(初めまして)
現在時刻、早朝六時半。染み付いてしまった体内時計に従って目を覚ました。
王族を護衛する仕事、だなんて聞く分には響きが良いかもしれないが、実際は彼らの我侭に振り回されるだけの損な役回りだ。かつて軍へ配属されていた俺がどうしてこんな王族護衛部隊に配属されてしまったかって、単純に王の妹君である女性のお眼鏡に適ったという理由だ。どうやら俺みたいな容姿の男が好みだったらしい。特権を使って無理やり俺を護衛としてつけた彼女は、それはもう言いたい放題。おそらく彼女は自分の好みの男性をコキ使うことに楽しみを覚えているようで。俺よりも前に何人かそういう男を下につけていたようだ。しかし、そういった男達は彼女に飽きれられると捨てられていた。
ならば俺も彼女に飽きられたなら良い、と思い続けて早三年。毎日毎日軍に所属していた時の鍛錬は怠らないように、しかし彼女の言うことも聞くように生活してきて、あっという間に過ぎ去ってしまった時間。かつての同僚達はどうなっているのか、そういった情報も届かない世界だ。
鍛錬を行ってから自分の身なりを整えてから、今日の彼女のスケジュールを確認する。王族達の起床時間は八時。それまでに完璧にして彼女の部屋を訪れる。最近はもっと扱いが難しくなってしまった。
「相変わらず、やる気無い顔ね」
いらいらする。
ベッドから状態を起こして、そう一言付け加えた彼女の腹部は大きく膨らんでいた。
隣国の第一王子と政略結婚をしたのがもう一年近く前。本来ならば向こう側の国にいなければならない彼女であるが、どうしてもこちらの国でないと落ち着かないと我侭を言って戻ってきたのだ。まぁ、そうなると俺も付いて行かなければならなかったから、ラッキーだったのだけれど。俺も隣国へは行く気になれなかった。いや、自らの意思で行くなら良かったのだ。しかし彼女の都合で付いていく気には到底なれなかった。これには彼女の我侭に救われたと言っても良い。
だが、そうなっても王族としてすべきことはしなければならない。世継ぎを生まなければ彼女の存在意義はないのだ。幸いにも彼女は隣国の王子との子を授かることが出来た。これがまた男であるか女であるかでも左右されてくるが、まだ彼女の地位は安泰だ。
お腹の世継ぎが成長するにつれ、彼女の精神も不安定になっているのが伺える。顔色もあまり良いとは言えない。医者の診断によるとお腹の子が元気である証拠らしいが、彼女にとってはどうでもいいことだ。別に、彼女自身が子供を欲しがったわけじゃない。
そして出産の迫ってきたある日。相変わらず俺は彼女のベッドの隣の椅子に腰掛けて、彼女の顔色も悪いまま、一方的に告げられた。
「デンジ、もういいわ。あなたには飽きたから」
名を呼ばれたのは、初めてだった。
寝耳に水とは、まさにこのことだろう。
彼女の言葉が頭に飛び込んできて、数秒処理に時間がかかった。それほどまでに、唐突だった。そうして、散々今までコキ使われてきてやっとかよ、と内心突っ込みを入れた。瞠目して彼女を見つめると、意地の悪い笑みを浮かべていた。久しぶりに見た、彼女の笑みだ。
「あんた、今まで一番面白かった」
過去形になっている時点で、本当にもう彼女からは開放されたらしい。
理由を思わず問いかけたが、王族である彼女に対して質問を出来るほど俺の地位は高くはない。いくらずっと彼女に付き添ってきたからといって、やはり壁は大きいものだ。彼女自らが語ってくれたならまだしも、結局のところ理由は聞けなかった。
王族護衛としての意義がなくなった俺は、もう一度軍へ戻るべく申請処理に追われるハメになった。そもそも彼女が無理やり引っ張ってきたものだから、俺の立場がいろいろと複雑になってしまっていたようだ。そもそも、軍へ戻れるかも危ういと言われてしまって、いっそのこと王族護衛に残っておいたらどうだ、と言われる始末。そうしてグダグダと無駄に時間が過ぎようとしていたところ、知らせが飛び込んできた。
彼女が世継ぎ――男の子を生んで、死んでしまったと。
人間なんて死ぬときはこんなものか、と、漠然に思った。
あれほど気丈だった彼女が、こうもあっさりとこの世界からいなくなってしまったことに、実感が湧かない。しかし、話を聞いてみると、最初から難産の可能性が高く、母か子のどちらかを犠牲にしなければならない確率が高かったようで。そんな話、俺は一切知らなかった。彼女自身には告げられていたらしいが。
元々、子供を産むことだけを目的に存在しているようなものなのだ。彼女のような立場の人間は。それを皆が当然だと思っている。母と子のどちらを犠牲にするといったところで、答えは一つでしかない。そういう世界なのだ。―――仕方ない。
生まれた子供は隣国の後継者候補。つまりまた、護衛が必要なのだ。いや、もはやこの場合はお守りと言おうか。彼女がこの世に唯一遺した子供。偶然にも他の手が空いてなくて、宙ぶらりんの状態だった俺にその話が舞い込んできた。彼女にずっと付いていたというのも理由の一つだろうけれど、隣国への諜報部員としての役割も担うことになるため、軍の経験も積んでいる俺が適任だと判断されたらしい。軍にいたころ、そこそこ成績が良かったことが仇となったか。
まだ髪も生えていない生後間もなくの彼と対面した。これから俺が守らなければならない存在だ。スヤスヤと眠る、何も知らないまま生まれ落ちた彼もまた、この世界に利用される。目に見えていることだ。俺には、どうすることもできない。
その小さな手に触れると、微かに握り返された。今、彼にのしかかっているものなど、本当ならこんな脆弱な存在に背負いきれるわけがないのに。こんなことを思う俺も、所詮は人事だ。
だがこの後、彼の存在が俺にとって人事でなくなることになるなんて、チリ一つにも考えていなかった。そしてこれは、彼女からの復讐とも取れる事態となることを、万に一つも予想していなかったのだ。
彼の母親、つまり彼女の髪は夜を思わせるほどの黒髪で。
彼の父親、つまり隣国の王子の髪もまた漆黒の髪であったにも関わらず。
成長行くにつれ彼から生えてきた髪は、太陽の輝きかと見間違えるほどの金髪で。
彼女の身近にいた金髪は、どう考えても俺しかいなかったのだ。
―――――
王族護衛なデンジと王子様ジュン。
続きます。