたグリーンは、頭をガリガリ掻いてレッドの方を振り返る。 全く動けない彼の目が、不安と恐怖と混乱に揺らいでいた。その様が、また可愛らしくて仕方ない。 「レッド、丁度いい。どうせ、話さなきゃならねーことだ。次の春になる前に」 なぜ、グリーンがレッドを傍に置こうとするのか。 長い昔話が、始まる。 - - - - - - - - - - |