color WARing -5- チョウジタウンの北方にあるゲートを通って、43番道路へ足を踏み入れた時、真っ先に襲いかかって来たのは悪臭。いや、これは腐敗臭? 歩いていくにつれ、それが骨の髄まで焼かれた生き物から放たれる臭いであることが判明。願わくば、こんな臭いと出会わない人生を送りたかった。 俺の足元にはおそらく、メリープ、モココ、キリンリキ、ピジョン、コンパン、ヨルノズク『であったであろう物体』が転がっている。この道路で出現するポケモン達があらぬ方向に体が捩じられたまま赤黒くなった焼死体として、数多と転がっていた。骨だって見え隠れしている。さらにお互いを助け合ったかのように、折り重なって倒れている光景だってあった。もしかしたら、家族、だったのろうか。 壮絶な景色だ。吐きそうになりながら、口元を押さえて耐えて耐えて目的地へ向かう。怒りの湖はもう目と鼻の先にある。けれど、そこに辿り着いた所でこのポケモン達に救いが与えられるわけでもない。それどころか、さらにこの地に死体を積み上げるという最悪の状況になり兼ねない。 「シルバー、大丈夫か」 その言葉、お前にそのまま返してやるよ。ゴールド。 隠そうとしているか知らないが、小さく震える肩と唇がバレバレだ。カチカチと歯だって揺れていて、真っ青で血の気の引いた顔。いつも見てきた自信満々の輝きに満ちていた彼には有り得ない、その表情。絶望という二文字はまだ浮かび上がってはいないようだが、それもおそらく時間の問題。 そして、俺とゴールドの様子など微塵も気にせず先頭を切っているのは、赤い帽子に赤い上着の青年。肩にはピカチュウがいて、一声だけ小さく鳴いた。それは辺りに散らばる死体に対しての鳴き声だったのか、それとも悲壮感塗れる俺達に対してだったのか、良く分からない。 政府の命により、怒りの湖を狙うテロ組織の討伐へ向かうこととなった、俺と、俺と同年代のトレーナーであるゴールドと、━━━俺の知る限り、最強のポケモントレーナーであるレッドという男。 何故この人選であるのかとてつもなく謎ではあったものの、政府の考えることなんて分かりたくもない。どうせ、俺とゴールドがポケモントレーナーとしての腕が高いことを見込み、しかし任務に行かせるにしては年齢が低いだかなんだかで、とりあえずレッドのお供として同行させた、といった感じだろうか。要は、人やポケモンを殺す戦闘に慣れさせるための、予行演習。 だがしかし、このレッドとかいうトレーナーだって人やポケモンを殺したことはないはずだ。何の訓練にもなりはしない気がする。 それに俺もゴールドも、命を奪う気なんて毛頭ない。人間だろうとポケモンだろうと、必ず誰も殺さずにこの任務を全うしてやる。政府本部から出発する直前、密かにそう誓い合った。必ず、罪は犯さないと。 それがとんだ甘い考えであることは、どこか頭の隅で分かっていた。 それでも、それでも考えたくはなかったのだ。自らの手で他の生命を奪うなんてこと。それではまるで犯罪者だ。殺人鬼だ。そんなことをしてしまったら、自己嫌悪で死んでしまいそうになるに決まっている。 けれど、そんな俺の考えを踏み付けてグチャグチャに潰していくかのように、政府から収集を受けたトレーナー達は続々と任務に赴いた先で、数多くの命を奪っていく。かつて挑戦者として俺が挑んだジムトレーナー達ですら、だ。 愕然とした。 どうしてそんな平然と殺せるのだろう。確かに政府の命に背けば自分のポケモンが危ないし、下手をすればトレーナー自身も危なくなる。けれど、それでも、何で。何かしら他に手があるはずだ。この状況を逃れるための術が。 今はまだ思いつかないけれど、任務に赴けば答えがあるかもしれない、と思った。