color WARing -12- アサギシティの灯台から望む広大な海はいつでも私の心を癒してくれたというのに。ただただ静かに揺れる波の音を暗闇の中で聞きながら、夜に沈黙する家々に背を向ける。テロ組織の出現以来、様々な街が犠牲となってきた。アサギシティは今の所奇跡的に標的にはなっていないが、きっと時間の問題。今だってこうして住民達の怯えが暗闇となって現れている。私がずっと愛して来た町が暴力という武器で崩壊していく様。いつも想像する度に湧きあがるのは苦しみ。無意識に胸元で握りしめる拳をテロ組織へと向けるか否かの判定など、誰もしてくれはしない。 決断は、私の意志にかかっている。 カントー地方マサラタウン出身であり、最高レベルを誇るトレーナーのレッドさんが重体となって本部へ帰還し、彼のパートナーであるピカチュウが亡くなって早一週間が経過。始めは動揺を見せていたトレーナー達も随分と落ち着いてきて、その事実を受け入れ始めている。 しかし、初めてその知らせを耳に入れた時、ただ絶望の二文字しか襲いかかっらなかった。ポケモンが殺されてしまった。この本部に集められ、政府に命令を受けたトレーナーのポケモンが。何の前触れもなく。そんなの、ウソだ。 そう自分に言い聞かせたかったのに、両足はピカチュウの眠る安置室へ私の体を運んで行った。その目で見なければ信じられなかったのだ。ポケモンが殺されてしまったという事実を。 辿りついた重苦しい空気を全てシャットダウンしている扉。その向こうはもはや現実世界とは思えない空間が広がっているに違いない。命の炎が尽きてしまって体だけ残ったモノ達がいるのだから。医療施設管理者の許可を求める必要がきっとあっただろうに、私の頭ではそんなことを考える余裕がなくて、そのままノブへと手を伸ばしてしまった。けれど当然鍵が掛かっていて、がちゃがちゃと揺れるだけのドアノブ。その時にやっと頭が冷えて行った。ぁ、と小さく声を漏らせば芽生える焦燥。オロオロと辺りを見回す。どうやったらピカチュウと会えるのか、ただそれだけしか考えられなかった。とりあえず受付の方へと足を向けようとした時、後ろから突然声を掛けられる。 「安置室か?」 黄色の髪の毛が鮮やかで漆黒の瞳が印象的な、シンオウ地方ナギサジムリーダー、デンジさんだ。かつてナギサシティを訪れた時にお話をする機会があって、そうしてこの本部で再会を果たすことになった電気タイプ専門のジムリーダー。私は鋼タイプというけれど、鋼と電気を組み合わせているポケモンがちらほらいるからどことなく好みの面で似たオーラを彼から感じる。性格の面で見ればおそらく何一つとして一致している所は無いだろうけれど。 彼もまた安置室に用があるらしい。おそらく、私と同じ目的で。だって、彼は正真正銘の電気使いだ。ピカチュウが亡くなったとなれば黙ってはいない。やはり誰でもそう。自分が好みとしているタイプのポケモンが何かしらの目に遭う方が気になってしまうのだ。贔屓と、そう言われたらそうに違いないけれど、そうでもしないと全てのポケモンに同じだけ心を使うだなんてしていればきっと精神力が疲弊しきってしまう。こんな状況だ、心配するのは自分に関連するポケモンと、同じタイプのポケモンだけに絞らなければ、やっていられない。 そう、やっていられない。 「鍵は俺が借りて来た。入るだろ?」 手早く彼が鍵穴に持って来た鈍色を差し込めば、呆気なく扉は解放された。刹那に襲いかかってくる死臭。本当に匂うわけではない。ただ、ゾクッと背筋に悪寒が走った。こんな所、私一人で来てしまっていたらきっと卒倒していたに違いない。デンジさんも顔を顰めながら一歩一歩足を踏み入れる。私は慌てて部屋の電気を探した。しかしスイッチを見つけてオンにした所であまり空間に対しての効果はない。やはり、暗いのだ。その理由を考えたくはないのだけれど。 本当ならばこの部屋で死体を見るなら医者が立ち会うべきなのだろうに、デンジさんは一人で鍵だけを持って来た。