color WARing -27-


 きっと、救いは無いんだと、思った。


 それは最初から決められていたに違いない。なのに、馬鹿みたいに縋ろうとした僕達が愚かだったのだ。どうにかなると、思っていた。この状況が。それはもう、儚い望みでしかない。
 イッシュ地方とやらからやってきたトレーナー達は、かつての僕達と同じ眼をしていた。まだ、あの人達は救いがあると思っているのだ。可哀想に。その事実を叩きつけられていたトレーナーもいたが、おそらく根本的には理解していないと見えた。なぜなら、これは言われて理解出来るものではないことを、充分に僕達は知っているからだ。
 直面し、実感し、絶望して。ようやく、どうやって一歩を踏み出して行けば良いのかを、考える。その境地にはまだ、至っていない。

「ヒョウタ、行って来るぞ」

 父は笑顔だった。彼の大きな掌が僕の頭を撫でる。見送ることなんて本当はしたくない。分かっているんだ。何かが起こってしまうことを。僕達は。それでも止められる術を持たない僕は、世界にとっては小さくて小さくてすぐにでも踏み潰すことのできる程度の価値しかない。
 父の大きな背中が遠ざかって行くことを、ただ眺めるしか出来ない僕には、一体何が出来るというのだ。

 父が向かったのは鋼鉄島だ。ゲンという名前の、ルカリオを連れたトレーナーと共に、テロ集団の討伐へと向かった。犯人達がどこからやってくるのかもう判明したというのに、争いは止まらない。それもそうか。向こう側から仕掛けられてくる限り、抵抗しなくてはならない。こちらが非力になってしまえば、すぐにでも叩き潰されてしまうのだから。
 殺される前に、殺すしかない。あのトレーナーの言葉が焼き付いて離れない。こちら側の世界にただ一人、残されてしまった彼の言葉。幼馴染に裏切られ、そもそも、幼馴染を見棄てて、彼はこの世界に留まることを決めたらしい。何をされるかも分からないだろうに、彼は堂々とこの世界に居座っていた。どうしてそんなことが出来るんだろう。いつ殺されるかも分からず、怯えているというのに。僕達は。
 命の大切さだなんて、そんなもの誰も語らない。最も大切なのは、どうやって自分の身と、大切な人達の身を護るか、だ。かつて、ジョウト地方のジムリーダーが一人、殺されてしまった後。ジョウトのジムリーダー達はさらなる結束をもってして、本部と対等に渡り合おうとしている。確かに気持ちは分かる。僕だってシンオウの他のジムリーダーが殺されてしまったら、だなんて想像するだけで恐怖に見舞われる。それに直面している彼らの心情がはかりしれないことは、充分に理解はしているのだ。だが、理解することと彼らと同じ感情を持つということは、違う。
 僕は、どうしても思ってしまうのだ。この状況において、仲間が殺されることは当然だ、と。それを受け入れられない限り、前には進めない。ジョウトのジムリーダー達はあの時から、前に進もうとすることすら止めてしまった。ひたすらの保身に走る。もう誰も仲間を失いたくないが故に。
 それではきっと、勝てない。あの時、こちら側に置き去りにされた彼の言葉を何一つとして理解していない。つまり、その先に待っているのは全員の死だ。その死とは、自分の誇りにおいても。

 進まなければならないのだ。もし、この状況に勝利したいのならば。たとえ周りにどのような屍が積み上がった所で、関係が無い。それを踏み越えて行かなければ、生かなければ、ならない。生きたいのならば。僕達が生きている限り、様々な犠牲はすでに及んでいたはずだったのだ。その対象が人間となっただけだ。本当のことを言えば。

 言い聞かせて、どうにか言葉を呑み込んで、現実を受け入れようとして。
 理屈では分かることが多くある。それでも、やはり僕も受け入れきれてはいないのだろう。ここまで考えが及んでいて、それでも最後の最後で肝心な所が拒絶をする。お前は、それを認めて、それでも人間として生きて行けるのか、と訴えてくる。
 そう。僕がこうやって考えることは、全て非道なことだ。諦めろ、と言っている。人間が死ぬことに抗おうとすることを。諦めろ。そうでないと、保身する人々の仲間入りをするだけだ、と。

