グリーンとの再会がいつまでも頭から焼き付いてしまって忘れられず、マサラタウンの自室から出られないまま一週間程が過ぎてしまった。 ショックを受けたか、と。その通りだ。グリーンから言われた通り。なんて弱さだろう。俺は旅を通して、強くなったと思っていた。どんなことがあろうとも乗り越えられる強さを持ったと信じていた。こんなにも呆気なく崩れ落ちるなんて。許せない。俺自身を。 あの直後。俺はグリーンを殴りつけた。ひたすらに。ただそれ以外に出来なかった。沸き上がった感情を、暴力に変換するしか出来なかったのだ。彼は何も抵抗を示さなかった。それがまた虚しくて俺の行動は止まらなかった。誰も止めてくれなかったのだ。そんなのただの言い訳である事ぐらい分かっていた。 泣きながらグリーンを殴る俺の姿が、何より情けない。 どうしてグリーンが変わってしまったのか。その理由を知らなければならないと思ったけれど、俺の足は進めない。知ってしまった所で、俺には一体どうすることが出来るのか。 何よりも怖いのだと思う。昔はあれほど、グリーンのことであれば分かっていた俺だったのに。今では分からないことだらけで、しかもその真意を見るのを恐れている。なんてこった。俺達は幼馴染みで、ライバルであるはずなのに。どこでそれが捩じ曲がってしまったのだろう。俺が旅にずっと出ていた間で。 そこでふと思いついた。そういえばグリーンの手持ち達はどうなったのだろう。トレーナーでなくなり、全て逃がしてしまったのだろうか。俺のモンスターボールを見る。こいつらだって、本当はグリーンの手持ち達と再会するのを楽しみにしていた。 それが、俺とグリーンがこんな風になってしまったものだから、凄く大人しくなってしまっている。彼らは非常に賢いのだ。バカなのは余程、俺達の方。 自室から飛び出して、久しぶりに外の空気をしっかり吸った気がする。足取りは重いが、それでも俺はようやく歩き出した。オーキド博士の研究所へ向かう。そこにはパソコンもあるし、預かりシステムにも接続出来る。本来であれば自分のボックスにしか接続出来ないが、そこはオーキド博士にお願いが出来ないかと考えた。それが無理なら諦めよう。そもそも多忙な彼が研究所にいるかどうかもあやふやだ。一かバチかに近い賭け。 博士の研究所は昔と比べて、随分と埃っぽさが増した気がする。 いや、というより。乱雑さが増したのか。一週間前に訪れた際はそれほど感じなかったのに。薄暗い室内には多くの論文やら書籍やら書類やらが散乱している。機材だっていっぱいだ。片付ける余裕もないのか。ただでさえ世界的権威を誇る博士のことだから、色んな所に引っ張りだこで大変なのだろう。 苦労の見える研究所の奥まで進めば、大きな椅子とデスクに突っ伏している博士を見つけた。こんな体勢で寝てしまったら体に悪いだろうに。 だが、もしかすると貴重な安眠の時間であるかもしれない。と思うと声をかけ辛い。どうしようか、と悩んでいた所、もぞっと博士の体が動いた。どうやら俺が来た事で起こしてしまったらしい。 「博士、すみません」 「……レッドか」 上げられた顔には酷い隈だ。相当の疲労が溜まっているのが伺える。 思わず眉を顰めた。だが、俺は博士を起こしてしまった時点で、ここに来た目的を伝えるしかない。 「お忙しいところ、失礼しました。お願いがありまして」 「なんじゃ」 「グリーンの手持ち達と、会いたいんです」 「……グリーンと、会ったのじゃな」 一気に心臓が冷えた。 そこで普通に会ったことを告げ、すぐに本題に入れば良かったのに、博士の声色があまりに悲痛なものだったから、俺は何も言えなくなってしまう。 ただ、グリーンのことを少しでも知る為の手段として、ポケモン達に会いたかっただけなのに。 俺は何も気づけていなかった。オーキド博士の心がもう限界に来ていること。それを吐き出す対象として俺は選ばれてしまったこと。博士の中にある――――ー罪悪感が溢れ出した。 「悪かった、レッド。儂が悪いんじゃ」 両手で頭を抱えながら、泣きそうな声だ。唇が震えている。こんなにも弱った博士など、初めてみる。 その言葉に目を見開いて、直後ギリっと歯を噛み締めた。博士が追いつめられている原因を、俺はとうとう問うた。もう誰もがきっと限界を向かえているのだ。握りしめた拳の爪が掌に突き刺さる。 「博士。何が、あったんですか」 「それを聞いてもレッド。お前にはどうすることも出来ん」 「そんなの、聞いてみないと分からない」 「傷つくのはお前じゃ」 「俺はグリーンのライバルだ!」 言葉が止まらなくなる。 ドンッと、両手を博士のテーブルに叩き付けた。響いた振動に埃が舞う。博士に対して、怒りの感情を向けてしまっている。どっちもどっちだった。俺は俺で、博士に酷いことをしている。 「もう十分傷ついてるっ! 彼のことを知ろうとして、何が悪いッ……!」 しかし。それでも俺には他に手段が無かった。そして博士にも。 グッと息を詰めた博士の頬に汗が流れている。しばらくの静寂の後、彼は重そうな唇を開いた。 「―――――そう、か。分かった。話そう。全て、儂の責任じゃ」 力なく告げる博士に。 俺は話を聞く覚悟を決めた。 レッドに散々殴られた箇所が痛くてたまらなかった。 (あのやろー) 自分で包帯やら絆創膏やら傷薬やら軟膏やらで処置していくのは、何とも奇妙な感覚だった。 あの時に。