終演ネタ ※バンドネタ最終回※ その日は、ビルの合間からでもくっきり、月の見える夜で。 少しずつ気温も下がってきたせいか、空気が澄んでいた。 肺へ入れれば、濁った空気が流されても良さそうだけれど。 これから大舞台に向かう彼らにとっては、まるで鉛のような空気が伸し掛かっている。 グリーンとレッドのライブが、いよいよ開場を迎えると、待ち望んでいたファン達が一気に雪崩れ込んで、我先にと最良の席を目指す。 会場整備を担当するスタッフが誘導をするものの、かなり手に負えない状態であった。そうしてやっとのこと客の全てが押し込まれた観客席は、超満員という言葉が似合う光景となっていた。 グリーンのファンも、レッドのファンも、待望のライブだった。皆が皆、興奮を隠しきれないでいる。空間を埋め尽くすざわめきは、嵐を予感させる。 「こりゃ、とんでもないライブになるぞ」 スタッフの誰かが思わずそう零した。誰も、否定はしない。客の空気の異様さは、皆が分かっている。良い意味で、とてつもない緊張が迸っていた。 「開演、十分前です」 ぐっ、と喉を詰めたレッドは、表情を硬くした。 全身に鳥肌が立っていた。舞台袖で、こんなにも圧迫されるとは彼も思いもしていなかった。昨日のリハーサルとは、全くもって何もかも世界が違う。ライブとは、こんなものなのか、と経験の少ないレッド自身、歯噛みをした。しかし、グリーンを見ても同じような顔をしているから、本当に今回のライブが特別であることは理解も出来た。 どちらにせよ。まだまだ甘い自分を思い知った。 「おい」 おそらく、空気に耐えきれなかったのだろう。 グリーンが声をかけてきた。レッドは、どうにか答えたかったが、視線をやることしか出来なかった。上手く口が動いてくれない。足の先まで細かい震えが止まらない。 「そんなんで、大丈夫か」 そっくりそのまま、お返ししてやりたい。声が震えているのはグリーンもそうだ。 と、レッドは思ったが。グリーン自身、「良く分かっている」ことが「分かった」から、敢えて何も言わないことにした。 本番が始まってもいないのに、二人の全身にはすでに一ライブ終えた分程の発汗が見受けられた。 その様に、お互い、笑う。 「なっさけねぇーの」 「怖がりなのは、前からだろ」 それでも前を向くしかないのだ。 レッドが咄嗟に、放り投げたのはミネラルウォーター。受け取ったグリーンは、ありがたく頂戴することにする。中途半端に温くなっていたが、喉を通る潤いは僅かに心へ余裕をもたらした。その後、レッドに放り返した。 「ほんと、髪切ったな」 何より一番驚いたのは、レッドのバンド仲間達だろう。 長年。ずっと、押し隠されていた表情が前に出されて、違和感を覚えた。しかし、それは決意の表れであり、これからのレッドの生き様を左右する。その双眸は、確かに強い輝きを秘めていた。 グリーンの言葉を受け、レッドは笑顔であった。 「やっと、見えた気がしたんだ」 それが何なのかを、グリーンは尋ねなかったけれど。 きっとグリーンが見えるようになったモノと、それほど違いはないと感じた。 緊張で、心臓が捩じ切れそうだったが、それでも二人は笑っていた。このライブが、彼らの人生にとって大いなるパラダイムシフトになることは明らかだった。 臆病だから、自分自身を髪の毛の奥へと押し殺し続けたレッドと。 臆病だから、自己主張をすることで自分を守るしかなかったグリーンと。 いよいよ、飛び込んでいくのだ。一歩先の、世界へと。 興奮冷め止まないまま、会場を後にするファン達。その波はしばらく続いて、口々に皆が感想を述べ合っていた。しかし、誰もが、上手く言葉に出来ていない。ただ、胸には確かに刻み込まれたライブとなった。 およそ二時間ほどのライブの幕は、とうとう降ろされた。 全ての片付けを行った後、全員を巻き込んだ打ち上げが開催された。 それぞれが、酒に任せて思ったことを垂れ流しにする様は、とても面白い。 三次会ほどまで行われて、ようやく解散宣言がされた後。 レッドとグリーンは二人だけで飲みに行くことを仲間達に告げた。それを、皆が見送った。 「あー終わっちまったなぁ」 「あっという間だったね」 こじんまりとしたアジアン風の居酒屋は、レッドのお気に入りらしい。よく一人で飲みに来る時に使うそうだ。