ふたりぼっち
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現代パロ。一人暮らし社会人Nの隣に住む一人暮らし大学生トウヤ。
大学生の生活リズムなんて狂いたい放題だ。基本的に朝は寝坊して授業に遅れて、夕方から夜にかけてバイト。深夜遅くまで起きて、また朝は寝坊。最悪の循環に陥ってしまえば脱却することはなかなか難しい。このまま社会人として働きだしたらどうなるか、今から考えるだけで恐ろしい。それでもやはりこのリズムに慣れてしまっている体を改善するのは至難の技で、今日も今日とて俺はその波に乗るしかない。入学した当初は勿論、健全な生活を送ろうと頑張っていたけれど、バイトやら部活やらを始めてしまえばそんなお綺麗ごとなんて言っていられない。授業だって途中から面倒臭くなって、単位さえ取れればいいだろうという思考回路に至る始末だ。救いようが無い。しかし周囲の大学生なんてそんなものだ。あまり俺と変わらない。だなんて、俺と同レベルの人間を比較して安堵に浸るだなんて最低だ。けれどそうでもしないと本当に自分が余りにダメな人間だと思ってしまって、時々辛くなる時もある。大学生の本業は勉強である、という前提を忘れたわけじゃない。ただ、時間のやりくりが上手くいかない。勉強とバイトとサークルと。両立が出来ていないのは確かに俺に能力がないからだろうとは思うのだけれど。ならばどうすれば要領よくこなすことが出来るのか、分からない。
そうしてモヤモヤとした日々を過ごしている俺だったけれど、一つだけ気になることがある。自堕落した生活を送る前までは深夜に起きていることすらなかったものだから気付けなかったのだが、俺のお隣に住んでいる社会人が毎晩毎晩泣いている声が聞こえるのだ。はっきりとした泣き声ではなく、おそらく啜り泣いているという表現が一番適していると思う。よくよく耳を凝らせばスンスンと鼻をすする音が聞こえるのだ。何かしら悲しいことでもあったのか、と思うけれど、それが毎晩続くようではどうもおかしい。ずっと疑問に思っていて、けれどお隣さんといっても向こうは社会人だから時間帯が合わない。出会うことなんてほとんどない。時折、後姿を見掛けるくらだい。話しかけるなんてこと一切したことはない。引っ越ししてきた時でさえ挨拶にはいかなかった。このご時世、どこに犯罪者がいるかも分からないから、あえて挨拶はしなかった。友達に聞いてみても、そんなことをしている人が極少数だったから、おそらく失礼なことにはなっていないと思う。
つまり俺はその社会人と一切交流が無かったのだ。だから彼がどんな会社に勤めているだとかどんな生活を送っているかだとか、興味すらなかった。しかし毎晩聞こえてくるその泣き声がどうしても気になる。本人に尋ねるのが一番早いことも分かっているけれど、こんな今まで喋ったこともない大学生からいきなり「どうして毎晩泣いているんですか」と問われても困るだろう。向こうは。それにそんなことをしてしまったなら俺は明らかに不審者になる。勘弁してもらいたい。
そんなこんなで毎晩夜泣きする声を聞きながら、電気を消した部屋のベッドの上で天井を見上げる。本当に、何が悲しくてこんなに毎日泣き続けるんだか。会社で嫌なことでもあるのだろうか。それとも女と上手く行かないとか? いやでも、あまりはっきり顔を見たわけじゃないが、俺からすればかなり整った容姿をした人だった記憶がある。雰囲気というかなんというか。本人に自覚があるか知らないが、おそらく女に関してはあまり困ることもない社会人だと勝手に思っていた。
もう一つの可能性としては、隣の社会人が常時精神不安定ということだ。そうだとすると根本的に彼が泣くのは解決出来ないかもしれない。誰かの手助けがあって治るものじゃないだろう。よほど彼を安心させられる人間が傍にいなければ。彼は一人暮らしであるようだし、そういった人生のパートナーは存在していない。ならばどうしようもない。そう結論づけてしまう俺は傲慢な人間だ。最悪な人間だ。だってこの時点で俺は彼を見放したことになるのだから。
まぁ、今のことは全て俺の勝手な想像だけれど。正しいか間違っているかなんて分からない。
ある夜。
