本来ならば経験しないようなことを経験すると、人は少し、おかしくなるらしかった。怪物が現実に存在すること、それらと戦っていること、この作り話のような状況の中にいること。
その日常に慣れると、こうも人はトんでしまうのか。
当事者の一人であるリチャードは、どこか冷静な頭で、変えられていく自分を見ている。


「まっ、待ってください!」

「今更止まれって?無茶言うな、」

「せ、せめて、っ…ドアの鍵をっ…」

キメラを相手にするようになってから、イアンはおかしくなってしまった人間の一人だ。変わったのはリチャードを見る目だけだったが、リチャードもまた、自分がイアンを見る目が以前と違うことを感じていた。
その目にお互い、気付いてしまったのが始まりだった。それが良かったのか悪かったのかは、まだ分からない。

「っ、は・ぁ…」

「力抜け、は、いんねぇだろっ」

「あ、なたがっ、触るからでしょう…!少し、落ち着いてください…」

「お、おい、」

「自分でしますから…」

「っ…文句言う割に、乗り気だよな、いつも」

「馬鹿なことを言わないでくださいよ、‥っは、ぁ…、あなたが、雑、だから…ッ、くっ…」

「も、動くからな」

「ちょっとま、っぅ、ァ…っ!」

幸いと言っていいのか、二人の身体の相性は悪くなかった。その時満足出来るかどうかが重要で、それ以外には呆れるほど関心を向けないが、二人ともそれで納得していた。これはただの欲の処理で、そこに感情は付随しない。否、させない。それが唯一の取り決めだった。

『なぁ、今更なんだが、…まぁないとは思うが恋愛感情は抜きにしよう、その方がいいだろ。いや、別に同性でってのに偏見はないし、こんなことしてる以上俺にそんなこと言う権利もないんだろうが…男同士で恋愛は、…多分俺には向いてない』

そう言ったイアンに、リチャードは無言で頷いた。この話をしていた時のイアンの頭の中には、きっと娘や元妻の顔が浮かんでいたのだろう。それを何となく察してから、この話には微塵も触れていない。


意外なことに、初めてセックスをした日のイアンはひどく動揺して、直前まで抱いていたリチャードに向かって頭を下げた。そうさせてやろうと思っていたわけではなかった為に、余計にリチャードを惨めな気持ちにさせたのだが、イアンは気付かないままだ。リチャードの中にはそれが、疑問として残っていた。

自分は彼に何かを期待していたのか?

考えれば考えるほど、そんな訳はないという結論にしかならず、その度に首を捻る。それなのに何故、心がざわつくのか。
頭を下げておいて、イアンはキメラとの戦いのあと、必ずといっていいほどリチャードを事務所へ連れ込んだ。それに抵抗するという考えも、リチャードにはなかったが。

「それ、やめろって、ずっと、言って、るだろっ…」

「は、っ…なっ、にをです…?」

「手、噛むなよ…我慢すんな、」

「誰かに、聞かれたら、」

「…あぁ、そんなこと考えてんのか、っ…どーりで、時々、物音がするとココがえらく力むと…」

「!…ふざけたことをっ、言わない!」

「いっ…てぇ!!チッ、分かったよ、あんたも集中しろ、よっ、」

「ッッッひ、!!」

甘さの欠片もないようなこの行為に、些か夢を見すぎているのかもしれない。そうリチャードは自虐気味に思うことがあった。それは自分の中の新たな変化に気付き始めてからだ。それすらも否定したい気持ちを、抑えきれない自分もいる。やはり、何度考えても同じ答えに行き着いてしまう。そしてその答えには納得出来ず、また解決策も浮かばない。それはリチャードにとって初めてのことで、自分はもう少し賢かったはずでは、と混乱する日も、一度や二度ではなかった。


(誰が来てもおかしくないのに、下着姿で鍵もかけず、よくもまぁ…)

先程までの獣のような目付きや息遣いから一転して、イアンは穏やかな寝顔を見せて眠っている。
その姿を見ているうちに、リチャードの中で今まで否定しきれなかった感情が、じわじわと膨らむ。もう、諦めて認める時がきているようだった。そんな自分に呆れて、リチャードは長く、細い息を吐く。

(夢にも思ってないのでしょうね、まさか私が、あなたを裏切るとは…)

イアンの髪に触れた途端、喉元まで出掛かった言葉を、リチャードは飲み込む。その伏せられた目の前には、確かに、今までとは違う世界が広がっている。




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