color WARing -21-



 僕達を苦しみのどん底に突き落とす敵と、こんなにもあっさりとお目見えするとは思いにもよらなかった。

 ジョウト地方ジムリーダーであるマツバの死因が判明した直後、衝撃に包まれたこの本部。その場にいる全員に緊張が走る。敵だ、と本能が告げていた。しかしパニックになる者などここにはいない。さすがに場数を踏んできたトレーナー達だ。出口に近い者から順に外へ向かう。連続で何かしらの衝撃が走るかと思ったがそうでもない。思ったよりもあっさりと本部から出て、そして相対することになる。

 目の前に並んでいた多くのトレーナー達に見覚えがある。当たり前だ、なぜなら彼らは今、僕の隣に大勢並んでいるのだから。

「こんにちは」

 狂気を宿した瞳で中心に立っている赤い上着のトレーナーが挨拶をしてきた。彼は、先日ピカチュウを殺されたレッド君と似ている。いや、似ている、だなんて言葉で済ませられるものではない。完全に、一致している。その声も姿も何もかも。まさか、本当にこんなことが有り得るなんて。
 無意識に自分の姿を追った。もう一人の、自分の。どこにいる。水色掛った白銀の髪。いた。ちょうど、レッド君と同一であろうトレーナーの後方に。どうやら向こうも僕の存在に気がついたらしい。視線が合った。

「こんにちは」

 こちら側のレッド君が挨拶を返した時、僕は確かに見たのだ。もう一人の僕が何かしら、呟いたのを。随分遠くて何を言ったのか判別は出来なかったが、なぜだか笑っていた。こんな状況でどうして笑うことができるのか。しかもその顔は、僕であるからこそ理解の出来る顔だった。裏の裏のある、何かしらとんでもない悪企みを考えている顔だ。
 ドクンッ、と心臓が大きく高鳴った。直後、引き摺りこまれる。





 スッ――――と僕と彼だけが世界に取り残されるような錯覚。辺りの風景が真っ白になって、他に誰もいなくなる。本来なら大勢のトレーナーが困惑に揺れているのに。しかしなぜか、その空間を不思議と拒絶はしなかった。まるで夢にいるような感覚。
 これでゆっくり、もう一人の自分と話すことが出来る。

「君達は、殺される」

 リアルに耳に届いたのは、遠くで笑っている僕の声だ。
 瞠目し、すぐに首を横に振った。違う。そんなこと、させはしない。それでも彼にはどうやら意味は無かったようで。今度は喉で笑って、口元へ右手を持って行っている。その指についた指輪が、嫌に目に付いた。僕も、同じなのに。

「分かってないなぁ。君達と僕達とじゃぁ想いが違うんだよ。生き残りたい、って想いがね。でも君達にはそれがない。そもそもこの争いは対等じゃないんだ。明らかに有利なのは僕達のほうさ」

 肩をすくめ、明らかに馬鹿にされた。言っている意味が分からない。どういうことだ。眉間に皺を寄せてしまって、どうやら相手は意味を察したらしい。

「分からない? そう、確かに僕達の世界のポケモン達は消えていっている。絶望的なのは僕達の方。でも、だからこそこの悪夢から解放されようと立ち向かおうとしてる。君達の命を奪ってでも、何としてでも、僕達が生き残る為に。死にたくないから」
「僕達だって死にたくないんだっ」
「甘い」

 あっさりと切り捨てられた僕の叫び。
 眼光が変わった。嫌な予感がする。いつのまにか、彼が目の前にまで迫っていた。反射的に逃げようとしたがその前に腕を掴まれて叶わない。言葉が詰まる流れ出る汗を止められない。先ほどまでの笑みの消えた、無表情な顔。

「僕達は、死にたくないんだ」

 目の前で、次々に容赦なく、消えていく仲間達。
 それをまだ、君達は全くと言って良い程、目の当たりにしていない。
 僕達よりも、全く。

 消えていく仲間達、が理解出来なかった。殺されていく、ではなく?
 何を言っているのだろう、目の前の僕は。与えられる不可解な情報が多すぎる。瞳孔が揺れて、まともに彼の顔を見ることが出来ない。
 そんな僕の様子が滑稽だったのか、突然高笑いを始めたもう一人の僕は、そのまま胸倉を掴みあげてくる。急接近した顔。強制的に瞳を見させられるハメになった。

「僕の手持ちもまた、全て消えてしまった。君のせいでね」





 ドォン!


 グンッ、といきなり現実世界へ引き戻された。
 いきなり鼓膜を攻撃された気分だった、何の音だ、と慌てて辺りを見渡す。つい、あの白い世界へ囚われかけていた。もう一人の僕に、完全に弄ばれていた。まずかった。呼吸がし辛い。
 ふと、前方にいるもう一人のレッド君へ視線をやると、―――なにやら、もめているようだった。あれは、もう一人のグリーン君ではないだろうか。カントー地方トキワジムリーダーの。彼とは幼馴染同士であると聞いていたが、向こうの世界の彼らもやはりそうなのだろうか。
 そんな冷静な状況判断をしている暇でない事に、僕だけが気付いていなかった。誰かがヒッと口に手を当てる。なんだ、どうしたんだろうか。

 不意に、誰かが駆けだす音が届く。こちら側の、レッド君だった。


「レッドぉッ!」

 グリーン君が叫んだ。しかし、その声はどうやら届いていないらしい。その様子に向こう側のレッド君が瞠目するのが見えたが、すぐに不敵な笑みを浮かべる。直後、言い放った。

