「私には、あなたが、ジェシーに恋をしているように見えるけど」
長い脚を組み替えて悪戯に微笑むノーマの視線の先で、ドガは居心地悪そうに何度も眼鏡を掛け直したり、もう中身の少ないグラスを傾けては、伝う水滴を指で拭ったりしている。
そんなドガに、ノーマは追い討ちをかけるようにして、ドガがジェシーのどこを、どのタイミングで好きになったか、そしてジェシーがドガのどこを好きになったか、これは私の勝手な憶測だけど、と前置きして続けるので、彼の肩はもう、可哀想なほど窄んで、時折首を軽く横に振ることしか出来ないでいる。
「ここまで第三者の私から見ても分かることなのよ、ドクター・ドガ。他にも、なんとなく気付いてる人はいるんじゃないかしら」
「…」
「あなたも自分でちゃんと分かっていると思ったけど」
「いや…そうとは…言い切れないな…」
「素直に認める気はないのね」
「…」
年下の女性にペースを乱されることには慣れている筈だと自分に言い聞かせながら、ドガは意を決してノーマに向き直った。いつの間にか会話の主導権を握られている。それに気付いてからからの彼は、分かりやすく口数が減っていた。自覚はあったが、それでもドガは、ノーマに聞いておきたかった。ここで引いてしまっては意味がない。目を合わせて、数秒の間。ノーマが怪訝な顔をした瞬間を、逃さず問う。
ジェシーと付き合う気はないか、と。
「…それ、本気で言ってるの?」
ノーマを動揺させたことに、ドガは、嬉しさを感じなかった。最初からこの話をするために彼女を探し、偶然を装うなんていう、凡そ普段の自分からは考えられないような下手な芝居まで打ったのだ。先制攻撃を食らってつまずいて、それでも諦めずにここに残って、そうしてやっとスタート地点に立てたドガに、そんな余裕はない。
「ああ、どうかな」
「あなたにそんなことを言われるとは、思ってもみなかったわ。さっきも言ったけど、彼の熱意には答えられない。…それでも私に彼をという理由を、教えてもらえるかしら」
「…彼は君を好きだ、凄くね。私といるときも君の話をするくらいだし、その、とても楽しそうだと思う。彼なら君を絶対に幸せに出来ると思うが…」
「ねぇドクター・ドガ、それはあなたに向けている好意とは別のものよ、分かっているでしょう?」
「しかし、」
「でも…そうね、分からなくはないわ」
「…何がだね」
「自分では不釣り合いなんじゃないかって、思うこと」
「……」
これほどまでに、今、椅子に腰掛けている状況をありがたく思う日もないだろう。そう思うほど、ドガはノーマからのきつい一撃に、膝から崩れ落ちるような感覚を味わっていた。
ノーマは鋭い。それは最初から分かっていたことなのに、オブラートに包まれていない彼女の言葉にドガの脈は早くなる。こうも真っ直ぐ図星を突かれては、余計に。
「だからって、あなたを好きなジェシーの目を、あなたが他へ向けさせようとするのは、私にもジェシーにも失礼よ」
「すまない。だが、…だが、彼は私より若いし、魅力的だ。彼を放っておく人間の方が少ないだろう?わざわざ、その…男の私でなくても、と思わずにはいられない」
「急に素直になったわね」
「…」
「ごめんなさい、からかうつもりじゃなかったの。まぁそう考えるのも無理ないかもしれない、相手は有名人だもの。それに同性だというだけで躊躇もする。本来そうではないなら尚更」
「それに、君も思わないか?何もこんな偏屈な男でなくとも…彼は自らアクションを起こさなくても、女性が寄ってくるのに…」
「それはファンの話でしょう?彼は追いかけられるよりは追いかける方が好きそうだし、何よりタイプは年上じゃない」
「私は、こんな性格で…親しい友人もいないし、それにファッションに気を使っている訳でもない…君は私とは真逆のタイプだ、だから…」
「からかわれてるんじゃないかって?」
「…あぁ」
「真逆とは思わないけれど…んー…彼は自分に寄ってこない女を不思議に感じて、興味を持っているだけだと思うわよ。まぁ、一過性でしょうね」
それに、あなたはそういう理想のタイプとは離れたところで、好かれているのよ。それって凄いことだと思うわ。そう言ってカクテルを飲み干したノーマに、何と返したら良いのか考えあぐねるドガは、今度は水滴もつかないほどぬるくなってしまったグラスの縁を、指でなぞる。
