color WARing -8-

 初めてピカチュウと出会った時、果たして俺は仲良くなれるのか甚だ疑問だった。

 オーキド博士から譲り受けたその子。初めて自分のポケモンとして手に入れた黄色いポケモン。嬉しくて嬉しくて、これからどんな旅が待っているのかと心躍らせる一方、それに反比例するかのように言うことを聞いてくれないピカチュウ。
 期待と不安の入り混じった気持ちでマサラタウンを後にすれば、思った通り、野生のポケモン達を相手にボロボロなバトルを繰り広げることになる。ポッポやオニスズメを相手にすれば電気ショックがあれば優勢だけれど、キャタピーやビードルを相手にすると結構苦戦する。特にビードルの毒針はなかなか厄介で、何度もフレンドリィショップで毒消しを買った。その度に財布からお金が飛び出て行くけれど、毒を浴びて苦しむピカチュウをいち早く治したかったから気にしなかった。
 ようやくトキワの森へ足を踏み入れる頃、未だ俺は信用されていないのか指示を聞いてくれる気配がない。何だかもう俺もヤル気がなくなってくる。バトルを楽しいと、その頃は全く思えなかった。

 憂鬱な気分で歩いて行くと、トキワの森で出現率の低いはずのピカチュウがいきなり飛び出してきた。ギョッとすれば俺のピカチュウも同じように目を丸くした。タタタッと四本足を駆使し、ピカチュウはそのピカチュウに近づく。お仲間だから警戒心がないのだろうか、と思ったけれど、良く見ればそのピカチュウは瀕死状態。血の気が引いていた。毒を浴びていたのだ。
 トキワの森には勿論虫ポケモンがイッパイいるわけだから、ビードルにでもやられたか、と思って鞄からいそいそと毒消しを出した。俺のピカチュウは心配そうに、そのピカチュウの様子を伺っている。鼻で臭いを嗅いでみたり背中をさすってみたりと、今まで見て来たあの粗暴は何だったんだコノヤロウ、と思わせる様子。
 俺が毒消しを使ってやると、すぐにそのピカチュウは目をパチクリさせて俺のピカチュウと視線を合わせる。そして笑って、お礼を言うような素振りを見せ、走り去ろうとした。けれど体力自体は回復していないせいか、すぐふら付いて倒れてしまう。それに俺のピカチュウが「ビッ!?」と声を上げ、またすぐ駆け寄った。これはポケモンセンター辺りで回復してもらった方が良いだろうか、残念ながら傷薬は切れてしまっている。そう思案していると何やら周囲から不穏な音。

 気が付いたら、大量のビードルに囲まれていた。

 それこそ俺は「ぎゃぁ!!」と絶叫したい気分だったけれど、そんなことさせる暇を与える訳もなく、奴らは毒針を撃ってくる。挙句糸を吐くまでされて、足元に粘ついた物質が付着。まずい、動き辛くなってきた。焦る一方、ピカチュウをみやれば例のピカチュウを庇うようにビードル達を睨みつけている。そうか、ピカチュウの方が動こうにも動けない。彼がどいてしまえば後ろの弱ったピカチュウに攻撃が行ってしまう。だから、状況を打開するためにやれることは一つしかなかった。

「ピカチュウっ、電気ショック!!」

 速さはこちらの方が上だと判断し、大声でそう命令する。ピクンッと耳が跳ねて、ピカチュウが全力の放電を起こした。おいおい、今までにそんな電撃見たことないぞ。と言わんばかりの威力。迸った青白い光はビードル達からビードル達へと感染し、ほぼ全員を瀕死状態とさせた。一瞬、トキワの森が明るくなったようにすら感じる。
 目を回して倒れるビードル達を確認し、俺は何とか粘つく糸から足を解放。そのままピカチュウ2匹に近づいて、抱え上げる。俺のピカチュウも全力の電撃だったからか知らないが、疲労していた。あの一瞬にあれだけ放電するからだ、バカ。
 トキワの森から一時撤退してトキワシティのポケモンセンターへ戻り、事情をジョーイさんに説明すると、瞠目されて「まぁ」と声を上げられる。

「そのビードル、最近トキワの森で縄張りを広げてたのよ。集団で攻撃されて、トキワの森を通ろうとするトレーナー達が皆困ってたわ」

 でも、きっともう大丈夫ね。

 ニコヤカに告げられ、驚いたのは俺の方だ。まさかそんな厄介なビードルだとは思わなかった。2匹のピカチュウが回復するのを待って、俺はまたトキワの森へ向かう。助けた野生のピカチュウは逃がすことにした。俺のピカチュウと名残惜しそうに別れる様子を見て、少し切なくなる。初めて会った仲間だったのだろうか。トキワの森の奥へと消えて行くピカチュウを見送り、俺のピカチュウはちょっとシュン、となる。意気消沈だなんて、ポケモンにも有り得るんだなとこの時に理解した。