いつも通り隣から泣き声が聞こえてくることを予想しながらベッドに潜り込んだ午前三時。その時は珍しく、その時間になっても泣き声が聞こえて来なかった。本当なら俺がベッドに入るまでにすでに声が聞こえていることが常だったのに。しかしまぁそういう日もあるのかと思いながら、どこか違和感を覚えつつも布団に入った。けれど慣れというものは恐ろしいもので。目を閉じて寝ようと思っても、やはり聞こえてこない泣き声にイライラする。本来なら聞こえてこない方が熟睡出来るはずなのだろうけれど、今の俺は彼の泣き声を聞くことが当然になっていたものだから、体がむず痒くなってきた。早く早く。泣くなら泣けばいい。その声を聞かせてくれ。いつも何に対して悲しんでいるのかなんて知らないが、俺はずっと毎晩あんたの泣き声を聞いてきたんだ。まるでそれが子守唄でもあるかのように、聞いて寝てを繰り返してきたんだ。だから、泣いてくれ。頼むから。そうでないと俺が寝られないじゃないか。
泣け、泣け。と心で呪詛のように吐き出す俺は本当に救いようが無い人間だな。けれど本当にそうしないと寝られる気がしないのだから仕方が無いだろう。まさかこんなことになるとは当の本人も思ってもみない。これはあれか、いわゆるパブロフの犬って奴か。俺の場合はそれが無いと困る、ってパターンだけれど。
そうしてイライラしていると、隣室の扉が開く音がした。誰かがこんな時間に訪れたというのか。一気に寝ようと瞼を落としていたそれを取り払い、聞き耳を立てることにする。こんな展開になったことは今までなかったぞ。どういうことだ。べったり壁に張り付いて様子を窺おうとすると、何やら話声が聞こえてくる。最初は小さくて聞き取れなかったけれど、段々誰かの声が大きくなってきた。多分、訪れた人間の方だと思う。こんな毎晩啜り泣くことしか出来ない人間がいきなりこんな大声を出せるはずがない。出せるなら、もうとっくに出していたはずだ。そんなにも泣きたいのなら、声を上げて泣きたかったはずだ。それをしなかったということは、そもそも大声を出せる性格をしていない人間に違いない。隣に住んでいる彼は。
徐々に怒声へと変貌していく声に俺の心臓がバカみたいに高鳴った。何が起こっているのか知りたくてたまらない。そしてどうせこんな様子じゃぁ彼が泣くことも出来なさそうだから、きっとしばらくは寝られないのだから、最初から諦めてしまった方が得策だろう。そう考えていると何やら不穏な音が聞こえて来た。皿の割れる音だろうか。後は椅子の倒れる音だとか。深夜に聞こえてくるにはあまりに騒がしい。え、え、と混乱していると、何かが殴られて倒れる音が聞こえた。全身が硬直する。おいおい、もしかして暴力行為を働かれてしまったのか。お隣さん。その瞬間に静まり返る隣室が不気味で、若干体が震え始める。何やらとんでもないものを聞いてしまったのではないだろうか。俺。
そうして扉がまた開いて閉まる音が聞こえた。どうやら訪問者は帰ってしまったらしい。一体全体何をしに来たのだ。怒声を彼に浴びせて挙句暴力を振るっただけか。信じられない。なんじゃそりゃ。そして泣き声はやはり聞こえてこない。俺は眠れない。最悪の循環。抜け出すには行動を起こすしかない。
意を決し、俺はお隣さんの家に侵入することにした。正面玄関から、堂々と。
鍵の閉まる音がしなかったから、扉が開かれているのは分かった。
他人の部屋へ不法侵入するなんて経験、したことがない。さっきとは違った意味で心臓がバクバクしてきた。何とか鼓動の音を呑み込み続けて外に漏れないようにする。ドアノブに手を掛けて、ゆっくり音を立てないように扉を引いた。部屋の中から明かりが漏れる。顔だけ覗きこめば、無茶苦茶になっている様子がうかがえた。本当に皿が割れている。怪我をしないように進んで行くしかなさそうだ。丁寧に靴を脱いでそろそろと歩き出す。皿どころかガラスのコップも割れていて、もういつ足を切ってもおかしくない。やっとのこと辿りついた居間。一瞬誰もいないかと思ったが、ベッドの上に突っ伏している隣人を見つけた。長い萌葱色の髪の毛。それが出血のせいで赤く染まっている個所がある。やはり殴られでもしたか。顔が見えない。ピクリとも動かない。嫌な予感がして冷や汗が出て来た。
まさか、死んでる?
