トキワのジムリーダーに任命された時。俺が真っ先の思ったのは、どうしてレッドではないのか、というところだった。 普通に考えて、チャンピオンになったトレーナーに真っ先に声が掛かるべきだろう。ロケット団のボスがジムリーダーをしていて、それに本部も気づかず放置していたという不祥事は、カントー地方ジムを統括しているセキエイリーグのイメージダウンを世間に招いた。それを打ち消す程の対策を講じるには、俺よりもレッドが任命されるべきだと俺が誰よりも感じていた。 確かに。俺はあの有名なオーキド博士の孫であるけれど、そんな俺を破ったレッドはもはや俺よりも有名になってしまったのではないか、と思っていた。それなのにどうしてかトキワジムリーダーとしての後釜に俺が選ばれたのだ。 「ジムリーダーは、ただチャンピオンになった人間がすれば良いというものではありません」 わざわざ俺の元へ出向いて説明をしに来たリーグの人間は、ニコニコした顔でそう説明してきた。書類に目を通していた俺は、何か裏を感じざるを得ない声色に顔を上げる。少し目を細めた。 「ジムリーダーは、多くのトレーナーを導く要所です。ただバトルが強くて、相手を叩き潰すような技だけでは、ジムリーダーにはなれません」 俺だって、今の段階ではそんなバトルしか出来ない。 そう向こうに伝えてみたけれど。相手はジムリーダーの基礎をしっかり学習出来る期間があり、また適性試験も必ず最後に行うので、やる気の問題だと返して来た。やる気と言われると、別に無い訳ではなかった。ジムリーダーになることが出来れば、よりポケモンへの理解も深まる。あのチャンピオン戦でレッドに負けた時、じぃさんに言われた意味の答えを見つけることが出来る機会ともなるだろう。俺の為になる、という未来はその時点で見えていた。 だから最終的に俺はジムリーダーの役目を承諾したのだ。その時、相手が密かにほくそ笑んでいたことだって、気づく事は出来なかった。俺は、馬鹿であったのだ。子供であった。けれど、警告はあったのだ。嫌な予感は、少ししていた。相手の態度から。 ジムリーダーとしての試験を最速でクリアした俺は、とうとうトキワジムリーダーの称号を得ることになった。ジムトレーナーは必要ない、と告げて、一人でジムを回す事になる。セキエイリーグへの入り口に君臨するトキワへの挑戦権を得るには、他ジムのバッジを全て集めて来なければならない。なので挑戦者は稀であった。一人も居ない時だって続くこともある。 やはりこの地方のバッジを全て集めるには相当の苦労がいる。俺だってそうだったから。 それじゃぁ挑戦者が居ない時間帯は何をしていたかって、じぃさんの手伝いだ。研究所の人員がどうしても足りなくなるのは昔から分かっていたし、だいぶ俺も旅を通じてポケモンのことへの興味だって湧いた。手伝うことは支障は無く、また統計データの取り扱いの勉強もすることが出来たから、自分自身がポケモンのことを解析する時に役立てた。 じぃさんの負担がだいぶ楽になっていることも実感していた。俺が役に立てているのが嬉しかった。笑顔で俺の事を誉めてくれたりお礼を言われる回数だって格段に増えた。 そしてジムリーダーとして働けていることも誇りだった。チャンピオン戦での俺とは随分と考え方も変わることが出来た。きっと、じぃさんもそれを認めてくれていて、周りのあらゆる人も見ていてくれていると思っていた。 着実に俺の信用や自信を積み上げて行った日々は、大変ではあったけれど楽しかった。今から思い出しても、あれほど充実していた日々はない。苦労して、努力して、俺は変わって行けたはずだった。 だから、忘れていたのだ。つい。よく考えれば、旅をしていた時もそうだった。我武者羅に、その時の自分に出来る最大限のことをやって、漸く到達して、それでもじぃさんのたった一言で崩壊したり、ミュウツーに負けて粉砕された。何をすれば良いのか分からなくなって、そうしてまた真っ新になって、再スタートを切った。 そう。頑張れば頑張った分だけ、叩き潰された時の衝撃が大きい。さらにそれが、自分の尊厳を踏みにじられるような事態であれば、尚更。 結論を言えば、相手の策略に気づけなかった俺が馬鹿だった。 ジムリーダーを始めて二年程が経過した時の事。 セキエイリーグの人間がジムの調査へとやって来た。