霊媒体質と幽霊
机を挟んでつい先ほど遭遇した幽霊と向かい合う高校生のサトシは、黙々とコンビに弁当を食していた。正座で何も言わず俯いている幽霊は、シュンとしてしまって元気が無い。もぞもぞとお尻で圧迫されている足を僅かに動かすばかりだ。色素の薄い茶色の髪は若干重力に反している。見た目はサトシよりも幾分か幼い印象を受けた。中学生くらいだろうか。
「なぁ、どうすんの」
少し冷たい声色に、ハッと顔を上げた幽霊。しかしすぐに視線を泳がせる。微かに冷や汗も浮かんでいた。幽霊にも汗腺はあるのか、だなんてクダラナイ考えに至ったがすぐに興味が失せる。
今日、偶然サトシが高校から帰る時に出会ったのがこの幽霊だ。電柱の傍に座り込んでいたその子に、声を掛けてしまった。サトシは自身が酷く霊感のある人間であることを認識している。だが、コントロールが出来ていなかった。生きている人かそれとも霊体なのか、それが未だに判別できない。だからその時も体調を崩した男の子がいるのかと思ったのだ。しかし、その男の子が顔を上げてサトシを凝視してきた瞬間、しまった、と内心で声が漏れた。
「僕が見えるの」
もはや声を掛けてしまった時点で、否定できるはずもなく。
非常に嫌ではあったが、それから男の子を無碍に出来ず、サトシはついて来るままの男の子をそのまま部屋に上げた。だが、それ以上幽霊には関心を示さないような態度で対応することにした。幽霊の男の子は、とりあえずサトシの家にまで辿り着いて、しかしどうすることもない。ただ彼の前で沈黙を保つだけだった。
「あのさぁ、母さんがもうすぐ仕事から帰ってくんだよ。出来ればそれまでに出てって欲しいんだけど」
「ぁ……は、はい」
「まぁ、別に今この場所に居たってお前は何も出来ないんだろうけどさ」
だったらとっとと出て行け、と暗に示した。
サトシに悪気はない。全く持ってその通りだったから。彼がこんなところに居たって仕方ないのだ。それで救われるはずもない。この子が。サトシは別に霊に敏感なだけだ。彼らをどうのこうのする術など知らないし、どう扱えば彼らを導けるかなど尚更。だからこそ早くこの子はサトシの前から居なくならなければならなかった。幽霊事情など知らないサトシだったが、こうやって無駄にしていく時間の中で彼にとってもっと必要なことがあるかもしれない、と思うのだ。ただ見えた人間について来て、でも結局こうやって何も出来ない時間を過ごすだけなら、ついてこない方が良かったのではないか。
サトシは良く分かっている。今まで何度も経験してきたことだ。おそらく自分の状態を良く分かっていない幽霊は、あらゆる存在から無視をされ、避けられ、唯一声を掛けてくれた存在に縋りたくなる。幾度も間違いを犯してきたサトシには良く分かっている。良く、分かっているのだ。
しかし、それを真っ向から宣告する程の力量が、彼には無い。幽霊は全く怖くないのに、彼は臆病だった。それは優しさではない。ただ、幽霊を傷つけることが怖くて、幽霊にとって本当に大切なことは何なのかを貫き通せない、彼の弱さだ。
「僕は、シゲルって言って」
ぽつりっ、ともう消えそうな声が聞こえた。
また俯いた幽霊の声だった。
まだ変声期の片鱗も見せていない、少年の声。
「隣町に住んでた。公園で遊んでたんだけど、ボールが道に出ちゃって。そしたら大きい耳が痛くなる音が右から聞こえて。気づいたら」
あぁ、それは轢かれたな。
決して目を合わせないまま、ただ少年の話を聞くサトシはそう判断した。
良くあることだ。子供の飛び出しによる車との衝突。事故だ。そういえばつい先日、隣町で起こった交通事故のニュースがあった気がする。その当人だろうか。名前まで覚えていない。確か死亡したのは少年だった。それだけの一致で判断するのは浅薄かもしれないが、サトシの勘は外れたことがない。霊感強いとこういったところにも作用するのだろうか。
「姉さんが、今日誕生日なんだ」
いきなり話が切り替わる。これも幽霊と話している時によくあることだ。記憶の混濁。肉体を失くして飛び飛びになっている生きていた頃のシーン。
「この町のケーキ屋さんが好きで。買おうとしたんだけど。―――買え、なかった」
手動の扉なら持てないから開けない。自動ドアであればまず体が無いのだから反応しない。誰かが開けて入った後ろをついて行こうとすれば店員さんには無視される。他のお客さんの体を擦り抜けてしまう。商品に触れようとすればガラスを擦り抜けケーキすら擦り抜け触れられない。
そこでようやく、少年は死んだことを理解したのだと、サトシは思った。
「姉さんっ」
だから、これだから、嫌なのだ。
幽霊の涙なんか見れば、涙脆い人ならきっと共感して泣いてしまうのだろうけれど。もはやサトシの心を揺れ動かすことはない。シゲルと名乗った少年はきっと、そんなサトシの様子も良く分かっていたのだろうけれど。泣かずにはいられなかった。なぜなら、彼は今までずっと泣けなかった。認識されない自分の存在。肉体は無くなっても確かにここにある意識を否定できない。それでも周囲から認められなくて、サトシに声を掛けられた時は本当に理解が出来なかったのだ。だから無我夢中で着いていくしかなかった。ここでチャンスを手放せば、一生自分はどうしようもないと思った。サトシだけが救いだったのだ。シゲルにとって。そして、こうやって泣いているシゲルをサトシは認めてくれている。否定もせず。拒絶もせず。
シゲルは心から溢れた奔流に逆らえない。心なんて無い、だなんて。言わせない。ここに確かに、在る。
「すっきりしたら、どうすれば良いか考えれば良い」
嗚咽が響く部屋に。サトシの相変わらずの冷たい声が響いた。
「俺は責任の持てない助けを、したくないから」
しかしそれは、シゲルにとってはとても優しい響きを伴って届いて。
ただ腕で涙を拭いながら、首を縦に振った。
(あとがき)
真面目なさぁーとし君。