殴る。 


 ヒビキが思うに、ライバルであるカナデは彼のことを避けているとしか考えられなかった。

 いや、もしかするとカナデからすればヒビキのことをライバルとも思っていないのかもしれない。一方的にヒビキが近づいていただけで、カナデからすればヒビキはただの一トレーナーなのではないだろうか。そんなことがヒビキの頭の中を渦巻き初めてしまったのだ。
 ジョウト地方もカントー地方も回ってバッジを全て回収したヒビキは、最近シロガネ山に足を運ぶようになった。万年雪の眠る神聖な深山には強敵なポケモンが生息していて、彼の実力を上げていく糧になる。しかし強くなっていくと同時にどこか心が寂しくなっていく自分がいることにヒビキは気が付いていた。バトルが終わったばかりの相棒のバクフーンが主人を心配気な顔で見ている。元気の無い表情を汲み取ることくらい造作もないだろう。ヒビキがその視線に気付いて苦笑いした。

「大丈夫だよ、ごめんね」

 赤い光と共にバクフーンをモンスターボールに戻す。これ以上こんな精神状態が続くようならばポケモン達にまで迷惑をかけてしまう。それは分かっていることなのだけれど、どうしても自分の心を上手くコントロールすることが出来ないヒビキ。これほどまでに悩まされることにならうとは正直彼自身予想だにしていなかった。

 カナデと最近会っていないなぁ。だなんて思いつつシロガネ山の麓にあるポケモンセンターまで引き返した彼の目は、どこか焦点が合っていない。ジョーイさんにまで心配される始末。慌てて笑顔を取り繕ってロビーにある椅子に腰掛けた。ポケギアを開いて連絡先の一覧を表示してみてもそこにカナデの名前は無い。何度尋ねても教えてくれなかったから、未だに登録することが出来ないのだ。

 ヒビキは考える。自分の何がいけないのか。ただカナデと近しくなりたいだけだというのに、それがなかなか難しい。
 ポケモンバトルは今のところヒビキの連戦連勝。しかしその事実で避けられたり嫌われたりしているわけでないことは、ヒビキが何より分かっている。そんなことを思うのは何よりカナデに失礼だ。彼はそんな安っぽい人間ではない。どちらかと言えばヒビキとのバトルは積極的である。だが、それと避けられていると思うことは別問題。ちょっとした彼の仕草がどうもヒビキを拒絶しているように感じてしまう。バトルが終わってすぐにどこかへ飛び去ってしまう所や、偶然街中やポケモンセンターでスレ違ってもまるでヒビキに気付かなかったとでも言うような振る舞い。なぜなのだ。眉間に指を当てて息を吐いても思考はまとまらない。困ったものだ、自嘲気味に唇で弧を描き、ヒビキはまたシロガネ山に立ち入ることにした。

 彼が目指すは遥か頂上。そこに何があるかなんて知らないけれど、直感が告げている。あそこには何かが『ある』、もしくは『いる』。それはアイテムかもしれない、伝説のポケモンかもしれない。何にせよヒビキの胸を沸き立てる何かがあるのだ。そうしてまだ雪の積もっていない洞窟を進み続ける。だいぶこの道にも慣れてきた彼の靴はだいぶ擦り切れてボロボロだ。しかし彼の足に最もフィットしている。流れる汗を拭いながらいつ野生のポケモンが襲ってくるかもしれないスリル感を味わう。バトルだけではない醍醐味がこの場所にはある。それがまたこの山にこだわる理由として上げられるだろう。
 そうして山の中腹辺りまで足を進めた頃だろうか、ほどよくポケモンバトルも出来て少し疲れてきたヒビキが休憩を取ろうとした時。


 ドォン―――――ッ


 届いた爆音と衝撃に、洞窟の天井からパラパラと小石が降ってきた。慌てて両腕で頭を抱えて何とか怪我を回避する。あの音はどこかで似たようなものを聞いたことがある。大爆発の技だ。どのポケモンかは知らないが自爆技を発動させたことになる。もしそれが野生のポケモンであれば問題だ。トレーナーが命令せずに技を行使したとなれば、よほどバトルで追い詰められた結果だったということだ。不安が心を覆いつつも足を進める。走るのは危険だ、もしかすれば先程の爆音一つでは終わらないかもしれない。いつでも身を安全に出来る体勢でいなければ。
 そうして辿りついたのは地面が大きく抉られたエリア。中心でゴローンが倒れている。きっと大爆発を起こした張本人だ。それではその技を受けてしまったポケモンはどうなっている? ふとヒビキの耳にうめき声が聞こえた。本当に微かで聞き逃してしまう程の音量だったのに、確かに彼に届いたのだ。すぐそちらの方へ足を向ける。あったのは崖で、下がどこまで続いているのか見当がつかない深さだ。慎重にヒビキ自身が落ちてしまわないように細心の注意を払ってそこを覗き込む。見えたのは赤毛。