 保身に走れば、ただ殺されることを待つだけだ。
 ならば、人を殺す覚悟を。

「ヒョウタ」

 父を見送って、呆然とその場に突っ立っている僕に声が掛けられた。特徴的な髪型をした、ヨスガのコンテストでもマスターランクのメリッサさんだ。紫色がテーマカラーな彼女。扱っているポケモンがゴーストタイプが多いからマッチして見えるが、どうやら色々と意味が他にも篭められているらしい。

 紫は高貴の色であり、また死を司る色だ。

「トウガンは、行った?」
「はい」
「他のジムリーダー達 向かった」
「シンオウ地方は後、スモモでしたね」
「えぇ。場所はマニアトンネル 聞いた」

 こうして、どんどん僕達と離れた所で、争いが起こる。そして、僕達の手の届かない所で、多くの命が失われる。その中に、いつ仲間が入ってしまうかも分からない。すでに、入ってしまった存在がいる。
 父も、スモモも。他の多くのジムリーダーも四天王もチャンピオンも。どれだけの実力を持っていたとしても関係が無い。それこそ一番この世において、平等な権利である以上は、誰もが逆らうことが出来ない。そもそも逆らうことなど考えてはならない。
 それなのに。どうしてこんなにも。抗いたいと願ってしまうのだろう。

「希望はない 思ってる?」

 メリッサさんが、そう尋ねてきた。
 驚いて、僕は俯きかけていた顔を上げた。
 彼女は、笑っていた。ただ。何の穢れも無い。
 どうして。こんなにも僕は絶望に貶められているのに。
 いや、僕だけじゃない。
 他の大勢のトレーナーが。

「最近、わたしのゴーストポケモン達 騒いでいるわ。彼らは謎が多い。わたし 身近に彼らがいるおかげで良く分かる。虫の知らせ ご存知?」

 その言葉は、外国生まれの彼女よりもよほど、僕達に根付いている言葉だ。
 父の向かった先をそのまま遠くに見ながら、メリッサさんは片言で続ける。

「人間よりずっと、ゴーストポケモン達、敏感。何か良くないこと起こる時 良いこと起こる時も。ここしばらくずっと、嫌なざわつき 起こる。良い方にもざわめく。でも、周りは絶望なことだらけ。どうして良い方にざわめく? 彼らは何を感じている?」

 言いながら、彼女の手持ちから放たれたモンスターボール。
 ムウマージがふよふよと彼女の隣を浮遊する。
 その赤い瞳が確かに揺れているように思えた。この僕でさえも。
 けれどそれは、決して絶望では無い。不安だ。不安に揺れている。
 その不安とは、何なのか。

「そこで、思った。考えて。色々と分かったけど、まだ分からないことばかり。それなら、そうやって知らない所 良い事が起こっている。敵の正体、判明した、でも、あの人達が本当に敵? 認めてしまって良い? 確かに今、敵いないと、パニック起こる。敵の姿、分かって。皆がどうしようか、となっている。それ、おかしな話」
「メリッサさんは、彼らが敵じゃないと言いたいんですか?」
「いいえ。そうじゃない。彼らが敵なら、今、皆は正しい。でも、そうじゃなかったら? 誰も考えていないことが、怖いわ。叩き潰される。パニックが起こる。こちら側の世界、終わってしまうかもしれない」

 頭に衝撃が走った。一瞬、呼吸を忘れてしまう。
 そんなこと、考えもしなかった。
 もし彼らが敵で無かったとしたら。こんなにも殺して、殺されてを繰り返す、この相手が敵で無いとしたら。僕達はきっと途方に暮れてしまう。それこそ進むべき指針を見失って。かつて、敵が何であるかも分からず、ただひたすらポケモン達に人間やポケモンを殺させてしまった時と同じだ。あの感覚は、二度と味わいたくない。
 そこまで考えて。僕は気が付いた。メリッサさんの言葉がやっとのこと体に落ちた。そうだ、確かに。今の僕達はおかしい。良く考えてみれば、僕達の行動自体は何も変わっていないじゃないか。ただそこに、目的が着いて来ただけだ。根本的には僕達は誰もが殺戮者であり、被捕食者だ。現場で繰り広げられていることは、ただの命の奪い合い。
 何を、安堵していたのだ。

