color WARing -18-

 俺の幼馴染が壊れてしまったのは、もう三カ月程前に遡る。

 いつも通りに大雪の降る深山で一人、修行をしているだろう幼馴染を思いつつジムリーダーとしての仕事をしていた俺の元へ、ボロボロの姿で飛び込んできた彼。ジムトレーナー達に両脇から抱えられて何とか運ばれて来たものの、服もボロボロで汗と泥塗れ。なによりも顔がぐちゃぐちゃで、涙やら涎やら鼻水やらで酷いことになっていた。どうやらジムまで辿りついて力尽きたのか、意識を失っていた幼馴染をそのままジムにある仮眠室へと眠らせて、病院へ連絡をするかしまいかを悩む。
 俺を破って元セキエイリーグチャンピオンの座へ君臨したけれどすぐ辞退した彼が、どうして雪深いシロガネ山で修業をしているのか。それは単純に世間から離れたかったからだ。多くの人々が彼へと注目を向ける、その環境から逃避したかったから。元々彼は有名なポケモントレーナーになりたかったわけじゃない。ただ普通に、ポケモン達と触れ合えることに人生の意義を感じていたのだ。だからもしここで病院沙汰にでもなってしまえばあいつが世間に晒されてしまう。それだけは回避しなければならない。
 とりあえずジムで出来る処置を施し、安静に寝かせている間に、じぃさんや姉さん、こいつの母さんに連絡を取って集まってもらった。一応病院の方に連絡をし容体を伝え、もっと適切な処置が無いかを聞く。そうしている間に、幼馴染の意識が戻った。ジムトレーナーがそれを伝えに来てくれて、慌てて皆であいつの元へ走る。乱暴に扉を開ければベッドに上体だけを起こした幼馴染がいた。顔をこっちに向けて来たが、その目があまりに虚ろだったものだから、背筋に悪寒が走る。まるでここにいるこいつが全然違う世界に行ってしまっているかのようだった。肩を掴んで名前を呼びながら揺さぶっても、俺達のことを認識するのに時間がかかった。
 しかししばらく何も言わなかった彼が、突然絶叫して泣き喚きだし、事態が急転した。


「返せ」


 ただ、その一言だけしか聞こえてこない。
 部屋中に響き続ける幼馴染の声。一体何を返して欲しいのか、分からなかった俺だったけれど、ふと大切なことを忘れていることに気が付いた。どうして一番最初に疑問を抱かなかったのだろう。彼がもっとも手放さないはずのものが、彼の腰に巻かれていなかったことに。「返せ」の目的語がソレであることを察して俺までもが叫びたくなった。まさか、こいつの仲間が、友達が、いなくなってしまったというのか。どこかに落としたのか。盗まれたのか。一体どうして。
 絶叫した後は黙り込み、またしばらくして絶叫する。あまりに精神がグラグラと揺れる幼馴染をどうすることも出来ず、話を聞くことも出来ず、俺はただ側にいることしか出来ない。ボロボロと涙を零す彼の頬に指を伸ばそうとして、けれど止める。今のこいつには触れてはいけない気がしたから。そうして何日も何日も同じことを繰り返していると、今度は緊急ニュースが耳に飛び込んできた。

 各地のポケモントレーナー達のポケモンが、消失していくという事件。

 もはや、犯人が誰かだなんてレベルの規模ではなく、一気に何十匹何百匹というポケモン達が消えて行くという、想像しがたい話。俺のじぃさんにまずその話が飛び込んできて、俺にも伝わってきた。大勢のトレーナー達が途方に暮れてしまって、どうすることも出来ない、と。一部の地域ではパニックも起こっていると聞いた。
 俺も急いで手持ちのポケモンからボックスに入れてあるポケモンまで全てチェックした。とりあえず数に変動は無かったから俺はまだ被害には遭っていない。胸を撫で下ろしたけれど、今度は幼馴染のことが胸に突き刺さる。彼のポケモンがどこかへ行ってしまったのもこれと同じ現象だというのならば、原因が分からない以上、彼のポケモンは戻って来ない。このことを彼に伝えるべきか否か。今、彼に伝えようとしたところで理解してもらえるかは分からないが。
 悶々と悩み続けたけれど、迷うくらいならばやはり事情を何とか伝えてみた方が良いだろうと判断。沈黙になっている時を見計らって、視線の合わない幼馴染に一方的に告げた。ポケモン達が消えていっている現実。それに巻き込まれてしまったのではないか。こんな届いているかも分からないような言葉に歯がゆい思いをしたが、予想に反して俺の声は幼馴染に届いていたようだ。

「探さないと」

 笑って、そう言った。

 その後、幼馴染はまるで人が変わってしまったかのように、ポケモン達の捜索を始めた。他にポケモンを失ってしまった人達に声を掛けて、その組織は爆発的に大きくなって、いつのまにかリーダーとして皆に縋られるようになるまで。でも俺は分かっていた。あいつの中に大きく重い黒い塊が渦巻いているのが。あいつは別に皆のためにポケモンを探しているわけじゃない。自分のポケモンを見つける為に皆を利用しているだけだ。あいつが愛しているのはあいつのポケモンであって、別に他のポケモンに興味はない。しかしこの組織に参加している他のメンバーは、あいつがいつかきっと自分達のポケモンを見つけてくれると信じているのだ。そう、元セキエイリーグチャンピオンという肩書きを聞いたから。あいつがあれほど嫌がったその称号までも、あいつは利用した。そうしてカリスマ性を身に纏って、ポケモン達の捜索を大々的に行った。
 それが間違っているとは言わない。けれど、どうしてもあいつの目が俺は嫌いで。前のようにポケモン達を慈しんでいた眼差しが、今となってはどうだ。こんなにまで仄暗い色に染まってしまっている。それがどうしても許せなかったのに、俺は一言もあいつに対して言えなかった。俺にとってたった一人の幼馴染が大勢の人間を引き連れて、草の根をかき分けるように消えてしまったポケモンを探しているというのに。俺は何も出来なかった。
 数か月。幼馴染がポケモン達を捜索し、その期間内にも大勢のポケモン達が消えていったのだが、それでも原因が特定された。その知らせを聞いて急いであいつの元へ向かった俺は、そこで信じられない光景を目にすることになる。

