「う〜…」
片手で頭を、もう片手で腹を抱えてソファーに沈むジェシーをちらりと見て、ドガはすぐに手元の資料に視線を戻す。何故、真っ直ぐ家に帰ればいいのにわざわざ人の家にきて腹痛と戦っているのか、ドガには理解出来なかったが、前に一度、好きな匂いのなかにいると具合が悪くても耐えられる、と言われてからは、ジェシーの好きにさせるようにしている。
「吐きそう…」
「肩、貸そうか」
「ううん…そんな感じの気持ち悪さってだけ…出ない…」
「紛らわしいことを言わない」
「だってー…」
血、僕のだけピンクとかみずいろとか、可愛い色ならいいのに…。
そう言ってクッションに顔を埋めたジェシーの言葉に首を捻り、ドガは一拍置いて、ああ、と納得した。毎月あることだというのに、未だに血に慣れていないらしいジェシーは、また今月も自分から出る血液に打ちのめされている。
「…みずいろの方が気持ち悪い」
「そう?可愛いと思うけどなぁ。あー…痛いだけなら、まだ我慢できるのに…というか、お腹が痛いのは分かるけど、頭!意味わからないよもう…」
「はぁ…あと何年付き合っていかなきゃならないと思ってるの」
「それ、考えるだけで凄い憂鬱だよ。せめて色が変えられたらなぁ…あ、色を変えられる痛み止め!」
「どうして君は頭がいいのにそういう発想になるかな…そんなこと、出来るなら誰かやってそうなものだけど。そうだ、君がしたら?今からでも私のところに来るといい」
「閃きが大事ってエジソンも言ってるもん。それに、お誘いは嬉しいけど、僕はモデルが自分に一番合ってるからいいの」
「勿体ないな」
「そういうの、せめて僕のほう見て言ってほしいな」
「…今からでも来てくれるなら、私は君のために何だってする」
「ずるい…」
すこしだけ赤くなった耳を綺麗な髪で隠して、ジェシーは更にクッションに沈む。窒息してしまうのでは、と要らぬ心配をしながら、ドガはソファーの端に座り、手櫛で髪を梳きながら、静かに、優しくまじないをかけて、ジェシーの頭にキスをした。
「ふふ…久しぶりに聞いた。昔お母さんがやってくれたやつ」
「あー…今のは忘れてほしい」
「え、どうして?やだよ。何ならもう一回してほしい」
「えぇ…その…ついやってしまっただけだから…あと、一番効くのは薬だと思う…」
「そんなことない、ドガがキスしてくれたら治る」
「…治るとか治らないとかのものでもないし…腹痛を和らげる方法はいくつかあるけど…」
「じゃあ、もう少しこうしててよ、僕にとってはこれが一番効くから」
「それは構わないよ」
のそのそと動いて、ドガの脚に頭をのせ目を閉じたジェシーの髪を、撫でながら梳く。その指の動きを、神経を研ぎ澄ませて追っているらしいジェシーの、嬉しそうに上がる口角を見て、ドガは少しだけ悪戯心が芽生えた。髪を耳にかけて、そのまま指の背で頬を撫でると、くすぐったさに肩で笑うジェシーは、都合よく痛みを忘れていた腹を押さえて無理やり眉間に皺を寄せ、辛さをアピールしてドガに甘える。
「そんなに痛い?ホットタオルでも作ろうか?」
わざとらしくそう聞けば、腹を押さえていた手をドガの腰に回して、小さく唸りながら、立ち上がらせないように腕に力を入れるので、今度はドガが肩で笑う。
「ん〜…大丈夫。……僕、ドガに触られるの好き」
「私も君の髪に触るのは好きだよ。君の日々の努力が見えるし」
「…どうして今日、そんなに優しいの?」
「えっ…君にはいつも優しいつもりだけど…」
「……そうだね」
「ん?怒ってる…?」
「怒ってない…」
話している間も手を止めずにいると、今度は膝を曲げて身体を丸めるので、ドガは声が出そうになるのを必死に堪える。もう痛くないんでしょう、と言いたいのを我慢して、この子供のような仮病に付き合う。思惑通りに自分を甘やかしている、と思っているらしいジェシーの、思惑通り、でいるために。
「ドガ」
「なに?」
「もう一回、キスして」
「だからあれは、」
「くちがいい」
「あ、あんまり我儘ばかり言ってると、もうやめる…」
「えー、いじわる」
そんな自分に、きっとジェシーは気付いている。それでもドガは、彼女を甘やかすのをやめない。最後には仕方ないと言って、笑って許すドガを、続けるのを、やめられない。