抓る。 



 悪夢に魘されることは良くあることで、今晩も例外でなかったようだ。

 そんな風に自虐的に笑うしかない。寝汗が隅々まで浸み込んでしまった服を鼻で笑い、部屋に備え付けられているバスルームに向かった。肺が重い。
 ここはコガネシティの主にポケモントレーナー達が利用している安ホテル。トレーナー達に勝利して集まったお金だけでは、ホテルに泊まれる日があることが珍しいくらい。普段なら野宿でどうにかやり過ごしていたが、さすがに体がベッドでの休息を求めたので、久しぶりに室内で一夜を明かすことに決めた。しかし結果はこの様で、疲れが取れる所か深夜にもう一度風呂に入るハメとなる。

(うるさい)

 シャワーを浴びながらそう愚痴を零す。
 悪夢の内容なんていつも決まっているのだ。
 幼い自分が、バカみたいに喚いて、それでも自分を置き去りにした父親の姿が目に焼きつく。
 その瞬間、背後から襲ってきた闇に呑まれる自分。
 息が出来なくなって窒息する寸前に、いつも目が覚める。

 最近ではその夢を見る度に、それが夢だと強烈に認識するようになって、だからまるで第三者のようにその光景を見ることになっている。しかしそれでも抗えず、最後の最後のオチまでズルズルと引きずられて、目が覚める。この悪循環。せっかく体を休めたくとも心までもが休まらない。最悪だ。
 きっとこういうのはトラウマと言うんだろう。まるで他人事のように思う。それと同時に己がどれほど弱いのかを自覚するのだ。一人でも強くなる。集団となって力を誇示するあいつらと俺は違う。そう言い聞かせたいのに、やはり俺は弱い。分かっているのだ、それくらい。誰に言われなくても、俺が一番。
 時間は深夜三時。もう一度ベッドに入ろうと思ったが、やはり眠気は吹き飛んでしまっているため不可能だ。仕方なく部屋から出て夜風に当たることにした。ポケモンはニューラだけ連れていくことにする。気分は最悪だ。せっかく久しぶりのホテル泊まりだったというのに。舌打ちが何度も無意識に零れる。

 父親のことが憎いかなんて愚問に応えるつもりなどない。どうして自分の中から消去したい父親のことでこんなにも俺が苛立たなければならないのか。その事実の方が腹立たしい。父親なんて今死んでいるのか生きているのかもわからない。そんな存在に振り回される俺が情けない。
 ズキズキと痛みが走る心臓は膿塗れになってしまうんじゃないだろうか。小さな傷がいくつも着いては中途半端に放置されて。治ることなんてない。そうやって考えが内にこもってしまうと悪循環が堂々巡りしてしまうので、星でも見上げながらどれだけ自分がチッポケなのかを思い知ると、少し心が楽になる。昼間はあれだけ明るいのに深夜となると少し人の流れが落ち着いている。そこを歩くのもまた気分が良いものだ。

「あ、カナデ」

 一人を満喫していた俺の後ろ姿を貫通した、呼びかけ。
 聞いたことのある声、というにはあまりに聞きすぎている声だった。前に出そうとしていた右足が少し硬直して、しかしそのまま歩き出すことにする。振り返る必要なんてない。気付かなかったフリをすればいい。だって俺は、今は一人でいたいんだ。いくらそこに知り合いがいようがいまいが関係ない。そうだろ。いや、さらに言えば知り合いというよりも、もはや顔見知り程度だと俺は思っている。バトルも何度かしてきたけれど、それでもこいつと深く関わった覚えはない。少なくとも俺は。
 しかしこいつは、俺のそんな欲求なんて何一つ考えもしないで肩を掴んでくるわけで。置かれた手のひらをまた無視しようと思ったのに、グッと力を入れらえてしまって、どうしても強制的に振り替えらざるをえなくなった俺は、不機嫌だけを浮かべた顔で、睨みつけた。

「ぇ、ぁ、ごめ」
「……なんだ」
「いや、別に。カナデ見つけたから」

 そんな俺の視線に苦笑いしつつ頬を掻いて、そう言ってのけるお邪魔者。
 特に用は無いらしいから、また俺は歩き出した。その後ろをちょっと慌てて追いかけてくる足音。イライラしつつ、俺は本当に無視を決め込むことにする。どうしてこいつは毎度毎度、俺に付きまとってくるのだろうか。理解が出来ない。
 基本的に他者への執着のない俺からすれば、こいつの考えを理解しようにもそのための土台がないのだ。ならば、ただ苦しいだけじゃないか。それにこいつだって本当は俺に話しかけるべきではない。思考がそもそも、違いすぎる。

