--> 07 | ナノ







執着地点は胸の中





 一人暮らしをする必要のある大学を選んだ。この春から、俺はこの土地を離れることを決めた。

 それは俺の意思だ。この家に留まる意義が無くなったから。
 リーフとの関係はずっと破壊されたままだ。接合し直せる程、傷は綺麗なものじゃない。どう繋がっていたかも分からないほどぐちゃぐちゃな傷口は、ずっと俺の心に残ったままで。
 未だに俺の手に蘇るのは、リーフの感触だとか。耳に蘇るのは、リーフの押し殺した悲鳴だとか。目に蘇るのは、俺に犯され脂汗の浮かんでいる額だとか。ロクなものじゃない。俺は彼に何を残したかったのだろう。何を思ってもらいたかったのだろう。そんなこと、考えた事も無かったクセに、今更心に引っ掛かる俺はクソガキだ。

 いつでも俺は、俺を、押し付けて、リーフを潰していただけだ。

 セフレだと。言われた時、俺は拒絶された。いや、元々から拒絶されていたことに気が付いた。しかし冷静に考えれば当然のことであったのに。俺はずっと冷静じゃなかったのだ。あの夏の日から。こんな歳にもなって情けない。俺の精神は何一つとして成長していなかったようだ。小学生の頃のままで。同情されていたなんて、単純なことだ。

 リーフは実家から通える大学へ進学していった。俺だけが家を出ることになって、ちょっとしたパーティーが開かれることになった。俺とリーフの家族を合わせて盛大に。それが自然な流れだったのだろうけれど、主役である俺が最も行きたくない。だって、どんな顔をして会えば良い。誰か教えてくれ。
 それでも容赦なく。準備は進んで。当日だ。俺の母さんもはりきって料理を作ってくれた。俺の兄であるレッドや、リーフの兄であるグリーンもやってきた。リーフとグリーンの姉であるナナミ姉さんもだ。ずっと俺がお世話になって来た人達に囲まれる。
 おそらく、周囲のはからいだろう。俺の隣にはリーフが収まるように席順が決められていた。冗談じゃない。

「ファイアが外に出ちゃうのは寂しいわねー」

 母さんの声が聞こえてきても、すぐ耳から耳へすり抜ける。隣にいるリーフがどんな顔をしているのかばかり気になって、どうにか表面上笑顔を取り繕っていたけれど、内心気が気で無い。周りと楽しく会話しているように見せて、リーフとは一切言葉を交わせなかった。きっと彼も同じ気持ちであっただろう。
 だが。この会が終われば、本当に俺はこの家を離れて、大学生活を始める。リーフとは滅多には会えない。そもそも、会おうとしなければ会えないだろう。
 料理の味もロクに分からないまま、とりあえず腹に入れて、会は終わりを迎えた。雰囲気上は楽しいまま過ぎて行ったような感覚だ。きっと俺とリーフ以外は満足している。

 ようやく、リーフ達が帰って。重い息を部屋へ吐き出して、俺は自室のベッドに倒れ込んだ。
 料理の片付けを母さんがして。レッドはお風呂へ入りに行った。リーフ達一家はもう帰宅した。俺の精神的苦痛は終了したわけだ。疲労だけが残って俺にのしかかってくる。責められているように感じるのは、俺に罪悪感があるからだろう。
 引っ越しの準備が行われて、ダンボールがいくつも積み上がる中。俺は枕に顔を埋もれさせた。長い一日だった。長いーーーー片想いだった。それも今日で終わる。終わらせる。いいんだ。もう。これで。
 こうやって無理矢理にでも話を終わらせないと。俺はいつまで経っても進めない。あれだけ酷い事をしておきながら、忘れようとする俺なんて最低最悪な人間かもしれないけれど。自己防衛だ。
 それに。なにより。もうこのまま去ってしまうのが一番、良い事で。
 リーフにとっても。

「―――――ぉ、ぃ」

 だから。このタイミングで。どうして俺の部屋の扉が開かれるのか、意味が分からなかった。

 驚いた。慌てて起き上がり、扉を見る。おそるおそる開けていたのは、久しぶりにまともに見る顔で。
 先ほども全然見ていなかったものだから。視線が合って心臓が跳ねた。息が詰まる。

「りー、ふ、なんで」
「いや、ちょっと、ちょっとだけ、話が」

 俺の部屋に入るのは本当に、彼は久しぶりだろう。
 いつも彼の部屋でばかり、シていたいから。余計だ。
 きょろきょろとどこか不審者のような態度で、緊張を隠せていない。体を滑り込ませて来たリーフに、ベッドの上で後ずさった俺。どうにか距離を保ちたかった。せっかく、せっかく気持ちを無理矢理にでも押さえ込んで行こうとしていたのに。どうしてこうも毎回毎回、こいつは俺の気持ちを無駄にするような行動を起こして来るのか。何で、俺の行為を無駄にする! ギリっと歯を噛み締めた。
 リーフはリーフで、扉のギリギリで立ち、俺に近づこうとはしなかった。お互いが離れたがっていた。なんだこれは。ならばどうして同じ空間にいるのだ。

「……なんだ、話って」
「大した、ことじゃない」

 大したことじゃないなら、どうしてそんな顔をするんだ。
 つられて、俺まで喉が乾いて行く気分だ。呼吸のし辛い場所へと変わった。ここは俺の部屋で、最も居心地も良いはずなのに。思わず睨みつけてしまえば、リーフが怯えるのが分かる。だったらとっとと出て行けと思ったのに、リーフはぐっと口を噛み締めて、まるで決意するかのように言って来た。
 俺は、そこでリーフがどれだけこの部屋を訪れる為に、覚悟をしていたのか。分からなかった。

