忘れられない、恋心
桜が可愛らしく花を開く四月がまたやってきた。
わらわらと校門を通り抜けて入学式へと向かう新入生の中に、ちっぽけに紛れている俺だった。受験で合格した公立校。家の負担を少しでも減らす為に。なんとか入学テスト上位成績に食い込むことが出来たようで、学費免除対象ともなった。高校生活中でもどうにかこの成績を維持し続けなければならない。へらへらと友達と笑いながら歩いている新入生や、友達がいなくて一人で不安気に歩く新入生や。どいつもこいつも鬱陶しく見える。それは俺の性格の問題か。
俺の幼馴染は―――リーフは、有名私立校へ入学した。彼も成績はトップクラスだったようで。けれど学費免除対象となることを断ったらしい。まぁ、実家がそこそこ裕福であるから、より生活が厳しい生徒へ譲ったのだろう。彼らしい。そんなことを思いつつ、入学式会場である体育館を通り抜けた。
去年の蒸せるような暑さの夏の日から。俺は強姦者になって、リーフはその被害者となり続けてきた。あの日、結局彼の家の人たちが帰ってきたのは夜の九時頃。その間に全ての処理は終わらせた。どうやら俺の知らない間に、彼の家事情も変わってしまったらしい。幼い頃は必ず彼の兄であるグリーンさんやナナミさんが六時以降にはいたはずだったのに。まぁ、逆に彼らが遅めの時間に帰ってきてくれたことで、あの惨事を見られずに済んだのが幸いだったか。
痛い、痛いと。ただそれだけしか言えなかったリーフに、それでも無理やり行為を続けさせたのは俺だ。女の子との経験だって無かった俺のヤリ方なんて拙いもので、ただリーフには痛みを与えることしか出来なかった。気持ちよかったのは俺だけだ。なんとかリーフに少しでも快楽を感じて欲しかったのに。しかしこんな雪崩れ込むように始まった行為に、そんなもの感じろというだけ無理な話で。
それからというもの。受験勉強をするかたらわ、俺がリーフにメールで連絡を送っては行為に及ぶことを繰り返していた。場所はリーフの部屋か俺の部屋か。基本的にどちらの家族も夜遅くまでは帰ってこないことを利用して。ある意味でちょうど良かった。母さんはいつも夜遅くまで働いている。兄貴は予備校で大学受験勉強に勤しんでいた。そうして何度も行為を続けていく内に、やっとリーフも少しずつ気持ちよさを感じてくれるようになっていた。時折上がるようになった彼の嬌声に、限りなく安堵している俺がいる。
高校に入学して、俺達の関係がどうなるかなんて分からない。お互い、新しい勉強だとか部活だとかが始まって。時間的にどう折り合いがつくのか。心臓に嫌な汗が流れている。おかしい話だ。犯しているのは俺の方なのに、酷く不安なのは俺の方で。いつリーフとのこの関係が切れてしまうか分からない恐怖に、狼狽している。分かっているのだ。もうきっと俺はまともじゃないってことに。だから、ここでリーフにまで見捨てられてしまったら、壊れてしまう。そんなことで砕け散ってしまう俺の世界なんて本当に狭くて。今、目の前にあるものだけが俺の全てを占めている。だから、弱い。変わっていないままだ。いつまでも。小学校の卒業式で、俺がリーフを突き飛ばしたあの日から。
つまり、俺はリーフに甘えている。限りなく。それを、彼は受け入れてくれている。そこには諦めがあるのかもしれない。侮蔑が含まれているかもしれない。なんでもいい。俺を手放さないでいてくれるなら。無言の懇願だった。卑怯だ、俺は。そしてリーフは、優しすぎる。どんな想いが彼の中にあるのであれ、優しすぎる。
校長先生の長い話の後。それぞれ教室に分かれて始まる新生活。本来なら不安と期待が入り混じった感情が渦巻くはずなのに、どうしてだか。俺の心には暗雲が垂れ込めるだけで。そこで携帯を手にとってしまう俺は、やはり救いようが無い愚か者だ。
