レッドが風邪をひいた時以来、どうも顔を合わせにくくなっている自分がいることに気が付いた。

 レッドの風邪が治って初めて遊んだ時はまだ良かった。前の約束通り小山へ行って俺の知っている限りの場所を案内し尽くした。暗くなる直前まで。帰ってきたら姉さんに「レッド君は病み上がりなんだから」と叱られた。
 レッドも楽しそうだったから良いと思ったんだけれど、それは俺から見ればの話だったから、もしかすればつまらなかったのかもしれないけど。そう考えると妙に悪いことをしている気がして来た。今回の風邪も母さんはあぁ言ってたけど、やっぱり俺が遊びに連れ回したのが負担だったみたいで。レッドを毎日のように遊びに誘うことは止めた方が良いと考え始めた。それから一週間に2,3日だけレッドの家に行くようになった。最初は特に疑問を覚えなかったらしいが、途中からレッドが訝しみ始めた。どうして毎日来てくれないの?と問われたことがあったけど、レッドはまだ外の遊びに慣れてねぇみてぇだからな!と言うしかなかった。
 その言葉にレッドがどこか傷ついた表情をしていた気がしたけど毎日遊べるなら俺だって遊びたいんだ。本当はこんなこと言いたくない。

 今日はレッドの家でゲームをすることになっていた。珍しく外で遊ばない日。何でかって言えば二日前に遊んだ時、「次は僕の家でゲームしようよ」と初めてのお誘いがかかったからだ。本当にあの時はビックリした。俺からしか誘ったことがなかったのに。
 断る理由なんて無い。じゃぁ二日後な!と言って別れた。その時、えらくレッドが顔を顰めていたことに気付いた。勝手に遊ぶ日を決めてしまったからだろうか。でもそれならそうと言ってくれないと分からない。とりあえず何も気にせず俺は三日後を楽しみにしつつ家に帰った。
 そうして今俺はレッドの家の前にいるわけだ。レッドからの初めての約束。ちょっと嬉しさもありながらインターホンを鳴らす。母さんがひょっこり顔を出してくれて、俺をレッドの部屋まで案内してくれる。二人分のジュースも忘れない。入った部屋の先にはゲームを準備しているレッドの屈んだ姿があった。俺が部屋に入ってきたから顔を上げて、どこか暗い表情に疑問を覚える。母さんは「仲良く遊んでね」と一言だけ言って去って行く。残されたジュースの一つをレッドの側に置いて準備が終わるのを待った。
 いそいそとレッドの隣に座って用意されたコントローラーを握れば、ちょうどゲームが起動される。そういえばこうやってゲームをするのはレッドが初めて俺の部屋に入った時以来か。あの惨敗の記憶がちょっと懐かしく思える。今となっては悔しさも何もない。またレッドの凄いとしか言えないテクニックを見られると思うとワクワクした。外で遊ぶ時と同じだ。

「グリーン」

 ゲームのメイン画面で止まってしまっている状態。1Pのコントローラーを握るレッドが目線をテレビに釘付けたまま呟いた。何だよ、と返してもレッドは顔を動かさない。大抵こっちを向いて話してくれるレッドからすれば珍しいことだった。せめて顔だけでもこっちにいつも向けてくれるのに。

「どうして毎日誘ってくれなくなったの?」

 またか。だからお前が外の遊びに慣れていないからだって。
 ありのままに告げてもレッドはどこか遠い目をしている。心ここにあらず。何だかそれが嫌だったから「だってお前、それで風邪ひいたんじゃねぇか」と言えばやっとのこと俺の方に顔を向けてくれた。しかし表情は暗い。どうしたんだろう。最近はずっと俺と遊ぶ時はもっと楽しそうな顔をしてくれていたのに。いつもと違うレッドの様子に困惑するしかない。そんなに毎日遊びに誘って欲しいんだろうか。俺から。
 何かしら他に言い訳が無いだろうか。必死に冷や汗を少し額に浮かばせながら絞りだす。何か、何か違和感の無い言い訳。俺は最近何をしているんだっけ。別にレッドと遊んでいるだけじゃない。あ、そうだ。あるじゃないか。

