「君のせいで寝不足なんだが」

「えっ」

身体に良いらしいと聞いて、キッチンで、立ったままただのお湯を飲んでいたジェシーに、後からゆっくり、本当にゆっくり歩いてきたドガの第一声だ。具合が悪いのかと思うほどのそのそと歩くドガを追い越してキッチンに先に入ったジェシーは、ドガの一言に固まって危うくカップを落としそうになる。
いびきが凄い?寝相が悪い?寝言がうるさい?眠っている間の自分が何をしてしまっているのか真剣に悩むジェシーをよそに、ドガはケトルのお湯を自分のカップに注ぎ、いつの間にか戸棚から取り出していたらしいティーバッグを沈めたり浮かせたり、これまたゆっくりとした動作で繰り返している。

「何で…僕のせい…?」

「君の…」

顔が綺麗過ぎて眠れない。
は?
君の顔が綺麗過ぎて眠れないんだ。

は?

だから、君の、顔が、綺麗過ぎて、眠れないんだよ。



は?

間の抜けた返事ばかりするジェシーに、ドガは本気で憤っているのか、つい先ほどまでの自分の足取りと同じくらいゆっくり、ゆっくり、一言一言区切って、文句なのか何なのか分からないようなことを繰り返す。それも真剣に。
それを言われたところで自分にはどうすることも出来ない。顔は元からのもので、いや、それ以前に自分の顔を褒めている。あのドクター・ドガが、臆面もなく。嬉しい…いやいや、そうではなくて…。
何の答えにもならない言葉が頭の中でぐるぐる回って、そんな必要は微塵もないのに、大袈裟な音を喉から出しながらやっとお湯を飲み下し、絞り出すようにジェシーは謝る。やや疑問形で。

「…ごめん…なさい……?」

「はぁ…別に謝ってほしい訳ではないんだ、すまない…だがあまりにも…」

「僕の、顔が…」

「そうだ…朝方ベッドに入るともう終わりだ…」

「もう終わり…」

「朝日のせいでどうしたって君の顔が目に入るし、睫毛が長すぎるとか、光が反射して髪が綺麗に見えるとか、肌が白いとか、まぁ色々細部を見てるうちに出勤時間になる」

「細部…」

「夜のうちにベッドに入ればいいと思うだろうが、君がサイドテーブルのライトを点けておいてくれるから、どうしても目に入る…ライトの明かりと陽の光とでは髪の輝き方が違うのを、君は知っているかね」

「髪の輝き方…」

「そんな風なのに君は静かに、微動だにせず、ぐっすり眠っているだろう?寝息だって近付かないと聞こえない。これは彫刻か、ここは美術館だったのか、と思うことがある」

「彫刻…美術館…」

「ジェシー、どうしたんださっきから…ララみたいに人の言葉を繰り返して」

「いやだって…」

恋人から褒められるのは嬉しい。が、その気持ちを凌駕するほど、惚気にしか聞こえないドガの言葉の数々にただただ驚くばかりで、ジェシーはまともな返事が出来ない。
いつからこんなことを言う人に?自分の影響?それとも初めから、恋人にはこんな風に惚気るタイプの人だったのか?いやいや、いやいや…。
寝不足の、まだ覚醒しきっていないであろう頭でドガは喋っているのだ。まともに聞いてはいけない。そう思いつつ、少しだけ悪戯心が芽生えたジェシーは、にやけそうになる顔をカップで隠して、ドガに近づく。先制パンチからずっと怒涛の連打でやられかけていたが、これはむしろジェシーにとっては得意分野だ。最早、専売特許といっても過言ではない。

「ドクターが、僕のことを、もの凄く!好きなのは、分かりました」

「何?ハァ…君は何を言って…………いいかジェシー、今のは全て忘れるんだ。いいね?私はもうひと眠りする」

「待って」

「おやすみ。私は今日休みだ。君は仕事か?頑張りたまえ。夕食は任せなさい」

「待って」

「そういえば今日は雨が降るらしいぞ。傘を忘れず持って行くように」

「待って、本当に。ドガ、おはよう?何?僕もう何だって聞くよ、貴方の困ったことなら何でも。一緒に考えようよ、どうしたらいいのかを」

ジェシーのカウンターで完全に覚醒したらしいドガが、前が見えているのかも怪しいほど細くしか開いていなかった目を、今度は眉も動かさずに、眼球が零れそうなほど見開いて、勢いよくカップをテーブルに置き、早足でキッチンから出ていく。
それで僕はどうしたらいいの?背を向けて眠ることも出来るけど、それじゃあ寂しいよ。あ、いっそ顔が見えないほど近付くのはどう?僕がドガを抱きしめていれば、その悩みは解消されるんじゃないかな!ねぇそれがいいよ、考えただけで幸せだ!だって僕、あなたとハグするの大好きだし、キスがしたいと思った時にすぐ出来るでしょう?知ってる?ドガが、眠ってる時も難しい顔をしてる時は、額にキスするとそれが和らぐんだよ。そうだ、あなたは僕にとって、凄く落ち着く匂いがするって、前にも言ったかな?だから近くにいればいるほど心地好いし、それにね…。
顔を真っ赤にして、俯きがちに歩くドガの後ろへぴったりとくっついて、これでもかと言い返すジェシーの言葉に、ドガは幼稚にも、両手で自分の耳を塞いで逃げる。それでも構わず満面の笑みでドガを追いかけ、声を張って愛を喰らわすジェシーの目は、窓から差し込む陽の光で、楽しそうにキラキラと光っている。
 




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