未だ愛を知らず ※ホストなグリーンと裏社会で生きるレッドの出会い編※ とある町のとあるアパートにとある男が住んでいた。名前はグリーン。ホストで生計を立てている彼は朝帰りが常。その日も同じように、酒で荒れた胃を中和する為にコンビニでインスタント味噌汁とミネラレルウォーターと、温めればおかゆになる商品を購入し、帰路についていた。カラスや猫がゴミを漁る光景は見慣れた。ホームレスが新聞紙を被って暖まろうとしている様なんて当然で、ぼんやりとした視界の中に自分がふわふわと漂っているような感覚に陥る。重力の掛った体は確かに、この地に足を着いているはずなのに。グリーンはふと冷えた空気に身震いした。 とぼとぼと。音で言えばそんな足取り。目線を下にして、足下を見ながら歩く彼はどこか無機質だった。目に力は宿っていない。吐く息は白く、そのまま掻き消える。僅かに寒さで赤くなっている鼻。首に巻いたマフラーに何とか埋めようとする。コートは温かいけれど、まるで彼の心は温かくなかった。彼には家に一緒に住んでくれる人がいない。彼女もいなければ誰かとルームシェアしているわけでもない。それが原因なのか、と問われれば彼は首を振るだろう。ただ、無性に寂しいとは思った。店で働いている時だって、別にお客さんの相手をすることで自分の寂しさが満たされるわけではない。だから彼は、ずっと一日中、寂しいのだ。それを決して人には見せないように普段は心がけているが、こういった時には逆に誰も周りにいないから。彼を見る人なんていないから。だから、表情に出したって問題ない。けれど、それを認めてくれる人すらいない。 つまりは、どこにいたって彼は虚しくて、もはや何のために生きているのか良く分からなかった。お金は手に入る。充足感はない。お店に行けば自分の居場所はある。家に帰れば一人ぼっち。彼の溜息など誰にも聞こえなければ、彼の溜息などに存在意義もない。 だからだろうか。いつもなら通り過ぎて何事も無かったかのように振舞うのに。『ソレ』に目がいってしまったのは。こんな、クダラナイ生活から脱却したいが故。刺激が、欲しかったのだろうか。 アパートの階段下にあった黒い塊は。確かに呼吸をしていた。血を流しながら。 「……うーわ」 思わず声が出て、グリーンは目を離せなくなった。 何だ、これは。と、久方ぶりに自ら湧き出た好奇心に逆らえず。階段の前から動けなくなる。近づくべきかどうか、警戒心がカケラ程度に残っていた。しかし彼の直感は告げていた。こいつは、お前にとって無くてはならないモノになる。ここで見離せば、お前はまた元の生活通りだ、と。必然だった。彼は、この塊を家に運び入れることにした。蹲っていた状態から腕を探しあて、それを引っ張って何とか肩へ担ごうとした。拒絶は無かった。むしろ、あまりに従順。グリーンはホッとする。自分と同じくらいの身長と体重の男だった。息が荒い。顔はかすり傷と泥と血で塗れていた。 部屋まで案内するように運べば、血が延々とグリーンの部屋の扉まで続いてしまって、その処理も考える必要があり、またこの人間をどうやって扱おうかにも悩まないとならなくなった。それにしても彼にとって朝から夕方までは貴重な睡眠時間であるというのに、彼の脳内は驚くほど冴え渡っていた。とりあえず血塗れの状態で部屋にまで上げられなかったものだから、玄関に乱雑に放置していた靴を全て片付け、そこへ座らせ置いておくことにする。そして棚から風呂に使う漂白剤を取り出して玄関前から階段まで掃除した。まだ完全に乾ききっていなかったせいかい、多少の跡は残ったもののそれが血であるとは認識できないほどには薄れた。その間にも黒い物体は出血を続けていたはずだが、不思議とグリーンはそれがそのまま死ぬとは考えていなかった。 片付けが終わり部屋へ戻ってみると、黒い物体は勝手に風呂へと入っていた。浴槽からシャワーの音がする。グリーンは笑った。どうやらタオルを上手く使って部屋に血が付かないようにしたのか、玄関から風呂までの道のりに一切血は付いていなかった。