「っ━━━」

 心臓が握りつぶされるかと思った。
 ちょうど1メートル程下に、かろうじて右手で崖にぶら下がっているトレーナーは、全身を砂埃に染めていた。しかしその赤色だけは健在で。声が一瞬出なくなった彼だったが、すぐに名前を叫んだ。

「カナデ!」

 けれどピクリッとも反応が無い。完全に顔が俯いてしまっているのでどうともはっきり言えないが、ヒビキは彼が気絶しているのではないかと判断。すぐに先程ボールに収めたバクフーンを取り出してロッククライムの技で崖を下らせた。幸いそれほど狭い幅の崖ではなかったので、ラクラクとカナデの元まで辿りついたバクフーンはそのまま彼を背中に載せた。いつも背中から爆発するように発生している火炎はちゃんと収めて。
 崖を上って来たバクフーンの背にカナデを横たわらせて様子を伺うヒビキ。全身にかすり傷が何度も走っている彼の容体に冷や汗が流れ出る。明らかに先程の爆撃の被害者となったのだろう、息はあるものの意識を戻すにはポケモンセンターにまで引き返した方が良い。そう判断したヒビキはすぐに穴抜けの紐を発動させた。

 いつも通りのジェットコースターに乗ったような感覚に、腹部が一瞬落ちた気がした。








 カナデが目を覚ましたのはそれから三時間後。
 ヒビキの素早い手配によりさほど重傷になることもなかった彼は、起きた瞬間に目に入ってきた白い天井にまず驚いた。先ほどまでずっと薄暗いシロガネの洞窟に入っていたはずだったのに。記憶が混乱しそうになった所へ、ヒビキが部屋に飛び込んできたのも同時。すぐに抱きつかれて思わず両手を彷徨わせてしまった。

「良かった、無事だったんだね」

 あまりにヒビキが安堵の表情を見せるものだから、カナデはますますパニックになるばかり。一体何があったんだっけ、と無理矢理記憶を引きだそうと試みた。そうして画像として頭に浮かんできたゴローンが一体。そうだ、大爆発を受けてしまったのか、とまるで第三者のような感想を抱く。シロガネ山に入るにはまだレベルとしては劣っていた自覚はあったのに、それでもどうしてもなんとしてでも登りたくて、今日その野望を決行したのだ。想像していた通りレベルの高いポケモンばかりが出現して、それでもどうにかあの場所まで登りついた。その頃にはもう回復薬も切れてしまって、いい加減に穴抜けの紐を使おうと思っていた矢先。あのゴローンが突然襲ってきた。対処の遅れたカナデだったがどうにかニューラで対抗し、そうして追い詰めた結果があの大爆発。まずい、と思った彼はすぐにニューラをボールに戻す所までは間に合ったのだが、自分の身まで守る時間はなかったのだ。そのまま吹っ飛ばされて崖に捕まったが、爆撃の衝撃で意識が吹っ飛んでしまった。どうにかして片手で崖を掴んだだけ奇跡としか言いようが無い。そうしてヒビキが彼を見つけなければさらに事態は最悪に向かっていただろう。偶然が偶然に重なり、全てが上手く行った。
 しかしこんな形でヒビキと会うことになるとは微塵にも予想していなかったカナデにとって、この状況は非常に芳しくは無い。未だに体へ腕を回していたヒビキをどうにか引き剥がしてカナデは眉間に皺を寄せる。

「どうしてお前が」
「僕が連れて来たんだよ! ……カナデ、崖から落ちそうになってて」

 両腕を掴んで引き離しているカナデの腕をどこか寂しげな瞳で見下ろしたヒビキ。それを見ないふりをして相変わらずの仏頂面でカナデは告げた。

「それは悪かった。もういい。俺は平気だ」
「そんなこと言わないでよ、心配したんだからっ」
「お前が俺を心配する必要はないだろ」
「そんなことどうして決めつけるんだッ!」

 ガッ、と胸倉を掴まれ、ヒビキと視線を強制的に合わせられたカナデは大いに驚いた。いつも穏やかな光を灯した彼の瞳が、怒りと不安で揺れいでいる。わずかに涙も滲み出た目の淵。怒鳴り声がジョーイさんにも届いたのだろう、すぐに注意された彼だったが、落ち着く様に深呼吸を繰り返してそれでもカナデを睨みつけることを止めなかった。ふーふーとまるで威嚇するポケモンのように息を荒げるヒビキに何も言えなくなるカナデ。嫌な沈黙が続いて身じろぎをする。手に汗が滲み出した。目を泳がせるようにどうにかヒビキと視線を外したカナデだったが、それもすぐに無意味に終わる。強制的に両頬に添えられた両手のせいで、どう足掻いても彼を見るしか出来ない状況に追いやられる。