「また、会いに来ようよ」

 肩に乗る彼の額を撫でながらそう言うと、目を大きく見開いて、嬉しそうに彼は鳴いた。初めて見たその笑顔に、俺の方が驚き、そして笑う。それから俺の言うことを聞き始めたピカチュウは、最後の最後、グリーンとのチャンピオン戦までずっと一緒に成長してきた。衝突したことは何度もあったけれど、決して俺と彼は離れたことはない。そう、それは今でも。俺達が離れ離れになるなんて、想像しようにも出来なかったのだ。
 出来なかった━━━のだ。







 あれ、ピカチュウドコ行ったのかな。さっきまで俺の肩に乗ってたのに。

 何だか脳に直接麻酔を打ち込まれた気分。視界がハッキリしない。舌も痺れているようだ。口が上手く動かせない。ここはどこだっけ。確か怒りの湖で最後のトドメをポケモン達にさしていたはずだ。でもそこから記憶が吹っ飛んでいる。何があったんだっけ。胸部に強い衝撃を感じたような気がする。細かいところは覚えていない。
 何となくカチュウの焦った声が聞こえて、何となくリザードンから落ちてしまって、何となく龍の波動で切り刻んだポケモン達の血の海に飛び込んで。何となく、それで、それで?

「……ぁ」

 眩しい。白い電灯が目に痛い。
 意識が浮上。合わせて視界が復活。ここは━━ポケモンセンターと併設されている病院。カスミもここに運ばれたのだ。ポケモンと人間が同時に負傷する可能性のあるこの戦いでは、治療施設も近くなければやっていられない。
 まぁ逆を言えば、この場所が一斉に機能しなくなると大層困る、ということだ。

「レッド!!」

 大きな声が耳に叩きこまれる。頭がガンガンするから願わくば止めていただきたかったのだが。顔を無意識に顰めた俺に気づいたようで、相手は慌てて音量を抑えた声を出してくれる。
 こういったことの察しが良いのは、彼の長所であった。昔はあんなにも我が儘で自分勝手で周囲のことなんてロクに考えもしなかったというのに。月日というものはこんなにも人を変えてしまう。

「起きた、のか? 大丈夫か?」
「……グリーン」

 不安と悲哀と動揺と。とりあえずネガティブな感情が入り混じってマーブル状態となっている双眸。どれを先行させて良いか分からないのだ。未だに焦点の合っていない俺でさえそれが理解出来たのだから、よほどの表情だったと言える。

「何があったか覚えてるか?」
「さっぱり。俺、どうしたの?」
「医者も良く分からないらしい。お前、敵からどんな攻撃受けた?」
「覚えてない。……胸が一番痛い」
「だろうな。ゴールドとシルバーが、胸から血ぃ流してぶっ倒れてるお前見つけて、政府本部に連絡して来たんだ。お前が敵を全滅させた、って説明があったからすぐに救援部隊が派遣された。━━━っ、一時的に、心肺停止状態だった、らしい」

 成る程、生死の境を彷徨っていたのか。
 何も覚えていないから実感が湧かないが、とりあえずそのまま心臓が動きださなければ俺は死んでいた、というわけだ。死んでいくことすら理解出来ないまま。俺が殺した奴らのように。友と別れの言葉を交わす時すら与えられないまま。

「胸に穴開いてて、中から潰れた金属の小さな塊が見つかったみてぇだ。ポケモンの技にそんなもん、ないよな」
「その金属が、俺の胸に撃ち込まれた? 何かしらの方法で?」
「多分。手術、かなり危険だったんだ。肺が傷ついてたらしくて、心臓が避けられてただけマシだったが、もしかすれば」

 即死。
 相変わらず、生命力が強いな。いや、この場合は運も関わっていたのだろうか。軽く息を吐くと、肺が収縮したせいで胸に鈍い痛みが走る。さすがに完全回復するにはまだ時間がかかりそうだ。生きているだけでもラッキーだと思うべきだろう。今更になって、冷や汗が額に浮かぶ。
 ダメだな。やっぱり怖いもんだ。死にたくない。
 こんなこと言う資格なんてとっくに剥奪されているというのに。そこでふと思い出す。今回の任務に連れて行った俺のポケモンのことだ。

「俺のポケモン、大丈夫?」
「……連れて行ったのは、リザードンとピカチュウだったな」
「うん」
「リザードンは、無傷だ。お前の側にずっと居たらしい」
「ピカチュウは?」

 ヒクリッ。そんな音が聞こえてきそうな頬の歪みだった。
 あぁ、そうか。
 唯一、そう俺からして唯一、彼の変わっていない所。本当に何で君はそんなに分かりやすいんだろう。ポーカーフェイスなんて一生懸かっても習得出来ないに決まっている。でもそれが彼の良い所だったのだ。しかし、今の状況で果たしてソレが言えるだろうか。
 そんなグリーンとは正反対に俺は表情を崩さない。内心、グリーンは俺にバレていないと思いこんでいるに違いなかった。

「今、集中治療中だ。お前と一緒さ、金属の塊を打ち込まれちまってて、お前と一緒に倒れてた」
「ピカチュウは、胸に受けたの?」

 ごめんね。君ばかりに辛い想いをさせている。
 分かっているよ、さっきの君の表情で。でも一縷の望みに縋りたいんだ。情けない。あれほど覚悟をしてきたのに。いざとなったらこれだ。自分の愚かさに嫌気がさす。あぁ、でも、どうか、どうか俺の予想が合っていないことを祈る。そうだ、と言ってくれ。グリーン。そんな、そんな顔しないでよ。
 望み叶わず、俺は死刑宣告を、受けた。

