目の前にあった顔が横へ吹っ飛んで行った。ごぎゃっと音が響いて、連続でバッドを振り下ろせばバギョンっと頭蓋骨が陥没した。相手は良く分からない声を上げながらあぎゃあぎゃと口を動かしている。俺からすれば。一体、何を主張したいのか分からない。死にたくないとでも言いたいのか。言語道断である。俺は、一度死んでいる。だから、こいつらだって――――――死ぬ、べきだ。 存外。俺の見つけたかった輩達とはあっさり会合することが出来た。オーキド博士から教えられた数名の元研究者達。もうセキエイリーグのスタッフや幹部となっている輩達。呑気に、何も考えず、のうのうと生きていたのだろう。まさかこんな目に遭う日が来るなんて想像もしていなかったに違いない。だって俺の顔を見たときに、こいつらは「は? 誰?」みたいな間抜けな顔を向けて来た。 ざまぁみろ。お前達の作戦ミスだ。俺の存在を除外していた、お前達の可哀想な思考回路のせいだ。悔いろ。そして、二度とその口を開かなければいい。 「ぎっ、ぃ、あ”」 「黙れ」 ガギョッとまだモゴモゴと動く口に対して金属バッドを突っ込んだ。相手の目が飛び出すんじゃないか、というぐらい引ん剥く。呼吸だってままならないのではないか。歯が何本も折れて飛び散った。汚らしい血が飛ぶ。俺にはかからないように注意して、ぐりぐりと口の中をバッドで荒らしてやった。折れた歯と砕けた歯肉と悲鳴と嗚咽がぐちゃぐちゃに混じり合った音がする。そのまま舌だって切り取ればそんな声も出なかっただろうけれど、そこまで俺は悪趣味じゃないから。声を出してもがく様を許してやった。 殴れば殴る程。妙な興奮と衝動が心から湧いて出た。同時に、心臓にハッカをぶち混まれたような感覚にも陥る。熱いのか寒いのか良く分からない本能の合間で揺れている。 こんな奴らにグリーンは。こんな奴らのせいで俺達は。こんなに腐り果てて崩壊してしまったのか。なんてこった。理不尽だ。理不尽だ。理不尽だ! どいつもこいつも死んでしまえ! いなくなれ! いっそのこと、俺自身だっていなくなってしまえばいいのに! それなのに。人間ってのは厄介なもので。結局は保身に走るのだ。見てみろ。俺だって結局、この目の前にいる奴らにしか暴力を振るっていない。俺自身に対して暴力を振るう気なんて更々ない。馬鹿らしい! そう思うとにやけて仕方が無い。そうやって笑いながら俺はバコバコと動かない相手を甚振り続けた。こいつらの拳が、足が、性器が、かつてグリーンに対して向けられていたことにすら反吐が出る。どれもこれも抉り潰してしまいたい。 飛び散る血を呆然と眺め出した頃には、随分と時間が経っていた。それでもぐるぐる巡る気持ちの悪い感情を押さえきれない。相手の体はえらく膨れ上がっている気がした。顔は原型なんて留めていないから、漸く死んだのかもしれない。けれど、その時にはもう俺は相手の生死などに興味は無かった。 さて。俺の行動が公にバレるのも時間の問題だから。とっとと退散しなければならない。ドクドクと血管の中を高速で巡るのは――――高揚感だ。果たして逃げ切れるかどうか、見つかればどうなるか、これから展開の分からない状況に俺は確かに気持ちを高ぶらせていた。 逃亡のルートはおおよそ決めていた。本部の窓からリザードンに飛び乗って、シロガネ山へ向かう。それだけだ。シンプルだけれど、シロガネ山の上空は常に天候が安定しない。その周囲の雲に紛れてしまえばどこへ行ったのかは分からなくなるはずだ。そうしてシロガネ山でしばらく過ごして、またどこか遠くへ行く。もし見つかりそうになったらその時だ。 セキエイリーグが騒然となるまで後数分。俺は、リザードンの背に飛び乗った。 間に合わなかった。 じぃさんが確認しに行った頃には、もうセキエイリーグはパニックに包まれていたらしい。俺は到底、足を運ぶことが出来なかった。震えて仕方が無い体をベッドに横たえていることしか。 被害者は総勢五名。かつて俺に暴力を振るった人間達をピンポイントに、レッドは瀕死の重傷を追わせた。現場に残されていたのは金属バッド一本らしい。それだけでその人数を瀕死にいたらしめたレッドは、一体どのような気持ちであったのか知れない。 残されていた被害者達はもう顔だって原型を留めていないぐらいの酷い傷だそうで。歯がほとんど折れていた奴もいたようだ。全身は殴打されていた為膨れ上がり、内臓に損傷を負った被害者もいたらしい。 俺は。かつて俺に暴力を振るった人間達が逆に暴力を振るわれたと聞いて、嬉しくも悲しくもなかった。それよりもレッドがどうなったかの方が気がかりで不安で仕方ない。 今、レッドはどこにいるのか。じぃさんに聞いてみてもリザードンに飛び乗ってどこかへ行ってしまったという情報しか分からない。リーグの人間達が必死に捜査を始めたようだが、手掛かりが少な過ぎた。そもそもレッドはつい最近まで別の地方を渡り歩いていたものだから、一体どこへ向かったのかなんて誰も分からない。