「━━━━だれ?」
良かった。
その声に心底安堵した。ゆっくりと顔が横を向いて、微かに唇を動かした社会人。視線が刺々しい。全身に突き刺さったけれどそれよりも俺は彼が生きている事実に胸を撫で下ろしたものだから、そんな棘なんて関係がなかった。ズカズカと急いで近づいて「隣に住んでいる者です」と答えた。それに彼は瞠目して、慌てて体を起こそうとしたらしい。けれど痛みが邪魔してすぐに蹲ってしまった。あーあ、そんな無理しようとしなくていいのに。今の自分の体のことを良く考えないと。
「すみ、すみませっ、めいわくを」
「あの、病院行きますか?」
「いや、あ、いえ、だいじょうぶ、っです」
明らかに大丈夫そうでない顔色と体の傷に、思わず苦笑する。いつもいつも泣いているのに、ここまでボロボロになっているその顔に涙は浮かんでいない。何なんだろうこの人。謎過ぎて話にならない。
とりあえず部屋がぐちゃぐちゃ過ぎる。辺りを見回すと小さな箒とチリトリがあったからそれを使って危ない陶器片とガラス片を片付けることにする。何も主に対して許可を取らなかったけれど、別に構わないだろう。どうせ誰かしなきゃいけないんだし。動き始めた俺にまた焦ったのか、彼が俺にそんなことしなくていい、と言ってくる。が、俺は無視をして片付けを始めた。とりあえず彼がいつも通りに泣いてくれないと俺は寝られないのだから、それを待つしかない。それにこの部屋の現状を見てしまったからには放っておけないし。何やら自分の部屋よりも片付ける意欲が湧く。不思議な感覚だ。
彼は俺の予想通り、やはり整った顔をしているいわゆるイケメンという部類の人間だった。いや、これはあくまで俺の感覚なのだけれど。そんな人の顔は青痣に塗れていて、額から血が出ていた。救急箱はないのかと探したが見つからない。だいたい危険な破片を回収した俺は、ちょっと自分の部屋に一瞬戻ってすぐに帰って来た。絆創膏やらガーゼやら何やら。とりあえず必要そうな物を一式持ってくる。こんなもので応急処置をした所でどうにもならなさそうな傷にも思えたが。やはり明日に病院へ行った方が良いように思う。
青痣を冷やす為の氷袋も作って渡す。そして出血している個所も消毒して清潔なタオルで拭いて絆創膏を貼った。すっごい俺って優しい人間な気がした。あれ、俺ってこういうキャラだったっけ。ま、いっか。そんな俺の行動に社会人はオロオロして両手を空に彷徨わせていたけれど、なすがままにされている。本当にこの人、俺よりも年上なのだろうか。決して口には出さない疑問。まだまだ痛々しい個所はあるけれど出来るだけの処置が終わって、やっと俺はこの人と対面することになった。今までずっと隣同士に住んでいたのに、俺は初めてこの人の顔をちゃんと見たのだ。
「初めまして。俺トウヤって言います」
「すみません、ご迷惑ばかりお掛けして」
「俺も勝手に入ってきちゃってすみませんでした」
彼はベッドの上で。俺はカーペットの上で。お互い頭を下げ合うという変な光景ではあったが、どこか俺は心が落ち着いていた。良く考えればこんな深夜に何かしら事情のありそうなお隣さんの家でお隣さんと対面しているなんて、どう考えてもおかしい。相変わらず相手はおどおどしてしまっている。青痣やら切り傷やら痛い所はいっぱいあるだろうに、なぜか俺に対する謝罪が一番痛そうにしている様子も変な話だ。