「お、おれっ、ポケモントレーナーの勉強してんだよ!」

 だから忙しいんだ! うん、これこそ最高の言い訳だ。
 じぃさんがポケモンについての研究の第一人者であるとか、そういうことが理由じゃない。ポケモンが好きなんだ。トレーナーには必ずなるつもりでいるし、出来ればポケモンと長く触れ合える職業につきたい。強いポケモンとバトルしてみたい。強いポケモンを捕まえてみたい。
 でも勉強なんて実は全然してない。そんなことしなくてもポケモンを知りたければポケモンに触れればいいと思っていた。バトルだって、成功させる自信がある。根拠は無いけど。
 とりあえずちょっとレッドに自慢気に言ってしまった。でも妙に反応が鈍い。特に返答が無いなと思っていると、レッドの首が傾いている。

「ぽけもん、とれーなー?」

 まさか、ポケモントレーナーを知らないのか。
 このご時世、どこにでもポケモントレーナーくらいいると思っていたのだが、レッドは会ったことが無いようだ。そういえばポケモンにも触れたことが無いようだった。あの歓迎会の日もフシギダネ、ゼニガメ、ヒトカゲの扱いが余りにこわごわしていたし。

「そう! 俺が10才になったらポケモンをじぃさんから貰えるんだ! それで旅に出んだよ。このカントー地方を回る旅に!」
「一人で?」

 楽しさとワクワクで溢れた俺の脳内を破壊するには、充分な一言。
 あっ、と声が漏れた。一人。そっか。そう言えば一人なんだ。姉ちゃんもじぃさんも母さんも━━レッドも、隣に居ない。旅に出るワクワク感しか覚えていなかった俺からすれば、そのひと言は余りに重かった。一人だなんて。今まで何かをするにも必ず誰か側にいてくれたのに。そうだ、旅とはそういうものだ。自分で動いて自分で進んで行かなくてはならない。分かっていることだったのに。改めて面と向かって言われると不安が襲いかかって来た。

「グリーン、寂しがり屋なのに、出来るの?」
「!?━━━っ出来るに決まってんだろッ、何なんだよ、バカにしてんのか!」
「違う!」

 バンッ! コントローラーが床に投げつけられた。下は絨毯だったのにコントローラーは跳ねてゲーム機にぶつかった。直後、ゲームが強制終了されてしまう。衝撃を与えてしまったからだ。先ほどまでのデータも何もかもパァ。しかしそんなことを気になんてしていられない。レッドの予想外の反応に驚いて何も言えなくなる。ビックリして体が固まってしまった。これは、怒っているのか。初めてみた。レッドが喜んだりしている顔は見たことがあったけれど、こんな風に怒鳴ることは今までなかった。
 完全に硬直した俺に、レッドはギリッと歯を噛みしめてみる。せっかく分けられていた黒髪がまた顔にかかってしまって、意味が無くなってしまった。

「ポケモントレーナーって、僕でもなれる?」

 ギロッ、と睨まれた。
 その眼光が余りにキツ過ぎて俺はたじろぐ。しかしレッドはずっと俺から視線を外さない。何か言わなければならないことは分かっていた、でも言葉が喉に詰まって出てこない。何から言えばいいのか順番を模索しているようだ。
 ポケモントレーナーになれるかなれないかなんて、そんなの分かるはずもないから。

「そりゃ、……そ、りゃ、レッドでもなれる、と思う」
「そう」

 結局、あやふやに言ってしまったものの、レッドは完全にその言葉を信じたようだ。どうしてこいつはこう分かりにくいことが多いのか。結構、初めて会った頃よりも思考回路を読めて来た気でいた俺はまだまだ甘かったようだ。妙に疲れたし。でもあの眼光から逃れられたのだけは有り難いことだった。本当に扱いにくい奴!

「グリーン」

 再度、ゲームをセットし直してコントローラーを操り始めたレッドは、俺を置いてけぼりにしてどんどん先へ進んでいく。まるで俺なんかいなくても出来る、ということを主張したいかのようだ。

「僕もトレーナーになりたい」

 その瞬間から全てが始まった。だなんてありきたりな言葉で済ませる程、俺達の関係は簡単なものじゃない。もしこの時、俺がこんなことを言わなければもっと別の関係としてあったはずだ。俺達は。様々にあった関係性の中からコレを選び取ったのは間違いなく俺達で、そのことで誰にも文句を言えるはずもなく。

 何もきかない2Pのコントローラーを握りしめて、俺はただ無言で、レッドの隣に座っていた。

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