 場所はシロガネ山の頂上。あったのは、輪っか。

 それ以外に表現が思いつかなかったのだ。だって、本当に輪っかだったのだ。真っ黒い線の輪っか。地面や岩に空いているわけじゃない。空中にブラ下がっている輪っか。厚さは無い。俺が瞠目していると、幼馴染が不意にその穴の中に石を投げ入れた。輪っかを通っただけだからすぐに雪の上に落ちると思ったのに、予想に反して石は消えてしまった。
驚いてその輪っかの中に首を入れると、そこには確かに石があった。訳が分からない。すぐ幼馴染に溢れる疑問をぶつけようとしたが、その前に背中を押されて輪っかに完全に体を通してしまった。引っくり返って寝そべってしまったそこは確かにシロガネ山の雪で、それなのにどこか違和感がある。ここは、どこだ。

「グリーン、意味分かる?」

 輪っかから顔だけを覘かせる幼馴染にゾッとした。何せ首よりも下が見えないのだから、まるで生首だけが浮いているようだから。無言で首を横に振れば、まるで悪戯好きな子供のような笑顔で、幼馴染もまた輪っかをくぐってきた。そうして寝っ転がっている俺を強制的に起こし、ザクザクと雪を進む。慣れた足取りであるのは当然だ。彼はずっと雪山で過ごしてきたのだから。

「ほら、見て」

 しばらく山から降りる方向に歩いていると、幼馴染が指で示した岩穴。あれは、こいつも良く使っている洞窟だ。その中で良くリザードンの炎で暖を取っていた。それに俺もあやかったことがある。しかし、どうしてこんなにも違和感が。いや、そもそもここはシロガネ山であるはずなのに、そうじゃないようだ。心がざわついて止まらない。何なんだ。怪訝な顔で幼馴染を見る。相変わらずの笑顔。どこか不気味さを漂わせている。嫌な予感しかしなくて、でもこいつを止めることも出来ず、俺はその洞窟におそるおそる近づいた。そうして、絶句。

 中にいたのは、リザードンで暖を取っている幼馴染だ。

「ねぇ、平行世界って分かる」

 完全に硬直した俺の耳に届いた、冷たい声。
 まるですぐ隠れるかのように、逃げるように、首根っこを引っ張られて洞窟から離れさせられた俺。低い声で脅すような幼馴染の言葉に血の気が引く気分だ。平行世界。それはつまりあれか、世界が二つ並んで連続して存在しているという、ちゃんと説明は出来ないがそういう世界のことか。
 ぎこちなく首を縦に振ってみれば、いつの間にか笑顔を失くして無表情となってしまった幼馴染。

 あの輪っかから元の世界へ戻った俺に、幼馴染は告げた。俺達の世界のポケモン達は、こちらの世界のポケモン達に奪われてしまったのだ、と。どうしてそんなことが分かるんだ、と言いたかったのに、どうしても喉まで出かかったそれが外に飛び出ることはなかった。あいつの目が、あんまりにも寂しかったから。そんな理由で幼馴染の行動を止めなかったのかと責めたいなら責めるがいいさ。俺だってあいつを止められるものなら止めたかったのだ。あいつは言った。こちらの世界へ宣戦布告をすると。ポケモンを奪われた悲しみをあいつらにも味合わせてやると。そうして、これから奪われてしまうポケモンが出る前に、こちらの世界のポケモン達を殺戮すると。そうすれば俺達の世界は安泰になるはずだ、と。
 幼馴染のポケモンは無くなった。それではどうやって対抗するのかと問えば、とりあえずポケモンを持っているトレーナー達はそのままポケモンを使って、そうでないトレーナーには武器を与えることを考えている、と真剣な眼差しで告げられた。武器。想像がつかなかったが、どうやらポケモンを捜索するために膨大な情報を集めている内に、海外の地方のある組織と提携を組んだらしい。その組織はポケモンの解放をまず望んでいて、ポケモンを戦わせることを止めさせたいそうだ。そうして作られた武器があるのだ、と。見せてもらったそれは、初めてみる鋼の塊。全体的にはL字型でその角に引き金とやらが付いていて、それを引くことにより小さな玉が発射され、骨も肉も貫通する。呆気なく命を奪うことが出来るその武器の扱い方を幼馴染は覚えてしまって、いつでも使えるらしい。

 その武器の名は「銃」という。

「グリーン。俺、殺すよ」

 本格的にあちらの世界へ攻撃を加える前夜。
 何にも感じられない声色でそう覚悟を決めた幼馴染。
 本当は、それを止めて欲しいと訴えられている気がしたけれど、気のせいであると思いこんだ。
 俺は卑怯だ。
 俺は、きっと、この時に幼馴染を見捨てた。
 もうこいつの心には関わらない。
 これからこいつに奪われる数多の命は、俺には何の関係もない。
 罪を、背負いたくはないから。

 その晩。ただひたすらに無意味な涙を零し、ただこれから起こるであろう凄惨たる事態を受け入れたくなくて、目を瞑り続けた。


main


×