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に詰まる嫉妬心





「あ゛ッ、!、い゛だぁっ」

 リーフの部屋で、リーフが痛みに声を上げている。
 ぎちぎちとベッドに散らばるリーフの髪を渾身の力で引っ張っているのは俺だ。
 ブチッと幾本か毛根ごと引き抜かれた髪が、指に絡んでくる。
 彼に馬乗りになった俺は、両手で容赦なく、痛みを加えていた。
 これは制裁だ。

「ふぁい、あ゛! やめッ」
「黙ってて」

 リーフの腕が俺の腕に伸びてきて抵抗されたから、頬に思いっきり平手打ちを食らわせた。心地よい音が部屋に響いて、叩かれたリーフは何をされたのか良く分からない表情をする。が、直後。酷く顔を歪めて、涙を貯めながら黙り込んだ。それで良い。
 思わず笑みが溢れる。

「ねぇ、あの男。だれ」

 ビクッとあからさまに体を反応させるものだから、こういう時の素直さが裏目に出る。しかし、そんなに器用に演技出来る程、リーフは己を偽ることが出来ないのだろう。そこがまた、愛おしいとも思う。相反だ。反発する磁石のように、その分どんどん俺の感情が二極化していく。愛憎の想いが、離れていく。
 愛したいのか憎みたいのか、良く分からない。

 唇を震わせて、何かを言おうとしては口を閉ざす、を繰り返すリーフに。目を細めた。








 そもそも。どうしてこんなことになったかと言えば。

 俺が偶然にも目撃した、リーフとその男の姿にある。
 学校から帰って、友人達と一緒にゲーセンへ寄って、それから毎日と同じようにリーフの家へと向かった時に。彼の家の玄関に立っていた、ある男。格好からして、先生であるような気がした。リーフの学校の先生だろうか。そしてその隣には彼がいた。楽しそうに会話していた。どうしてそんな所に俺の知らない男がいるのか、意味が分からなかった。
 理解する気も、さらさら無かった。
 なぜなら、一瞬で湧き上がったドス黒い嫉妬があったからだ。俺の心を全て、塗り替えてしまった。
 きっと、俺の気持ちだってまだまだ単純なものなのだ。こんなに容易く、ガキみたい。
 反吐が出る。

 その男は、しばらくすれば玄関から離れていった。別れたのだろう。リーフが見送る表情がまた笑顔だったから。俺には決して、見せない素直な顔だ。許されなかった。何に対して、かなんて分からなかったけれど。許されるはずがない。はずがない!
 俺以外の男に、どうしてそんな顔をするのだ。

「リーフ」

 おそらく。そうやって俺が声をかけるまで、俺の存在に気づかなかった。
 瞬時にこちらを向けば、もうあの笑顔なんて掻き消えて。真っ青になっていた。それがまた腹立たしくて、俺の顔が歪んでいく。汗が吹き出したのか、リーフの額と頬に流れていくのがよく見えた。
 どうしてそんなことになる。ただ俺は、声をかけただけなのに。
 俺と視線を合わせられないのか、キョロキョロとどんどん俯いていくリーフの姿。それは、罪悪感があると、証明しているに過ぎないのではないか。ならば、どうしてそんな罪悪感が生まれたのか。そもそも、生んでしまったのか。
 リーフ。だからツメが甘いんだよ。お前は。

「中で、聞かせろ」

 ガッと腕を掴んで、半ば引きずり込むように彼の家に上がった。相変わらず、家にはこの時間、誰もいない。
 リーフは従順だった。もう俺に逆らおうとも考えないらしい。ただ腕を引っ張られたまま後ろをついてくる。その態度がまた苛立たしいこともなかったが、俺も無視をしている。こいつがそうしたいなら、そうすれば良い。それがある意味で俺への抵抗にでもなっているとでも思っているなら、盛大な勘違いだ。
 


 そしてリーフを乱暴にベッドへ放り込んで、冒頭に戻るわけだが。



「とうとう、浮気かと思ったんだけど」

 髪を引っ張るのを止めて、指に絡みついた髪の毛をそのままに。
 グッと息を詰めたままのリーフの姿に、どこか苛虐心を高めていることも分かっていながら問いかけた。
 リーフのことをどう虐めてやろうか。そればかりが頭を巡る。裏切り行為であったとするなら、尚更だ。もう二度と繰り返させないように、させなければならない。
 しかし。この時俺は、予想外の答えが返ってくるとは、万に一つも考えていなかった。
 いや、そもそも。考えようともしていなかったから、当然のことだ。