居酒屋に関してはそこそこ知識のあったグリーンですら知らなかったお店であるから、かなりの穴場であることが伺えた。 店長はレッドのことを良く知っているようで。グリーンを連れてきた姿を見て驚いていた。まさか知り合いを連れて来るとは、とでも言いたげな顔であった。 だいぶ、お腹も膨れていたために、熱燗二合を二人でちまちま飲み合うことにした。店主の一番得意なだし巻き卵だけをつまみながら駄弁る。 このダラしない空気によって、最高の居心地が作られている。 レッドとグリーンが出会って、僅か数ヶ月の出来事が、一気に走馬灯のように流れ出した。グリーンとレッドが初めてであったライブハウスでのあの日。グリーンが耐えきれなくなってレッドに話しかけに行ったことが、全ての始まりであった。 あの出会いが無ければ、二人はこうやって一緒に歌うことにはなっていなかった。本能の選択は、彼らを変えたのだ。グリーンもレッドも、無意識に行った選択。 「これから、グリーンはどうする」 「創って、歌うに決まってんだろ。まだまだ足りねー」 「そう」 お猪口を片手に、レッドは安心した。その、無邪気に笑うグリーンに。 レッドの一言で、創作の手を潰してしまいかけていたグリーンが、意欲を燃やしている。 確かにレッドはレッドで、今回のライブで得たモノは大きかった。これほどまでに、大勢の人間に自分の世界観が認めてもらえるとは思いにもしていなかったからだ。 何より、全く思考回路を別にするグリーンとコラボして、それでも受け入れてもらえたことが新鮮で。自身の細胞が生まれ変わるような感覚になった。 「レッドはどーすんだよ」 少し、意識が遠のいていた。 不意に、隣から鼓膜を直撃したグリーンの声色には、不満が含まれていた。レッドは目を覚ます。アルコールと疲労が、全身を覆っている。うつらうつらとなりかけていた姿は、グリーンからすれば許せないだろう。 「僕はーーーーそうだね。歌うよ」 「……なぁ。また、コラボしようぜ」 「いや、しばらくはしない」 「え、なんで」 「大事にしたいと思ったんだ」 スッーー、と空気が洗練される。 その真面目な顔になったレッドに、グリーンは息を飲んだ。なぜか、呑まれた。 「これから先、きっと途方に暮れる時がくる。僕もグリーンも。その時、またコラボしよう」 まるで、お互いがお互いの灯台であることを、祈るようだった。 「互いの世界に干渉し過ぎるのは、僕らにとって良くないんだ。それに僕らはまだまだ進化する。その先で、また一緒に歌おう。グリーン、僕は今からそれが楽しみになってきたよ」 遠くを見るレッドに、グリーンは何も言えなくなった。 先ほどまで、ライブという舞台で同じ位置にいたはずのレッドであったはずなのに、もうすでに距離感が出来ていた。レッドが作り出したものだ。それをグリーンは肯定も否定もしたくなかった。レッドの気持ちも非常に分かったが、レッドと一緒に歌いたい気持ちもあった。 何も言葉を出せなくなって、グリーンは、酒で誤魔化すことにした。なぜか、ショックを受けている自分に、戸惑ってもいる。 急に何も言わなくなったグリーンに対して、レッドは少し彼の方を見て、すぐに酒に視線を戻した。 「グリーンに一つ、謝らないといけないことがある」 レッドは、眉間に皺を寄せて、俯いていた。 少し、弱々しさを感じる。 「本当は、謝るのはおかしいと思ったんだけど。でも、今日、一緒に歌って、やっぱり謝らないとならないって思ったんだ。前に、君に「下品」だって言ったけど。あれは負け惜しみだ。あまりに僕にはない世界観の人間を、見せしめられた気がしたんだ。それを認めるのが怖かった。君は、本当に良い創作者だ」 グリーンは、瞬きを忘れてレッドの横顔を見続けた。 ふとあの時、ファミレスで話し合っていた時の光景が思い出される。 「君の歌、僕は好きだよ」 やっと、グリーンと目を合わせたレッドに。 無性に、何でだか。泣きたくなった理由は。 グリーンには、良く分からなかった。 それでも、啜り泣く彼に、何も言わないで。 レッドは、店から用意されていたお手拭きを手渡した。 その後。グリーンとレッドは大学の卒業を迎えた時にも、コラボをすることは無かった。それでも、それから先、彼らがまた一緒に歌う時が来る。 灯台は、きっと消えない。 <終わり> - - - - - - - - - - |