「カナデ、こんな時間にどうしたの」
「俺が出歩いてたら問題があるのか?」
「そういうわけじゃないよ」

 だから、こいつと一緒だとどこか調子が狂う。
 考えを共有できる存在であるならば、俺もそれほど心的疲労もない。しかしこういう明らかに根本の考え方が違う奴を相手にすると、そもそも話を続けるという行為ですら苦痛になるわけで。けれどこいつは諦めずに俺の後ろをついてくる。俺との会話なんて楽しくないに決まっているだろうに。嫌な汗が背中を流れる。どうしてせっかく風呂に入ったのにまた汗をかかなくてはならないのだ。理不尽だ。

「なんか、顔色悪いよ。大丈夫?」

 横から覗き込んできたこいつは、それはもう心配そうな顔を浮かべている。
 はっきり言ってお前に心配される筋合いはない、と言いたかったが、こちらからわざわざ会話を振る必要もないだろうと判断。そのまま黙々と歩き続ける。気が付けば自然公園の一歩手前まで足を延ばしていた。いい加減に引き返そうか、と思った矢先、警備員にバトルを持ちかけられる。手に持っている懐中電灯が目にまぶしい。それにしても子供への注意がポケモンバトルだなんて、変わった話だ。すぐさま戦闘態勢に入ろうとした俺。しかし。

「カナデは休んでていいって、僕がする」

 ボールに手を伸ばした俺の腕を後ろへ引っ張って、一歩前に出たこいつ。
 ちょっと目を丸くして、しかしその間に始まったバトル。どうしてお前が代わりにバトルするんだ、と文句の声を上げる間もなく、あまりに呆気なく勝敗が決定してバトルが終わってしまったものだから、ポカンッとする。いや、確かに警備員の腕はそれほど高いものとは思っていなかったが、それにしてもこの強さ。
 悔しいが、やはり俺はまだまだこいつに勝てる気がしない。
 警備員は情けない声を上げて逃げるようにどこかへ行ってしまった。それでも警備員か、という突っ込みはいれないことにする。それよりもバトルを終えて一息ついたこいつの後ろ姿に目が行ってしまう。

「カナデ、どこかホテル泊まってないの? やっぱり休んだほうがいいよ」

 まるで先ほどまで何もなかったかのような口ぶりだった。汗ひとつかいていない。それがまた憎たらしい。
 休むために夜風に当たりに外へ出たんだが、というセリフは喉から出てこなかった。確かに、どこか体もダルくなってきた気がする。もしかするとしばらくの間溜め込まれていた疲れが出てしまったのかもしれない。ちょっと熱が籠りかけている頭に、俺は仕方なくホテルへ帰る選択肢を選んだ。オプションとして、なぜかこいつもついてくる事態になってしまったものの。

 ホテルの部屋に戻れば俺を寝かそうと躍起になるこいつの姿。別にそこまで言われなくてももう大人しくするつもりなのに、どうやら目を離したら俺がまた外へ出るんじゃないかと疑っているらしい。こんな時間なのだからそんなことしないといくら言い張っても無駄なようだ。
 ベッドに入れば少しずつ襲い掛かってくる睡魔。こいつから与えられた風邪薬もきいてきたらしい。ゆっくり瞼が重くなっていくのが心地よかった。久しぶりに、心が落ち着いている気がする。
 そうなれば、もしかするとあの悪夢も見ないんじゃないか、という期待が芽生えるのも当然のことだ。どうしてだろう、薬を飲んだらこれほどまでに精神の安定が違うものなのか。これから睡眠薬くらい常備したほうがいいかもしれない。そんなことを考えつつ、不意にこいつの手が俺の右手に伸びてくるのを感じた。握られる、とまではいかないが、どうやら手の上に手を置いただけのようで。
 そこから伝わってくる温もりを感じ、薄らと目を開けた。

「カナデ、おやすみ」

 その笑顔が、妙に視界に焼付いた。

 そんな言葉、いつ以来聞いていなかっただろう。
 いや、そもそも俺はその言葉を誰かから言われたことがあるのだろうか。
 あまりに突然過ぎて、気が付けば顔が真っ赤になるほど恥ずかしくなっていた俺は、同時に眠気が吹っ飛んでしまった。せっかく心地よく睡魔に流れたかったのに、まさかこいつに妨害されるとは思わなかった俺は、置かれていたこいつの手の甲を思いっきり抓ってやった。

 案の定、翌日もまた寝不足だった俺は、しかしこいつも寝不足になった事実に、どこかくだらない優越感を覚えたりもしたのだが、それは誰にも言わないことにする。


(終わり)

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お久しぶりですCloeです。ヒビライ企画第二弾!
調子にのりました……。悪夢にうなされるカナデが書きたかったのです。
そして無意識にヒビキに安心させられているカナデが書きたかったのです。
ここまで読んでくださってありがとうございましたー!
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