そして救急箱を用意する。また、針と糸も。熱湯も湧かして、完全に消毒の準備を整えた。これが必要となることを予感していた。 風呂の扉が開く音がして顔を上げた。そこには何とか壁に凭れかかって立っている水滴に塗れた全裸の黒髪の男。急いで駆け寄ればやっと血の出所が判明する。腹部だ。刃物で切られた訳ではない。穴が空いている。グリーンが日常では決して見ることがない傷だ。それは、銃痕。 「ごめん、お風呂汚れちゃった」 おそらく貧血やら諸々、襲い掛かっている。青白い顔をした男を無視して、グリーンはすぐにタオルで男の体を粗方拭くとそのタオルを洗濯機へ放り込み、新しいタオルをその傷口に押し付けた。だいぶ血が固まって来てはいるが、出血が止まらない。顔を顰めた。これは縫うしかないだろう。やはり。 「縫うか?」 尋ねて、男は応えた。 「うん、出来れば」 自分の下着や服を貸して、何とか最低限の物を身に付かせればそのまま居間へと案内する。ボウルに入れた熱湯と針と糸。糸ははっきり言って、それ用の物では決してない。持っているはずがない、そんな専門的なものを。だが、男はありがたく受け取っていた。しかしこの貧血と疲労の状態で縫えるのだろうか。針に糸を通して、その切っ先を熱湯に付けて。男はそれを傷口へ近付けた。グリーンはビクビクしながらその様子を見守るしかない。自分がするわけではないのに、男が怪我をしている場所と同じ腹部に痛みが走る気がした。目を背けたくなる。 しかし。 「怖いなら見ない方が良いよ」 一言、そんな言葉を掛けられてしまったものだから。 グリーンは元来、負けず嫌いだ。子供の頃からそれだけは変わらない。だからホストで仕事することを決意した時も、必ずナンバーワンになってやる、と誓って。見事にそれを達成している。未だにグリーンよりも人気のあるホストは彼の店にはいなかった。売り上げは一番、彼が高い。 思いっきり、男の作業を凝視し始めるグリーン。男は驚いた。しかし、特に何も言わずに作業を開始する。限りなく痛いはずなのに、男は一つも声を上げなかった。だが腹部の皮膚は時折痙攣する。グリーンは強靭な男の精神に驚いた。一体、どういった経緯でこんな傷がついたのか興味がありすぎて仕方ない。グリーンが知らない世界でこの男は生きている。それを示すものだった。毎日毎日クダラナイ中で生きなければならなかった自分では決して出会えることが出来なかった、その世界の扉をこの男は持っている。 「君、面白いね」 縫う作業が終わり、糸を無理矢理手で切った男は、大きく息を吐いてからそう告げた。グリーンもまたやっとのこと終了した作業にほっと胸を撫で下ろしていた所。彼の発言に目を丸くした。 しかし、直後に真後ろへ男が倒れ込んで、慌てる。やはり体力は限界だったようで。 「おい、大丈夫か」 「うん、ちょっとクラクラするね。やっぱり」 「ちょっと所じゃないだろ」 「はは」 「何か要るもんあるか」 「至れり尽くせりだね」 「輸血とかって、必要ないのか」 「病院には行けない。足が残るから」 「じゃぁ」 「そうだね、食べ物と飲み物が欲しいかな。出来れば肉とミネラルウォーターで」 「分かった」 「ちょっと寝かせてもらっても良い?」 「あぁ」 「ありがと」 笑って、男は目を閉じた。すぐに寝息が聞こえて、よほど疲労していたんだな、と漠然に思う。グリーンはそのまま財布を持ってさきほど寄ったコンビニへ向かうことにした。とっくにワックスも落ちてしまった髪の毛はダラしがない。けれど彼はどこか笑顔が浮かんでいた。普段の彼ならこれからお風呂へ入って睡眠を取るのに、そんな日頃のローテーションなど頭から吹き飛んでいたようだ。 微かに生活の変化を感じ、グリーンの胸は高鳴っていた。その代償がどれほど重いものかも知らないで。 - - - - - - - - - - あとがき レグリに飢えているとらやさんへ勝手に捧げる一品。ここに後輩ホストのヤスタカが巻き込まれる形で続きます。うえーい! |