color WARing -19-

そこに写しだされた映像は、余りに信じられないものだったから。
 その場に居るトレーナー全員が凍りつくのは当然のことだった。

 ジョウト地方のジムリーダーの一人であった、マツバさんが殺されて、その悲しみで本部が覆い尽されていた時にかけられた緊急収集放送。一体このタイミングで、どういう用件で皆が集められたのか。はっきり言って、些細でどうでも良いようなことであればとっとと退席してやろうと思っていたけれど、どう足掻いてもこの空間からは逃れられなくなってしまった。

 カントー、ジョウト地方のポケモンリーグであるセキエイ高原。そこに居座る四天王の一人、ゴーストポケモン使いのキクコさんが皆の前に進み出る所から、この会議は始まった。その顔があまりに複雑と悲哀に満ちていたものだから、皆が何も言わずにその様子を見守っていた。彼女の両手にあったのは紫色のガス状の物質で、ゴースの形が崩れてしまったようなものだった。その時点で俺の頭には不吉なことしか浮かばなかった。出来れば、これから先のことを見たくないような。見てはいけないような。
 見たら、俺がどうにかなってしまいそうな。

「これは、マツバのゲンガーじゃ」

 戦慄が走った。

 ヒッ、とか細い悲鳴が聞こえた。きっとジョウト地方のジムリーダーの誰かが発したものだ。キクコの悲痛な表情の意味が分かった。まさか、ゲンガーがそんな形になってしまうなんて。もはや命は風前の灯だ。きっと、もうすぐすれば消えてしまうだろう。ポケモンが目の前で消失してしまおうとしている、その時点でもう何も言えなくなる。
 けれど、話はそれだけでは終わらない。キクコさんが本部のスタッフに用意させた映写幕。そこにゲンガーをゆっくりと沁み込ませていく。じわじわと黒い影が白い幕へと感染していくように広がれば、薄らと映像が浮き上がってくる。余りに暗くて良く見えなかったが。少しずつ鮮明になっていく画質。そうして見えて来たのは紫色のマフラー。あぁ、この空気で察してしまう。きっと、この男の人がマツバさんなのだ。あちこちから泣き声が聞こえ始めた。ダメだ、俺も泣きそうになる。しかし、俺はマツバさんと会ったこともなければ喋ったことすらない。そんな俺が彼の死を悼む権利があるのだろうか。ただ、周りが悲しんでいるから俺も悲しむなんて、そんな最低なことをしてしまって良いのか。
 巡る考えに吐き気がしたが、それでも映像から目を離すわけにもいかない。どうやら映像にいるのは一人だけではないらしい。それがテロリスト集団の一人であることは明らかだ。目を凝らして、皆がその姿を認識しようとしていた。憎い憎い、敵。それを見る為に瞬きすら忘れてしまった、その時。

「まつ、ば?」

 誰か一人が零した、その名前。

 信じられなかった。そこにいたのは、確かにマツバさん、であるらしい。だって、彼もまた紫色のマフラーをしていて、金色に染まる髪色をしていた。そうしてジョウト地方のジムリーダー達が誰も否定する声を上げなかったことが、決定打であっただろう。
 どうしてマツバさんがもう一人存在しているのか。どうしてそのマツバさんがマツバさんと対面しているのか。意味が分からない。そうしてどっちが今までこの本部にいたマツバさんであるのか。
 張り詰めた視線が映像に全て集中する。二人はどうやら口論を繰り広げていたが内容までは分からない。そうして、動きがあった。奥にいるマツバさんが何かを服から取り出した。暗くて良く分からない。どうやらそれを手前のマツバさんに向けた。その時点で、向こうが敵のマツバさんであることがどこか予想出来た。

 直後、パンッ、と渇いた音。

 手前のマツバさんが倒れた。それが、今回の殺害方法。
 呆気にとられるしかない。何か、何かをした。敵は、何かをしてマツバさんを殺した。あの取りだした物体が何なのか、さっぱりわからない。だが、殺されたのだ。確かに、敵に。

「俺の受けた攻撃も、コレか」

 静寂になる空間で、呟きが聞こえた。
 一気に視線が集中する。赤い上着を羽織っている、レッドさんだ。
 この本部の誰もが知っている、最強のトレーナー。
 俺も例外でない。