何もしない状態では打開策だって見当たらない。あえて任務の中に身を投じることにより、突破口が見いだせるのではないか、とゴールドと共に結論を出す。 さらに俺達に同伴するのは世界最強と謳われるトレーナーだ。これを聞いた時は疑問もあったけれど、確かに心強さを感じた。 現場に来てしまえば、そんな安堵感も消し飛んでしまったが。 「ぁ」 小さく声を落としたのは先頭にいるレッドで、急に彼が立ち尽くしてしまったことで、ゴールドと俺は軽く衝突した。一体何だ、と文句を言う前に、俺とゴールドの全身に目の前の光景が突き刺さった。 「ねぇ、コレ。湖?」 言って、レッドが指で示す前に俺とゴールドは駆け出していた。目の前に広がっていたのは大きな大きな谷。剥きだした土肌はコゲ茶色。水草のような緑色も散乱していて、灰色の石も転がっている。何だココは。どうして。言葉を失くす。何度も見て来たあの青く輝く湖など、どこにもなかった。 嘘だ、まさか、そんな、こんなことって、ここは怒りの湖だろう? かつてロケット団が電波を使ってコイキング達を無理やり進化させようとして、それをゴールドとセキエイリーグ四天王のワタルが阻止した、あの湖であるはずだ、無事に電波も無くなったここは、元気にコイキングやギャラドス達が泳いで━━━━は、いない。 谷底で、無残に焼死している。 この谷こそ、怒りの湖であった。水が一滴もない、もはや湖としての機能の無い、ただの死体置き場。ゴールドの脚が折れる。先ほどの焼死体の転がる時には我慢出来ていた気持ちが、抑えきれない。口を抑え、彼は嘔吐した。彼の胃から出て行くのに合わせ、涙がボロボロと零れ落ちる。何も見たくないとでも言うようにゴールドは蹲る。かくいう俺もかなり危ない。何とか最後の理性として抑えつけはいるが、限界を向かえそうだ。視界が滲む。片膝をついて、ゴールドの背を擦り思うままに吐かせてやった。 「君達、敵が来たらどうするの?」 ただ殺されるつもり? 不意打ちに信じられない言葉が聞こえて、俺は背後に立つ人物を振りかえった。次いで、憎悪の瞳で睨み上げた。 レッドは、相変わらずの無表情でありつつ、どこか呆れも含んだ瞳で俺とゴールドを見下ろしている。止めろ。あんたにそんな風に見下される覚えは無い。それに、この惨状をどうしてそんな平然と見ていられるんだ。あんただってポケモントレーナーだろうが、最強だか頂点だか知らないが、こんな状況のポケモン達を見て何とも思わないのなら、そんなのトレーナーを名乗る資格なんてない。人間を、名乗る資格すらない。 そう、思わず怒鳴り散らそうとした。けれど、叶わない。 「ピカチュウ、ボルテッカー」 レッドの肩に乗っていたピカチュウが、突然空高く舞い上がる。雲ひとつない空に、その黄色が良く映える。俺とゴールドの頭上を越え、谷へと突入した。 ぇ━━━と呟く間に、バチチィイッ!!と電撃音が炸裂。一瞬だけ世界が白く染められたような気がして、茫然とする間にレッドまでもが谷底へと飛び込んだ。呼びとめる隙すら与えられない。 蹲っていたゴールドもいきなりの事態に顔を上げた。ハッとして、俺はゲンガーとフーディンをボールから放つとゴールドの側に待機させ、ゴルバットを繰り出してその背に乗る。一体、何がどうなっているのか確認したかったからだ。谷へ向かって羽ばたけば、その下では電撃と火炎の飛び交う戦場と化していた。 おそらく、電撃はレッドのピカチュウのものであり、あの火炎はこの地を焼きつくした敵側のもの。混じり合って橙色に弾け飛ぶ閃光。強力なエネルギー同士の衝突によりまるでポケモンが大爆発でもしたのか、と思わせる轟音が響く。 まさか、こんなすぐ側に隠れているとは思わなかった。