気付かない内に、浸食
俺とリーフは幼馴染だ。幼稚園に入る前からずっと一緒に遊んでいたし、互いの家だって行き来していた。三歳年の離れた俺の兄であるレッドとリーフの兄であるグリーンがいた俺達は、四人でつるむのが常だったけれど、兄達が小学校だとかに入ると結局皆で遊ぶことは少なくなって、俺はリーフと一番遊ぶようになっていった。喧嘩だってすることはあるけれど、そんなもの子供の喧嘩だ。すぐにお互い何に怒っていたか忘れて、仲直りしていた。
俺とリーフも小学校に上がれば、多くの友達が出来る。それでも俺とリーフの仲が変わることはなかった。むしろ、俺達の仲に便乗して遊ぶ友達が増えた。だから俺だけが誰かと遊んだり、リーフだけが誰かと遊ぶようなことはない。俺とリーフと、そして誰か。その組み合わせがブレることなんてなくて、俺はとてつもなく安心していた。あぁ、リーフは絶対に俺の傍にいてくれる。それが当然のことなんだ、と。
ある日。リーフの家で遊んでいた時。初めて漫画というものに触れた。それまではずっと外で遊んだり家でゲームをする日々だったのに、リーフの兄であるグリーンが興味で買った漫画が面白いというものだから、一緒に眺めていた。内容はよく覚えていない。ただ、あるシーンだけ鮮明に頭に焼き付いている。リーフと一緒にページを捲って、漢字も良く分からない俺達が、釘付けになったページ。
思えば、これが全てのきっかけとなったのかもしれない。
「なぁ、これ……なにしてんだろ」
リーフがそう零すと同時に、俺もまた首を傾げた。
男の子と女の子のキャラクターが口をくっつけている。どうにもそのシーンが不思議に思えて、リーフと顔を見合わせた。そのキャラ二人がとても幸せそうな顔をしていて、余計に良く分からなかった。あの時の俺達は無知で、それ故に今から考えると許されないことを多くしてしまった。その度に怒ってくれる大人がいたけれど、今回ばかりは話が違った。別に誰にも迷惑をかけるわけでもない。ただ、単純なる興味だ。幼い子供なんて好奇心の塊であるのだから仕方がない。今更、そんなことを必死に自分で言い訳している俺が情けない。
幸せになれると思ったのだ。ソレをすることが。そして実際、幸せになれたから。何も疑うことなんて無かった。
リーフと口を合わせる。単純なことだった。彼のちょっと乾燥しがちな唇が俺の唇に触れる度に、言いようのない高揚感が芽生えた。これだけリーフと顔を接近させることが今まで無かったからか、恥ずかしさもあったのだけれど。それよりも心が湧きたつ興奮の方がどうにも止められなて。またそれを心地良いと感じてしまった俺は、もうあの時に全て終わっていたのだと思う。今となっては。
小学校低学年から高学年の間に、彼と何度キスをしたのか分からない。そう、俺達は途中になってから気が付いた。年を経る毎に大きくなってきて、だいぶ漫画の内容だって把握出来るようになってきて。やっと分かったのだ。この行為の意味が。「好き」な人同士であるからこそ、キスをする。だから余計に俺達は止まらなかった。だって、俺はリーフが「好き」だったし、リーフだって俺のことが「好き」であるはずだったから。
でも良く考えたら分かることだった。漫画でキスをしているのが皆、男女という異性の組み合わせであることに。どうしてだろうか、俺もリーフも全く気付くことはなかった。しかし、それほどまでにお互いを信頼しきって、俺達は「好き」合っていたのだと思う。周りの子の中には「お付き合い」なるものを始める子達もいた。誰が誰を「好き」だとか、そういったことに多感な年頃。それでも俺とリーフはブレることはなく。誰かに「好き」な人は誰かと聞かれても、お互いの名前を平然と答える日々が続いた。それを周囲は許していた。だって、子供だったから。俺達は。
何も知らない、子供だったから。そして周囲も何も知らない、子供だったから。
大人達は、誰も俺達に教えてなんてくれなかった。きっと、冗談だと思っていたのだろう。もしくは、子供の戯言か。妄言か。
リーフを抱きしめたり、抱きしめ返されたり。キスを送ったり送られたり。そんな日々がいつまでも続くことを信じていたあの時。ただ笑顔でリーフと一緒に過ごしていた幸せな日々。
そんな誰にも揺るがすことが出来なかった俺達の関係に、崩壊を予兆させる音が聞こえ始めたのは小学校の卒業式。
「ずっと好きでした、付き合ってください!」