勝手に死体を見ても良いのだろうか、果たして。そもそも一人で入ろうとしていた私が言うセリフでもないが、心にどうしても引っかかってしまったから、思わず尋ねてしまう。 「あ、あの、勝手に入って良いんですか、ね」 「許可はもらった。どうやらお忙しいらしい、あの医者共は」 そう鼻で笑って、デンジさんは黙々とピカチュウを探し続ける。忙しい。それはきっとどのような方法でレッドさんとピカチュウが攻撃を受けたのかを調べるためだろう。緊急収集がかかって大会議室まで赴き政府本部から聞かされた話によれば、小さな金属玉が何かしらの力をもってして彼らに埋め込まれたという。しかしポケモン達の使う技でそのような攻撃をするものはない。私達の知識の中だけでは。相手が未知なる攻撃を向けてくる限りこちらに不安要素が生まれ、きっとこれからの戦闘にも支障が出てくる。それを何とか避けたいが為に彼らは躍起になって調べているのだ。 正方形で区切られた灰色の金属の引き出し。その一つ一つには死体を置くためのスペースが確保されているのだ。ネームプレートがちゃんと付いているのでそれほど迷わずデンジさんは一つの取っ手に手を伸ばし、勢いよく引き出す。躊躇いは、無い。 「━━━━━」 二人とも、何も言えなかった。 そこで眠っていたのは確かにピカチュウだ。綺麗に閉じられた目蓋。けれど手術の後はくっきり頭に残っていた。死体となった体に対してもキレイに処理すると聞いたことはあったけれど、いざ目の当たりにすると生生しさを痛感する。 あぁ、死んでいる。 どうしてピカチュウは死んでしまっているのだっけ。あぁ、そうだ。テロ組織に殺されたんだっけ。頭に何かしらの攻撃を受けて。出血死。それじゃぁどうしてテロ組織はピカチュウを標的にしたのだろう。それは政府の命令で動かざるを得なかったレッドさんがテロ組織に攻撃を命じたからだ。そうして敵と見なされたピカチュウは。そうだ、誰のせいでもない、全ての原因は。 「あぁああ゛ぁあ゛ああああッあアアアア゛ッ!!」 突然、左耳に叩きこまれた絶叫。堕ちかけていた思考回路を一気に引き上げられて、ビクッと体を揺らしてしまう。私が無意識に叫んでいないことが確定するのならば、勿論その発生源は一人だけなわけで。 両手の拳をひたすら握って、デンジさんが強く目蓋を閉じてあらん限りの声を垂れ流していた。私は瞠目してしまって、頬に流れる一粒の汗を嫌に実感する。そう、彼は嘆いている。何に対して? ピカチュウに対して? もう動かないこのポケモンに対して? それともこの争いに対して? テロ組織に対して? そのどれも確定出来やしないのだ。彼のことは彼にも分かっていないのだろう。けれど、それでも叫ばざるにはいられなかった。感情の行き場がない。彼を支配するのは悲しみか。苦しみか。憎しみか。虚しさか。その黒の瞳に映っているのは。 「何をしている」 不意に二人だけしかいなかった空間が破られた。私だけがすぐその声に反応して振り返る。黒髪が肩甲骨辺りまで伸びている女の人。両手首には緑色のオーラを発している黒いブレスレット。どなたなのか。ちゃんと全ジムリーダーと四天王、チャンピオンは覚えなければいけないと思っていたのに。すぐに名前が出て来なかった。彼女の問いに言い淀んでいると、つかつかと歩み寄って来られる。 「死者の前で醜態を晒すな。愚か者が」 無感情に告げられる。 ただ胸の前で手を組んで動けない私の横を通り過ぎて、彼女はデンジさんの元へ。そのまま彼の肩を力任せに引っ張ってしまう。ギョッとして慌てて背中を床に打ちつけたデンジさんに駆け寄った。一体なんなのだ。それに愚か者だなんて、どうしてそんな風に言われなくてはならない。ピカチュウの死を悼むことがイケナイとでも言うのか。ガッ、と沸騰しそうになる脳内。思いっきり彼女を睨みつけて、何か言葉を紡ごうとした時。 「ゆっくり休んでいたいだろうに。