「頭、だ」

 ━━━━何て、こった。

 政府に収集された時から分かっていたはずだ。こんなことになる時が来ることくらい。今更何を動揺する? どんなトレーナーにもポケモンにも、可能性のあること。あぁそうさ、俺のポケモンも例外でない。そもそも政府に小型爆弾を付けられた時から彼らの命運はこの戦いに委ねられていた。勝たなければ殺される。当然のこと。それが敵のせいか政府のせいかなんて関係がない。もう逃げ道は崖崩れで塞がれて、足掻こうとした所で無意味。
 分かってる。分かってる。分かってる分かってる分かってる!
 ぐわんぐわん。脳が唸って俺を苛む。止めてくれ。俺の体から血が無くなっていく気がした。でもベッドは真っ白なまま。指先の感覚が無くなっていく。流氷に身を投じたかのような錯覚。

「手術の、成功確率は」
「大丈夫だ! 絶対に、ピカチュウは死なない! レッドのピカチュウだぞ? 散々散々トレーナーを苦戦させてきたピカチュウだ! 死ぬわけ」
「グリーン」

 俺は何て残酷なんだろうか。グリーンの好意を全て踏みつぶしている。けれど彼自身、最もそれが無意味であることを理解しているはずなのだ。彼だって、馬鹿じゃない。真実を告げることしか、出来ることがない。分かっている。

「成功、確率は」
「━━━━━━っ、5%も、ない。脳内出血が、酷くて、運ばれた時点で、もうッ」

 そうか。と一言。
 どうしてグリーンの方が泣きそうになっているんだか。その表情をすべきなのは俺の方なのに。彼は優しすぎる。けれど、この状況でその優しさが仇となることもあろう。情の念など、他者にかけている暇などない。自分と、自分のポケモンのことだけを考える余裕しか、本当はないはずなのに。

「ピカチュウはポケモンセンターの集中治療室だよね」
「え、……あ、あぁ」

 確認を取り、俺は掛けられているシーツを自らはぎ取った。ベッドに対して平行だった体を垂直にして、グリーンの横をちょうど通り過ぎるように立ち上がる。用意されていた白いスリッパ。裸足のまま履けば、その底の浅さが足の裏から伝わってくる。

「れっ、れっど、お前まだ安静に」

 思わず俺に手を伸ばした彼だったけれど、迷いだらけのその手は空を彷徨って何も掴めない。ゆっくり振り返って、その様を無表情に見つめた。

「ピカチュウ、君のイーブイと仲良かったよね」

 グリーンの肩が震えるのが、見えなくても分かった。
 あぁ、懐かしい。オーキド博士が俺達にそれぞれのポケモンを与える前、彼らは良くジャレ合っていたという。そうして俺達の手に渡ってからも、バトルをしない時は良く遊んでいた。その光景が目の前を横切って、すぐに霞み消える。

「聞いたんだ、エリカから。何で俺が初めて政府本部を訪れた時、君が俺の前で泣き崩れたのか、━━━何で俺の行方を政府にバラしたのか。イーブイが酷い目に遭ったって。どうかグリーンを責めないであげてって。別に俺は最初からグリーンを責める気なんてなかったんだけどね。皆、自分のことで手いっぱいなのに、人の心配ばっかり」

 そんなイーブイが遭った仕打ち。それを止めたかったグリーンの行動。彼を庇うエリカの発言。━━━いや、実際は他のトレーナー達もグリーンを庇う言葉を俺にくれた。こんなにも彼は色んな人に愛されているのだ。とてつもなく嬉しかった。まるで自分のことのように。ずっとシロガネ山に居続けた俺からすれば、嫉妬するほど。

 お人好し過ぎるんだよ。そう笑って、まだふら付く足取りもそのまま、俺は扉に手を掛ける。点滴も勿論忘れないで握りしめて。

「俺なんて、他人の心配してる余裕、ない。俺自身と、俺のポケモンのことくらいしか考えられない。だから」

 ねぇグリーン。君だって分かってくれるだろ。
 イーブイが同じ状況になったらどうする?
 相棒に寂しい想いをさせるなんて、出来る?

「ピカチュウの側にいる」

 ピカチュウが独り戦っているから、なんて理由じゃない。もうピカチュウと会えなくなるかもしれないから行くんだ。俺がいくら祈り願っても、ピカチュウが死ぬか生きるかには何の作用もしない。現実。この状況をどんな存在であれ救ってくれるかどうかは、分かりはしない。でも顔も見れずに一生の別れになるなんて、そんなことしたくないじゃないか。
 ピカチュウ。今行くからな。俺は君のトレーナー。俺は君の友人。頑張っている君の側にいないなんて、誰が許そうか。

 カシャンカシャン。点滴を引く音を響かせながら、俺は一歩一歩、相棒に近づいて行った。

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