「ピカチュウを殺したのも、コレか」

 ゾッとする程、何も宿していない目。
 マツバさんが二人。それが味方であったマツバさんと、敵であるマツバさん。そうしてマツバさんを殺した、マツバさん。
 もはや、それだけの意味の分からない情報で頭がいっぱいであるのに、さらに突きつけられた事実。そうか、そうなのか。これが、あのピカチュウをも殺した、敵のやり方。
 たった一秒。いや、もしかすると一秒ですらなかったかもしれない。本当に、それだけの時間。どうして、こんな簡単に命を奪われてしまったのだろう。理解なんて、したくない。

 
 映像がフッと消えてしまう。
 あ、と小さく呟いてしまった。貴重な映像であったのに。
 そうして、キクコさんがレッドさんの方を向いた。
 その頬には一筋の涙。

「ゲンガーは、これで消えた」

 それはつまり、本当に、ゲンガーが死んでしまったことを意味する。
 きっと、マツバさんのゲンガーは、この事実を伝えたいがため、その執念だけで今の今まで存在していた。その任務を果たしてしまった今、ようやく心おきなく消えることが出来た。それだけで胸が痛い。最後の最期まで、自分と共に過ごしたトレーナーの最期を伝えるために、必死だったのだ。それがまるで自分の最後の役目であると言わんばかり。
 最高のポケモントレーナーと、ポケモンだ。

「お主の受けた攻撃。全貌は分からんが、マツバが受けたものと同じじゃろう」
「あなたは、何だと思われますか」
「分からん。ただ、ポケモンが放った攻撃ではない、ということだけじゃ」

 首を横に振り、レッドさんの問いの応えるキクコさん。他の誰も喋らない中、その二人だけまるで別の空間に切り取られたようだった。誰もが彼らの言葉に耳を傾ける。━━そうするしか、なかった。

「敵は、俺達の予想を超える武器を持っている」
「それは、一瞬で命を奪えてしまうもの」
「そして、対抗手段は不明」
「油断していようがいまいが、呆気なく殺されるじゃろう」
「それは、ポケモンもトレーナーも」
「ちょっと待ってくださいッ!」

 いきなり耳に飛び込んできた怒声。
 ふと発生源に目をやればおそらく俺よりも年下の、彼はジョウト地方のトレーナーだったか、血の気の引いた顔でキクコさんとレッドさんに向かい合っている。誰もが沈黙を貫くしかなかった空間で、彼が始めてそれを破った。

「あれは、あれは誰だったんですかッ、あれは、マツバさんなんですか、どうしてマツバさんが二人も、マツバさんが、違う、あれはマツバさんじゃなくて、マツバさんが、殺されたのは、じゃなくて、殺したのは、え? あ、違う、違う、マツバさ」
「ヒビキッ!」

 おそらく思考なんてもの、纏まっていなかった。
 ヒビキと、そう彼を呼んだのは彼と同年代の赤髪の少年だ。その声に制されたヒビキ、と呼ばれたトレーナーは、ビクッと体を震わせて押し黙ってしまった。瞳が酷い困惑に揺れている。

「同じ顔をした人間に、殺された?」

 同じ顔、だけであれば良かったのに。
 どこかで、皆が分かり始めていた。混乱に陥りながらも、どこかで。完全なる否定をしたくても出来ない。さっきの映像が決定的だったから。それでも受け入れるなんてこと、出来るはずがないじゃないか。だって、こんなの、おかしすぎる。

「だって、あれはマツバさんですよ。確かに。僕達の誰もがそれを否定しないんです。でも、そんなの有り得ない。有り得ちゃいけない」

 小柄な、まだ俺ともそれほど年の離れていない少年。確か、彼はジムリーダーだ、ジョウト地方の。名前はツクシと言ったか。大人達が口をつぐむ中、淡々とした口調で思ったことを吐露する彼のオーラはどこか不気味だった。 

「もしかして」

 何も感情を宿していない、どこか諦めを含んだ声色。

「敵は、僕達と同じ顔をしてる?」

 もはや否定など出来ない。同じ顔。ただそれだけならばまだ救いがあった。しかし俺もどこかで悟っていた。そう、同じ顔だけじゃない。きっと。存在が、存在そのものが、合致している。本能が告げていた。あぁ、なんてこった。

 直後、本部が轟音に包まれた。 


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