すまないな」 ピカチュウにそう語りかけて、そのまま労わるように元通りに引き出しを戻した彼女。その背中が余りに痛々しかったから、口を噤んでしまった。引き倒されたデンジさんは何も言わない。ただ顔を下に向けているだけ。鉛のようにドンヨリとした空気が肺に入ってくる。息がし辛い。心が辛い。 「何度も様々なトレーナー達がこの安置室を訪れてはピカチュウを見に来る。まるでそれは神にでも拝むような気持ちでな。事実を嘘だと思いたいから。貴様達のように。馬鹿らしい。ピカチュウを何だと思っている。壮絶な手術を耐え忍んだ彼に敬意を払う気持ちは無いのか。何度も何度も自分の死体を見に来られて良い気分になる存在など、いない」 彼女の声で我に帰った。そうか。もし自分の立場がピカチュウであったなら。自分という意識がもう宿っていない体を色々な人達にじろじろと見られるという光景。想像して良い気分にはならなかった。全く自分の行動を客観視出来ていなかったことに自己嫌悪。眉を顰めて泣きそうになりながら彼女の言葉に何一つとして反論出来やしない。 明らか悔しさの籠められた、彼女の言葉に。 「用は済んだろ。帰れ」 厳しい物言いであるけれど、彼女の優しさが伝わって来て仕方がない。こんな状況でそこまで考えられる精神力を尊敬した。自分の心に整理をつけようとするだけで必死なのに。彼女はピカチュウのことを想い、一喝してくれたのだ。目元に滲んだ涙を拭いながら黙って退出しようとした私だったが、それと正反対にデンジさんは相変わらず座り込んでいる。彼女の言葉に納得したのであればすぐさまにここから出なければいけないのに。 「デンジ、さん」 「あんた、ナツメだろ。カントーヤマブキジムリーダー」 ヤマブキジム。 エスパーポケモンに精通していると聞く。 「未来予知が出来ると聞いている。ピカチュウの死は、あんたにとっちゃ予測出来たものだったのか」 そう、それはジョウト地方エンジュジムリーダーのマツバさんと同じように。 未来予知。特にエスパーポケモンならば得意とする技。それを人間である彼女、また彼は使うことが出来るらしい。それが一体どのようなシステムであるのかは理解し難いものがあるが、単純に言えば未来に起こる事を見ることが出来る。マツバさんに話を聞いたことがあるけれど、自分で見ようと思って見てしまうわけでも、毎日毎日見るわけではないらしい。ふとした時。それは寝ている時や起きている時も関係なく、頭に浮かんでくるという。不思議な気分だ、と苦笑しながら感想を述べたマツバさんを思い出す。 けれどナツメさんの未来予知事情はどうなのだろう。 「この争いにおいて、私の能力は一切通用しない。それが今回の彼らの任務で確定した」 力なく下ろされた腕。天井を見上げる彼女。 どことなくその先を聞いてはいけない気がしたのに、私は何もすることが出来なかった。ただ表情の見えない彼女が突きつける、事実に貫かれた。 「私の予見で本来この任務で死すべきだったのは、ゴールドという少年だ」 あぁ、何てこと。 まるでそれは、ピカチュウが彼のために犠牲となったかのようで。 ナツメさんの言葉に私とデンジさんは、ただ氷りついた。 そうしてアサギシティで茫然と佇む私に迫るのは、初の任務。 場所はアサギシティより続く40番水道を進んだ先にある渦巻き島。タンバジムリーダーのシジマさんとの合同任務だ。ただひたすら、自分のポケモン達が酷い目に遭わないことばかりを考えてしまって、そして自分自身も殺されたくはなくて、そんな都合の良いお願い事などきっと神様には届かないだろうに。でもだって死にたくない。ならば私は敵を殺さないといけない。容赦なく。ピカチュウと同じ目に遭いたくないのなら。殺せ。自分に害をなす全ての存在を。 漏れる嗚咽を噛み殺すように握りしめる両手を額へ当てて、いっそのこと夜が明けなければ良いと思う。 main ×
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