最成績優秀者として、壇上で挨拶をすることになった。そういえば、かつて兄貴も選ばれたんじゃなかったっけ。まるでそのままの人生を追うかのように、兄と同じ高校に入って、兄が立った場所に今度は俺が立つ。どうやら先生達は俺の兄貴について良く知っているらしい。あいさつ文を渡される時に「オーキド君の弟君も入学してくれるとは嬉しい限りだ」と笑顔で言われた。俺の兄貴のことだから、きっと優秀な学業を修めて卒業したのだろう。
兄貴は今年、大学生となった。いわゆる国公立の理系へ進学した彼は、一人暮らしを始めた。とうとう家に残っているのは俺とナナミ姉さんだけとなった。両親は海外へ出張に行ったままもう数年、家には帰ってきていない。便りが一ヶ月一度は必ず届くことで、両親がまだこの世にちゃんと生存していることを確認している。しかし、俺の記憶からは随分と遠くなってしまった。さらにナナミ姉さんも、最近は結婚前提で付き合っている男の家に赴く時間が増えた。だから、実質は俺一人のようなもので。
つまり、俺と幼馴染の関係が家族にバレることが限りなくなくなってきた。
(・・・・・・なんでだ)
そんなこと、いくら心で呟いたって答えが返ってくるわけがない。そもそも、誰が答えてくれるっていうんだ。ズキンッ、と腰に痛みが走った。顔を顰める。もう慣れた痛みだ。この半年、俺を苛み、それでも手放すことの出来ない痛み。どうしてかって? 俺が訊きたいもんだ。でも、ただ一つだけ分かっていることがある。きっと寂しいのだ。俺じゃない。あいつが。だから、どうしてもその手を離すことが出来ない。ならば、あいつが寂しくなくなれば俺はあいつから離れるのだろうか。分からない。その時にならなければ。
痛い。とりあえず痛い。それだけしか感じられない日々が最初は続いた。数ヶ月経って、ようやくあいつがヤリ方に慣れてきた頃。少し気持ちよさを感じることが出来て。思わず上げてしまった嬌声に恥ずかしくて死にたくなった。その時、やっと俺が女として扱われているんだなと実感した。しかも幼馴染に。悲しいとか、虚しいとか。そんなものとうに通り越していたのに。まだ思うところが他にもあるんだな、と発見した。非常にクダラナイことかもしれないけれど。
入学式での俺の挨拶も終わって、無事に教室へと向かい始める生徒の波に揉まれつつ、別の公立高校に入学したあいつはどうしているのか気になった。友達は出来ただろうか。ただでさえあんな仏頂面だから、もしかすると勘違いされているかもしれない。ちゃんとコミュニケーションを取れているだろうか。まるで、俺があいつの母さんみたいだな。
気付いて、フッと笑った。多分、一番救いようがないのは俺なのかもしれない。
そしてポケットに入った携帯からメールの着信を示す振動を、制服越しに感じた。
あの子が彼の弟であることを知った。入学式で見事に挨拶をやってのけた姿に、かつての彼の姿が被る。懐かしいと感じると同時に、湧き上がったのは緩やかな寂寥感だ。そして思い出すのは彼と幼馴染であったあの男子学生。最初から負けると決まっている勝負に挑んでいたようなものだった、と後になって気付いて。どれほど私自身が間抜けであったかを思い知らされる。
だから、二度と同じ過ちを繰り返すことはしないと決めた。なのに、彼に似ているあの子の姿を見てしまって、容易くグラつく心臓の音に、全く何も変わっていないことを痛感する。馬鹿だなぁ、私も。
職員室から外へ通じる喫煙の許可された廊下にもたれかかり、春の風を体に受けた。
寂しさの隣
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