人間ネタ
人魚ネタの続きです※
 

 初めて見た人間の町並みは。グリーンにただ感動をもたらしました。

 深海では決して見ることが出来ない、広い世界と大きな建物。それがどこまで続いていくような世界。両目に映るあらゆるモノが、グリーンにとって映しきれなかったのです。それは、人間にとっても同じでした。その一生で、どれほどの光景と出会えることが出来るのか。そんなこと、人間ですら可能性が狭まるというのに。
 たった一週間しか時間が残されていない彼からすれば、あまりに広すぎました。収まりきらないのです。どう足掻いたところで。

 それでもグリーンは精一杯、その小さな目で見られるあらゆるモノを覚えて行きたいと、懸命に城下町を歩き続けます。彼の身長では大人達に紛れてしまいそうで、ついぶつかってしまいますが、それでも関係がありません。グリーンはただ、前しか見つめていないのです。まるで、後ろに流れていく景色を置き去りにしていくかのように。

 彼の両の足は、まるで最初から彼についていたかのように、極自然に歩いていました。さすが魔女の魔法です。この辺りはぬかりがないようで。その代わり、彼は声を出すことが本当に出来ません。また、人魚の言葉と人間の言葉にはある程度の差があります。全く違うわけではないですが、グリーンは街中で飛び交う言葉の半分程は良く分からないことばかりでした。

(―――――おぉ)

 そして。ある程度町中を歩いていけば、徐々に喧騒も遠のいて。
 ちょっとした小川や草原の広がる場所へと出ました。
 そこでグリーンが新たに見つけたのは、お城でした。随分と遠くに立っているようでしたが、とても輝いて見えたのでした。
 そのとんがった屋根が特徴の、白い石で出来上がったお城は、彼の目に焼きついてしまったのです。
 とても素敵な場所があるんだなぁ、と。感慨深い気持ちになりました。
 もちろん。そうなれば、行ってみたいと思うのが当然の好奇心でしょう。
 グリーンも例に漏れず、その素直な感情に従ったのです。
 トコトコと歩いて向かおうとした彼ですが、実はこの町からお城まではかなりの距離があります。普通であれば馬車などを利用して向かわなければ、歩いてたどり着こうと思うのは大変なことでした。しかし、そんなこと考えもしないグリーンは、ただひたすらに足を動かし続けて行きました。
 




 グリーンがお城に向かって歩き出して。五時間程立った頃。フラッと足が崩れた彼は、その場に座り込んでしまいました。歩くことへの体力が全く無いこともあって、それ以上進むことが出来なくなってしまったのです。
 グリーンはよく状況が分かっていませんでした。足が動かなくなった理由が、疲労であることもよく理解出来ていません。彼の頭に広がる人間のことが、大きすぎたせいで、自身の体のことを置いてけぼりにしてしまったのです。
 頭に疑問符を浮かべながら、座り込んでしまった自分の体を見回して、動かない足に目がいって。体だけどうにか前に進もうとしたけれど。全く意味がありませんでした。ずるずると微かに動く体は、それだけしか意味がありませんでした。
 地面に擦れる両足に傷が出来ていくのも無視をして、両手でどうにか前へ前へ。そんなことをしても、到底お城へはたどり着けません。
 とうとう手の平までもがボロボロになろうとしていました。同時に、日が暮れていきます。薄暗い夕闇の中で、グリーンはただ誰もいない道の上で一人、その小さな身を引きずっていました。

 お城の輝きは見えています。しかし、届かない距離がグリーンに立ちはだかります。微かに近づこうにも、闇の手が伸びるほうが断然早いでしょう。彼は、そこでやっとのこと違和感に気づきました。これは、深海でも感じたことのある感覚でした。簡単なことです。

 恐怖、です。

(……あれ)

 じわり、じわり、と。寒さが襲っても来ました。傷だらけの足がますます感覚を失って行きます。とうとう、両腕すら折れてしまいました。べしゃっ、だなんて、あっさりと地面に伏したグリーンのことを、誰も見ていません。
 まさしく彼は、一人きりでした。全てから見放されている、のではなく、それ以前に見放す存在すらいないのですから。

(せっかく、人間になったのに)

 瞼が重いのも必然でしょう。
 グリーンの体に流れる血すら、速度を落としてしまったようです。
 もう寝てしまう、と思った彼は、どうにかその前にもう一度、お城を見ようとしました。首だけでも、顔だけでも、前に向けようと、頬を引きずって、傷をつけて、見ようとした先。

 大きな馬車が、彼の視界を邪魔してしまいました。

(――――ダメだ)

 涙が溢れて、直後に本当に真っ暗になった視界。










 道に伏していた、小さく傷だらけの体を、丁重に拾い上げたのは。
 反対に、立派な体躯をした青年でした。
 煌びやかなその衣装が、位の高さを示しています。

「―――――この子」

 砂だらけの髪の毛を撫でて、そのオデコに手を添えます。
 まるで壊れ物でも扱うように、繊細な手つきでした。
 頬に流れた涙の跡を、青年の指が拭って行きます。





 その日。この町のお城に住む王子が、一人の少年を連れて帰りました。
 お城のはるか向こうに、暗雲が立ち込めることにも気づけないまま。


neta


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