color WARing -9-


 レッドさんの、ピカチュウが死んだ。

 怒りの湖でいち早くゲートに向かった俺とシルバーだったけれど、しばらくしてもレッドさんの姿が全然見えないから不審に思って、あの地獄絵図の中をもう一度戻ったのだ。そうすると谷底で胸から大量の血を流したレッドさんと、頭部から血を流しているピカチュウを発見した。
 すぐに本部へ連絡したけれど、二人とも死んでいるようにしか見えなくて、周りに散らばっていた炎ポケモン達と紛れるようになっていたから、心臓が締め付けられて俺達も死んでしまうかと思った。せめてその時くらいに心臓が動いているかどうかの確認くらいすれば良かったのに、もう気が動転して何も出来なかった。というよりも、もう手遅れだ、としか考えられなかったのだ。あれほどの出血だ。周りで息耐えている敵と何ら変わらない状態。
 本部の救援が来た時、レッドさんもピカチュウも心肺停止で、本当に死んでいる状態と変わらなかったことを知る。けれど病院でレッドさんは奇跡的に一命を取り留めた。止まっていた心臓が動き出すなんて、想像がつかない。今まで身近にそれほどの九死に一生を得た人を見たことがない。
 けれど━━━ピカチュウは、長時間の手術の末、死亡。

 ポケモンが、死んでしまった。

 自分の部屋にあるベッドに潜り込んで、ひたすら泣く。俺が泣いてどうにかなるモンじゃないのに、泣く。何のために泣くのか、分からないまま泣く。心臓がギリギリ針金で締め上げられるような感覚。「ひっ、ひ」と嗚咽が耳に響いて、やはり泣く。

 どれほど自分が甘かったのか、痛感した。

 何が命を奪いたくない、だ。結局、俺は何も出来ず、ただ守られただけ。何も努力せず、任務を達成したかのように見せただけ。卑怯。臆病者。馬鹿野郎。レッドさんが重傷を負ったのも、ピカチュウが死んでしまったのも、何も手助け出来ず、見ていただけ。時間に任せてしまっただけ。逃げたかっただけ。そう、俺は逃げたのだ。恐怖の余りに戦場からそっぽを向いて。それなのに偉そうにレッドさんに反抗した。だって、あの時はもう自分の感情が抑え切れなかったのだ。それを分かっている上での言葉。今から思えば何とも情けない。

 何が、正しいというのだろう。
 それとも、何も正しい事なんて無いのだろうか。





「ゴールドさん」

 不意に、扉がノックされたかと思えば、聞こえて来た声。誰だ、と問う前に、声色で分かった。同じジョウト地方ワカバタウン出身のヒビキだ。俺よりも3つ年下だから、彼は13歳。そんな年齢でこの本部に収集された。ポケモンバトルとしての腕前は確かに素晴らしい。けれど、こんな所にいていいのかは甚だ疑問で。

「緊急の収集命令が出ています、大会議室まで来るように政府本部から通達がありました」

 ご存知ですよね、勿論。

 語尾がどんどん小さくなっていく。今の俺にそんな言葉が通用しないことくらい、彼には察しがついているのだろう。全く、えらく賢いガキがいたもんだ。俺が13歳の時なんて、周りのことなんざ考えることも出来なかったというのに。ズルズルとベッドから這い出た俺は扉を開けて、ヒビキを招き入れた。ボロボロの顔なんて放っておいて、またベッドに座る。鼻を啜り、机に置いてあったタオルを顔に押し当てた。

「━━━━ぁの」
「待ってくれ。会議にはちゃんと行くから。もう少し」

 嗚咽混じりに何とか告げれば、ヒビキは暗い顔で了承を示した。あぁ、何でだろうな、普通トレーナーが向き合えばバトルするのが当然だったのに。あの体の底から湧き立つ興奮は、今ではもう遠い感覚に思えた。いや、もうこの先味わえないのかもしれない。そんなのって、ない。