散々殴られながら考えていたこととしては「また俺、犯されんのかなぁ」というもので。ボーっと抵抗もせずその様子を見ているだけだった。泣きながら殴るあいつの姿に、特に感慨も抱かない。 そして、俺は知っている。どうせ抵抗をしたって無駄だ。誰も、その状況を救ってなどくれない。 結局レッドは殴るだけ殴っただけで何もしなかった。ほとんど諦めていた俺からすれば意外なことで。だが確かに、今から考えるとレッドがそういったことに及ぶような思考回路を持った人間であるとも思えない。 同時に。幼馴染みに犯される自分を想像している自分という、本来であればとんでもないであろう考えを自然と浮かべた俺がいた。あーやっぱりおかしくなっちまってんだな、と認識出来た。しかし一体、普通の考え方っていうものがどんなものなのか。そもそも普通の考え方なんて存在していないのか。 ごろんっ、と寝っころがったベッドの上。染み付いたクソみたいな匂いを敢えて嗅いで、俺はまた安堵する。ずきずきと内出血を起こしている場所が痛かったけれど無視をする。 あの時に比べればマシだ。痛みなんて、慣れてしまえば存外楽になる。 レッドとはあれ以来会っていないけれど。どうせまた好き勝手に旅にでも出たかと考えていた。今から思えば、会わない方が良かったのかもしれない、と考える俺がいる。そうすれば余計な傷を背負わなくても済んだ。 俺も、あいつも。 別にレッドのことを嫌っているわけではないし、むしろ昔は幼馴染みでライバルの関係でチャンピオン戦まで上り詰めた仲だ。元気にやっていてくれたら嬉しい。ただ、今の俺ではもうかつてのような関係ではいられないということなだけで。 もし。俺がこんな風になっていなければ。すぐにバトルをしていただろうか。あの頃の、燃えるような感情を胸にして。 想って、急に胸が冷たくなった。 あれ、そういえば俺はどういう風にレッドとバトルしていたっけ。 どんな風に楽しんでいたのか。もう感覚もない。 どうしようもない。手に入れて一度失くしてしまったモノが、二度と帰って来ない現実を知る。 こんなこと、考えもしなかったのに。ただ女の子と寝ていられる日々が、俺を救ってくれていたはずなのに。あぁやっぱりレッドとなんて会わなければ良かった。思い出させたのは、全部あいつだ。あいつのせいだ。 楽しかった時のことなんて思い出すな。そんなもの、もう俺にとっては幻想に過ぎない。二度と帰って来ない日々だ。 ボタボタと落ちる涙が、全部ベッドに吸い込まれる。クズみたいな生活が染み込んだシーツが、塗り替えられて行く。詰まる嗚咽が垂れ流しにされてどうしようも出来ない。俺自身では、止められない。 どうしてこのタイミングでレッドと出会ってしまったのか。そればかり後悔する。俺にあの日々を、情景を、どうして思い出させるのか。もう俺は、ボールを握る資格すら失ってしまったというのに。 少しでも、ほんの少しでもバトルをしたいと、願ってしまう自分を殺したくなる。死んでしまえばいいのに。 凍り付いた心臓が、冷たさも熱さも痛さも伴って俺を苛んでいる。あれ、おかしいな。俺、痛みにはもう慣れたのに。声を押し殺そうとする度に腹部に力が入ってしまって駄目だ。痛い。痛い。レッドの馬鹿野郎が。あいつなんて―――――帰って来なければ良かった。 ベッドでぐずぐず蹲って泣いていたら、突然俺の部屋の扉が開かれた。誰かと想ってぐちゃぐちゃな顔を上げると、意外にもしばらくずっと会っていなかったじぃさんだった。何せ、もう合わせる顔も無かったし、向こうも俺に対しては罪悪感だけしか持っていなかったものだから。 「グリーン……!」 久しぶりに見る顔は随分と疲弊していて。俺が見ていなかった期間にどれだけじぃさんへの負担が掛かっていたのかを物語っていた。あれだけ手伝っていた研究を、俺がしなくなれば当然のことだ。ただでさえ人手不足の研究所だというのに。 ズカズカと近づいて来られて俺は思わず、ベッドの端へ逃げた。しかし、直後にじぃさんの口から飛び出して来た言葉に硬直する。本当に、今度こそ心臓が止まった気がした。 「レッドが、奴らの所に……!」 そして俺は、殺される。 単純な話だった。 どうして博士もグリーンも早く、俺に伝えてくれなかったのだろう。 笑いが止まらない。あぁ、そうか、と。状況を納得出来ればすんなりと行動に移ることが出来た。 俺にとって必要なのは。家から一番近いゴミ捨て場で見つけた金属バッド。きっとどこかの野球少年がいらなくなって捨てたのだろう。使い古されたものだが、俺の手にはすぐに馴染んでくれた。まるで俺に見つけられるのを待っていたかのようだ。 目指すはセキエイリーグ。俺とグリーンにとって、最高の舞台であった場所だ。今からその思い出を、自分で叩き潰すことになるのだけれど。それでも良かった。 これはリベンジだ。決してアベンジではない。 誰も救われないことを分かっていながら。足を進める俺は愚か者だけれど。これほどの怒りをコントロールする術が、俺には分からない。 発散の矛先は、その原因に向かうしかないじゃないか。 ギラついた瞳を向けた先には、リーグ本部の建物がある。リザードンだけを従えて、俺はマサラタウンから飛び立った。その優しい瞳が悲しみに染まっているのを、俺は見ないフリをした。 斯くして。 俺の人生において。初めての復讐が幕を開けた。 決して失敗してはならない、復讐が。 斯くして |