「遅い」

 パァンッ、と今度はあまりに鮮やかな音が響いた。何かが、彼の手により放たれた。何だ、一体。直後、あちら側のグリーン君が絶叫を上げて崩れ落ちる。呼吸が本当に止まってしまったかと思った。まさか、どうして。彼が攻撃したのか。幼馴染を。意味が分からない。
 どうしてだろう、こんな時なのに、僕の視線は彼らではない人を追ってしまった。もう一人の、僕だ。その顔には相変わらずの、笑顔。

「馬鹿だね」

 スッ――と何か黒いものがレッド君へ向けられる。あれは、マツバを殺した武器だ。まさか、嘘だろ。こんなにも、あっさりと、命が。しかしレッド君は止まらない。その標的が自分であると分かっているのに、もう一人の彼へ突撃する足を緩めることはなかった。信じられない。彼は、一体何なのだ。
 誰もが彼らの空間に割って入ることが出来なければ、きっとそのままレッド君は攻撃を受けていただろう。

「止めなさい!」

 もう一人のレッド君の持つ武器を掴み、その先端を地面へと向けた女性。シロナさんだ。僕達の世界ではない、彼らの世界のシロナさん。直後、またあの音が響いた。しかしその攻撃の対象は地面。決してレッド君ではなかった。
 ザザァッと音を立ててレッド君が足を止める。もう随分と近づいてしまっていた。おそらく、あと数歩で彼らの領域へ辿り着ける。

「帰りましょう、リーダー。グリーン君に手当てが必要だわ」

 シンオウ地方チャンピオンですら、完全に腰を引いていた。それほど彼が凄まじい権力を握っていることが分かる。しかも呼び方は「リーダー」だ。何やら異常な状況であることは理解出来た。20歳にも満たないトレーナーが、あの凄まじいレべルのトレーナー達を従えている。
 けれど、彼女が動いてくれたことで事態は収束に向かうかと見えた。一瞬、死んでしまった、と思ったグリーン君はどうやら生きているらしい。安堵の息を零す。そうなると確かに治療が必要であるし、そうするには向こうは撤退するしかない。ならば、このまま大事も起こらないのではないだろうか、と期待した。
 そして、その予想はある意味で当たっていた。しかし、外れてもいた。

「そいつ、要らないから」

 あげるよ。

 冷めた瞳で見下し、あのレッド君は多量の出血をしている、地に伏すもう一人のグリーン君の背中を思いきり蹴りあげた。嫌な音がした。その衝撃にまた悲鳴を上げた彼は、そのまま小刻みに痙攣を始める。まずい。どこの個所から流れ出ているかは知らないが、血があのまま排出され続ければ確実に彼は死んでしまう。しかしそんな彼を誰もが助けようとしなかった。もう一人の僕も、呆気なく後ろを向いてしまった。皆が彼に背を向けて退却していく。嘘だろ。なんで置き去りにするんだ。
 大勢の足音がどんどん遠のいていって、本当にもう一人のグリーン君は取り残されてしまった。出血が止まらない。もはや彼自身、動ける気力も残されていないだろう。
 信じられなかった。どうして、彼は仲間でなかったのか。

 誰もが一歩を踏み出せない。どうすればいいのか分からない。事態が急速に展開し過ぎて一種の混乱に陥っている。そんな中、唯一己を保っていたのはレッド君だ。敵の姿が遠のいていく中、大地に伏しているグリーン君へ駆け寄る。そのまま止血の手当てを始めようとしたが、何せ道具がない。本部に併設されている病院へすぐ搬送する必要があった。

「グリーン、担架!」

 本来の彼の幼馴染へ、そう言葉を飛ばす。
 おそらく、自分と同じ存在が幼馴染と同じ存在に攻撃されたことで、一番パニックになっていたのは、グリーン君だろう。しかしレッド君のその一言でハッと意識を戻した。すぐに病院へポケギアを通じて連絡を飛ばした。自分と同じ人間の怪我の為に電話をするだなんて、ある意味で滑稽だった。
 しかしその一言で一気に皆が動き出す。慌ててあのグリーン君へ駆け寄る者もいれば、本部へ報告に向かう者もいる。僕は――――もう一人の僕が立っていたと思しき場所へ向かった。

(……やはり)

 一つだけ、残されていた指輪。先端についていたのは何の変哲もない石だ。しかし、確かにこれはもう一人の僕のモノだろう。わざとらしい。何か癪で、ギュッとそれを握りしめた。何かが仕組まれている。それはもう一人の僕の手によって、ではない。もっともっと、何か他の要因がある。そんな気がしてならない。しかし、それが何か分からない。それ故の嫌な予感。恐怖が、足下からじわじわと襲い掛かって来る。
 形の見えない敵がいる。あちらの彼らではない、何かしらもっと別な何か。そもそも、あちらの彼らのことですらロクに分かっていないのに、どうやってその別の何かに対抗していけるというのだろうか。
 勝ち目など全く見えない。彼らは本気で僕達を殺しにかかってくるというのに。どうすればいい。

「ダイゴ、どうした」

 聞こえてきた友の声に振り返る。ミクリだ。首を横に振って、彼の横を通り過ぎる。そう、何も無い。何も無かった。今はまだ、周囲に話さない方が良いだろう。こんなあやふやで、ただ不安を煽るしか効果の無い憶測を。
 まだ、僕だけが知っていれば良い。こんな予測。


 無意識に、腰につけたモンスターボール達に指が伸びた。



main


×