「ゴールドさんの、せいじゃないです」

 ギュッと膝の上で拳を握りしめたヒビキが、唇を噛んだ。

「ピカチュウが死んでしまったのは、相手の攻撃のせいです」
「俺は逃げたんだ。それでピカチュウは攻撃を受けた。見殺しだ。俺も同罪」
「なら貴方は、ピカチュウの代わりに自分が死ねば良かった、とでも?」

 ギロッと睨まれた。その余りの眼光に、慄く。13歳が醸し出すにはあまりにオーラが重い。何だ、こいつは。これほど感情を剥き出しにするような奴だっただろうか。

「そうでしょ? あの場にシルバーさんと貴方が残っていれば、貴方達二人のどちらかが攻撃を受けていたのかもしれない。レッドさんとピカチュウだけがあの場に残っていたから、二人が攻撃を受けただけに済んだんです」
「お前、それ本気で言ってんのか?」
「犠牲はっ、少ない方がいいでしょう!?」

 絶叫。
 部屋に反響する程の、ヒビキの声。ビクッと体を震わせて、今にも崩れそうな顔をしている彼を凝視。息を荒くし、涙が溢れ出て彼は怒鳴り散らす。

「ヘタをすれば全員が攻撃を受けていたんですよ! この任務で、レッドさんもシルバーさんも貴方も! そうなれば誰も連絡を取る人がいなくなる! 処置は遅れ、皆が死んでいた! 違いますか!? 貴方とシルバーさんが戦場から抜け出し、事態を察して本部へ連絡を回したからこそレッドさんは助かった! でもピカチュウは」

 正当化。
 その言葉がこれほど似合う発言も無い。おかしく感じるのは、その言葉は本来俺の口から出されるもののはずだからだ。どうして目の前の年下のトレーナーが俺を庇うようなことを言う。いっそのこと罵ってくれた方が楽なのに。余りのギャップ。
 けれどそれは、彼の優しさである。
 彼自身が最も内部で矛盾を起こしているのだ。俺がピカチュウを見殺しにした。それはそれで事実。シルバーと俺が連絡を送らなければレッドさんもピカチュウも同時に死んでいた。それはそれで事実。
 その両方を一生懸命受けとめようとして、混乱。収集が付かなくなっている。そして俺がピカチュウを見殺しにしたことに罪悪感を抱いていることから、もう一方の感情を優先させてしまっている。俺が、これ以上傷つかないようにしたいから。

「ピカチュウはっ」
「ありがとな」

 喉が詰まるような、温かさ。
 ぐしゃぐしゃになった顔を服の袖で抑え込んで、ヒビキは状態を屈めた。その頭に手を乗せて、落ち着かせるように撫でた。言葉が続かなくなる。もういい。それ以上、お前が苦しむ必要もない。仕方がないのだ。どれだけ俺達が苦しんだところで、ピカチュウは帰って来ない。悲しみが薄れることもない。でも、それだけ俺のために叫んでくれるお前が、愛しいよ。

「もう、大丈夫だ。お前がそんなに必死にならなくていい。俺が戦場から逃げ出した事実に変わりはないけど、それで確かに連絡を本部へ送ることが出来たのも確かだ。レッドさんももう少し遅れていたら死んでいたかもしれない。ピカチュウは、━━━頭に攻撃を受けた時点で、決定してたのかもな」

 いや、もしかすればピカチュウはレッドさんの代わりになったのかもしれない。
 あぁ、もしそうなら何という自己犠牲。人間が人間を庇うことすらそうそう出来ることじゃないのに。身を呈して主人を、違う、友人を護るということはどれほどの覚悟と勇気がいるのだろうか。

「大会議室へ行こうぜ。皆待ってる。俺達のせいで会議を遅らせる訳には行かねぇ」

 立ち上がり、ヒビキに手を差し伸べる。
 真っ赤に腫れた瞼を何とか押し上げて、ヒビキはゆっくり頷いて立ち上がる。これからどんな現状に転がって行くかなど誰にも予想が付かない。だが、さらに泥沼になっていくのは確かだろう。自分のパートナーが殺されてしまうかもしれない恐怖。

 レッドさん、あんたは今どんな気持ちで━━━━


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