そうして止まる会話。俺からしても、あまりストレートに事を尋ねたくなかった。さっきのあの音は何だったのか。誰が部屋を訪れていたのか。そもそも、一番気になっていることは。毎晩どうしてあんたは泣いているのか、ってこと。
「あの」
ぐるぐるとどうやってコミュニケーションを進めようかと考えていた所、まさか向こうから声を掛けてくるとは思わなかった。ハッとして俯き加減だった顔を上げるとやはり痛々しい表情を浮かべた彼がいる。あ、そういえば名前を聞いていない。
「あ、りがとう、ござ、片付け、あの、僕、めいわくを、もう大丈夫、です、だから」
聞き取り辛くて仕方なかった。
そして意味が良く分からない。何が大丈夫だって? どこが大丈夫だって? 全く理解が出来やしない。ポカンッとしていると、いきなり彼は泣き出してしまった。ぼろぼろと涙を零して、でもいつものような啜り泣きは聞こえなくて。頑張って唇を噛んで声を出さないようにしていた。グシグシと寝間着らしき服の袖で顔を擦り始めてしまう。そんなことしたら後々痛くなることは目に見えているのに。せっかく青痣の個所を冷やしていたのに台無しだ。だから俺は無意識にその彼の腕を掴んだ。ベリッと顔から引き離して、その涙と鼻水塗れの顔を下から覗きこむ。いきなり襲ってきた力にちょっと驚いたのか、今度は彼がポカンッとする番になった。しかし、すぐにまた顔が歪んだ。
「ねぇ、どうして毎日、泣いてるんですか?」
ストレートに尋ねないように、と思っていたのに、口を突いて出てしまった問い。あ、いっけね。そう思っても取り返しはつかない。彼の耳を塞ぐことは出来なかった。何だかこんなことを聞いてしまった自分が恥ずかしくなって、ちょっと顔が赤くなる。けれど、そんな俺よりも、ずっとずっと顔を真っ赤にしたのは彼の方だった。まるで熟れていく林檎をリアルタイムで見ているような感覚。
「ぇ、ぁ、聞こえて、たんですか?」
ぐちゃぐちゃな顔をしながらそう恥ずかしがる彼が、どうにも可愛く見えてしまった俺も大概重症なんじゃないだろうか。あー、とも、うーとも付かない声を上げる彼に吹き出した。そしてお腹を抱えて笑う。失礼な行動であるとは思ったが仕方ないじゃないか。毎晩毎晩。啜り泣きをしていた人がこんなにも子供らしい人だなんて。見た目は社会人で、ちょっとしたイケメンなのに。どういうことだ。妙なギャップ。
泣いていた理由を聞いた。「寂しかった」だなんて、そんな本当に子供みたいな理由。でも大人になってから認めるには、重い理由。初めて訪れたお隣さんの部屋で、お隣さんとふたりぼっち。こうして初対面を迎えた俺達は、まだ何一つとして始まっていない関係で、それでも始まりを迎えようとしている関係で。
とりあえず名前を聞くことから始めようと思う。
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初めまして、Cloeと申します!
素敵企画に参加させていただきまして、本当にありがとうございました。
現代パロ主♂Nでしたが、いかがでしたでしょうか。
ただ泣いてるNとそれを聞くトウヤを書きたかっただけだったんですけれど、
なにやら主♂Nの始まりの始まりくらいの話になってしまいました。
あの男はゲーチス辺りだと思いたい。
ここまで読んでくださってありがとうございましたー!
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