俺を任命する、と言って来たあの男が数名のスタッフと共に。主にジムの建物の点検から業務の滞り具合など、色々な検査項目をチェックされる。ほぼ完璧な状態でいた俺は、何の問題も無い自信があった。 「特に問題無いですね。合格です」 チェックは一日中続いて、終わる頃にはもう夜になっていた。最後にトキワジムの入り口に集ったスタッフに、そう告げられる。 ホッと胸を撫で下ろし、俺は「ありがとうございました」と礼だけ告げてとっとと帰る準備をする為に、彼らを見送って奥へ引っ込む予定であった。 そう出来なかったのは、突然目の前のスタッフに羽交い締めにされたからだ。 「―――ーッ!?」 「ごめんなさいね、君に罪は無いんだけれど」 直後、数名の腕が体に伸びて来た。拘束されて、ズルズルとジムの奥へ引きずられて連れて行かれる。俺は怒鳴って暴れて抵抗しようとしたが、ただ周りの奴らの体を少し掠ったりするぐらいで、体格差もあって意味をなさなかった。 「おい! ふざけんなよ何すんだ!」 いつも事務作業を行っている部屋に到着すると、そのまま床に仰向けに倒された。その上でまた両足も両腕も押さえつけられる。喚き、怒鳴り散らした俺だったけれど。 「いやーほんと、君は良くここまで頑張ってくれた」 男は言う。浮かべられている笑みにゾッとした。およそ、まともな人間の顔じゃなかった。俺でも分かる。そこにあったのは、怒りだか憎しみだか、この世にある負の感情を全てひっくるめて凝縮して仮面にして被っているかのような。 一気に出て来たのは冷や汗だ。これから、俺が何をされるのか。怒りが萎んで恐怖に覆われる。何か、とてつもない状況にあった。巻き込まれた。そして―――ー逃げられない。 「トキワジムの失墜した信用がまさかここまで回復するとは思ってもいなかったし、本当はもっと早い段階で動きたかったんだけどね。どうせなら最高の状態にまで持って行って「突き落とした」方が良いと思ったんだ。だから待った。俺は、ずっと待ってた。長かったなぁ。これで、やっと、俺は」 俺の体に乗り上げてきた男が。 俺の顔に自分の顔を近づけて来て、言い放った。 「オーキド博士に、復讐が」 そして痛感した、この世の醜さだ。 しかし、それがこの世の正体であることを知った。 端的に言えば、その日。俺はその場にいた男達全員に暴力を振るわれ、犯されることになる。拳を浴びせられ、散々蹴られて、性器を突っ込まれて、激痛に泣き叫んでも、誰も止めてはくれなかったし、助けてくれなかった。俺を本当の意味で助けてくれる存在など、居ないことを知った。自分の血が部屋に飛び散って、嘔吐物も垂れ流されて、野郎共の精液が飛び散って。 こんなクダラナイ世界。消えた方が幾分かマシなんじゃないか。 全部が終わって。指一本動かせなかった。少しでも力を加えたら激痛で死んでしまいそうだったから。もう言葉を発することだって出来やしない。そのまま放置されて、俺は死んでしまったんだと思う。一度。本当に。 そうやって意識が吹っ飛んで、次に気が付いた時にはもう病院に運ばれていた後だった。白いベッドで仰向けになり、点滴をさされている状態。 じぃさんが傍でずっと泣いていた。謝っていた。俺の意識が戻っても泣いていた。そんなじぃさんの様子や言葉は、何一つとして俺の役に立ちはしなかった。俺は、恐怖以外何も感じられなくなっていたのだ。 誰か俺よりも強い人間に、身体と精神を征服される恐怖が、体に染み付いてどうにかなってしまいそうだった。 そして退院した俺は。 ひたすら自分が征服出来る人間を探した。 安寧を求めて。 そうして常に、女の子に手を出し続けることにしたのだ。俺の方が上だ。俺の方に力がある。俺は弱くない。俺は、――――と、思いたかったから。 女の子とセックスする度に刷り込んだ。こうやって俺が入れる側の人間であるならば、犯されるはずがない。大丈夫だ。男に犯されるはずがない。俺は征服する側の人間だ。何度も、何度も言い聞かせるしかなかった。だって、誰も助けてくれないのだから。俺自身のことは俺自身が守らないと、誰が守ってくれるというのだろう。 同時に、どこか安心感も湧いたのだ。それは女性という人間が持っているものだろうか。俺は、その柔らかい肌に安堵を求めていた。行為をしている最中だけ、俺は何もストレスを感じない。