震える手で手作りのお菓子を差し出す女の子を前に、リーフは立ち尽くしていた。校舎裏の中庭で、彼は一世一代の告白を受けていた。俺はリーフの姿を探して、リーフと一緒に帰ろうとしていた所で、偶然彼の姿を見掛けて駆けだそうとしていたのだ。そこで聞こえた女の子の声。確か彼女は彼と何度か同じクラスになったことのある女子だ。俺も知っている。肩よりもちょっと長い黒い髪の毛。顔を真っ赤にしながら震えている。俺はもうその現場を遠くから眺めるしかなかった。
なぜか、足先からぞわぞわと不快なものが競り上がって来たのを、今でも覚えている。
「――――――ごめん。おれ、好きなやつ、いるから」
とても寂しそうな笑顔だった。
瞬間、ガぁッ!と全身の血液が湧き立つ気がした。
先ほどから足先に感じていたものが、リーフの言葉で一気に爆発したようだった。唸る頭。眩む視界。思わず叫びかけて、自分の口を右手で抑えた。ダメだ、俺はここにいちゃいけない。そう判断してその場からすぐに駆け出した。リーフのことを放って、急いで家へと向かった。卒業証書を片手に。
今まで、リーフと一緒に帰らない日なんて無かったのに。ランドセルが虚しく揺れて、いつまでもわけのわからない涙を零し続けた。
俺は信じて疑っていなかった。いつまでもリーフは俺の隣にいてくれると。それがただ俺だけしか持っていなかった理想像であるということに、この日気付かされた俺は、それでも心の奥深い所でリーフは俺のことを選んでくれると馬鹿げた期待をしている。そう、今でも。
その僅かな望みが無ければ、きっと、俺が壊れてしまうから。
リーフと次に会ったのは、卒業式の翌日。
俺達の卒業パーティーをリーフの家で行った時。母さんも兄さんも、リーフとグリーンの姉さんであるナナミさんも、皆が参加した。リーフは相変わらず笑っていた。あの告白を受けた時に浮かべていた笑顔ではない、いつもの笑顔だ。俺が日常で良く見る、あの目。美味しいご飯を食べてゲームで遊んで、お開きの時間になるまで俺はずっとリーフに上手く話しかけることが出来なかった。逆に、話かけられても上手く答えることが出来なかった。引き攣った笑顔になっていることが自分でも分かったのだから、きっとよっぽどだと思う。
ちょうど、二階にあるリーフとグリーンの部屋で遊んでいた時。グリーンとレッドが偶然、下の階へ行ってしまったタイミングがあった。リーフと二人きりになることだけは何とか避けようとしていた俺にとって最悪な状況だ。リーフが普段通りに話しかけてくる。だから俺も普段通りに返さなければ。いくらぐちゃぐちゃな心情だとしても、リーフにだけは弱みを見せたくなかった。あの自分でも良く分かっていない感情を見せたくなかった。必死に抑えつけて、バレないように。
けれどその考えは甘かった。
「ファイア、何か変だ」
不意に、怒ったような声色を出したリーフ。驚いて彼の顔を見ると、それはもうとても不機嫌な顔をしていた。
まずい、と思った。こういう時のリーフは面倒だ。何をしてくるか分からない。急いで何かしら言葉を返そうとしたが、その前に彼の両手が俺の肩に突撃してきたと思えば、そのまま床へ押し倒された。
「なぁーどうしたんだよー」
どうしたも何も。俺も良く分かっていないのだから、答えようがない。
リーフと目を合わさないように眼球を泳がせて、言い淀んでいると、それが気に食わなかったのかいきなりキスされた。なぜだろう、ずっと彼とのその行為に違和感も何もなかったのに、心がざわついた。それは歓喜と混乱の入り混じった、良く分からない感情だったのかもしれない。今から思えば。
直感的に、ダメだ、と思ってしまった自分がいて。
気がつけば、キスをしてくるリーフの体をドンッ!と押していた。
「っ! ぃた」
ゴテン、と床に転がるハメになった彼と、一生懸命に口を拭う俺。違うんだ。何かが。得体の知れない何かが。何なんだこれは。ぐるぐる回る思考。訳も分からず、気が付いたら二階から駆け下りて外へ飛び出していた。自分の部屋に戻る為に。無性にベッドの中へ飛び込みたくなった。逃げたくなった。リーフが俺に介入出来ないように、何かしらの手段を取りたかったのだ。リーフの姿を見ない為に。声を聞かない為に。
だから俺に突き飛ばされたリーフがどんな顔をして、どんな想いをしていたかなんて、この時の俺には考える余裕なんてなくて。自分の良く分からない想いに振り回されて、その中で自分の軸を見つけることに必死だった。
小学校を卒業して、こうして俺達は中学校へと上がった。
モヤつく心を押し殺すかのように、俺は制服の前ボタンを止める。
絵空事に依存
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