color WARing -29-


 急いで手術室へと運ばれた、あちらの世界のグリーンは。
 頭と首を繋いでいる重要な骨、神経、筋肉の酷い損傷で。
 もし奇跡的に助かったとしても、重度の後遺症が残ることが、もはや確定した。

(どうして)

 自室にてただ、その両膝を抱える。
 呆然と、もうどこを見て良いかも分からない。
 いや、もしかすれば。もう、何も見る必要は無いのかもしれない。
 そう。もう。何も。

「いや、よ」

 いや。見たくない。何も。これ以上。世界を。どうして。私は。逃げられない。この状況から。助けて。逃げられない。どこに行っても。きっと。この世界にいる限り。彼の選択を。私も選ぶ時が。来る。いつか。

「グリーン……ッ」

 死なないで、と願うのは。
 彼が、グリーンと同じ存在だと言われるからだろうか。
 いや、違う。
 私の中にあるこの感情は、それだけでは無い何かで覆われている。
 人間は単純な生き物だ。単純であるが故に、多くのことが割り切れない、哀れな生き物だ。









 あのポケモンバトルとも呼べないポケモンバトルが、最悪の形で結末を迎えた後。
 もう何時間が経ったかも分からない。
 時間感覚など不要だと、頭が判断してしまったようで。

 私の本当の弟であるグリーンは、ずっとあのグリーンに着いて手術室へと向かっていった。彼は自分が必要となることを理解していたのだ。彼らは初めて揃った同一の存在ということで、当初に色々と検査を受けた。それは互いの血液に関しても。
 グリーンにとっての血液に関する最適合者は、弟のグリーンだ。輸血をするならば最高の相手だろう。
 つまりグリーンもまた考えているのだ。あのグリーンを死なせてはならないと。その理由は私にも分からない。グリーンはグリーンで、色々なことを考えている。その全てを私は悟れるはずもない。

「ナナミさん」

 扉からノックが聞こえた。
 ボロボロでどうしようもない顔のまま大きく体が震えてしまう。驚いた。誰だ、と思ったものの。その女性の声には聞き覚えがあった。グリーンがリーダーをしているトキワジムの、エリートトレーナーだ。

「入って」
「失礼します」

 扉の向こうには二人立っていた。名前も良く知っている。アキエちゃんとヨシノリくんだ。私がトキワジムへ赴いた時に良く挨拶をしてくれる。

「御報告があります」
「あちらのグリーンさんの手術が、成功しました」

 ベッドに座ったままの私とは正反対に、どこにも座ろうとしない彼らから聞いた言葉に。
 しばらく硬直して、一気に力が抜けて行った。

「そ、――う」
「代わりに。リーダーが貧血で倒れてしまって。今は安静にしていらっしゃいますが」
「あの子、馬鹿みたいに輸血したのね。きっと」
「他にも検査して一般的に適合すると判定されたトレーナーからも血を集めたんですが、リーダーが医師に直談判してしまって」

 あいつが死ねば俺のせいだ、と。叫んだらしい。

 ヨシノリくんからそう聞いて、溜息しか出て来なかった。なかなかの無茶をしてくれる。それであなたが死んだらどうするのよ、と問い返したいくらいだ。
 けれど。何より。手術が成功したということは幸いに他ならない。あれほどまでに損傷してしまった部位がありながら容態を安定させる所まで持って行くことは至難の業だろう。医師の技術が高かったことが見受けられる。そもそも、あんな見たことも無いはずの傷に対して、対処が出来たことが素晴らしい。

 救われた。それは、私達も。

「でも、あのグリーンさんの手持ちのポケモン達は、もう戻って来ないんですね」
 
 アキエちゃんが、そう零した。
 それは、確定された事項だ。あの時、発光して空気へと霧散してしまったポケモン達。彼のモンスターボールが次々に空となっていった。本当に、こんな現実が起こりえるのかと疑いたくて。それでも現実であることを突き付けられて。どうしようもなくて。
 あの現象が向こうの世界で起きているとするならば。こちらの世界へ彼らが憎しみを向けても仕方が無いのだろうか。どうすることも出来ないのだろうか。本当に。このまま、様々な悲しみと苦しみの連鎖が繋がって、いつまでも繋がって、皆が死ぬまで終わらなくて、そうやって。この世界は終わって行ってしまうのだろうか。

「何も、出来なかったっ」

 両腕で頭を抱えて、アキエちゃんは床に座り込んだ。

「あの人は、確かにこっちの世界の人じゃ、ないかもしれないけど、でも、リーダーです。私達の、リーダー。それなのに。動くことさえ出来なかった。あの人が、あの凶器を口に突き立てた時だって。何も。血が、出た時だって」

 あの後。真っ先に動いたのはクチバジムのジムリーダーであるマチスさんだった。
 響いた残酷な音を前にして、カントー地方のジムリーダー達は体を委縮させてしまった。彼だけが何の躊躇いも無く走って向かって。すぐに着ていた服を脱いで止血を開始したのだ。かつて海外の軍に居た経験があることは風の噂で聞いていたが、本当にそうであったようで。強靭な精神だ。
 私は。グリーンが血飛沫を上げながら倒れる所をただ、見ていることしか出来なかったのに。

「私は、私を許しません」

 きっぱりと。言い放った。
 唐突に、声色の変化したアキエちゃんの姿に。ただ瞠目する。
 合わせた視線の先には、決意が込められている双眸がある。

「ナナミさん。あなたに聞いて欲しい事があります」
「まだ、トキワジムのジムトレーナーの間でしか結託していないんですが」

 そして、ヨシノリくんの瞳にも、だ。

「俺達は絶対に。誰も殺さない。殺されもしない。誰かが誰かを殺そうとするならば、全力で止める。俺達は本部に依存しない。俺達は自分で考えて、決定したこと実行する。俺達は独立した組織だ。俺達は誰にも縛られない。俺達は大切な人を護る。たとえそれが、向こうの世界の人間であろうとも」

 その言葉には、一寸の曇りも無い。

「これからトキワジムのジムトレーナー達は、本部への徹底抗戦を誓います。それは暴力では無く、自分達の信じるモノにおいて」

 胸が熱くなる。
 気が付けば、また泣いてしまっていた。
 それは、先ほどのモノとは正反対の、熱を持っていて。
 止めようとは決して、思わなかった。

「あっ。でもこれ、リーダーに許可貰ってからの話ですけどね」

 あぁ。こんなにも私の弟は、愛されている。
 ただ嗚咽を垂れ流す私の側に、彼らはずっと居てくれた。

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