まるで依存症だ。 そんな事を続けていたら、とうとうトキワジムリーダーまで降ろされた。本部から強制的に。それもそうだ。俺も、それを望んでいた。メディアでも少し話題になったようだけれど、セキエイリーグが全力で止めに掛かったらしい。連続のイメージダウンは避けたかったのだろう。俺自身のことなど、誰も考えてくれちゃいない。当然のことだ。 結局。俺がトキワのジムリーダーをしていた事にも、何の意味も無かったと知った。 そうやってただ、女の子としか触れ合わないような生活をずっと続けた。じぃさんも止めることは出来なかった。それもそうだ。止めたら俺がどうなってしまうか分かったもんじゃない。 じぃさんの研究の手伝いだって出来なくなってしまった。それがじぃさんにとって大きな痛手であることも分かっていた。それでも俺が常に思うのは、俺が俺である為の、俺自身をどれだけ安定させるか、ということだ。他のことを考える余裕が無かった。 だから余計に驚いたのだ。 女の子と一緒に裸でベッドで寝ていた時に。 久しく見ていなかった顔が扉から覗いているのを確認した時は。 「―――――ぁ? レッドか?」 その赤い帽子は。いつ以来見ていなかっただろうか。 すぐに飛び出して行ってしまった彼を、俺は無意識に追い掛けてしまった。少し蘇った幼い頃の記憶。そういえば、俺は旅をしていた時の記憶だって薄れていた。全て押さえ込まないと、俺が封じ込めようとしている記憶が引っ張り出されそうで。過去を辿る意識が全くなかったからだろう。 それがレッドの来訪によって変化した。もっと大昔の。そう、まだ俺が何も知らなかった時代が、蘇って来た。 「おーいレッド。帰って来たならそう言えよ」 レッドのお母さんと会いたくなくて、レッドの部屋の窓から顔をのぞかせた。鍵が開いていて良かった。偶然のことだった。 ベッドの上で仰向けになっていたレッドは、成長していた。それを言えば俺もそうなのだろうけれど。久しぶりに見る幼馴染みは随分と体格もしっかりしていて、俺の記憶に残っている状態とは遠い。 まるで、レッドじゃないみたいだ。 そうして。殴られた。突然。会って久しぶりの幼馴染みに。 「ぉ、っ、おま、ぃきなり」 口の中が切れた。瞬間、フラッシュバックしてきたのは、あの時の光景だ。不味い。俺は歯を噛み締めて押さえ込んだ。必死に耐えた。醜態を晒してはいけない。その妙なプライドのおかげで、救われた。 そうしてレッドを睨みつける。痛みで涙が出て来たが関係がない。レッドは息を少し荒くしながら、吐き捨てて来たのだ。 「帰れ」 とっくに声変わりした、男の声だった。 俺の記憶に残っているのは、まだ幼さの残る中性的な声であったというのに。 少し目を見開いて。何も反応出来ずにいると。何やらレッドが覚悟を決めたように言い放ったのだ。 「気持ち悪ぃ」 目的語も何もないけれど。それは俺に向けられている言葉であった。何が気持ち悪いのか。繋がらなかったが、レッドが先ほど見ていたものと言えば俺が女の子と一緒に寝ている部屋だ。 あぁ、それが。と理解したら、笑えて来た。そうか。レッドにとってはあの光景が気持ち悪かったのか。 こいつのことだから。どんなイメージがあったのか知らないが、どうやら俺が女の子と寝ていることが信じられなかったに違いない。 「なんだよレッド。お前、ショックでも受けた?」 馬鹿みたいだ。 本当なら盛大に笑ってやろうと思ったけれど。僅かに残っていた俺の良心が作用して、出来なかった。 明らかにレッドの言葉が死んでしまった。表情も死んでしまった。はは、ざまぁみろ。俺のことなんて何一つ知らないクセに。今までお前はきっと、その様子からずっと旅でも続けていたんだろう。こんな俺みたいな経験なんてしないで、好きなように、ポケモンと触れ合って来たのだろう。 多くの人に助けられながら、ぬるま湯に浸っていたはずだ。もしそうじゃないなら、こんな俺の言葉にショックを受けるはずもないわけで。 俺は誰も助けてくれなかった。助けてくれないのだ。だから、お前のことだって助けてやるものか。 「はは。泣いてやんの」 レッドの体に乗り上げて、顔を近づけても避けようともしなかった。きっと動けなかったんだろうと思う。 その様が俺からすれば滑稽で仕方なかった。 トランキライザー |