「そもそも、どうして平行世界同士での干渉が起こってしまったのかを考えるべきだと思わない?」

 凛とした、声だった。
 ハッとして振り向けば、そこには長い金髪の美しい、僕達のチャンピオンがいる。
 メリッサさんは特に驚いた表情は見せなかった。

「あら、シロナさん」
「メリッサ。あなたの考えに私も賛同するわ。本当は、皆が冷静であればもっと早い段階で議題に上げるべき話題よ。でも、あまりにそう言っていられないものだから言わないでおいたけれど」

 両腕を組んで歩み寄ってきた彼女。その顔は暗いモノではなく、むしろ明るい。
 それは、シロナさんが絶望していないことを示している。
 これっぽっちも。
 あれほど追い詰められていた僕の心が、どこか軽くなっていくことを実感した。

「よく考えてみれば、根本的におかしい話なのよ。私達と別次元でありながら同一な存在が、どうしてこちら側に一方的に干渉してきているのか。その差異は何なのか。そこを突き詰めないと結局、この状況を打破出来ないわ」
「えぇ。その通り。でも どうしてか分からない」
「一つだけ、私に推測出来ることがある」

 メリッサさんが、顔色を変えた。
 僕も驚いた。まさか、シロナさんがそこまで考えを進めていたとは思わなかったのだ。
 あまりにも、目の前のことで必死だったから。

「本当に?」
「えぇ。けれど、何も根拠が無いから、説得力には欠けるわ。それが真実でない可能性が大きいけれど。今の段階であれば、これしか考えられない」

 そこで初めて、シロナさんの表情が微かに歪んだことを見逃さなかった。

「今、この世界とあちらの世界の『時間』と『空間』が捩れている可能性が、あるわ」

 ―――しかも、一方的に。
 その二つの単語は、シンオウ地方に住んでいる者であれば、もう耳に焼き付いて離れていない。

「だからどこかで次元の穴が出来てしまっているのに、こちらではそれが発生しないのよ。完全なる一方通行よ。もう一人のグリーン君の話を聞いた限りでは、その一つがシロガネ山の頂上でまず発見され、そしてあちらの世界では次々に発見されていっている。と同時に、ポケモンが消えていっている」
「時間と、空間って」
「ディアルガとパルキアが関わっている可能性があるわ」

 なんてことだ。それは、シンオウ地方の伝説。 
 かつてギンガ団がその力を利用して、アルセウスやギラティナの力を得ようとした。
 だが、確かにこの異常現象を説明するには人の手だけでは到底、収まりきらない。分かっていたが、どこかで否定したかった。ポケモンの手が加わっているなど、考えたくも無かった。
 ポケモンのせいで、こんなことになっているなんて。

「まず、人工的な技術ではそんなことを起こせるはずがない。けれどポケモンの力であれば話は別よ。私は様々な地方の神話を調べているけれど、今回の件に最も影響を与えているとすればこの二匹しか考えられない。あちら側の神の世界で、何かが起こって―――」
「シロナさんッ!」

 いきなり飛び込んできたのは、赤いアフロが特徴的なオーバさんだ。
 重く語っていたシロナさんの空気が変貌する。僕と、メリッサさんも。
 三人が一斉に視線を向けると、息切れした彼は無理矢理に言葉を紡いだ。すぐ傍にある壁に片腕をつきながら。
 とてつもなく、良くないメッセージであることは聞かなくても、分かる。何を言われるのか分からなくて、心臓が変にビクついた。

「カントー地方の、こっちのグリーン君が、あっちのグリーン君とバトルするって……!」

 本部に用意された、バトルフィールドで。

 氷の刃が全身に突き刺さって来る気分だった。
 最後まで聞かなくても、すぐに、僕達三人は駆け出していた。

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