口の端が切れた



 



 パァンッ!だなんて、まるで漫画に良くある吹き出しを連想させそうな打音。乾いた空気に良く響く。大衆は皆、瞠目した瞳を二人の人間に注いでいた。

 叩かれた人間は、倒れかける体をどうにか踏ん張って、耐えた。けれど口の端が切れた。滲み出る血を服の袖で拭う。真っ赤に腫れた頬は痛々しい。しかしその双眸は憎々しげに叩いてきた相手を睨みつけていた。
 叩いた人間は、笑っている。まるで餌を前にした肉食動物のようだ。甚振るという表現が、体から溢れている。

「ユーが、ジムリーダー? とんだジョークですね!」

 高笑いが耳に障る。
 他の人間は誰一人動けていなかった。一瞬にして異様な光景を作り出したクチバジムリーダーのマチスは、目の前に立つ背の低い少年を見下していた。トキワジムリーダーに選出されたばかりの、オーキド・グリーンだ。
 マチスの背は彼よりも遥かに高い。そこから振り下ろされた平手が激突すれば、吹っ飛んでもおかしくはなかったのだけれど。グリーンは両足で耐え切ったのだ。いくら打たれることが分かっても、彼は避けなかった。敢えて受けたということは、マチスからの嘲笑に対抗したのだ。それでも脳髄を駆け抜けた衝撃にフラ付いてしまったのは仕方がない。軍人上がりのマチスの腕力は、人並みじゃない。

「こんなキッズに、何ができるッテ?」

 顔をぐるっと見回せて、周囲へ訴えかけるようにマチスは声を上げた。しかしそれはグリーンへの侮辱に他ならない。その様を、相変わらずグリーンは睨みつけたまま、何も言わない。


 ポケモン本部が新たにトキワジムリーダーに指名した人材に、疑問の声を上げる人間は少なくなかった。一部、グリーンと戦闘をし、グリーンの内面に少し理解を示す人間は、適任であると考えていたが。多くはそうではない。確かに今、ここに揃っているカントー地方ジムリーダーの中で、マチスと同様の考えを持っている人間もいるだろう。だが、これほどまであからさまに態度として主張するのはどうなのか、と誰もが思っていた。それをやってのけているマチスも、グリーンと同様に浮いている。

「下りるなら、今のうちデース」
「……誰が」

 ふんっ、と鼻で笑って。
 グリーンは漸く発言した。ジンジンと未だに衝撃の残る頬が、口を動かすとピリピリする。

「暴力しか使えねーのかよ。おっさん」
「オー、ソーリーね。イタイのイタイのとんでけー」
「はっ。ふざけてんのか」
「フザケテるのは、ユーでしょ?」
「おっさんが何て言おうと、俺がトキワのジムリーダーだ」

 堂々と、マチスの目の前に両足で立つグリーンの姿は、少なからず周りのジムリーダーにも影響を与えた。その決意が見える声色は、周囲の空気を震わせて全員の耳へ届いた。
 だが、マチスはそれを一蹴する。彼は、グリーンの裏側をどうやら、見据えていたいようで。

「ユーは、弱い。いつか、クラッシュする」

 弱い。その単語が、グリーンの癇に障った。
 一気に湧いた激情を止める術を、まだ十六にも満たない彼は分からなかった。

「てめぇが俺の何を知ってるってんだよッ!」

 絶叫に近い。何を言っているのか一瞬、聞き取れなかった。マチスはそれをさらに、嘲笑ったのだ。そうして、再度、平手を振り下ろした。

「ピーピー、情けないネ」

 今度こそ、グリーンは立っていられなかった。先ほどと同じ箇所に激突した手の平は、先ほどとは全く威力が違う。あっさりとグリーンから立つ力を失わせた。さらに切れた口の端。痛みが今度こそ、脳髄から脊髄にかけてダメージを与えた。ガハッと、口の中も切れていたのか、血を吐き出したグリーンを、マチスは容赦なく見下ろす。

「這い上がれ」

 地べたに這いつくばるグリーンへ、餞別のように言葉をかけた。いよいよグリーンは、憎しみに染まった双眸でマチスを見上げたのだ。



>>あとがき
第五弾。
初のマチグリ。

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