事故か、若者の馬鹿騒ぎか。
街中の喧騒から離れているとはいえ、夜中でもささやかに賑わう通りにある家の、間接照明すら点けない真っ暗な寝室で、それを窓から確認する気力もないドガは、スーツ姿のままベッドに沈んでいる。
事故であればその内、救急車やパトカーのサイレンが聞こえてくるだろう。あの病院からならここまで七分、パトカーは十分程度。
静かに頭のなかで計りながら、自分の頭の正しさを確かめる。こんなに簡単に頭は思い通りに動かせるのに、なぜあのとき、思いもしない言葉が口をついて出たのか。何度も何度も静思する。
少し空いた窓から、冷たい風にのって、悲鳴のような歓声が聞こえる。人数はそう多くない。口々に何か、捲し立てるように話しているようで、しかし興奮した様子の人々の言葉は、内容まではとても聞き取れない。こちらに向かって移動しているようだったが、それが近付き切る前に落胆の声に変わり、次第に散り散りになってゆく。事故ではなさそうだ。
静寂を取り戻しつつある部屋が安心したドガの眠気を誘うので、従って目を閉じた。スーツが皺になると遠くでぼんやり思っていると、けたたましく鳴るベルに、無理矢理意識を戻される。居留守を使おうかと考えるも、途切れない音に諦め、普段あまり使うことのない腹筋で上体を起こした。

「いい加減にしたまえ、何時だと思っている。部屋を間違えてはいないかね?」

「……ごめんドガ、開けてもらえないかな」

声に驚きスコープを覗くと、ドアの前で頭を垂れ、肩で息をするジェシーが見えた。居留守を使うべきだったと、後悔する。
癖で指をかけてしまった鍵が震えを拾うので、それだけでカチャカチャと鳴る金属音が恨めしい。
それを聞いたジェシーがありがとうと見当違いの言葉を零すので、開けないという選択肢は消え去ってしまった。

「……人の家を訪ねる時間にしては、些か遅いと思うのだが」

「うん…。ごめんなさい、ありがとう、開けてくれて」

「取り敢えず、中に入りたまえ」

招き入れ、ソファーに座るよう促しても、呼吸を整えるのに集中しているらしいジェシーは入り口で話していたときとは打って変わって、一言も話さない。水を渡したり、汗を拭くタオルを持ってきたりもしたが、その度に受け取っては手元を見て頷くばかりだ。

「何かあったのかね」

いよいよ居た堪れなくなったドガが、促すように静かに尋ねる。気軽に話せるようにという配慮でもあったが、ゆったりと一人掛けのソファーに身を沈めて、脚を組み、そしてその上で手を組み、まるでカウンセラーのようだなと頭の端で思う。
対して膝に肘をつき、顎の下で祈るように手を組むジェシーはまるで何かを懺悔するかのようにか細く震える声でぽつりぽつりと話し始める。

「あなたは、…忘れるって、言ったよね」

「……その話ならもう終わっていると思っていたが」

ふぅ、と短く鼻から息を吹き出す。ぴくりと跳ねた肩を見て、少し反省する。別に責めている訳でも呆れた訳でもない。そう思っていたということだけ簡潔に伝えたのだが、ジェシーにすれば切り捨てられたように感じたに違いない。昔、誰かにこの話し方を注意されたこともあったが、学習しなかった自分を今更恨めしく思う。

「すまない、続けたいのなら構わないんだ、勝手に始めておいて終わらせるのもこちらの都合では、些か勝手すぎるな…」

「そんなこと思わないで…勝手というなら僕の方だよ、あんな……」

言い方で。そう言ったジェシーの声も、震えている。手も、泣きそうに潤んだ瞳も、それを隠すかの様に伏せられた睫毛も。どんな時でもこの男は美しいのだなと、ドガは感心する。そしてこの美しさに期待をしていけないとも思う。

「ドガ、ドガ…ごめんなさい、僕は多分、あなたが僕を好きだって、ずっと前から気付いてた」

「なに…」

「言いたいことが多すぎて、まとまらない…でも聞いてほしい、本当にごめんなさい、あなたが、僕に、好きになってもらえないかって、言ったとき…あのとき、正直、多分、僕は怒ってたんだ、あなたに……だって、言わなきゃ今までの僕たちでいられたんだ。なのに、とうとう言われたって、思って、それで、」

「だからそれは、私が悪かったと…」

「最後まで聞いて、お願い…お願いだから。…僕、分かってたんだ、きっと、僕たちが変わってしまうのが怖かっただけで、あなただけのせいにして、逃げてた」

「何を言いたいのか私にはさっぱり、」

「忘れるって、言われたとき、あのときも、僕は頭にきたんだ、だって、ずっと、あなたが僕を好きって、あなた自身が気付く前からわかってて、そ、れで……っ、僕、僕だって、あなたが好きで、なのに忘れるなんて、」

「ジェシー、からかっているつもりなら」

「違う!…ごめんなさい、僕もあなたが好きだ…ドクター・ドガ、お願い忘れるなんて言わないで、僕を好きでいて…お願い…」

心臓が、本来より上の位置で鼓動しているような気持ち悪さに、ドガは眩暈がしていた。
走ったあとのような息苦しさがあって、喉が引き攣る。こういう話で人をからかう男でないことはよく分かっているのに、それでも冗談だとジェシーの口から出るのを期待している。嘘だ。ありえない。そんな言葉が頭を巡って、今置かれている状況をうまく呑み込めない。
受け入れてもらえた。それどころか同じ気持ちでいると言ってもらえた。本来ならば喜ばしいことなのだろうが、一度捨てると決めた感情にした封を、切ってしまっても良いのだろうか?

 





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