キャンディーをお裾分け |
グリーンからすれば。理解が出来ないだけなのだ。 レッドの行動も、思考も、嗜好も、思惑も。 受け入れたくない、と言う所もあるのかもしれない。 そうさせているのは何なのか、グリーン自身も良く分かっていない。 「へー。グリーン兄ってじゃぁ将来は生物学者にでもなんの?」 「それは分からないが。それに近しいものになれれば嬉しいな」 「すっげー。全っ然わっかんねー!」 「サトシの頭じゃしょうがないよ」 「シゲルてめー失礼だろ!」 ファイアがいなくなって。グリーンとサトシとシゲルがわいわい話している姿をレッドは、どこか遠くに見ていた。その隣には緑がいるけれど、彼の眼中にはどうやら入っていないようで。赤もいない状態で緑は一人で酒盛りをしていた。 別に無理強いをするわけでもない。押し付ける訳でもない。説教をするつもりでもない。今日はそんなことを目的にしている会ではないからだ。緑はレッドの様子を気にしながらも、その上で特にアクションは起こさない。必要であれば、レッドが動くことを彼はしっかり分かっているから。 「遺伝学は俺にとっては非常に興味のある分野だからな。興味があれば生物の道を選べば良い」 「遺伝って言ったらあれだろ、でぃーえぬえーとかだろ! それぐらいなら知ってる!」 「はは。それぐらい知ってたら大丈夫だ。サトシでもなれる」 「本当か?」 「グリーン兄、余計なこと言わないでよ。サトシが本気にする」 シゲルの呆れた声にサトシが「なにおー!」と掴み掛かって取っ組み合いになるのにさほど時間は掛からなかった。その様子に笑顔になりつつ、グリーンはそのまま手元に残っていた酒を進めた。程よくアルコールも回って来ている。頭の中がいつもより軽くて、普段気にしていることが存外どうでも良くなって来た頃合い。 だからだったのか。油断したのだ。完全に。グリーンにしては非常に、珍しいことに。 ふと、レッドに視線をやってしまった。やってしまったのが、間違いだった。けれど、無意識にレッドの方を見てしまったというのなら、もしかすれば根底で、グリーンはレッドのことを見たかったのかもしれない。 すぐに、後悔した。 グリーンの背筋が、背骨が、一つ一つ、怪物に食い潰されるような、気分。 何気なく合わせたレッドの目の奥を見て、グリーンはすぐ様目を逸らした。そこにいた、牙を剥いた獣。訳の分からない動悸が襲う。一瞬、本当に意識がおかしくなってしまったような気がした。アルコールが吹き飛んだ。大量の発汗。すぐ傍でサトシとシゲルがまだ戯れ付き合っていた。世界が隔離されたかのようだ。周囲の音が遠くなる。 そうしているとレッドと緑の会話が少し、聞こえて来た。落ち着いて来たようだ。グリーンへのレッドの視線はきっと、もう逸らされている。 それなのに、グリーンはどうにも、再び顔を上げることが困難であった。 すると、赤が個室へ戻ってきた。その姿に緑が反応する。ファイアとリーフは、という緑の問いに、置いて来た、と返した赤は緑の隣へ収まった。 「こっちはこっちで楽しんでた?」 「まぁな。そこそこ」 「レッド、飲んでる?」 「んー? そこそこ」 「君たち、もっと具体的な感想ないの」 そのやりとりすら、恐ろしくて見られなかった。レッドの声が聞こえてくる度に心臓が馬鹿みたいに跳ね上がる。痛くなるぐらい。急速に乾いていく喉にグリーンは抗えない。机に置いてあったお冷やを無意識に手に取って飲み干した。それでも、足りない。砂漠に一人で遭難してしまったかのような感覚。 グリーンにとって非常事態だ。この飲み会が始まった時。こんなことになる予定など無かったはずなのに。まさかのレッドの、たった一睨みで! それがまず許せなかった。プライドと、恐怖の狭間で揺れている自分が。そもそも変な話だ。レッドの方に――――――非が、あったはずで。どうしてグリーン自身がこんなにも苦しい目に遭っているのか、理不尽でならなかった。 「グリーン、大丈夫?」 はっとした。気が付けばサトシとシゲルが首を傾げて、グリーンの事を見つめていた。おそらく、豹変した彼の容態に疑問を抱いたのだろう。当然だ。本当なら、彼は取り繕わなければならないはずだった。いつもの彼であれば、こんな時でも何のことでも無かったかのように、場を収めることが出来たはずなのだ。しかし。余裕が無かった。言い訳であるのは明白だ。それでも、無理だった。 