殴られた チャンピオンになったばかりのトレーナーが引きずり下ろされる様を見る。 俺がチャンピオンになって数年経ったが、こんな事態になったのは初めてだ。しかしマサラタウン出身の幼馴染同士という情報を得て、どこか納得せざるを得なかった。俺の知らない所できっと彼らはこの頂点に来るまで戦い続けてきたのだ。その証拠は、彼らが対峙した瞬間の空気にあった。 かたやポケモン研究の世界的権威であるオーキド博士の孫であるグリーン君と。 かたやマサラタウンの一トレーナーであるレッド君。 しかしそんな肩書き、頂上決戦の地に立った彼らには塵ほども関係がない。そこにあったのは、ただ相手を打ち負かし、自分が頂点に立ってやるという想い。そして、この相手だからこそ出来る、したいと思う、バトルをすること。それだけだ。 グリーン君が俺に勝った時、すでに彼は俺のことなど見ていなかった。その先にあるものを真っ直ぐ見据えていた。とんでもない瞳をこんな歳の子供が持ってしまったものだ。末恐ろしい。その直後、まさか同じ年の子供が俺に勝ち、すぐさまチャンピオン戦が行われることになろうとは夢にも思わない。 結果はグリーン君の負けだ。チャンピオンになってほんの数分。彼の栄光はすぐさま崩れ落ちた。 呆然と立ち尽くしたグリーン君を無視して、レッド君の殿堂入りの手続きが始まった。オーキド博士が一言、グリーン君に対して何か告げていたが良く聞こえなかった。しかし直後に酷く顔を歪めた彼が部屋を飛び出していく姿を見て、無意識にその背中を追いかけてしまった。何か、嫌な予感がしたのだ。 四天王に挑戦する前にあるポケモンセンターとフレンドリィショップ代わりになる部屋も抜けて、リーグ正門前までやってきた彼はそこで足を止めた。腰についていたボールホルダーを取ると、そのまま上へ振り上げる。イケナイ。顔が青ざめた。 「止めなさいッ!」 丁度、振り上げられた瞬間の右手首を掴んだ。どうやら、この瞬間まで俺が後ろからついてきていたことに気づいていなかったようで。向けられた顔は涙や鼻水でもはやぐちゃぐちゃになっていた。ひっひっ、と喉が引き攣るような嗚咽が零れて止まらない。単純に勝負に負けただけの悔しさではない何かが彼を襲っている気がした。ポケモンのモンスターボールを地面へ叩きつけようとするに至る、何かが。 「ごい゛づらがっ、よ゛わぃ゛がら゛」 だから負けたのだ、と。 服の袖口を顔に押し付けてそう主張した彼に、腹の底から湧き上がってきた怒り。分かっていた。彼はまだ子供であるということは。それなのにどうしてだか、俺には自分のこの感情を止めることは出来なくて。冷静に考えたらダメな大人だった。もっと子供の成長の為になるように諭さなければならないはずだったのに。 無意識に彼へと向けてしまった右手の拳は、見事彼の頬骨に激突した。 「―――ッが」 横倒しに吹っ飛んだ押さない彼の体。息が詰まるような音が聞こえて、直後自分の口から吐き出される荒い息の音が聞こえる。殴ってしまった。呆然と自分の右手を見る。地面に横倒れになったグリーン君が何とか起き上がろうと両手をついていた。ハッとして慌てて近づく。そうした所で取り返しは付かないのだけれど。 「すまない、大丈夫かい」 「……う゛、ぁ」 さっきまで声を抑えるように泣いていたのに、ちょっとの呻きの後、わんわんと大声で泣きだされてしまった。どこか、それが先ほどまでと意味合いが違うように思えたが、決して彼に尋ねることはない。本当に、先ほどまでチャンピオン戦を行っていたトレーナーとは思えなかった。彼は、まだまだ子供なのだ。そして今、殿堂入りをしている彼だって本当は子供だ。 徐々に泣き声も収まって来て、頬の痛みに気が付いたらしく、そろそろと指を伸ばして擦り始めた。大きく腫れてしまっている。さすがに俺が殴ればそうもなるだろう。しかし、彼は俺に対して何も言わない。そこにあった表情は、少しの不満と眉間の皺と、どこか納得も伺えるものだった。 「ごめん、なさい」 本当に、聞こえるか聞こえないかギリギリの所だったが、俺の耳にちゃんと届いた謝罪。おもむろに起き上がり、ボールホルダーを腰へと戻したグリーン君。おそらく、もう彼はそれを振り上げるなんて馬鹿なことはしないはずだ、と信じたい。これから彼がどんな道を歩いていくとしても、全ての決定権は彼にあり、結果もまた分からない。 ピジョットをボールから出してその背に乗った彼はマサラタウンへと帰るのだろう。また彼は、何かを見据えようとしているようだ。そこでもう一度、原点へと戻るのだ。まだ幼い彼の道は様々な方向に伸びている。負けを味わった人間は強い。そこから這い上がる姿こそ、真の強さだ。果たして、彼はどうなっていくだろう。 密かな期待が胸に生まれた。そう、勝った人間こそ多くのモノに囚われるのだ。かつての俺のように。今生まれたばかりの新チャンピオンは、果たしてどうなるだろう。この状況から逃げるか、もしくは立ち向かおうとするか。どちらにせよ、面白いことには決してならない。それよりも、グリーン君の方がよほど興味の持ちがいがある。 そして、しばらくして。 トキワのジムリーダーに就任した彼と再会した時。 まだ彼は見据えていたのだ。 その対象が誰であるかなど無粋なことを尋ねることはしなかった。 >>あとがき まさかの第七弾にかっ飛びました。そしてワタグリ。 というかもはやワタル+グリーンな感じで申し訳ないですはい… チャンピオン戦の後に何かしら二人のやりとりがあったなら良いなというお話。 |