あれだけ焼き尽くされた跡を見れば、もうとっくに敵は退却したものであると、心のどこか考えてしまっていた。 何たることだ。最低の油断にも程がある。レッドだけは、ずっと神経を張り詰めていたのだ。そして一早く敵の動向を察知して、攻撃を繰り出した。 目下で繰り広げられているであろうバトルは、ポケモンバトルであるならば俺も心躍らされるものがあっただろう。世界最高峰のトレーナーが技を繰り出しているのだから。しかし、残念ながらコレは殺し合い。生きるか死ぬかの攻防戦。両手をゴルバットの上で握りしめ、俺はただその光景を歯がゆい思いで見下げるしかなかった。 それにしても相手が炎タイプであることが明らかであるというのに、どうしてレッドはピカチュウばかりを多用するのだろう。ふと頭を過ぎった疑問。彼の手持ちには確かカメックスやラプラスなどの水タイプが含まれていたはず。どうしてそれを使わない。 谷底で、一際大きな電撃が迸った。おそらくピカチュウの十万ボルトだ。俺の居る位置にまで届きそうな雷撃に、ゴルバットが恐れ慄く。バサバサと翼をはためかせ、何の指示も俺は出していないのにゴールドの元へ帰ろうとする。いきなりのことで対処が出来ず、バランスを崩した俺は見事にゴルバットの上から滑り落ちた。咄嗟にゴルバットの足を掴もとうとして、しかし虚しく指の間からすり抜けた。 それを見ていたのだろうゲンガーとフーディンに挟まれているゴールドが何か叫ぶのが聞こえたけれど、そのまま電撃と火炎の地獄へと落下し始めた俺はその声は聞きとれず、ただ絶叫。目前に迫る、戦場。 死ぬ、まさか、もう、こんな、早く、有り得ない、俺は、何で、ここに、畜生、ふざけるな、俺は、まだ、まだまだまだまだまだまだまだまだあああああ!! があああと熱く唸る脳内に高速で飛び交う言葉。そんなもの、重力に従って落ちる俺を止めることなど出来はしない。━━━俺自身の、力だけでは。 突如、炎の渦が谷底から舞い踊る。ゴァッ━━━と熱風が全身に襲いかかり、心臓が握りつぶされる。このまま焼き殺されてしまうのかと思った直後、想像していた衝撃とは全く異なるモノを受ける。 朱色の壁に鼻をつけていた。いや、鼻だけではない。俺は朱色の壁に張り付いていた。 大きく立派な、リザードンの背中だった。 谷底からやってきて俺を助けてくれたということは、これは、レッドのモノだろう。それを確定する要素を見つけた。ちょうど俺が抱きついている首の部分に、白い輪っかがはめられている。これはどのトレーナーにも伝わっていること。 レッドのポケモンにのみ付けられている、小型爆弾。 「シルバぁあああ!!」 無事に飛び降りた俺に、ゴールドがしがみ付いて来る。涙やら鼻水やら涎やらでグチャグチャになっている顔。それを服に押し付けられてきても、今は何とも思わない。助かったのだ。俺は。先ほどまであの地獄の中に落下していたという俺が。今では友人の隣にいる。奇跡にも程がある。 それを実感した瞬間、体から力が急速に抜け落ちた。ガクンッと崩れ、つられてゴールドもヘタり込んだ。そして、全身を震えが襲う。 今更になって、先ほどの恐怖が襲いかかって来た。両手で自分を抱きしめて、息を荒くする。カタカタと、ゴールドの次は俺が歯を鳴らす番となってしまった。涙が溢れて止まらない。嗚咽が漏れて、恐怖に心が竦んでしまう。 俺を運んだリザードンは、すぐさま戦場へと舞い戻っていった。もはや雷撃のせいなのか火炎のせいないのか良く分からない粉塵の支配する谷底では、さっぱり状況が分からない。レッドはどうなった。生きているのか。もしくは死んだのか。けれど未だ鳴りやまないピカチュウの電気攻撃の音は、確かに存在している。 