私と彼に同じものをお願い。そうノーマがオーダーする声も、遠くで聞いている感覚で、まったく考えがまとまらない。ぼんやりと、女性にオーダーさせてしまったということだけを申し訳なく思う。そんなドガの膝に、ノーマは手を置いて自分に向き直させる。
「ドクター・ドガ、言ってしまえば彼は私のファンだというだけ。それ以上でも以下でもないわ」
「そう…だろうか…」
「そうよ、それは自信を持っていいと思う」
「それにしてはやけに君に入れ込んでいるように見えるが…」
「熱狂的な、ファンなのよ」
そう言って悪戯に笑うノーマに違和感を覚えたドガは、自分に近付く陰に気付かない。 ドガの膝に置かれた手に力が加わり、それとほぼ同時に急に距離を縮めたノーマに、ドガは思わず身構える。それにも構わず、ノーマはドガの耳元に、唇が触れるか触れないかの距離で囁いた。
「彼はナルシストなところがあるから、自信があるように見えるかもしれない。けど、あなたに対しては手探り状態に見える。自分をコントロール出来ない、が正しいかしら。ちょっとしたことで焦ったり、腹をたてたりね」
そう言って離れたノーマがウィンクしたのと同時に、今度は肩に置かれた手にドガは思わず声を上げた。
「ここにいらしたんですね、ドクター・ドガ。こんばんは、ノーマさん」
「あら、こんばんはジェシー」
「…き、君か、驚かせないでくれ」
「ふふ…それにしても楽しそうでしたね?」
何だか恋人同士のようでしたよ。穏やかな声色とは裏腹に、ドガの肩に置かれたままのジェシーの指には徐々に力が入る。それを見てわざとらしく肩を竦めて息を吐き、ノーマは立ち上がった。
「そう見えるか、試したかったんだもの。どうやら成功したみたいね」
自らオーダーをした時点で、ノーマの遊びは始まっていた。
最初から頼んだものを自分で飲む気は彼女にはなかった。ドガが肩を落としてグラスを弄り始めた頃、その向こうにこちらをじっと見るジェシーに気付き、わざとドガの膝に手を置いて、反応を楽しんでいたのだ。分かりやすく眉間を寄せたり、口を大きく開けて瞬きを忘れる彼を。落ち着かない様子のジェシーが立ち上がったのを確認してから、ノーマはドガに顔を近付けてみせた。
「…いい趣味してらっしゃるんですね」
「ありがとう、自分でもそう思うわ」
「一体なんの話をしているんだね」
「さぁ、何だったかしら。私はこれで失礼するわ、あなたの飲み物、頼んでおいたから」
「え?……あぁ…ありがとう、ノーマさん」
「いいのよ。それじゃ、ご馳走さま、ジェシー」
「ふっ…これくらい、いつでも」
「おやすみなさいドクター・ドガ」
「お、おやすみ…」
「私はあなたを応援するわよ」
背を向けて歩き始めたノーマがそう残して帰ったので、ドガとジェシーには一体どちらに言った言葉だったのか分からなかった。それを気にしてこの時間を減らすのは勿体ないと懸命に話し掛けるジェシーをよそに、ドガは俯いて少し熱くなった顔を隠す。
もし、自分にむけられた言葉だったら。行動にうつす、チャンスなのかもしれない。年上である自分が年下の女性に恋愛の相談にのってもらうなんて情けないこともしたのだから。と、ドガは俯いたまま密かに決意する。
「僕といるのに、考えごとですか?」
「…すまない、もう止める」
「いえ、研究のことならいいんです、考えてると無意識に笑顔になるあなたが見られるから」
「えっ…笑っているのか私は…」
「時々ね。でも、今は何だか辛そうな、悲しそうな顔をしてたから。…誰のことを考えているんだろうと思って…妬けちゃうな」
「いやそんな、そういうことは何も」
「そうですか?それならいいですけど」
途端に機嫌良さそうにしているジェシーの顔を、ドガはまじまじと見た。
この目が、この口が、この声が、自分を好きだと言っているのに、何も返せないでいるなんて。ノーマには心のうちを明かせたのに?そんなおかしな話もないだろうと、ドガはノーマが自分にやったように、ジェシーの膝に手を乗せる。
「ど、ドクター…?」
「君のっ、…ことを、考えていた…」
「っっ、」
目を見開いたジェシーが、咄嗟にドガの手を掴む。
泣きそうです、と呟いた彼の声は、僅かに震えていた。