「ねぇ、どうして僕のこと避けるの?」

 単刀直入とはまさにことのことだ。ヒビキがずっとカナデに尋ねたかったこと。もはや怒りに身を任せてしまったと言えばそうだろうけれど、ある意味でラッキーだったのだ。ヒビキにとって。だってこうでもしないとカナデは答えてくれないだろう。いつもの通りにバトルする空気では決して引き出せないカナデの答え。このタイミングでなら聞けると思ったのだ。ヒビキは。

「僕、なんかしたのかな」

 真剣な眼差しで問われてしまえば、カナデもそれをムゲにすることは出来ない。ギリッと歯を噛みしめる音がしたけれどそんなもの関係がない。ギュッと自分の手を握りしめれば少し顔を俯かせる。言っていいものか悪いのか。そんなもの考えなくても後者に決まっている。そう理解したカナデはどこまでも誤魔化すことに専念することにした。そうしなければ、きっと全てが終わってしまうとカナデは考える。

「お前は何もしてない」
「っ、じゃぁ、何で」
「俺はお前とのバトルは好きだ。だがそれ以上馴れ合うつもりはない」

 一瞬、心に走った痛みなんて無視して、あたかも冷静に、あたかも当然のように、カナデは口を開き続けた。ヒビキの顔がどんどん険しくなっていくことなんてお構いなしに。自分の喉がどんどん締め付けられていくことなんて、気付かないフリをして。

「俺に、友達なんて必要無いからな」

 決定打。
 ここまではっきり言えばさすがのヒビキでも身を引くと思ったのだ。けれどその展望は甘すぎた。カナデはヒビキのことをどこかで分かっている気がしていた。なぜバトルで勝てないか、ではなく、彼の想いについてだ。そう、それはあくまで「気がしていた」のレベルなだけであって、カナデは本当はヒビキのことを一つも理解してはいなかった。

「僕は、カナデと友達になりたい」

 どこにも迷いの無い、声色だった。
 瞠目してヒビキを見るカナデ。すぐに否定の言葉を出そうとしたのに、その瞳を見て何も言えなくなった。だって、あまりに澄んでいる色をしていたから。何ものでも汚すことの出来ない、美しいと表現しても誰も文句は言わないだろう、色。だからカナデの言葉でもそれを汚すことなんて考えられなかった。
 どうしてそれほど潔い言葉が出るのだろう。ここまで否定したのに。カナデの心にグルグルと疑問が渦巻き始めた。ヒビキは諦めて病室を出て行く姿だけを想像していた彼にとって、予想外の答えだったのだ。
 どうやらカナデの迷いを察したヒビキ。おもむろに、宣告した。

「ねぇカナデ。殴って良い?」

 了承を求める必要など、無かったと言うのに。
 えっ、と小さくカナデが声を零した直後のこと。ガンッ、と左頬に走った衝撃と共に、彼はベッドに再度沈むことになる。かなり痛かった。しかしそんな事よりも、ヒビキに殴られたという事実が全身を貫いた。いや、違う、心を、だ。信じられない、と言った顔でヒビキを見てみると、そこには無表情に佇んでいる彼がいた。

「お前っ、何を」
「ねぇカナデ」

 頬を抑えながら講義の声を上げたカナデの言葉を叩き潰すように、いつもより低音でヒビキが問う。

「ココ、痛かった?」

 ヒビキに心臓を触れられた気がした。
 実際は、ヒビキが服の上からカナデの胸に掌を押し付けただけだったのだが。
 カナデの脈が一際高鳴る。近い。ヒビキが近い。その事実を今更痛感した。かぁっと頬に赤みが走る。それに気付かれたくなくて片腕で顔を覆ってみようとしたが、その前にヒビキに腕を掴まれてしまって叶わない。グンッと近づいて来た深く重い色をした瞳とカチ合って何も言えなくなってしまった。

「僕は、いつも、━━いつも、ココが痛い」

 カナデの体に乗り上げてくるヒビキに恐怖を覚えた。
 自ら心臓の上を指で示したヒビキに対して、完全に縮こまってしまったカナデは彼の言っていることが良く理解出来ない。いつも痛い、とはどういうことだ。混乱する脳内にヒビキの笑顔が飛び込んできた。今にも、泣きそうな。

「カナデのせいだ」

 その断定を否定する権利なんて、今のカナデは持っていない。
 胸の上に落ちて来たヒビキの頭。もうどうしようもなくなったカナデは無意識にその黒い髪の毛に指を埋める。まるで赤子をあやすように撫で続けてみると、徐々に聞こえて来た嗚咽。それでもやはり、どうすることも出来ない。

 ツられるように鼻の奥が痛くなったカナデが、滲み始めた視界を放置してしまって涙が溢れるのは、ほんのしばらく後のこと。




(終わり)

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初めましてCloeと申します!
このような素敵企画に参加することが出来て、
本当に良かったです。
初ヒビライなのですが、いかがでしたでしょうか。
サイトの方では主にレグリを扱っていますので、
かなり新鮮な気持ちで書かせていただきました。
別パターンヒビライをまた書きたい意欲が湧きそうになりました(笑)
それでは、ここまで読んでくださってありがとうございました!
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