 俺が、最初から。全て、勘違いしていたことを。この後に知ることになる。

 俺の言葉を聞いたリーフが、明らかに怒った。それは、俺が今まで見るリーフの、初めての目つきだった。
 空気が豹変したことを、俺は感じられない程馬鹿ではなかった。
 リーフのことを、分かっていないわけではなかった。

「ざけんなよっ、俺達付き合ってるわけじゃないだろ」

 口を閉ざすばかりであった彼が、本日初めて、声を荒げた。睨みつけてもくる。
 マウントポジションを取られているにも関わらず、俺の胸ぐらを掴んで食ってかかって来たのだ。
 俺は、そんなリーフの行動に驚いたのではなく、彼の発言に耳を疑ってしまった。

 今、彼は何と言った?

 瞠目して、今度は俺が何も言えなくなった。
 先ほどまで俺が握っていた主導権が、今は空中に放り出されてしまった。
 キャッチしたのは、リーフだ。俺は、主導権が落下していくのを一切、止められなかった。

「――――なんだよ、それ」
「俺は別に、ファイア。お前と付き合ってるとか、思ったことないから」

 歯切れの悪い、それでもはっきりとした口調であった。
 鈍器で殴られたかのような衝撃と、直後、刃物で心臓を抉られたような痛みが襲う。
 そして咄嗟に何も返せなくなってしまった。俺は、体内に溢れ出しそうな血を吐き出さないようにすることで、必死だったから。
 リーフがどんどん、俺から視線を外して、また俯いていく。だから、俺がどんな顔をしているかも見えていない。
 きっと、酷い顔をしているに違いなかった。

「だって、俺達、ただの、セフレだ」

 決定打は、その単語。
 セフレ。セックスフレンド。ただ、体の関係しか無いことを指す、単語だ。それ以上でもそれ以下の価値も無い。
 ヒュッと脳内が氷点下にまで落ちた気分だった。血液が良く巡っていない。ノイズがかった音が聞こえた。気がした。
 多分。心の悲鳴。

「こんなの、付き合ってるだなんて、言わない」
「お前、それ本気で」
「だってそうだろ!? 俺もお前も、お互いに好きだの一言も、言ってないのに」

 告白も無くて、なんで付き合ったになってんだ。と。
 しかし。それでは辻褄が合わないことが、一つだけある。
 ギリッと拳を握り締めた。こんな屈辱的なことって、あるものか。
 ある、ものか。

「じゃぁどうして、体を許した」

 根本的な、問いだ。
 もうその時、俺がどれだけ情けない声色であるかなんてものも、考える余裕が無いぐらいに、俺は追い詰められていた。本当は、聞きたくなかったかもしれない。それでも、俺は問わずにはいられなかった。
 リーフはたじろいだ。すぐに言葉を返さなかった。
 しかし。そうやってリーフが逡巡している間に、俺は一つの答えに辿り着いてしまった。
 リーフのその、俺を見上げる目から。悟ってしまった。
 あぁ、そうか。
 そこに映っていたのは、憐れみ。

「同情、か」

 俺への、同情か。

 本当は、こいつは分かっているのだ。俺が、どんな気持ちであるかなんて。
 とっくに。
 それでも、それを受け入れられないから。ただ、俺を可哀想だとでも思ったから。
 幼馴染で、あるから。
 体の意味でだけ、俺を受け入れて来たと、いうのか。
 そんな、クダラナイ感情だけで、今まで来たと。

 体中の力が無くなっていく。もう何も応えることがないリーフをどうこうする気も起こらなかった。
 ただ俺は。一気に空っぽになった胸と頭の中に放り込まれて、呆然とすることしか出来なかった。
 動けないでいる俺に、リーフは何も言わない。ただ、良く分からない目で見てくる。彼が何を思っているのかすら、もう俺には分からなかった。
 だって、今まで彼の考えていたことすら、分からなかったのだから。
 当然、理解出来るはずがない。感じられるはずがない。

「……帰る」

 最終的に下した決断は、逃亡。それ以外に選択肢が無かった。
 ベッドの下に置いていたカバンを引っつかんで、部屋を飛び出した。扉を閉めた直後、馬鹿みたいに涙が溢れて仕方なかった。
 鼻頭に急激に熱が集まって、もう前が良く見えない。

 俺の帰るべき道も、とうとう見えることは無かった。




熱を帯びた36.2









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