何か言わなければならないのに、何も言葉が出なかった。 その様子は不審だった。他の兄弟から見ても。あのグリーンが、良く分からない状況になっている。それを敏感に察せられてしまったのだ。 「なんだよグリーン、どうした」 まさに。その元凶が声をかけて来た。 グリーンは首を動かすことすらままならない。どうしよう。またあの目が見えたら。今度は本当に自分自身が終わってしまうのではないだろうか。とうとう恐怖がプライドを凌駕した。 見るしか無い。ここまで声をかけられたなら。ここで無視をしてしまえば、何かがおかしくなってしまう。いや、この焦燥に気づかれてしまう。グリーンの中で、気持ち悪い波が何度も何度も腹の底へ落ちて。グラグラ揺れる視界のまま、グリーンはもう一度だけ、驚く程ゆっくりとレッドへ目をやった。そこには、先ほどの怪物などいない。ただ、純粋な目があった。ぽかんっ、と間抜けに口を開けた、レッドが。 その瞳に。良かった。と、心から安堵した。緊張していた全身が、一気に弛緩した。汗が全て床へ吸い込まれてしまったかのようだ。 「……何でも、無い。ちょっとアルコールに酔ったかもな。それだけだ」 「――――――あ、そ」 特に。レッドもそれ以上は突っ込まない。そのまま緑と赤の会話に交じっていった。グリーンは夢の中にでもいる気分になった。あれ、先ほどのレッドのあの目は、もしかすれば一瞬の白昼夢か。だなんて、そんな風に思えるぐらい、レッドの目は正常に戻っていたのだ。 サトシとシゲルも「なんだー」と安心し、また二人でぎゃいぎゃい騒ぎ出す。何やらドッと疲れて、到底他の会話の輪に入れる気がしなかった。 そうしていると、外に出ていたファイアとリーフが帰って来た。どこか、最初のぎすぎすしていた感じの無くなっている様子から、グリーンは何やら良いことがあったことを知った。良かった、と心で思う。どうにもこの二人は上手くやれている気がしなかったから、余計だ。 そしてやっとのこと、飲み会の最初の状態に戻る。兄弟八人が水入らずで過ごす。この僅かな時間の間に、それぞれ色々な想いが渦巻いていることを分かっている者もいれば、分からない者もいる中で。久しぶりの会合はどんどん過ぎ去って行く。 もうすぐお開きで。料理もほとんどなくなり。皆が中途半端に残った飲み物を片手に持ちながら。解けた氷で薄くなった味を飲み込みながら。飲み会が収束に向かって行った時のことだった。 「あー。ここでお前ら全員に発表がある」 突然の、緑からの言葉に。 全員が会話を止めて、彼を見た。 一気に視線が降って来て、緑は苦笑いを浮かべた。 そこにはどこか、恥ずかしさが含まれていた。 「いや、そんな大それた事じゃねーぞ」 「なんだよ緑兄、改まって」 「シゲルもそんな心配そうな顔すんなよ。むしろ嬉しい報せだぞ」 実はこの為に飲み開いたってのもあるんだなー!ははは、と笑って。緑はそこでやっと、笑顔になった。心の底からの、偽りのない笑顔。 しかしグリーンは嫌な予感がした。理由など無かったけれど。この晴れやかな緑の表情であるにも関わらず。何か、この直後、爆弾が落とされる気がして鳴らなかったのだ。 だから、頭の中で警報が鳴り響いた。それに気づいたのに、どうすることも出来なかった。どうにかするには、全てが遅過ぎた。気付くのも、遅過ぎたのだ。 「俺。お見合いすることにした」 どこかで。ガラガラと。砂のお城が崩れて行く。 兄弟全員で、今まで積み上げて来た思い出が。 しんっ。だなんて、世界が止まってしまった。 居酒屋であるはずなのに。他の客の賑わいが聞こえていたはずなのに。 お見合い。人生のパートナーを見つける為の、きっかけ作り。 その先に待つのは。お付き合いだとか。結婚だとか。子供だとか。―――新しい、家族。 思考回路がショートしていた。誰もが。なぜならば、誰も、どこかで想像していたようで、していなかった事態であったからだ。自分たち以外に、新しい家族が増える現実の可能性。 誰もが何も言えない。誰もがその光景を想像出来ない。中、ただ一人だけ。この静寂から脱却している人物がいた。 「そっか。緑も頑張ってね」 ただ、その赤だけが。 緑に笑顔で声を掛けたのだ。 そこでグリーンは、見てしまった。 先ほどの、レッドの瞳に垣間見えた獣とは全然違うのだけれど。 赤の瞳に潜んでいた、ドス黒い煙が。 ********************* これだから。社会人なんて。 |