俺も分からない。昔は、レッドのルートを何となく予想出来ていたのに、分からなくなってしまっている。 今の俺では、あいつの事なんて何一つ、分からない。 今回の事件は俺の為の行動であったのかどうか。じぃさんから事情を聞いてしまったが故に起こしたのであれば、その可能性も否めない。だが俺は、どうしてあいつが犯罪者になってまでそういった行為に及んだのかが疑問だった。 このままではレッドは国際的に指名手配にもなるだろう。被害者の中には重体で意識の無い人もいるらしい。死へ繋がれば、レッドは殺人犯として追われる身となる。 俺にはどうすることも出来ない現実を痛感する。こんなことになってしまうなんて、つい先日の俺は想像もしていなかった。全てのきっかけはレッドが帰って来て、俺と再会してしまったことだ。やはり、俺達は会うべきではなかった。そもそも、レッドも俺のことなんて忘れていてくれたら良かったのだ。俺に会いに来ようなんて、思わなければ良かった。 それよりも、もっと早くに俺自体がこのマサラタウンの自室から消えていたら良かったのかもしれない。それが一番、手っ取り早かったのではないか。そこまで考えて俺こそ死んでしまった方が良かったのではないかと思い始める。 あぁ、そうか。どうして俺は考えた事が無かったんだろう。そもそも俺があの日、暴行を受けた時点で生を諦めていれば。選択肢としては存在していたはずだ。なぜ、選ばなかったのか。 薄暗い部屋の中で、もっと薄暗い世界に落ちそうになった意識。 引き上げてくれたのは、俺の部屋の窓から見えた強烈な橙色だ。 気が付いて、俺はベッドの上で目を瞠る。 レッドのリザードンが泣いている姿が、窓の外にあった。 シロガネ山の頂は極寒であった。それもそうだ。当たり前の事なのに、俺は一人で白い世界をただ眺めている。 ここは余計な音が一切無い。広がる雪原が沈黙している。 おかげで、俺の脳内は大音量。自分自身の声が溢れて止まらない。それは先ほどの俺の行動を苛むモノや、賞賛するモノや、貶すモノや、様々であったけれど。どれも受け止めるつもりはない。鼻で笑って、俺は見つけた洞窟の中で防寒具にくるまっていた。持って来て正解だ。しかし、このまま何もせずいればきっと凍死するかもしれない。それはそれで良い結末だ。なんて、とんだ無責任な事を考える。手の震えが未だに止まっていない。金属バッドを握っていた腕は、俺が数名の人間を撲殺しようとした事実を伝えていた。もしかすればもう、死んでいる人だっているかもしれない。 リザードンにマサラタウンへ帰るように命令して。何時間経ったのかも分からない。そうしてこうやって、呆然としている。呆然としている中に、恐怖も少なからずあった。こんなことを実行出来る自分がいることに。まるで鬼畜生だ。人間であって、良い存在ではない。もはや。 吐いた息が白くて凍ってしまいそう。同時に体温がある自分が煩わしいと思った。俺自身がもっと温度の無い人間であればきっと、話が違っていただろう。今回の行動にだって移らなかったはずだから。それは、やはり俺が、怒りを持ってしまったから、起こってしまっただけで。 俺は、グリーンとの関係を他者に甚振られたことに、確かな憎悪を覚えた。従って起こった衝動を止められなかった。 どんな結果になるか、よりも。俺は発散することを優先したのだ。グリーンと俺は確かに、幼馴染みでライバルであったのに。踏み躙られたことが何よりも許せなかったから。俺は。 ひっ、と溢れた嗚咽も凍り付いた気がする。喉を詰めるように、俺は泣いた。グリーンを殴っていた時と同じように泣いた。涙が落ちては凍り付いた。頬が痛い。寒さだけのせいじゃない。嫌だ。こんなの。呼吸困難に陥って、そのまま息の根が止まれば幾分かマシであったかもしれない。どうして泣く。泣くぐらいなら、最初からこんなこと、していなければ良かっただろう! 馬鹿野郎! 俺は、どうして帰って来てしまったのか。マサラタウンに。帰って来なければ、グリーンとなんて会わななくて済んだのに。会っていなければ、こんなシロガネ山で、俺は泣いていない。罪を犯すこともなかった。痛みを抱えることもない。 いや。そもそも俺なんて、存在していなくて。グリーンの幼馴染みでライバルなんて居なければ、こんなことにも。どうしてだ。どうして俺はマサラタウンのレッドで、彼はマサラタウンのグリーンであったのだろう。俺達なんて、最初から出会わなければ良かった。苦しい思いだってせずにすんだ。死にたくならずにも済んだ。誰もが幸せであっただろうに。出会ったとしても、お互い、憎み合うような存在であったら良かった。何で俺は、グリーンとの関係を、こんなにも大事にしてしまったのだろうか。 「――――――……レッド」 そうして極寒の洞窟で。 両膝を腕で抱えるように体を縮こまらせていた俺の頭上に。 震えた悲痛な叫びが降って来た。 何とも虚しい、一晩が始まる。 アンチ・ルサンチマン |