そう、まだ彼は戦っていたのだ。俺達がこんなにも腰抜けになっている間、ずっと。たった一人、谷底で。 (クソッ、クソ!!) ズキンッと胸が痛む。何だろうこれは。悔しいのか? まさか、ラッキーじゃないか。俺とゴールドは確かに命を奪っていない。このままならば誓いは果たされる。良かったではないか。けれど、その代わりにあの人は━━レッドは、一人で敵陣に突っ込み、一人で殺す殺され合いをしている。あの人ばかり、命を奪い続けている。それを止めることすら、きっと俺とゴールドは出来ないだろう。出来るわけがない。止めてしまえば俺達は相手に殺される。 戦場という言葉を、俺達は塵ほども理解していなかった。だって理解しようとする気すら、なかったのだから。 何て事だ。呆気なく俺とゴールドの理想は崩れ去る。そして、なぜ他のトレーナーをあれほど嫌悪していたのか、意味が分からなくなってきた。そうだ、その通りだ、簡単なことじゃないか。 殺らなければ、殺られる。 その何とも単純な公式。今まで何故気付かなかったのだろう。馬鹿らしい。唐突に体の震えが止まった。代わりに、笑いが止まらなくなる。喉から湧き上がったソレを垂れ流しにした。変貌した俺の様子にゴールドが訝しみ不安気な双眸で見てきたけれど、それを無視して立ち上がり、先程まで戦場と化していた谷底を見下ろす。風のおかげで粉塵が引いて来た。盛大に焦げ付いた土肌。 「は、はは」 急速に口内が乾いていく。それに比例し視界はクリアになっていった。今、俺が何をすべきなのか、鮮明に理解できた。隣に控えるフーディンとゲンガー。彼らに視線を送って、俺は走り出す。谷底へ。 「シっ」 ゴールドの制止の声も腕も俺には届かない。フーディンにリフレクターを命じ、俺と二匹はひたすら爆撃鳴り響く戦場へ突入。電撃の中心地は分かっていたから、すぐにレッドの後ろ姿を見つけることが出来た。俺を見つけた彼は驚いた様子だったけれど、すぐに意識を相手に戻した。ピカチュウの電撃でだいぶ体力も気力も削られているであろう、総勢10名程の敵陣。ポケモンはやはり炎タイプばかり。ニューラやレアコイルを出さなくて正解。相性が悪すぎる。 「シルバーって言ったけ? 君のゲンガー、妖しい光使える?」 勿論。 無言で頷いて、ニヤッと笑みを浮かべたレッドにゾッとする。それはおそらく、それを指示しろ、という強制だったのだ。察せない程俺は馬鹿じゃない。だが、これだけ大勢に妖しい光が綺麗に通用するかは分からない。 しかし、やってみなければ分からないのも確かだ。 「ゲンガー、妖しい光」 直後、目の痛くなるような不規則な点滅を催す光が、相手側を包み込む。直視すれば俺も気持ち悪くなりそうで、顔を背ける。レッドは平然と立っていた。彼はピカチュウの放つ閃光で、こういった現象には慣れているのかもしれない。 しばらくして、光がフェードアウトするように消えると、相手側の何人かは倒れている。気持ち悪さに耐えられなかったのだろう。さらに、立てている者も足元が覚束ない。これではまともに攻撃命令など出せないだろう。ポケモン達はと言えば混乱している奴がかなりいる。なかなか効いたようだった。 さて、これからどうするのかと身構えていると、レッドがリザードンに乗り、俺も乗れ、と言ってきた。意図が分からず、しかし逆らうことも出来なかったので、大人しくゲンガーとフーディンをボールに戻して先程助けてくれたリザードンの背にまた乗っかる。すると、爆音と爆風を背後に感じた。え、と振り返ると、背後では炎が巻きあがっていた。そして人なのかポケモンなのか分からない断末魔。気にせずに空へと飛び立ったレッドは涼しい顔でゴールドの元へ。 → ×
|