「どうしても、言っておきたい事が、一つだけ」

 その口から出てくる言葉は、予期出来ていたようで、予期したくなかった事だ。
 思わず耳を塞ごうとしたけれど、間に合わない。

「嫌いだ」

 ズガンっ。だなんて、ありきたりかもしれないけれど。
 落雷が命中したような痛みが走った。それは俺の耳から心臓を突き破って足先まで。瞠目した。改めて、リーフに言われることが、こんなにも。クルなんて。

「俺は、嫌いだ。ファイア、お前が」

 確実に致死へ至らしめるとは、リーフの性格はいつの間にこんなにも変わってしまったのだろうか。
 およそ、俺自身のせいであることは明白。自分が作り上げたもので、自分が殺されることになるとは考えもしていなかった。だが、自業自得だ。

「―――――――――そう、か」

 ヒクッと喉が釣り上がって、乾涸びて、そんな上擦ったような声しか出なかった。
 他にも何か言わなければならないはずなのに、全く俺の舌は動かないまま。焼け焦げて、体のあらゆる機能が停止してしまったようだ。視界もブレてきている。もしかすれば、本当に俺はこのまま死んで行けるのではないだろうか。

「……あぁ、クソ」

 けれど。それを阻止したのも、リーフだった。
 ずるずると、背中を扉に擦る音が響いた。両手を額に当てて、しゃがみ込んでしまった。
 まるで独り言のように呟き出して、それは全て俺の耳に届いた。どうやら、聴覚だけはまともに働いているようで。

「何でだろーな。俺、何も言わないはずだったのに。もう良かったのに。なんか、お前がもう明日には居なくなっちまうってなって。ずっと考えちまって。何も、言わないままで良いのかって。本当は、昔のお前だけが居てくれるなら、良いって思ってたのに。来ちまったんだなぁ。お前のことなんて嫌いなんだ。それは本当だ。居なくなれば良いって思ったこともあるぐらい、嫌いだ。嫌いなんだよ。俺は、お前のことなんて」

 言い聞かせるようだった。
 もうリーフは、俺に対して言葉を向けているわけではないことは明らかで。
 その一つ一つが、その上で、俺にも積み上げられて行く。

「確かに俺には、お前に対して同情があった、かもしれない。でも、それだけじゃない。俺は、昔の、お前との記憶だけあれば、良かったんだ。あのままで、居られたら良かったんだ。そうしたら、俺」

 ―お前を好きなままで、居られたのに―

 体から熱が湧いて、止まなかった。
 ぼろっと。泣いてしまったのは。俺だ。
 初めてだった。リーフの前で泣いたのは。いや、もしかすればずっと前にはあったかもしれないけれど。いつも、リーフを泣かしてばかりいたのに。呆然とした表情で、彼を見つめて。顔の上がらない彼の頭だけを見つめた。ついで流れる涙がベッドにぼたぼた落ちてじんわりシミが広がって行く。頬も大洪水だ。ついでに鼻まで出てくる始末で。嗚咽が耐えきれず自分の手で口を塞いだ。そのまま、喉が焼け尽くされたら良かった。
 リーフの思う所なんて、今まで聞いた事が無かった。

「俺もファイアも、逃げてばっかりだな」

 だって、それしか出来なかったから。
 怖かった。真意を見るのは、到底。勇気が、無かった。
 俺の心や、リーフの心と向き合う、勇気が。
 誤摩化した。物理的に繋がる事で、心は置き去りにして。
 それで仮初めに満足して、優越感に浸っていただけ。
 けれど、もう逃げられない。

「でもさ、ファイア。俺、無性にお前にお礼が言いたいんだ。ありがとう、って。今の俺にはそれしか残ってないんだ。不思議だろ? もう俺達は別れるからかな。あの夏の日に、お前に出会えて良かったって。思える。だって俺は向き合えたんだ。ファイアがどうしてあの時、俺を拒絶したのかとか。俺自身がどう思ってるかとか、お前がどう思ってるかとか。放っておかずに済んだんだ。だから、―――――ありがとう」

 そんなこと、言ってくれるな。
 千切れそうな笑顔で、言ってくれるな。
 無意識に、ベッドの上から飛び出してリーフの体に手を伸ばしていた。突然の行動にきっとついていけなかったのだろう、彼はビクっと体を硬直させた。ガンっと扉にぶつかる音がしたけれど、無視をしてありのまま抱きしめる。肩に顔を埋めて、俺はひたすらに泣き続けた。俺の涙も嗚咽も全部、リーフに流れ込んだ。最後まで、彼は俺を受け止めてくれてばかりだ。
 反対に、俺から溢れたのは。

「ご、め"んッ」

 こんな。謝罪しかないというのに。
 ずっと言えなかった。まるで、子供のような謝罪。
 泣きじゃくって仕方ない俺の頭を、いつの間にかリーフは撫でてくれていた。
 掌の温度が、俺の全身を生き返らせてくれる。
 この暖かさを、もう二度と感じられないことは。どこかで分かっていた。

「……俺達だけの、秘密だな」

 こうして。俺が好きな人に抱きしめられるのは。
 これで、最後となった。




狂犯ふたり









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